6弾・7話   唐井多都恵の気持ち


 臨海学校が始まる前の数日前、稜加はデコリを連れてエルザミーナ界のレザーリンド王国へ行って、同じクラスの唐井多都恵をどうやって臨海学校へ行く気になってくれるか仲間のいる所へ尋ねていった。

 イルゼーラは公務に携わり、ジーナとエドマンドも仕事で手が離せなかったので、レザーリンド王城の北西にあるカトラージ州のオスカード市を尋ねていったのだった。

 オスカード市はレザーリンド王国の副都市の一つで、建物や町の地面は灰色や黄色や茶色や黒の石ブロックを使い、稜加の世界でいうとこのモダン的な外観だった。町の外灯も黒い支柱にホタルブクロのようなランプ、建物は三階建てから七階建てが多く、一階と二階を店や事務所にしている建物もあった。町の住民も仕立ての良いスーツやワンピース、犬や鹿の頭のような自動車が走り、地面のレールに沿って走る路面鉄道(トラム)、自動車は炎のマナブロックで動き、鉄道は雷のマナブロックで動いていた。運河もあって水のマナブロックで動く船が水中のごみ集めや水中タクシーで起こしていた。オスカード市の上流住宅にあるパシフィシェル=ウォーレスの家で相談に乗ってほしい、と姉妹に頼み込んだ。

ウォーレス邸は藍色の方長型の屋根にサンドイエローのブロック壁で、二階建てで玄関の上にバルコニーのある家で庭も広く芝生と噴水と花壇があり、周辺の家も、それなりに立派である。

 ウォーレス家に訪問した時は予約なしで来てしまったのには気まずく感じたが、この日は姉妹の通う学校は休みで、二人とも家に居たのが幸いだった。

「同じ学校の泊まりの学校行事に参加してもらう方法ねぇ」

 邸宅内の客間で稜加とデコリは向かい側の二人掛けのソファに座る姉妹に訊いてみた。邸宅の中は壁も床のじゅうたんも綺麗でヒビもシミも埃もない。家具もアンティークのようなのが多く、美しい彫の窓枠に、レースと花柄のカーテン、ソファーも三種あってベルベット材のようで、天井のシャンデリアもユリ型のランプで、また映像板が壁にかけられていた。

 パシフィシェルの三歳上の姉ウルスラはオスカード市の北隣にあるヌフェール市の上級学校、ゼネカ学院の六年生で学校内の人気者で優等生だった。ウルスラは藍色の髪と楕円の顔、黄褐色の目は丸めで角ばった目のパシフィシェルとは異なる。

 一方で稜加はウォーレス家に失礼のないように青いピンストライプのシャツワンピースを着てエルザミーナへ行き、迎えてくれた姉妹はウルスラは黄色い水仙柄のブラウスと黒いサテンのマキシスカートで学校時は二本の三つ編みだけど、内巻カールの髪の先を結わえて垂れ流していて、変わらないのは丸眼鏡にである。パシフィシェル(以下パーシー)は前開きの黄色いチュニックに藍色のインナーカットソーと灰色のハーフパンツの服装で、ゼネカ学院三年生になってからはツーサイドアップにしている。そしてウォーレス家の守護精霊であるフォントは冷たいレモネードをグラスから飲んでいた。

「その多都恵さんって人にも臨海学校に来てもらいたいのね?」

「はい。学校の人気者であるウルスラなら、解決方法を教えてもらえるかと……」

 稜加は上目づかいでウルスラに頼み込んできた。

「泊まりの学校行事に行きたくないのは、何かコンプレックスかトラウマがあるんじゃないのかしら」

「コンプレックやトラウマって……」

 稜加はウルスラの言葉を聞いてオウム返しする。

「例えば今より前の学校で失敗をやらかした、とか」

「失敗、か……。唐井さんとは班が違うし、話したこともないからな」

 稜加は学校での唐井多都恵の様子を思い出すが、笑わない・目線を合わせない・動き方がのっそりしている・食べるのも遅い。だけども授業は真面目に受けている印象である。

「行きたくないのは、本人にしかわからないよ。行きたくないより、行くことが出来ないかもしれないでしょ」

 パーシーがつっけんどんに言ってきた。

「行くことが出来ない、ってどういった理由なの?」

 デコリがそれを訊いてくると、パーシーは口をへの字に曲げる。

「例えば費用が足りないとか、家の大人が全員用があって一人だけ留守番とか」

 稜加はパーシーの意見を聞いて、そっちかもしれないと思った。貧窮や貧困による費用不足なら奨学金で賄って高校生でも出来るアルバイトで返金すればいいし、家の大人が全員臨海学校の日に用があって多都恵が留守番しなくちゃいけなかったら、大人に説き伏せればいいだけのこと。

