4弾・2話 今回のスタート地点


「うう〜ん……」

 稜加はうつ伏せに倒れていて、現実世界から別世界に飛ばされた衝撃でしばらく気を失っていたが、目が覚めた。近くにはデコリもいて起きていた。

「稜加、またエルザミーナに来ちゃったよ」

「え!?」

 稜加は辺り一面を見まわした。さっきまでいたのは渡良瀬川の土手と橋の下。枯れ草の多い芝生と浮島の代わりに白い鱗雲が浮かぶ青空、緑が多く混ざった茶色の草の地面、そしてここから見えるピンクブラウンの西洋風の城――レザーリンド王城だった。

「うわ〜! 一度だけならず二度通り越して三度来ちゃったよ〜!! それもあと一ヶ月で入試の時に〜!!」

 稜加は頭を抱えて喚いた。

「だけど稜加。レザーリンド王国で良かったじゃない。イルゼーラ女王や女王の従兄サヴェリオやアレサナといった知り合いがいるんだし」

 デコリが稜加をなだめた。

「そりゃあ、そうかもしれないけどさぁ……。今度のレザーリンド王国にどんな災厄が訪れたっていうのよ……」

「とにかくお城へ行って、イルゼーラ女王に会わせてもらおうよ」

「そうだよね。エルザミーナの世界で頼れる人、少ないからね」

 稜加は立ち上がってデコリと共にレザーリンド王城へ向かっていった。二人が着いた場所は城下町近くの小高い丘がある空き地だった。川や谷底や砂漠だったら命を落としていただろうし、全く知らない国だったらどんな目に遭わされていたか。稜加にとってはそれが救いだった。


 レザーリンド城下町は活気が立っていた。エルザミーナの世界の住人は自然エネルギーの残りかすが結晶化したマナピースを使って生活している。マナピースは自然エネルギーの結晶体マナブロックを板状に加工してそのピースに合った浮彫を入れることで効果が発揮される。赤い火のマナピースなら調理や暖房、青い水のマナピースなら洗浄や貯水という具合に。

 乗り物はマナブロックを燃料にして動かし、町中を滑走する路面列車(トラム)は雷のマナブロック、四輪車は炎のマナブロックで動かして〈炎動車〉として呼ばれている。

 昼の城下町では男も女も老いも若きも幼いも関係なく、賑やかだった。食べ物を売る店では魚や肉は〈保冷〉のマナピースが入った木箱に入れられ買い手が買った生ものを店員が油紙の袋に入れていき、果物や野菜は売り棚の上に置かれて色も形も種類も異なるので彩りで鮮やかに見えた。パン屋からは香ばしい匂いが漂い、菓子屋では瓶詰めの飴やチョコレートなどが量り売られていた。

「稜加、何か食べたいよ」

 デコリがそう言ってきたので稜加は足を止めた。

「ええ!? そんな、わたしお金持っていないよ。それに、エルザミーナの人とは違う服を着ているから、レザーリンド王城へ行ってイルゼーラに頼んだ方が……」

 稜加が今着ているのは茶色のプルオーバーとカーキのワークパンツ、ピンクのフリースジャケットにベージュの手袋、赤い厚手のスニーカーという服装だ。エルザミーナの人々はボタンやベルトで留めるコート、毛糸のポンチョやケープなどといった現代日本人よりもしゃれた服を着ている。

「そしたら〈救済者〉以外のマナピースを売ればいいよ」

 デコリがそう言ってきたので、稜加はマナピースが売れることなんて知らなかったのだ。

 買ったけど未使用あるいは使用済みだけど比較的きれいなマナピースはマナピースショップのリサイクルコーナーで売れるのだ。マナピースショップはエルザミーナの市町村に点在し、また地域によっては限定のマナピースが売られていることもある。

 城下町のマナピースショップはとてつもなく大きく広く、まるで家具店や衣服店や食料品店も備えているホームセンターのようだった。店内は棚が何十もあって、透明な板を合わせた引き出しの中には属性と能力ごとに分けられたマナピースが詰められ、種類もしくはレア度によって値段が決まっていた。

 マナピースショップのリサイクルコーナーのカウンターで稜加は白地に虹色が入った救済者の証のマナピース以外を売って換金した。

「レア度1と2が多くて3が少ないから七〇〇〇タラスです。どうぞ」

 目利きのある女性店員が稜加に紙幣を七枚出してくれた。エルザミーナの通貨単位はタラスとルーで、一ルーは千タラスで現実世界の日本円に換算すると一タラス=約三円で、この時稜加は二万円を手に入れられた。

