2弾・2話 稜加の休日と修学旅行


 稜加とデコリの夕方以降の生活は稜加は常に受験勉強している訳ではなく、決まった日の決まった時間帯には自室を出て居間へ行って妹と弟と共にテレビアニメを観る習慣もあった。

 デコリも現代世界の映像番組が観たいと言ってきた時、稜加は妹と弟にデコリの存在が知られてしまったら困ると思ったが、デコリの願いも聞き入れようとも考えた。考えた末にマナピースの中に姿を消せるマナピースがあったので、マナピースの束の中から探し出した。

 属性によって色の異なる小さな正方形の半透明な浮彫の板、マナピースはエルザミーナの世界では人間や精霊の必要なアイテムで、マナピースの効力を発動させるにはスターターと呼ばれる本型のアイテムが必要で、開いたスターターの左には正方形の六つのくぼみ、右には画面とマナピースを発動させるためのセンサーがあった。稜加は現代世界に戻ってからもマナピースを使える実験をし、人間と精霊が合体して災厄を打ち払う姿になる〈フュージョナル〉のマナピース以外はデコリ使えるとわかった。デコリにテレビアニメを観せる時は半透明の紫色に人が透明になる浮彫の〈インビジライズ〉でデコリの姿を消して、居間へ連れて行った。といっても〈インビジライズ〉による透明化は一日一回一時間が限界で、稜加は番組を観終えると急いでデコリを連れて稜加の部屋に戻ってデコリの透明化を解除したのだった。

「ああ、面白かった。稜加の世界の番組っていっぱいあるんだねぇ」

「うん。NHKや民放テレビの他にも衛星放送や有料契約チャンネルもあるからね」

 エルザミーナの世界でも番組を観ることが出来たが、それは〈映像板(ヴィジョナー)〉と呼ばれる特殊な透明晩に〈ヴァーチャライズ〉のマナピースで既存の物語の本や絵本や写真集を合わせることで映像を立体化させる娯楽みたいな文化であった。放送局による番組が観たい場合は〈ライブヴィジョン〉というマナピースがあれば視聴できるが、それはレア度五つの高値のマナピースで持つことが出来るのは主に王侯貴族、地主、高収入者ぐらいで一般民にはまだ高すぎるマナピースであった。国内外のニュースや災害情報を知るには一般民はラジオを使っていた。

 稜加にとってエルザミーナは現代世界とは異なる発展した文化や文明を持っているものの、身分の差の生活などはまだ後(おく)れている方なのだろうとも思った。

 夜になればクリーニング店から戻ってきた両親が帰宅してきて、稜加の母が夕飯を作り居間で一家そろって食べ、稜加は一人だけ早めに食べ終えて席を立ち、台所で小さなおにぎりを作ったり小型の携帯食を持って自分の部屋へ戻っていってデコリに食べさせてあげていた。それから受験勉強の問題集を開いて二人きりの時間を過ごしていったのだった。

 時計が九時半を過ぎると、稜加は今日の問題集を止めて押し入れのタンスからパジャマと下着を取り出して、デコリをパジャマの中に隠して風呂場へ行った。風呂場と脱衣所は玄関のすぐ前で稜加の部屋の左隣りなので何時に誰が入ったか稜加はわかるのだ。

 脱衣所で今日の服を脱いで奥にある洗濯機の中へ入れて、木の浴槽に防水タイルの床と壁にシャワーにカランの風呂場で今日の汚れと疲れを洗い流し、湯船にゆっくりとつかった。

 デコリの髪はリボン状で稜加が一本ずつ丁寧に洗いタライに湯を張って温まる。入浴が終わると稜加とデコリはタオルで水気をぬぐってドライヤーで髪を乾かす。デコリは常に同じ服でいるのだが、稜加が一張羅ではかわいそうだと感じて自分の古着を使ってデコリの普段用の服やパジャマを作ってあげた。

