稜加とデコリがエルザミーナに三度飛ばされて更にレザーリンド王立監獄から逃げ出した五人の脱獄者探しから五日目、レザーリンド女王イルゼーラの従兄のサヴェリオと国北西のジョルフラン州を旅して十五ヶ所目の町にたどり着いた。 そこは西部の中枢辺りで平地に町が建てられ、いくつものの十字路や三叉路、歩道橋や町なかを走る路面列車(トラム)とは違った列車のある町だ。建物は茶色や灰色などの石材やレンガ、漆喰など様々で二階から三階建てに屋根はなく、どの家も屋上付きで雨水や雪解け水を流す為の雨どいが枠状に設けられ、更に雨どいを伝って町なかの運河に向かって流れる用水路もあった。 「ここはアンブロゥって町だ。学校や区役所の他に音楽ホールや劇場、博物館や動物園といった娯楽施設がある」 サヴェリオについてきたアレスティア家のスピアリーのトルナーが『ジョルフラン州ガイドマップ』の小冊子を持ちながら説明していた。 「動物園……って今、脱獄者による緊急外出禁止令中なんじゃあ……」 デコリはトルナーに尋ねてくる。デコリは現実世界にいる時、動物園という場所には東西南北各地の生き物が別々の檻に入れられていて飼育係が世話をし、動物の体調が悪くなったら獣医が診察すると日本の本で読んだ。稜加からは「受験が終わって高校に入る前に連れていってあげる」と言ってくれた。 「いや、今のアンブロゥは日の出ている時なら外出の許可が下りている。学校は午前中だけだったり、店も日の入りになったら閉めて、動物園は従業員がローテーションで宿泊している」 サヴェリオがアンブロゥの町の現状を二精霊に教える。稜加もアンブロゥの町の様子を目にして納得する。サヴェリオと同じ王室派遣兵や憲兵の他にも、何人かの一般人が町なかを歩いていた。ある老婦人の一人は憲兵の青年に付き添ってもらって食料の入った手提げかごを持ち、十歳以下の子供たちは七、八人単位で初等学校からの下校中で先生か保護者が付き添っているといった雰囲気であった。もちろん十一歳から十四歳までの上級学校生も複数で歩いていた。稜加は下校中の初等学校生を見て、弟の康志と妹の晶加の登下校をしている様子を思い出させた。 (現実の世界に戻ったら、サヴェリオのことやメイティスさんのことがまぎれるかな……) 早く事件を解決させて自分の世界に戻りたい。そこには家があって、父と母が亡き祖父のクリーニング店で働いていて、今は中三受験生の稜加の分まで康志と晶加が家事をやってくれている。一月の半ばは寮のある陽之原高校の推薦入試の日だ。入試に漏れたとしても園芸科や服飾科のある高校がある。六月から始めた受験勉強が報われたと感じられるように。 稜加はエルザミーナ世界での問題が終わったらの物事を脳内でシュミレーションする。あと三度目の異世界移行がクリスマスイブだったらから、家に還れば母がクリスマスの御馳走を作って父も町内の個人経営のケーキ屋で予約注文したケーキを取りに行ってくれている。できれば丸太型のブッシュドノエルがいいな。白い生クリームにココアスポンジといちごとミカン入りもいいな。ローストチキンかラムローストがメインディッシュかも。デコリにも食べさせてあげよう。年に一度のクリスマスだもの。 「一番怪しいのは研究所だな」 サヴェリオの声で稜加は我を取り戻し、今はエルザミーナのレザーリンド王国にいると目が覚める。 「研究所って?」 デコリが質問してくるとサヴェリオが説明してきて、トルナーも耳を傾けて稜加も話を聞かないと、と本来の役目に切り換える。 「アンブロゥの町の北郊外に研究所があるんだ。今は荒廃して閉鎖されているが、ある科学者が生命の実験・研究をしていたそうだ。その脱獄者がアンブロゥ生体ラボに勤務していたんだ」 サヴェリオの説明を聞いてデコリがこう言ってきた。 