「二人とも、ありがとう。じゃあ、わたし唐井さんに訊いてくるよ。デコリ、帰るよ!」

「え!? 帰るの早くない?」

 デコリがそう言うと、稜加に抱きかかえられて稜加はスターターに多次元をつなぐ〈パラレルブリッジ〉のマナピースをはめ込むと、スターターから金色の光が発せられて、稜加とデコリを包んだのだった。

「そんじゃ、またねー!」

 稜加が姉妹に告げると、金色の光は瞬時に消え去ったのだった。

「もっとのんびりしておけば、いいんでしたのにね」

 フォントが姉妹に相談した後、すぐに去っていった稜加とデコリを見て呟いた。


「と、いう訳で次の土曜日と日曜日は同じクラスの人を臨海学校に誘うから帰宅なし、ってことで」

 エルザミーナでパーシー姉妹との相談から帰ってきた稜加は高校の寮の人っ気のない所で織姫町の母親に連絡したのだった。

『わかったわよ。だけどな夏休みになったら帰ってくるのよ』

「はーい。お休みなさーい」

 そう言って稜加は携帯電話の電源を切って、一階にある携帯電話預かり箱の中に入れた。寮生の携帯電話の使用は自宅や外出先での通話やメール、学校や病院への緊急連絡以外は禁止されているので、寮母室前の引き出しの中に入れておくのだ。

 自宅の母との通話を終えた稜加は預かり箱の前から去ると、二階の自分の寮室に戻って明日寝る支度を始めた。

臨海合学校開始前の土曜日、稜加は寮での当番を終えた後、唐井多都恵が住んでいる陽之原高校の西隣の地域に出かけていった。寮母先生には「同級生の家の手伝い」ということにしておいて。

 唐井多都恵の住所と自宅電話の番号は夜中にデコリが高校の職員室の生徒名簿から探って、稜加のノートの未使用の一枚に書き写してくれた。といっても、デコリの書いた字は小三までの漢字の読み書きが限度で、小四以上の漢字が落書きのようになっていた。幸い自宅の電話番号はかろうじて読めた為、住んでいる町が南栃木市の公田町(こうだちょう)で、公田町の電話番号から住所を割り出せばいいだけのことだった。

 稜加は袖が黒で胴が白い胸に黒い字で『EXTEND』のロゴのTシャツにカーキのサイドポケットのスカートと黒いフラットシューズの服装と日よけのデニムと花柄のチューリップハット、日帰りに使うおしゃれなショルダーバッグの中にスターターとマナピース、デコリと携帯電話や財布などの必要な道具を持って、唐井多都恵の住む公田町へ行った。

 夏入りとはいえ栃木県は盆地である為、常に三〇度台が最高である。最初に陽之原高校近くのバス停に乗って移動し、その後で駅で降車して公田町へ行くバス乗り場へ向かった。駅は観光に来た外国人や学校の休日の部活へ向かう中高生や旅行へ行く一家などが見られた。

 バスロータリーの公田町へ向かうバスは土日祝日の時は二時間に二本だけのもので稜加もデコリも次の時間までの炎天下の中で待つのも辛く、駅前の本屋で時間をつぶすことにした。その前に電話ボックスの中の電話帳で唐井さんの自宅の電話番号から住所を探り出せた。公田町の三丁目である。

 本屋は個人経営の小さな店だがエアコンは効いている。デパートなどの大型書店よりは品薄だが、漫画も文庫も上製本もペーパーバックもそろっている。漫画は読めないが稜加は女子中高生を対象にしたファンタジー小説や伝記を基にした小説を軽く読んでから時間が来ると、公田町行きのバスに乗り込んだ。

 公田町行きのバスはベージュとえんじ色のツートンカラーの車体で、終着先はバス駐車場と表記されていた。また乗客も老人や中年の女性と思っていたより少なく、若者は稜加一人と言ってもいいぐらいだった。

