6弾・2話  それぞれの踏み始め


 エルザミーナの世界。全体の東側にあるウォルカン大陸の中にあるレザーリンド王国。十三の州の中寄りにあるファヴィータ州の王都。

 城下町にはいくつものの店と家屋。役所などの公共施設もあり、王城はピンクブラウンの石材を使い、庭園や王国軍の練習場などもある。

 統治者は十六歳のイルゼーラ=ステファナ=レザーリンド九世女王で、亡き両親の後を継いで政務に取り組んでいた。大臣や将校が集めた派遣先の報告書を目に通し、レザーリンドと交友のある王族や首相や大臣と謁見し、時には女王自らが王城を出て地方に赴く――。

 生まれた時から王室育ちとはいえ、政務をこなすのは一苦労で、しかも大臣や国民の勧めで花婿を選ぶ務めも出てきた。

 背もたれ付きのベルベット張りの椅子に高級木材の長机、辞書や事典や法律書などの書物が収められた本棚。エルザミーナの世界の四段以上の本棚はV字型を並べたような造りになっていて、これは背表紙が横書きなのが多くて本のタイトルが読めるようにする為である。

 机上にはいくつかの報告書の束、羽ペンやインク壺、タイプライターもある。王の書斎は四畳間ほどの広さで、机と椅子と本棚の他に小さなシャンデリア、床に敷かれたモザイクの花絨毯、窓は小さく軽く開けてそよ風が吹いている。また風のマナピースをはめ込めば冷暖房になる壁付けの装置もあるが、今はそこまで暑くはなかった。

「ああ、座りっぱなしもつらいわ……」

 プラチナブロンドをアップにして結い上げ、色白の肌にエメラルドの双眸、鼻筋の整った顔立ちに今日はロイヤルブルーのフリル付きドレスで涼しげな印象を与える。

 すると王室書斎のドアのノック音の後に、身の丈三十センチの三等身にミルキーホワイトの巻き毛に虹色メッシュ、赤と緑のオッドアイ、ミルキーホワイトのドレスの精霊がトレイを持って現れる。

「イルゼーラ。一休みしましょ」

精霊はトレイを持って浮き、イルゼーラの前にやってくる。

「ああ、ありがとう。アレサナ……」

 この精霊は代々レザーリンド王家の守護精霊として仕えるアレサナである。アレサナはレーズンと干しイチジクが入ったフルーツフレーバーティーの冷製とピンクと黄色の二層の半ドーム状の菓子の器をイルゼーラ女王の前に置く。菓子は黄桃とラズベリーの重ねムースでそれぞれの甘みと柔らかさと喉ごしの良さが頭の仲間で伝わってくる。

「春以降はレザーリンド王国に大層な事件や被災がなかったからいいけれど……、貧困者による詐欺や窃盗が多くなっているのよねぇ」

 今のレザーリンド王国では失業や破産などで高資産持ちの老人や高収入の女性経営者を狙う詐欺や窃盗事件が各地で起こっていた。いくら王室兵や憲兵が捕まえても、次から次へと出てくる。大臣たちとの会議も幾度か開かれたが、可決案が出てこず後日に延期していた。


 所変わってウォルカン大陸の東端にある国の港町で、西のスレマヌル大陸から来たオセアンシュバリエ号が停泊し、そこで下船する客たちがタラップを降りて石の桟橋に足を着ける。

「こーこかー! ウォルカン大陸への第一歩!!」

 カーキ色のぼさ毛に吊り上がったオレンジブラウンの眼に浅黒い肌、赤い羊毛フェルトのチョッキと編み紐シャツとガウチョパンツと編み上げブーツの少年が灰色の煙のようなスピアリーと共に東大陸の港町をめにしたのだった。

 ウォルカン大陸の東側の海岸市部はリゾート地になる白い砂浜、船着き場には何そうものの漁船や遊覧船、海岸より上の地形には宿屋やホテル、地元民の家や店。これらは塩水に強い石灰材やレンガや瀝青材を使っている。住人も今は泳ぐには早いので釣りや少人数が乗れる水上艇で遊ぶ若者の姿が見られた。