「この前、稜加がレンタルショップで借りてきた映画の内容みたーい」 「映画? あっちの世界の映画って……?」 トルナーが尋ねてきた。エルザミーナの世界にもラジオやテレビ、舞台サイズの大型映像板(ビジョナー)で発信される映画の設備があるけれど、それらはマナピースで拡散放送されていた。デコリが見た映画はDVDと呼ばれる円盤にポータブルDVDプレイヤーという機器で視聴して知ったのだった。 「えーと、デコリと稜加が見た映画の内容はね、一九八〇年代のロシアとアメリカって国が共同で作り上げた映画でね、ある科学者が伝説や神話に出てくる生き物を実現させる為に動物園からライオンや馬などの生き物を攫ってきて、その生き物の遺伝子を異なる動物同士で組み合わせたのをシャーレという機械に入れて誕生させたんだよ」 一、二ヶ月前に稜加が受験勉強の一休みに店から借りてきた昭和日本でも公開されたアメリカ・ロシア共同制作映画『ザ・キマイラ』は人間の愚かな考えと人工的に造られた合成獣の恐ろしさを描いたパニックSF映画である。 「えっ!? そんなのがあっちの世界で作られて映像化されているのかよ?」 それを聞いてトルナーは軽く引いた。トルナーの知っている映画といえば喜劇や悲劇、戦争や異文化コミュニケーション、時には勧善懲悪の活劇ぐらいで科学を扱った創作――SFはそんなに詳しくなかった。 「だけどな、稜加が初めてでデコリが眠りから覚めて久しぶりにエルザミーナに来る前にデコリが言っていた映画の内容通りの研究がこのアンブロゥで行われていた」 「えっ!?」 サヴェリオの言葉を聞いて稜加は思わず口に出してしまう。 「ええ〜っ!? 『ザ・キマイラ』の映画の内容と同じようなことがエルザミーナでもあったのぉ!?」 デコリがそれを聞いて目をまん丸くし、トルナーもさっきよりかなり引いた。 「おれの父さんによれば、アンブロゥ生体ラボは表向きは動物の保護・治療・延命や無病の研究が行われていたようだが、影では合成生物や人工精霊の誕生研究をしていたそうだ。まぁ、そういうのは人工のマナピースの製造使用売買と同様禁止されている」 稜加はそれが引っかかった。人工のマナピースの製造などは経済を乱れさせたり使い方を誤ったりなんかしたら自然の摂理に逆らうという理由は前のエルザミーナ来訪の時に学んだからだ。 「合成生物や人工精霊って何なんだよ? そいつらを造ったら危ないのか?」 トルナーも訊いてくる。 「それはだな……」 サヴェリオが説明しようとした時だった。 「〈無〉から造られた生命が〈自然体〉より優れているからよ」 その声を聞いて稜加とサヴェリオ、二精霊は振り向いた。金髪のウェーブヘアに銀灰色の眼、鼻高色白美人のメイティスだった。稜加はメイティスを目にして頭の中が黒い煙で包まれたような感覚に襲われた。 「なんだ、メイティスか。アンブロゥの町は脱獄者がいるかもしれないってのに……。今は日の上(昼十二時頃)で外出が許可されているけど、来て大丈夫なのか?」 サヴェリオが訊いてくるとメイティスは自慢げそうにする。 「大丈夫よ。護身術習得しているのよ。剣も槍も射撃だって……」 すると稜加が上目づかいと直線口でメイティスに質問してきた。 「何で州知事の娘であるあなたが来ているのですか?」 棒読みまでとはいかないけれど無感情のこもった言い方であった。稜加のその様子を見てデコリとトルーがメイティスに怒られるのではないか、とハラハラする。稜加の質問を聞いてメイティスは何故アンブロゥにいるのか説明してくる。 「ボランティアよ。わたし、老人ホームや孤児院や救貧院にいる人たちを元気づけに来たのよ。ああ、言っておくけど決して父の支持率の維持でも見栄でもないわ」 メイティスがそう言うと彼女の背から一体のスピアリーが出てくる。