 稜加は座席の一番後ろの前から見て左側の席に座り、他の乗客に気づかれぬようにデコリをバッグから出して、車窓の景色を見せてあげた。バスは人通りの多い駅から一つ後の商業街はスーパーマーケットもホームセンターも衣服店もいくつかの飲食店もある地区で、そこから親子や若者が何組か乗り込んできた。子供のアニメソングを歌う歌声や女子中高生の会話が聞こえてきたけど、慈諸老人や小母さんは気にすることはなかったが、稜加は騒がしいと感じて早く唐井さんの家に着いてくれないかな、と思った。

 バスは道路脇にガソリンスタンドなどの店が並んで店とは反対側の土地に住宅や団地や公園のある地域に進み、高台の住宅街や公民館と景色が変わり、バスに乗ってから二十分後にアナウンスが流れた。

『次は公田町三丁目。お降りの片はブザーを押して下さい』

 やっと来た! 稜加は小母さんやお年寄りの客が降車して、騒がしい若者や落ち着きのない児童のバスから出られる及び唐井さんの家のある所に着けたとブザーを押した。

 バスを降りると冷房で冷えきった車内から熱気のこもる外気に触れて、暑く感じるもようやくたどり着けたことに喜んだ。

 公田町は思っていたより辺鄙で、二階建てのアパートや二階か一階建ての家屋が多く、通りの方にはコンビニやコインランドリー、牛丼屋やラーメン屋などの店が多く並んでいる位だった。しかも着いたのが昼の十二時過ぎだったので、稜加とデコリは日陰のある所へ行って〈フードグレイス〉のマナピースで出した昼食を食べたのだった。

 住宅街の中にベンチとブランコと楠があるだけの公園で、大きめのランチョンマットの上に冷製ハムやスライスターキー、ゆで卵やツナマヨネーズ、スモークサーモン&チーズ、ブルーベリージャム&ピーナッツバターのサンドウィッチ、飲み物は透明な水差しに入ったルイボスティーでキンキンに冷えている。稜加もデコリも平らげると、唐井多都恵のいる家に行くことにした。

 公田町を見てみると、道路の隙間や住宅の庭から雑草が生えて見栄えが残念で、犬を飼っている家では犬を冷房の効く家の中に入れ、野良猫が家の軒下や木蔭で暑さをしのいでいた。外を歩いている人は稜加とデコリぐらいで、配達バイクの人が背中に出前のランチが入ったバックパックを背負って運転していたが、クーラージャケットを着ているので、暑さは何とか和らげさせている。

 デコリの写し書きと電話帳の記憶を頼りに、稜加は唐井多都恵の家にたどり着いたのだった。多都恵の家は二階建ての一軒家で黒い方形屋根に灰色のひび割れてシミが浮き出た壁に、ベランダは金属格子で家族分の洗濯物がベランダと一体化している物干しざおにハンガーやピンチで干されていた。庭も小さく雑草が生えており、角っこに月曜日に出す燃えるごみの袋が数個つまれていた。窓は旧式の雨戸はトタン製、木の板の囲いには公田町三丁目の番地と屋号の青い板が張り付けられていた。

「ここが唐井さんの家? 何か廃れている……」

「失礼でしょ、デコリ。唐井さんだって、ここに住めるのが精一杯なんだから」

 稜加はデコリに注意すると、デコリはバッグの中に隠れて、稜加は唐井家のインターホンを押した。ビーッ、という音の後に低めの女性の声がしてきた。

「どちらですか?」

 稜加は応答に出たのが唐井さん本人ではなく、母親か姉妹かもしれないと思って、こう答えた。

「あのっ、わたし唐井多都恵さんど同じ高校の一伊達稜加です。多都恵さんに用があって、来ました」

 稜加が声の主にそう告げると、窓とノブだけの黒いドアが開いて、一人の女性が姿を現した。ぼさぼさの髪を青いシャーリングターバンで髪を上げて、黒いTシャツは自分の丈よりも大きめでビビッドカラーのカラスと魚らしきプリント画、ベージュのガウチョパンツに足はゴムのベランダサンダル。下がり目にふくよか体型だ。

(唐井さんのお母さん? お姉さん? 歳の近い妹? それとも本人?)

