5弾・3話  一伊達家での過ごし方



「稜加、稜加」

 高校の寮から一時帰宅してきた稜加は自宅の私室で休眠していると、デコリに呼び
かけられて目を覚ました。

「ふわぁ〜、よく寝た〜。もう一時間かぁ」

「それもそうだけど稜加。おやつ持ってきて」

 起き上がった稜加にデコリはおねだりしてきた。稜加も昼寝したらお腹が空いたら
しく、台所でおやつを探し出した。台所は居間の西隣で居間とつながる窓もあって、
居間では晶加が洗濯物を取り込んで種類別に分けて畳んでいて、康志は珍しく勉強し
ていた。

 台所の冷蔵庫には卵も牛乳も野菜もヨーグルトもあるけれど、稜加はスフレチーズ
ケーキを手にしようとしたら、パッケージには〈康志〉とサインペンで書かれてい
た。そういえばいつだったか、康志や晶加が食べる筈だった冷蔵庫のおやつをデコリ
がこっそり食べてしまって、家族で大もめになってしまったことがあった。その時か
ら冷蔵庫のお菓子には誰かの名前が書かれたことによって食べられないようになって
いた。

 稜加は戸棚の中のお菓子を探して、ようやく見つかったミニアンパン五個入り中の
三つで、しかも賞味期限は明日だった。だけどこれだけじゃ喉が渇くので透明なアク
リルタンブラーに牛乳を入れて私室まで運んでいった。

稜加はミニアンパンを二つデコリにあげて、自分は一つだけにした。デコリはアンパ
ンをほおばって稜加も眠気覚ましに持ってきた教科書を開いて読み始めた。

 夕方になって、母の知晴(ちはる)が帰ってきて夕飯の支度を始めた。父はクリーニ
ング店の業務が終わっても後片付けがあるので夜七時を過ぎてから帰ってくることが
多い。

 父の銀治(ぎんじ)は夜の七時半に帰ってきた。オールバックの灰色まじりの髪に吊
り上がった目に四角眼鏡、大柄ではないが背筋を伸ばし、壮年によく似合うベージュ
のVネックスウェットに襟シャツとチノパンの身なりで――父は質素な服装を好む人
なので柄入りの服はあまり着ない。

 一伊達家で一番広い居間のちゃぶ台に今夜の晩食が置かれ、稜加が帰ってきたので
主に稜加の好きなおかずだった。さつま芋の甘辛煮、春雨サラダ、長ネギインゲンエ
ノキ茸の味噌汁、牛肉醤油チャーハン。

「稜加、高校はどんなんだ」

 父が尋ねてきたので稜加は口にしたチャーハンを上手くかみ砕いてから飲み込む
と、失礼のないように返事をする。

「それ先週も訊いてきたでしょ。先生やクラスメイトや寮の先輩とも上手くやってい
るって」

「お父さん、主語がないから訊かれている稜加は困っているのよ」

 天然パーマの髪を後ろで結わえてクリーニング店で働くのにふさわしいシンプルな
プルオーバーとジーンズ姿の母が父に注意してくる。

「ああ、そうだったな。稜加、高校の勉強は上手くやっているのか?」

「わたしの学校は専門学科のある高校だから、数学や社会の勉強は補い程度だよ。五
月の終わりには中間テストもあるよ」

父も母も普通科の高校に入学したため専門学科のある高校の勉強の内容なんて、よく
理解できなかった。けれど稜加の高校生活が順調なのは確かだった。

「ごちそうさま」

 稜加は誰よりも早く席を立って、わずかに残したおかずの入った食器を誰にも怪し
まれないように台所を上手く抜けて、飲み干した味噌汁以外のおかずを一つの皿にま
とめて自室で待っているデコリに食べさせてあげた。もちろん〈フードグレイス〉の
マナピースで出すこともできるが、せめて高校の寮以外では稜加と同じものを食べさ
せてあげたかった。

 入浴はデコリと一緒に入ってデコリのリボン状の髪の毛は二本指を使って洗ってあ
げて、軽く英語と地理と数学Tの予習をしてから自宅の自室の畳の上に布団を敷いて
眠る。日曜の朝になればみんなより早めに朝食を作って食べて、十一時ごろに家を出
て北栃木市の陽之原高校の寮に帰って電車に乗って途中の駅で昼食を食べて夕方四時
頃には高校の寮に到着する。

寮に戻れば自分の寮室で勉強をして夕食時になると、みんなで食べて過ごして入浴や
自由時間を過ぎれば夜十時の消灯に寝入る――。それが稜加の学校休みの日課だっ
た。

 月曜日から金曜日は曜日ごとに授業を受けて、その隙間があればエルザミーナへ行
ってサヴェリオやイルゼーラと会いに行っていた。

稜加が高校生になってから一ヶ月が経った。四月の末から五月五日までは春の大型連
休ゴールデンウィークである。稜加の学校でも連休はどこそこ行くか家の手伝いをす
るかで盛り上がっていた。

 あと二、三日で連休に入る頃の昼休み、陽之原高校では生徒たちは学生食堂で買う
か購買部で買うか自宅で作ってもらった弁当か登校中で買った商品を食べる人に分か
れており、稜加のような寮生は食堂で食べることが多かった。