 稜加のパジャマはピンクのTシャツとスパッツ、デコリはフリルのついたネグリジェで二人は部屋に戻ると稜加は机の下のキャスターチェストから明日の

授業で使う教科書とノートをスクールバッグの中に入れて、布団を畳の上に敷くと明日の朝に備えて寝入りデコリも傍らで眠ったのだった。


 春学期の中間テストが終わった五月最後の最後の日曜日、稜加は朝の十一時に受験勉強の問題集をきりのいいところで閉めると、押し入れのタンスの引き出しの一つから肩に提げられるキャンバス生地のトートバッグを出して、その中に電車の時刻表と目的地までの道のりが描かれた地図、財布、スマートフォンを中に入れて日差しよけのデニムハットをかぶり、更にスターターとマナピースの詰まった巾着、デコリもバッグの中へ入れた。

「稜加、どこ行くの?」

「お出かけよ。家を出て電車に乗って他所の町へ行くのよ」

「でんしゃって、こっちの世界のマナトラムのこと?」

 エルザミーナの世界では遠くへ移動する時や仕事をする時に使う乗り物はマナピースになる前の大きなエネルギーの結晶・マナブロックを動力源にして動かす。船なら水、飛行機なら風、自動車なら炎、鉄道なら雷という風に。

 稜加はデコリと荷物入りのバッグを肩にかけて庭にある物置近くに停めてある自転車を引っ張り出して駅まで駆け出していった。デコリがバッグからそっと顔を覗かせると、歩いている時とは違う風を切る感覚がきて、並列した民家や店、自動車や電柱などが瞬時に変わっていくのを目にした。幸い今日は快晴だったので稜加は自転車を使い駅に着くと駐輪場の管理人の老人に今日の預かり用の二百円を出し、他にも多く停められている自転車の中に自分の赤いフレームの自転車を停めて、駅構内の中へ入っていった。

 稜加の町にある駅は二つあり、一つは北東にあるJR織姫駅、もう一つが私鉄の東武織姫駅であった。東武織姫駅のホームは小ぢんまりとしていてお菓子やジュースを売るコンビニ、県外の観光客を案内する観光センター、自転車のない人や観光客のためのレンタルサイクルもあった。今日は日曜日で人も少なく、稜加は運賃と行き先表示を見てから行き先の切符を買い、改札機をくぐって電車のホームの中に入り、北側の上り線で待機した。

「わあっ……」

 デコリはバッグから軽く顔を出すと、織姫町の景色に目をつけて声を出した。建物や家々が整列されたように並び、緑の土手の渡良瀬川にかかる大橋、橋の向こうの稜線もエルザミーナの生命体で五十五年間も眠っていたデコリにとっては神秘的なものに見えた。

「そんなに目をらんらんさせなくても……。あっ、電車が来たから乗るよ」

 稜加はデコリにそう言うと、えんじ色にクリーム色のラインの三両編成の列車に乗り込む。電車の中は親子連れや老人、午後のクラブへ向かう中高生の姿が見られ、稜加は空いている席の一つに座り、デコリもバッグの中から顔を上半分だけ出して窓の変わりゆく景色を目にしたのだった。

『次は佐野大町駅、佐野大町駅。お降りの方はお忘れ物にご注意ください』

三分から五分おきに流れるアナウンスによって駅の名前が変わっていき、客が次々に入れ替わり稜加は佐野大町駅に着くとバッグをしっかりと持って電車から降りたのだった。

 佐野大町駅は織姫町より北にあって電車で二十分の距離にある町である。JRと私鉄の駅が三分差の場所にあり、JR駅北口にブランコや滑り台などのある公園と町並み、私鉄駅の南口を出るとレンタルサイクルや駐輪場、アジアの小レストランやケーキ屋などの店がいくつか並び、駅の通りを出ると道路であった。駅の通りを出ると道路で駅から西へ行けば大型スーパーやレストラン街のある地域、東へ行けば大型の神社や図書館や佐野大町内の学校のある地域である。

 稜加は駅を出ると今日は駅の出入口近くに停車していた弁当販売のワゴンから玉露茶のペットボトルとヒレカツ弁当を一つ買って駅広場の隅にあるベンチで昼食を採った。佐野大町駅の町広場は利用者が少なく、稜加はデコリと弁当を分け合って食べた。

「あー、お腹いっぱーい」

 デコリはベンチの上でお腹をさすって一息ついた。

「そんじゃあ食べたから行こうか、今日の行き先へ」

 そう言って稜加はデコリをバッグの中へ入れると、大通りに入り二車線を走る自動車に気をつけながら歩いていった。佐野大町の町中も織姫町とは似ているようで異なるのをデコリは目にした。