 海岸市部には潮風に強い松やブナなどの木々が多く茂り、砂浜には赤い花を咲かせるハマナスなどの花が咲いていた。

「ウォルカン大陸ってのは本当に豊かで活気があふれているんだなぁ! おれの故郷は質素すぎて静かなのが多かったからなぁ!」

 少年がたどり着いた大陸の海岸都市を見て声を上げた。空も彼の心に映えたかのように太陽がまぶしく空も快晴の青で雲も細長いのが多かった。

「それで、この後どうするんだよ? 入国手続きをしたら予約なしで泊まれる宿屋とかを探すのか?」

少年のパートナーの煙のスピアリーが尋ねてきた。


「それ、考えてもなかったわ。でも、今は西へ行くのみ!!」

 少年がダッと駆けだすと、スピアリーが止めてきた。

「おいっ! 入国許可所は反対側だぁ!!」

 少年は入出国の手続きや身分証明や旅費は何とかなっても、地域の把握はあまり考えていないようだった。


「へーえ。稜加の弟さん、かなり活躍したのね」

 校庭で体育の授業の短距離走の順番待ちの中、稜加は同級生の大久保聖亜良(おおくぼ・せあら)や柏倉清音(かしわぐら・きよね)や吹上(ふきあげ)いすずと土曜日に自宅帰省した日の出来事を話していた。

 稜加が通う南栃木市にある県立陽之原(ひのはら)高校は男女共学の高校で、稜加はこの高校を進学受験して入り、織姫町の自宅を出て女子寮で生活していた。陽之原高校は造形美術科、インテリア科、絵画科、園芸科、服飾科の学級があり、ファッション好きの稜加は服飾科の一年だった。

 といっても、専門科目のある高校でもその学科に見合った授業の他に数学や語学や体育などの授業もある。陽之原高校の体操着は男女ともにサックスブルーのジャージと白い体操着とサックスブルーのショートパンツ、足元は運動用のスニーカーで個人によって購入した市販で色も形も異なる。

「次、大久保さん」

「はい」

 聖亜良が先生に呼ばれたのでスラーとラインに立って五十メートルを駆け出した。聖亜良は母親が元パリコレモデルの日仏ハーフで長い赤茶色のウェーブヘア(今は体育の授業でポニーテール)に凹凸のとれた長身に西洋雑じりのくっきりした顔立ちだ。

「やっぱ大久保さん、素敵よね〜」

「モデル体型維持の為にストレッチや休日でも屋内プールなどの運動にはげみまくっているもんね〜」

 他の班の女子たちが聖亜良を羨ましがり、稜加のクラスでは女子の四分の一あしかいない男子が聖亜良を見つめていた。稜加や聖亜良と同じ班の鍋山碧登(なべやま・へきと)は除いて。

「ナベやんって、いっつもクールだよね」

 いすずが女子の様子を見つめている碧登を見て言った。いすずは額出しの外はねセミロングに相手のあだ名をつけるのが特徴だ。

「根はいい人よ、鍋山くんは。わたしはどっちかっていうと、見た目も性格もスマートな人が好みだけど」

 エアリーショートで楕円眼鏡の清音が言った。清音は家庭海外でも語学や数学が優秀……にも関わらず、家庭の事情で南栃木市に住む伯母一家の家に身を寄せて、陽之原高校を入学受験したのだった。

 稜加は現実世界の男子を幾人も見てきたけれど、自分の恋人になりそうな人は見つからなかった。だけど今は違う。日本にはいないけれど恋人がいるのだから。

「一伊達さん、一伊達さん?」

 体育の先生に呼ばれて稜加は我を取り戻した。

「はっ、はい!」

「次、走って」

 稜加は先生の指示に従って、短距離走のスタートラインに立った。



 体育の授業の次は教室で生活産業の授業だった。更にその後は昼食と昼休みで、体育の後は服飾科の一年は男女別の更衣室で体操着から制服に着替える。

 陽之原高校の夏制服は男女ともに襟と袖口が白いサックスブルーの裾が広がった半袖シャツで学科ごとに異なるネクタイを付け、男子はチャコールグレイのトリプルストライプのスラックスに女子は同色同柄のボックスプリーツスカート。服飾科の生徒は襟に茶色のネクタイを下げていた。

 服飾科一年の教室で生活産業の諏訪(すわ)先生が黒板に今日の授業内容を書いて、生徒がノートに書き写していた。担任でファッション造形・基礎の皆川先生はまだ三十代だが、諏訪先生はふくよかな五十代の先生でしかも二男三女の母親で、生徒の扱いも上手かった。

 四限目終了のチャイムが鳴って、陽之原高校の生徒は自宅で親が作ってくれた弁当か路上の店で売っているパン類か学生食堂で食べる。

 康志のサッカーの試合を見に行った日の数日後の学食はキムチチャーハンとわかめ卵スープとデザートにカフェオレプリンを稜加は注文した。

「稜加ちゃんのクラスの三限目、体育で短距離走やったんだ。わたしは温室で実習だったから」

 多くの生徒が数人一組で座るテーブルが並ぶ学生食堂の一角に座る稜加の隣の千塚丹深(ちづか・たみ)が尋ねてきた。丹深はマグロ漬け丼とわかめ豆腐みそ汁とデザートを頼んだ。丹深は二本の三つ編みを垂らした園芸科の一年で稜加と同じ寮の同室だった。

