4弾・8話 リッジの町の姉弟


 リッジは近くを流れるエルノ河の近くに建てられていた為、街中には住民が使う水が流れる運河が設けられていた。人間や家畜の飲み場に限らず、水のスピアリーの憩い場や旅人の安息所でもあった。リッジには憲兵とパーシーとペアになった近衛兵テオドーラ、ウォーレス家の守護精霊のフォントの他にもリッジに住む水のスピアリーたちがいた。

 水のスピアリーはフォントと違った姿の者がいて、桶やタライなどの水にまつわる物の姿がいた。彼らは一日に数回は水に浸らないと健康を維持できなくなるのだ。

「ねぇ、皆さん。この町に脱獄者が転がり込んだという噂を知りません?」

 フォントがリッジの水のスピアリーたちに尋ねてみると誰もが首を横に振る。

「スピアリーたちも脱獄者からの危害に遭わないように身を潜めていますもんねぇ……」

 テオドーラがリッジ水スピアリーの反応を見て呟く。

「あっ、でも、この町の孤児院に住んでいるアルタとチェンゾの姉弟が時々町の表に出て、何かやっているって僅かだけど噂が出てたよ」

 イモリによく似た姿のスピアリーがフォントに教えてきた。

「そ、それってどんな……!?」

 テオドーラも耳を傾けてアルタ姉弟の噂をしっかり耳にした。フォントとテオドーラはリッジの水スピアリーの話を聞き終えた後にパーシーがやってきたのだった。


 リッジの町の孤児院は北の高台にあって、辺鄙な場所で屋根や壁のレンガは所々に亀裂が入り、漆喰の隙間にも孔があって冬の近い今は隙間風が入ってきて寒さで寝られない子もいるという。

 孤児院は年少は乳児で年長は十五歳と数十人が集まって生活していた。しかし初等教育が終われば公的な支援でパーシー姉妹が通うゼネカ学院のような寮制学校に入れて上の教育が受けられることもあった。

 パーシーとフォント、テオドーラは町の水スピアリーから聞いたアルタとチェンゾ姉弟を訪ねに行った。

 三人がリッジの孤児院に入ってみると、子供たちはやや広めのレクリエーション室でカードゲームやすごろくなどの遊びをし、十代の子は同じ教科をやる人同士で部屋別に勉強会をしていた。しかし壁紙は破れてシミが浮かんでいて床板も緩くなっている箇所もあり、壁付けの棚も軋んでいてかなり古びていることがわかった。

「どうもようこそ。救済者さま、近衛兵さま。このようなむさ苦しい所へ。わたくしがこの孤児院の院長を務めております、レモンド=ジェローネと申します」

 パーシーたちの前に一人の中年男性が姿を見せてきた。ジェローネ院長は五十代半ばの天辺が禿げ頭で褐色の髪には白髪が入り、薄青い眼にわし鼻の顔立ちで。眼は茶色のベストとスラックス、灰色のシャツに茶色のフェルトのモカシン靴の身なりであった。

「ああ、どうも。堅苦しい挨拶はいいですから。ところで、アルタとチェンゾの姉弟ってどこにますか?」

 パーシーはジェローネ院長に訊いてくる。

「あの子たちですか。可哀そうなことに二人の父親は早くに亡くなって、母親が一人で頑張っていたんですけどね。まさか、あのようなことになってしまうなんて……」

 ジェローネ院長はパーシーとテオドーラにアルタとチェンゾ姉弟の境遇を語るも曖昧な返答であった。パーシーは町の広場にいた時と同じようにまた誰かに見られている感じを察した。その相手は訪問者に捕まらないように素早く逃げ出していった。