 歩いて十五分位が経った頃、稜加とデコリはある建物の前へやって来た。コンクリートの塀と鉄の門扉、灰白色の三階建ての校舎と体育館、コンクリートの塀には『県立佐野大町高等学校』の銅の表札が刻まれていた。

「家を出たのが十一時十分。今は一時十五分だから、片道で五十分か……。流石に通学一時間はきついな。やっぱ遠くの高校へ入るのなら寮付きの方がいいか」

 そう言って稜加は踵を返して東武の佐野大町駅へ戻っていった。

「稜加、もう行って帰るの?」

 デコリが訊いてくると稜加は答えた。

「うん。他の町の高校へ通えるようになるには、家から何分で乗り物は何を使うかの把握が必要だから。佐野大町高校は偏差値は低いけど、距離があったし。来週は別の高校に行ってみるよ」

 デコリは精霊なので学校に行ったことがなく、勉強もしたことがないし、人間と違って三百年は生きられるので人間の生活は知らなかったし、ましてやマナピースの存在しない現代地球の暮らしがどんなものかは初めは理解していなかったが、稜加と過ごしていくうちに知っていったのだった。


 季節は六月に入り、気候が蒸し暑くなって梅雨と呼ばれる時期に入る頃は雨の日が増え湿気も多くなり、人々の服装は半袖や薄手の生地に衣替えをする。稜加の通う織姫中学校の制服も夏用に替わり、男子は白い半袖シャツに黒いスラックス、女子は赤いリボンタイ付きの白い半袖シャツに黒いジャンパースカート。

 中学三年生は春の中間テストの後に修学旅行の行事があり、織姫中学校の三年生たちも六月の半ばに決まった。稜加のクラスの三年四組のLHRでも修学旅行の行き先が発表されると、稜加はたいそう驚いた。修学旅行の地が二年前までに自分が住んでいた千葉県幕張市だったからだ。

(修学旅行が千葉県で、しかも幕張だなんて! 小学校の時の友達とまた会えるかもしれない)

 小学校卒業して間もなくクリーニング店を営んでいた祖父が亡くなり、父が祖父の稼業を継ぐために妻子を連れて栃木県に引っ越ししてからは稜加は小学校時代の友人と別れ、郵便でやり取りしていた。

 家に帰って夕飯時には両親と弟妹に修学旅行の行き先を告げ必ず参加すると宣告した。

「稜加の中学校の修学旅行の行き先が千葉県幕張市? まぁ、何という運のめぐりあわせかしら」

 母はそう言うと康志が羨ましがる。

「いいな、リョーねぇだけ久しぶりに千葉県に行くことが出来て……」

「そういえば栃木県に住むようになってからは千葉県に行くことはなかったな」

 父が引っ越し後は千葉県に出かけることがなかったことを思い出して呟いた。一伊達家は夫婦共働きのため家族旅行はお盆休みと新年の正月旅行ぐらいで、お盆の時は母の故郷の山口県で伯父一家と母方祖父母に顔を見せるために宿泊旅行で、正月三が日なら店を閉められるということで旅行に行っていた。といっても群馬県や埼玉県の温泉旅館で泊まり、どっちの県も街並みが栃木県と似ていたので、稜加はそこそこのテンションであった。

 六月第二水曜日の朝、稜加や着替えや文房具や定められた額のおやつなどが入った大型の黒いチェックのボストンバッグを持って、いつもより早く家を出てもちろんデコリとマナピースとスターターも持っていって集合先の東武織姫駅へ向かっていった。デコリはバッグの入れ口から顔を出すと、いつもよりテンションのある稜加を目にして尋ねてきた。

「稜加、何でいつもより早く家を出て、そんなに嬉しそうなの?」

 寝ぼけまなこをしょぼつかせながらデコリが訊いてくると稜加は答えてくる。

「あれ、言わなかったっけ? 今日は修学旅行で、しかもわたしが十二歳まで過ごしていた千葉県幕張市が行き先なんだよ。絶対に行くんだって今日まで待ってたんだから」

「ふーん……。デコリも連れてきていいの?」

「いや、デコリを家に残していったら、お父さんたちに見つかると困るから連れていくことにしたの。だけどバッグやスターターの中に絶対いてよ。今日から三日間は楽しくやっていきたいんだから」