全身金色で髪型が星型で金色のドレスをまとっていて夜空色(ミッドナイト)の逆半月のつり眼をした女の子スピアリーである。 「あなたはだあれ?」 デコリが金色のスピアリーに尋ねてくると、スピアリーは返事をする。 「わたし、メイティスの家の守護精霊キラキーナ。初めまして、リボンのスピアリー」 するとトルナーがキラキーナを見て言ってきた。 「キラキーナも来ていたのか。このリボンのスピアリーはデコリといって、そこにいる稜加の相棒なんだ」 「初めまして。あたし、デコリ」 デコリもキラキーナにあいさつするが、キラキーナはデコリをじろじろ見つめてからこう言ってきた。 「随分と素朴なのねぇ。ガラシャ女王を倒した救済者のパートナーはどんな風かと思いきや」 それを聞いて稜加は頭の中の黒い煙が一瞬にして墨汁で染められたかのようにメイティスだけでなく、メイティスのパートナー精霊からも逃げ出したくなって、デコリをつかむとアンブロゥの北の方角へと走っていってしまった。 「稜加!!」 サヴェリオが突然走り出していった稜加に向かって叫んだが、稜加はデコリを連れてサヴェリオが他の女の子と馴れ馴れしくしている所から逃げ出していったのだった。 デコリを脇に抱えて稜加は加速のマナピースを使っている訳でもないのに、走る速度が高くなっていった。憲兵、他の王室近衛兵、初等学校から帰る五、六人の学校生とその母親を素通りしていった。 「り、稜加!? どこ行くの!?」 デコリが稜加に訊いてきたが、稜加はサヴェリオから逃げ出してたまらず、ひたすら走っていった。だけど稜加は次第に息が乱れてきて、だんだんと体力も減ってきていることに気がついてきて、ようやく足を止めたのだった。 「あ、あれ? ここは……?」 稜加はいつの間にか町を出ており、目の前にエルザミーナのレザーリンド王国とその周辺国で使われるヴェステ文字で書かれた銅の建物名が刻まれたネームプレートが埋め込まれた灰色の高い石壁と鉄の門を発見する。 『アンブロゥ生体研究所』 デコリが建物名の銅のネームプレートを読んで教える。 「ここに脱獄者がいるっての? ……だけどこういう建物になら潜んでいそうね」 稜加がそう推理すると、デコリが軽く二メートルは超えていそうな壁の一ヶ所に孔が空いているのを見つける。 「稜加ぁー。ここなら入れるよ。人間一人なら出来るみたい」 「わかった」 稜加はこの高い灰色の石壁を越えるにはどのマナピースにしようか迷っていたらデコリが入り口を見つけてくれたことに安堵していた。樹属性の植物の蔓を出す〈バインアップ〉もなければ文字通り浮くことが出来る風属性の〈フロートホバー〉もないからだ。稜加が小さくなって浮くことが可能なデコリに運んでもらう〈スモライズ〉を使おうか迷ったけれど、壁の上に何か仕掛けがありそうだし、扉は内側からしか開かないようになっていた。 稜加とデコリが孔をくぐると研究所の庭はだたっ広く、地面は雑草が生い茂っていて木の枝は伸び放題で、カラスの群れが枝に泊っているのがかえって不気味だった。地面も茶色い木の葉や折れた枝で埋め尽くされていて、乾いた土と落ち葉の湿った匂いもきつかったけれど、稜加とデコリは進んでいった。 建物も茶色いレンガと灰色の石材を使ったモダンっぽい三階建ての学校ほどの大きさで、壁にはツタが蔓延り出入り口の扉も鎖と南京錠で閉ざされていたから入れなかった。窓もガラスが割れて尖っているかきっちり閉まっているかのどちらかだった。 稜加もデコリもどうすればいいかと悩んでいると、地下室の空気穴の金網が前倒しに開いて、稜加もデコリも思わず静止してしまう。そこから出てきたのは一体の精霊であった。 |
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