「わ、わたしが追いかける!」

 フォントがパーシーとテオドーラを院長室に残して、相手を追いかけていった。するとここの孤児院の二歳から八歳の子たちがフォントが珍しいのか密集してきた。

「おれらの知ってる水のスピアリーと違うぞ!」

「かわいー! あたいもさわるー!」

 フォントはたくさんの幼い子たちに囲まれて喚いた。

「や、やめて下さい〜!」

 するとフォントに密集している子たちの一人が悲鳴を上げた。

「キャーッ!!」

 他にも何人かの子たちが悲鳴を上げてフォントから離れていき逃げ去っていった。フォントは何があったのか浮いている場所の床に目をやると、そこにはゴキブリがいたのだ。

「ひっ、ひえーん!!」

 フォントは時々、ウォーレス邸でも焦げ茶色のもぞもぞ動いて素早いゴキブリを見かけるとビビッて逃げ出していった。

「全く、みんなまた同じ方法に引っかかりやがって。なっさけねーの」

 フォントの近い場所にいる男の子の一人がゴキブリをつまみ上げた。フォントは男の子がゴキブリを素手で掴んだのを見て引くが、男の子はフォントにこう言った。

「これおもちゃだぜ。透明なテグスがついていて、引っ張ると足が動くんだ」

 フォントはこの男の子がおもちゃのゴキブリを出して他の院の子たちにいたずらをしたのかとポカンとなる。そしたら男の子より五、六歳年上の少女が男の子に叱ってきた。

「こらっ。またあんたはこんなことやって」

「だってよぉ……」

 そこへフォントを追いかけてきたパーシーとテオドーラがやって来た。

「フォント、どうしたのよ?」

 パーシーがフォントに尋ねてくると、フォントの近くにパーシーと同年代の少女と少女より五歳くらい下の男の子が一緒にいるのを見てパーシーは覚った。

(もしかしてこの二人がアルタとチェンゾの姉弟!?)

 すると姉の方がパーシーを見て軽く睨んできた。

「あんたなの? 今のエルザミーナの救済者ってのは」


 フォントとパーシーとテオドーラ、フォントに近づいた姉弟は院長室に呼び戻された。姉弟はアルタとチェンゾであった。アルタは十二歳でチェンゾは六歳。二人とも赤褐色の肌に縮れた黒髪、細くつり上がった暗紫の眼をしていた。

「あの、失礼ですが何故脱獄者が逃げ出して外出禁止令が出ているのにも関わらず外に出ているのですか?」

 フォントがアルタ姉弟に尋ねてくるとアルタもチェンゾも押し黙っている。パーシーはこの二人が誰かに似ていると感じたが中々浮かび上がって着なかった。

(誰だっけ。え〜と)

 するとテオドーラがパーシーに耳打ちをしてきた。

「あのパーシーちゃん。この二人、脱獄者の一人の大女、ガロンダ=ミッツィの身内じゃないかと」

 テオドーラが小声で教えてきたのでパーシーがガロンダ=ミッツィの名と王城の会議室で見た脱獄者の大女の顔を思い出す。

(もしかしてこの子たち、ガロンダ=ミッツィの……!)

 パーシーは院長室を飛び出し、フォントとテオドーラが追いかけていった。

「パーシー、どうしたの!」

「ちょ、ちょっと〜!?」


 パーシーとフォントとテオドーラはあの後、憲兵隊と王室派遣兵と宿無しスピアリーだけが町の中を巡回している広場に座っていた。三本の柱が並ぶ広場には運河とつながっている人工の泉があって、その中心には金色の女人象――泉の女精の像が立てられていた。その泉の縁に三人は腰かけていた。

「ガロンダ=ミッツィは以前はリッジとは別の町に住んでいて、アルタちゃんとチェンゾくんの父親であるご主人を早くに事故で亡くして一人で働いていたようなんです。アルタちゃんは勤め先を掛け持ちしているお母さんに代わって家事をしたり弟の保育所の送迎をしていて。他の子たちと遊びたがっていたにも関わらず家のことを優先していたようで」

 テオドーラから聞いたアルタ姉弟の境遇を聞いてパーシーは自分とはえらい違いだと実感した。パーシーの住んでいるオスカード市にも児童養護施設暮らしの子や親からの扱いに恵まれていない子は探せばいるからだ。そういう子たちは運が良ければ養子になって待遇のいい教育を受けたり、慈善事業家の後援で高等教育やまっとうな就職先に困らなくなるからいいけど、アルタ姉弟は母がガラシャ女王の部下になってしまったらしく孤児院暮らしになり、また他の子たちとも馬が合わないようで浮いているようだった。