「わ、わかった」

 デコリは稜加の言葉に従い、稜加もいつもより早い足取りで東武織姫駅に着いた。駅には佳美や玉多くん、他の生徒も集まっており全員そろっている点呼が済むと九時最初の赤い車体の両毛特急に乗って途中通過点の東武浅草駅まで移動することになった。稜加も四人席の一つに座って窓の変わりゆく景色を目にして、早く千葉県幕張市に着いてほしいとソワソワしていた。

 景色は田んぼと小山の多い地域からビルがいくつも並ぶ都市部に入り、東武浅草駅で一般車両に乗り換えて東京スカイツリーがある押上駅に着き、更に京成電鉄の電車に乗って京成幕張本郷駅に着いたのだった。

 二年三ヶ月ぶりに千葉県幕張市に着いた稜加は街並みがそんなに変わっていないことに感激した。上下に分かれているバスロータリーも店の場所も。それから五組に分かれて海浜幕張駅に行くシティバスに乗り、何より栃木県育ちの人にとって最も驚いたのは車体が二台分のバスであった。そのバスは一度に二クラスの生徒たちが乗れたので普通のバスに乗ることになった三組から五組は大変くやしがった。

 織姫中学校の生徒と先生たちは海浜幕張駅に着くと宿泊先のホテルでホテルの人たちが用意してくれた昼食にありつくことが出来た。食堂も一度に大人数が入れるスペースで一度に六人が座れる円卓や窓の景色が観られるソファ席もあったので、稜加たちのグループも昼食の幕の内弁当を食した。

「はぁー、乗り換えによる移動が多くて疲れたぜ」

 玉多くんが昼食をほおばりながら呟いた。

「本当だよ。でもこうやって全員到着することが出来たんだし」

 玉多くんの隣に座る眼鏡にベリーショートヘアの那須くんが玉多くんの返事に応える。

「そういや稜加は小学校まで幕張市に住んでたんだよね」

 男子の向かい側に座り稜加の左隣りの佳美が稜加に訊いてくる。

「うん。明日の自由時間の昼三時に小学校の時の友達と会う約束をしたんだ」

 稜加は明日の予定を佳美たちに伝える。昼食が終わるとビルの多い幕張の町中を移動し、織姫中学校の生徒たちは栃木県にはない建物や景色を撮影したり、一クラスでシティオブジェの前で集合写真を撮ったりし、その予定が終わるとホテルに戻っていったのだった。

 宿泊先のホテルはシティホテルで生徒たちは二人で一部屋を使い、稜加は佳美と同室になった。ホテルの一人部屋は二段ベッドとカウンター机と椅子、ローテーブルと木枠の椅子二脚、机の上には小型のテレビがあり、冷蔵庫もあった。それから室内にはホテルと洗面台と浴槽とクローゼットもあった。

「あー、足がもうクタクタ。初めて千葉県の町を見られたのはともかく」

 二段ベッドの下で佳美が体を横にして言う。

「わたしは小学校卒業までは休みの日は友達と一緒に幕張のショッピングモールへ出かけてたりしてたから、歩きなれているけどね」

 稜加はカウンター机に座って夕飯の時間までの穴埋めとして英語のテキストを開いていた。他の生徒たちもトランプなどのカードゲームをしたり、他の生徒の宿泊室へ行って駄弁してたりしていた。

「そりゃあ稜加にとっては二年ぶりの幕張市だけどさぁ。あたしは生まれた時から栃木県暮らして、千葉県のことは全く知らなかったんだからさ」

「それもそうよね。あとよっちゃん、明日の自由時間に付き合ってもらえるよね?」

「ああ、稜加の小学校の時の友達と会う約束ね。しかし平日とはいえ、よく時間を割いてくれたね」

 佳美がそのことを訊いてくると、稜加はこう答えてきた。

「友達はわたしと会えるのなら帰りのHRや掃除を早退してまで来るって手紙に書いてあったし。わたしも逆の立場だったらそうしてたし」