 稜加が現れたのは唐井家の誰なのかわからずに立っていると、その人は口を利いてきた。

「一伊達さん?」

 どうやら唐井多都恵本人のようだった。


 多都恵の家の中はかなり古びているようで、壁紙はどこもかしこも茶色や黒の小さなシミや汚れが付いていて、床板はダークブラウンで強く踏むと緩くなっている個所もあった。廊下の照明は電球がむき出して埃がついているし、ふすまや引き戸も小さな汚れが付いていた。

 多都恵は稜加を居間に招き入れて、稜加の自宅の居間より二畳小さく、横にしたカラーボックスに十四インチのテレビが置かれていて、他にも角が擦れている棚や大きめの布製のチェストなどといった安物の家具が置かれている。電灯の笠は四角い和紙風で照明は消されているが、窓の茶色い厚手カーテンは畳まれているが薄手カーテンからは庭の雑草や石ころが見えていた。冷暖房機がかろうじてついていて、そよそよと冷気が吹いていた。

 唐井家の居間の中心には長方形の黒いちゃぶ台が置かれ冬には炬燵となり、畳にはいくつか擦れている場所もあった。多都恵は訪ねてきてくれた稜加に一〇〇円ショップで売られているプラスチックタンブラーに麦茶を入れてもてなしてくれた。

「お茶菓子はないの。ごめんね」

「別にいいよ。唐井さんに話をしたら、すぐ帰るから」」

「話って何?」

 多都恵に訊かれて、稜加は今度の臨海学校でみんなが浮かれている中、多都恵だけが何かやる気なさそうだったことを訊いてきた。

「唐井さん、小中学校で臨海学校に対する思い出があるんじゃないかなー……って」

 稜加は多都恵がなんて答えてくるか待つ。しばしの沈黙の間、多都恵はこう言ってきた。

「……うち、高校生になってすぐお父さんが単身赴任で秋までに長野県に行っていて、お母さんは一ヶ月半前から体を壊したおばあちゃんの所に通うことになって、学校が終わった後や休みの日はわたしがずっと弟妹の面倒と家事をやっているの。臨海学校の日にお母さんに家の用事は頼めないし、弟と妹はまだ小四と小二だし」

 この時、多都恵の弟と妹は二階の自室にいるように、と言われていた。

「本当は臨海学校、行きたいの?」

「うん」

 多都恵は稜加にはっきり伝えた。多都恵の家は稜加と家族構成が似ているが、多都恵の方が不利な状況なのは理解した。

「唐井さん、お母さんにはっきり言った方がいいよ。『臨海学校に行きたいから、弟と妹を預かってくれる人を探してほしい』って」

「うん。だけども、掃除しないと臭うし、洗濯物も洗っておかないと溜まるし」

 多都恵は年長子としての責任に感じてしまう。その時だった。多都恵の家に電話が鳴って、居間の出入り口の脇のカラーボックスの上に置かれた電話の所へ、多都恵は駆けていった。多都恵の家の家電話は通話と録音だけの灰色のプッシュ式でらせん状のコードが付いていた。呼び出し音が切れる前に多都恵は受話器を取った。

「はい、もしもし。唐井です。あっ、お母さん? うん、うん、わかった。帰ってきたら、詳しく教えて」

 対話が終わると受話器を戻して、多都恵は稜加にこう言ってきたのだった。

「わたし、臨海学校に行けるようになったよ。その期間にお父さんの弟、叔父さんがわたしの住んでいる町の近くに出張することになって、ビジネスホテルに泊まるより、うちに泊まりたいって言ってきたの」

「ええっ! 良かったじゃない!」

 稜加は突然とはいえ、多都恵の臨海学校行きが叶って良かった、と喜んだ。

「あ〜、だけどなぁ」

「え? 他に困りごとが?」

「お父さんが単身赴任してから、わたしが料理を作ることになって、だけども疲れた時はインスタントや冷凍食品や炭水化物や缶詰で手抜きすることが多くなって……」

 多都恵は父親不在、母親も祖母の通いつけになってから自炊を楽してきた為に太ったことを気にしていた。

「だったらサラダを入れたり、炭水化物の量を減らしたら? 後は家中の汚れている所を懸命に磨いたり、夕方の涼しい時に近所を歩き回って運動とか」

 稜加は多都恵に栄養の偏り太りの痩せ方のアドバイスをしてきた。稜加よりも複雑な家庭情状況の多都恵が思わぬ幸運で臨海学校に行けるのはいいが、今度は少しでも痩せて水着の映えを良くする為に痩せることまで尽くしたのだった。