 また服装もエルザミーナの住人に合わせて、稜加は城下町の古着屋でサーモンピンクのボタン付きの薄手のコート、黒いハイネックのトップス、ベージュのツイード材のミモレスカート、ひざ丈の黒いレギンス、足元は茶色いスウェードのルーズブーツを買って、元の服は商品を入れる紙袋に入れていた。

 デコリの為に屋台で売っていたドーナツ型の菓子を買った。現実世界のドーナツと違って油で揚げるのではなくリング状の型に生地を流し込んで重ねて焼く今川焼のような原理で、プレーンの他にもチョコソースがけや色砂糖でトッピングする菓子であった。

 これはロコノといってレザーリンド王国や周辺国ではメジャーな菓子で、一個三〇タラスでトッピングすると追加十タラスから十五タラスで加算される。稜加は粉砂糖掛けでデコリはピンクのアイシング付きを食べて喉が渇いた時の紅茶の缶も買った。

 稜加は三度もエルザミーナの世界に来てしまったとはいえ、改めてレザーリンド城下町を見まわしてみた。屋台販売はさっきのロコノの他にも焼き栗やソーセージを売る所もあって、それらは炎のマナピースで調理されていた。

 また現実世界の自動販売機やドリンクサーバーに似た装置もあり、温かいのは威力控えめの炎のマナピースを使っていて冷たいのは冷やす効果のある水のマナピースで保存されていた。

 コインランドリーらしき店もあって水のマナピースで洗濯して乾燥効果のある風のマナピースを使った装置で乾かしていた。

 マナピースを扱っている時点を除いてはエルザミーナの住人の生活は現実世界人と変わらないと稜加は実感した。

 城下町は茶色系の石材を使った石畳の道は歩道、平らにしてアスファルトのような素材で舗装された道は炎動車が走る為の車道で車道の中には雷のマナブロックで動く路面列車用の線路もあった。

 稜加は何とか城門まで歩いていって、ピンクブラウンの城壁の前に城門、城門の両脇には白銀の肩当て付き胸鎧に手甲とすね当てを身に付けた男の兵士が立っていた。左は赤いひげ面の巨漢で右は細身ながらもしなやかな栗色の髪の青年であった。

 門番は稜加とデコリがいるのを見つけてひげ面が声をかけてくる。

「お前、何者だ? さっきからウロウロしていて」

 ひげ面の門番は野太い声を出してきて稜加とデコリは叱り飛ばされたようにビクッとなった。

「え、え〜と、わたしはこの国のイルゼーラ女王の友達でして……」

 稜加がエルザミーナの世界に来ると、エルザミーナの言語が理解できるようになる。するとひげ面の門番が剣幕を出してくる。

「女王の友達!? 何と一般民のくせに図々しくて嘘くさいことを」

 ひげ面が疑ってくると栗色の髪の青年の門番がひげ面を止めた。

「先輩、待って下さい。証拠もないからって、きつく言わなくたって……」

「しょ、証拠ならあるよ!」

 デコリが門番にそう言って、稜加は手元に残しておいた白地に虹色のマナピースを見せたのだった。するとひげ面の門番が急激に態度を変えて稜加とデコリに優しく言ってきたのだ。

「これは……、女王陛下が持っているマナピースと同じ……。どうも失礼。さぁ、お通り下さい」


 稜加とデコリは久しぶりにレザーリンド城の敷地内に入り、また白いフリル付きエプロンとヘッドドレスを付けた紺の素朴なワンピース姿のメイドがイルゼーラ女王を呼びに行っている間、稜加とデコリは城門と王城正門の間で待たなくてはならなかった。エルザミーナの世界に来た時に救済者の証を除いて持っていたマナピースを全部売ってエルザミーナの通貨に換えてしまったので、レア度星一つの炎のマナピースで温まることすら出来なかった。レザーリンド王国は現在秋の暮れで外気がそれなりに当たって寒かった。

 ようやく一時間近く経った頃にメイドからの報告を受けたイルゼーラ女王と王族の守護精霊アレサナが現れた。

「まぁ、稜加。久しぶり……」

「イルゼーラ……」

 イルゼーラ女王は稜加と歳が近く両親も祖父母も早くに亡くしている身でありながら、レザーリンド王国の統治者として勤しんでいた。

 長い金髪、エメラルド色の眼、真珠色の肌、痩せすぎでも太りすぎでもない体型には普段用の水色のサテンのドレス。足元はレース状の白いストッキングに青いエナメル靴。金御圧は後ろでシニヨンにしており、ドレスに合う金色の金具に青い半貴石のアクセサリーを身に付けていた。