「じゃあアルタちゃんとチェンゾくんはお母さんに会いたがっているってことですか?」

 フォントがテオドーラに訊いてきた。

「もしくはガロンダ=ミッツィが娘息子に会いたがっているとか。どっちにしろ本人に尋ねてみないとわからないことですからね……」

「だけどガロンダが何処にいるか」

 パーシーがそう言った時だった。テオドーラのスターターに連絡の音声が入り、

テオドーラはスターターを開いて連絡の通信を取る。

「はいっ。テオドーラです!」

『こちら憲兵隊員パウロです! リッジの町を出て北側のエルノ河の上流でガロンダ=ミッツィを発見しました! 救済者殿の助けを願います!』

「了解! すぐ向かいます!」

 テオドーラは通信を終えるとパーシーypフォントに言った。

「この町を出て北上のエルノ河の上流にガロンダ=ミッツィが出たそうよ! あなたたちの助けが必要だって!」

 それを聞いてパーシーとフォントは頷いてガロンダが出た場所へ急行することになった。


 エルノ河はレザーリンド王国の北西を流れる川でその始まりは大陸の最北西の国であった。リッジの町近くのエルノ河は主に酪農農業地帯でリッジの町の農業者が憲兵隊の付き添いで畑の手入れや家畜の放牧をしていた。脱獄者のせいで農作物が採れる数・大きくなり過ぎたら食べる家畜の数は減ってしまったが、それでも口にできる麦や野菜、燻製肉は収穫していた。

 リッジの農業地帯より北上の場所では二メートル近い武術を使う複数の憲兵隊員がガロンダ=ミッツィ一人を相手にしていたが、ガロンダは百八十六センチ体重八十キロ前半の大女で、更に若い頃はエルザミーナ界の武術の一つ、バルバロという投げ技中心の武術の使い手で巨漢の憲兵なんかは次々と投げ倒してしまった。平たい草地の上でガロンダに倒された三人の憲兵の巨漢が失神していた。残る一人の憲兵は倒された三人より背は低いが、筋肉のついた若い青年憲兵パウロであった。

 パウロは仲間がガロンダに倒された時にテオドーラに救援を求めたのだった。

「もう終わりかい? あたしゃ子供たちに会いにここまで来ただけなんだ」

 ガロンダはパウロに言った。ガロンダは赤褐色の肌に黒い縮れ毛、つり上がった暗紫の眼、肩幅もあって一瞬クマかと思うほどの体格で途中の村で見つけた男物のシャツとズボンと靴をまとっていた。

 パウロがガロンダの威圧に押されていると、テオドーラがパーシーとフォントを連れて走ってきたのだった。

「あ! あの人がガロンダ=ミッツィですか!? 間近で見てみると押されそうです……」

 フォントがガロンダを初見して思わず本音を口走らせてしまった。だけどパーシーはガロンダにこう言った。

「ガロンダさん! あなたの子であるアルタとチェンゾはリッジの孤児院で過ごしています! だけど、あなたはあの子たちのお母さんなのに、何故収監されたのか……」

 ガロンダはパーシーを見て軽く返事をした。

「あんたには関係ないだろう」

「でもわたしはアルタとチェンゾと出会いました! あの子たちが外出禁止にも関わらず孤児院から出てきているのはガロンダさんが関係しているんじゃないかって」  パーシーはガロンダに訴えた。ガロンダは途中で服と共に手に入れたスターターとマナピースを使って、スターターから白い硝煙が出てきて、パーシーもフォントもテオドーラもパウロら憲兵もむせたのだった。炎属性の煙の出る〈スモークアウト〉である。

 硝煙が治まるとガロンダの姿はなかった。ガロンダはリッジの方向へ逃走していったのだった。