「うん。わたしは八秒五〇だった。一番は……」

 生まれた時から十五になるまで過ごしてきた家族とも、十二歳になるまで住んでいた千葉県幕張市の幼馴染とも、中学校から同じだった織姫町の地元民とも全く違う寮制高校の同期や先輩と三年間やっていけるか不安と心配がよぎったけれど、思いのほか稜加にとっては新鮮で良好であった。

「あーあ。今は梅雨で湿気と雨の日が多くて、体育の授業は校庭か体育館ばかりだけど、早くプールの授業をやってくれないかな」

 丹深が呟くと稜加は返事をした。

「梅雨が終わったらやるんじゃないの。プールに行きたかったら、学校休みの日に市民プールに行けばいいんだし」

「それもそうね」

 丹深はマグロ漬け丼の残りを食べだした。昼食と昼休みが終われば残りの授業と校内清掃とHR。委員会の日なら所属している委員会の教室へ行き、クラブならそこの教室や部室へ向かう。

 稜加が入部したのは文芸部で、文芸部員は月に一度校内同人誌を出すのがお決まりで、自作の詩や短歌、短い話を掲載している。稜加は文章の創作ではなく、他の部員の原稿の誤字脱字や同人誌の製本を担当していた。

「ふー。一伊達さんが文芸部の校閲や製本をやってくれるから、はかどるわぁ」

「いや、そんなことないですよ」

 文芸部部長で三年生の小橋静流(こはし・しずる)が言った。静流は四角眼鏡にセミロングを二つ分けのおさげに対し、副部長の男子は中分けヘアの小太りだ。

「一伊達くんが校閲や製本をやってくれるから、ぼくたちの書いた話が締切りに間に合うことが出来たんだよ」

 副部長の片岡継夫(かたおか・つぐお)は自作のSFを書いており、また文芸部員の中には自作物語や詩が書けなくても部員の好きな本の紹介や書評を発表する者もいる。

 夕方四時に文芸部の活動が終わると、自宅通いの生徒は最寄りの駅やバス停へ、寮生活者は学校の裏側の雑木林の中にある学生寮へ。学校を出て十二分、坂道を上って八分先の所に左の男子寮はブルーグレーの壁にこげ茶色の屋根、右の女子寮は桜色の壁に灰色の屋根の建物で、林間学校の宿泊で利用する少年自然の家のような形であった。

「ただいま帰りました」

 寮生は帰ってきたら必ずこのあいさつを言い、寮母の先生に寮生名簿の帰宅時間と名前を書き込んでから入る仕組みになっていた。

 雑木林の中の目立つ色の外観と違って中は生成色の壁紙にこげ茶色の床板と下壁のモダンな造りで、床は学校の廊下と同じラバー素材。寮の中は一階は厨房と食堂と入浴場とレクリエーション室、二階と三階は寮生の部屋で、部屋の名前は植物の名前で表示されていた。

 稜加の部屋は二階の一番奥で廊下にはドアがいくつも並んでいたが、表札の部屋の名前が花の名前で、稜加の部屋は『紅梅』であった。

寮生の部屋は扉と対になる壁がベランダに出る窓になっており寮生の布団や洗濯物を干せるようになっていて、壁はそれぞれロフトに寝具が敷かれていてロフト下の出入り口の方に生徒の服や私物を入れるクローゼット、ロフトの下が勉強机でしかも互いが気にならないようにカーテンで仕切られていた。稜加は出入り口から見て右側を利用していた。丹深はとっくに帰ってきていて、自習していた。

 稜加もサックスブルーの制服から夏に着る赤と白の半袖ラグランTシャツと青いデニムの膝スカートに着替えて、夕食時までに稜加も自習した。

 その後で夕食、その日の当番の食堂の掃除、入浴を済ませ、就寝の夜十時に入る。周りが暗くなって、丹深も寝静まると稜加はこっそり起きて夏用のガーゼパジャマから布団の中に隠していた灰色にピンクリボン飾りのワンピースと普段履きの黒いフラットシューズに着替えて、更にピンク色の本に似た道具と巾着も取り出して、巾着の中の透明な浮彫の板――板は色も浮彫も異なっていて、稜加はそのうちの一つ――二つの星をつなぐ架け橋の浮彫りであった。〈パラレルブリッジ〉のマナピースを取り出して、本型のスターターの六マスのくぼみの中に入れて、くぼみとは反対のセンサーに触れて発動させた。

 すると稜加は金色の光に包まれて、そこから消えていった。

 精霊とマナピースが存在する世界、エルザミーナに出かけていったのだった。