 アレサナも虹色がかったミルキーホワイトのロールヘアとドレス、右が緑で左が赤いオッドアイの三等身の精霊で、イルゼーラの傍らで浮いていた。

「二度ならず三度までもエルザミーナの世界に来るなんて……。だけど寒い中待たせてごめんなさいね。さ、中に入ってあったまって」

「あ、ありがとう……」

 イルゼーラは稜加の手を引いてデコリもついていった。

 レザーリンド王城内は天井の照明は光を扱うマナピースで灯され、炎のマナピースで暖房や調理、温風の出る風のマナピースで寒い季節を過ごせるようだった。稜加とデコリはイルゼーラが客室の一つを与えてくれたので、外で待っていた体を休めた。壁に備え付けられた冷暖房機に温風のマナピースを入れて部屋が暖められて、客室は稜加の部屋より広くてベッドも机も椅子もタンスもカーテンもあって、現実世界でいうとこのテレビ――映像板(ビジョナー)もあった。映像板とべっ甲縁の鏡は壁に備え付けられていた。

 今は秋の暮れだからか壁紙は初めからベージュであるがカーテンや布団カバーなどの寝具、絨毯や部屋の中心の円卓のテーブルクロスはオレンジのダイヤ模様で温かみを帯びていた。

 稜加とデコリはメイドが持ってきてくれたお茶とお菓子を食べていた。お茶は適度な温度で秋に相応しいアップルティーで、菓子は六つのタルトレットでタルト皮の中にチョコクリームやベリー系の果実入りなど種類が異なっていて美味しかった。

 お茶とお菓子を食べているとイルゼーラとアレサナが入ってきた。

「二人とも体は温まった? わたしや大臣や兵士たちは十日間も大変な公務に励んでいてね……」

「公務って、何の?」

「ええ。実はレザーリンドの西の王立監獄で脱獄があって、逃げた脱獄者の探索や情報提供を求めているのよ」

「ええ――っ!?」

 稜加とデコリはそれを聞いて思わず声を張り上げた。

「だだだ脱獄!? そそそそれって、やややヤバいんじゃないの?」

 稜加は今のレザーリンド王国の状況を知って青ざめた。

「も、もしかして凶悪犯が……?」

 デコリもおそるおそる尋ねてきた。

「いいえ。そのような輩は我が国の監獄の看守が急いで捕らえたわ。一般民に手をかけたり武器を使って暴動を起こすようなのはね」

 それを聞いて稜加は胸をなで下ろした。

「ああ、そうなんだ……」

「だけどね、脱獄したのは五人でしかも共通点を持っていたのよ」

「共通点?」

 イルゼーラの言葉を聞いてデコリが首をかしげる。

「そう。稜加とデコリは覚えているわよね? ガラシャが女王だった時、国中のならず者たちを集めて自分の配下にしていたことは」

 それを訊かれて稜加は軽くうなずいた。ガラシャがイルゼーラの継母となって父王のロカンを上手く重病による崩御に見せかけた後、イルゼーラは王城から逃げ出してガラシャがレザーリンドの国を乗っ取ったことを。

 ガラシャは国中のならず者たちを集めてレザーリンド王国の救済者担った稜加とイルゼーラ、それから救済者のマナピースに選ばれた三人の仲間と共にガラシャの部下と対峙してきた。

「そのガラシャの部下というのが、わたしたちと対峙してきた人たちとは違う面々なのよ。彼らは今、レザーリンドの西部辺りのジョルフラン州、キレール州、カラドニス州、セブリス州に潜んでいる可能性が高く、一般民には外出禁止令を出して、食糧などは空から王室の飛行艇で投下する形で送っているわ」

「わたしたちが遭っていないガラシャの元配下が脱獄囚か……」

 だけど稜加は罪なき一般民が元通りの生活を送れるようにするには、王立監獄から逃げた脱獄囚を捕らえないといけないという志(こころざし)が出てきた。

「そうね。三度目の危機も止めるしかないわね。他の人たちにも協力を頼もう!」

 現実世界に戻ったら受験勉強の忘れてしまった部分を取り戻してから高校の入学試験に励めばいいと稜加は決めたのだった。