 陽之原高校の学生食堂は曜日ごとにメインディッシュが三種類あって、そのどれか
を選んで食事券を出して食べるシステムになっていた。食事券は体操着などと一緒に
学生購買で十一枚八百円で売られている。

 一度に百人が座れる長い食卓がいくつも並ぶ席には制服のネクタイの色が異なる生
徒が何十人も来ており、中には体育の授業後もしくは屋外実習のジャージ姿で来てい
る生徒もいた。

 稜加も食事席の一角に座り、この日の昼食のガパオライスとグリーンサラダとコー
ンスープとマンゴープリンを選んで食べていた。

「食べている時の稜加ってホント幸せそうよねー」

 稜加の隣に座る女子生徒が言った。この女子生徒は大久保聖亜良(おおくぼ・せあ
ら)といって、稜加と同じクラスの服飾科一年である。聖亜良は高一女子にしては背が
一七〇センチ近くて顔も日本人とかけ離れた美人顔で後ろで一つにした三つ編みは赤
茶色。聖亜良は日本人父とフランス人母のハーフで、顔よしスタイルよしの美女であ
った。聖亜良はこの日の麺料理である月見そばをすするより、稜加の食べっぷりに目
が移っていた。

「まぁ稜加ちゃんは夕食つくりも上手いし、他の人より食べっぷりがあるんだよね」

 稜加の向かい側に座る丹深が呟いた。丹深は園芸科だが寮では稜加の同室でもあっ
て、入学一ヶ月が経った今では、お互い固有名詞で呼び合う関係になっていた。丹深
はアジの南蛮漬け焼きとかぼちゃサラダを選んで食べていた。

「もうすぐゴールデンウィークになるけれど、あたしはパパとママとハワイへ行く
の。ハワイ支店の視察も兼ねてね」

 聖亜良は北関東と東北地方、海外にもいくつか支店のあるハイブランドブティック
『ベルエポック』の社長令嬢で、元パリコレモデルの母が現社長であった。

「わたしは南栃木の実家に帰るよ。連休は繁忙期だしね」

 丹深の言う繁忙期とは基本、農家の作物の取入れや種まきを意味するが、丹深の実
家は南栃木にある古風な櫛や茶器などを取り扱う小間物屋でゴールデンウィークの連
休ではお客さんも多く来るので、両親と姉と兄だけでは従業員の人手にも足りず、丹
深も手伝うことになっていた。

「稜加もゴールデンウィークの時には学校の寮に残ることなく、実家に帰省するんで
しょう?」

 聖亜良が訊いてきたので稜加は軽くうなずいた。寮に残る生徒とは県大会のある運
動部や文化部の所属者のことで、稜加も陽之原のクラブに所属しているが休日の練習
とは無縁の文芸部に所属していた。文芸部は月に一度、校内同人誌を刊行しており、
文化祭の時には各学年の一人ずつ自作の小説や詩を掲載するルールがある。稜加は作
文はあまりしないので他の人の文章をチェックする校正や同人誌の形を整える裁断機
を使う編集係になっていた。

「わたしは両親が共働きで小六の弟が留守番と家事と妹の世話をやっているからね。
家族孝行してあげないと。あと中学校時代の友達との交流もやりたいしね」

 それからエルザミーナでの親友と恋人、かつての旅仲間に会いに行くのも忘れない
でいた。

 連休の初日に入るとクラブ練習で残る生徒を除き、陽之原高校の寮生はそれぞれの
自宅のある地域へ向かうためのバスや電車に乗って帰省していた。連休に入ると交通
が混雑するため稜加も寮の掃除が終わった午前中に寮を出て、稜加と同じく帰省する
人や旅行、出張する人に雑じって満員電車の中で立ち尽くし、昼の十二時半過ぎにJ
R織姫町駅に着いて満員電車の中でフラフラになりながらも、ようやくたどり着けた
ことに安堵できた。

 昼食はファミリーレストランやファストフード店は混んでいたから避けて、弁当屋
で唐揚げ弁当を買って町中公園のベンチで食べてデコリと分け合って食べた。春連休
の公園にはわずかな人たちしか来ておらず、幼児の子供を連れて砂場で遊ばせる母親
や缶蹴りをする小学生ぐらいだった。

 ほか弁の昼食を食べた後、稜加は歩いて自宅のある方角へ行って昼の二時頃によう
やく自宅に到着して、自室の畳の上で横になったのだった。

「リョーねぇ、お帰りー……って、また帰ってきたら部屋の中でゴロ寝してんのか
よ。寮のある高校に入ったら、こんなになっちまうもんかねぇ……」

 弟の康志が春連休の帰省とはいえ、自室で寝ている姉を見て呆れる。荷物は部屋の
出入り口に放りっぱなし、ズボン姿とはいえ大の字で寝ていて、口から涎が垂れてい
る――。年頃の娘にしては恥ずかしい姿である。

「……こんな姉じゃあ、嫁の貰い手が見つからねーんじゃねぇの?」

 康志は呟いた。

「まぁ姉ちゃんが帰ってきたから、友達の家に行ってこようっと。晶加はリョーねぇ
が面倒見てくれるだろうし」

 そう言って康志は玄関の方へ行って外に停めてある自転車を動かして、青いメタリ
ックのヘルメットをかぶって友達の家へ行ってしまった。


「うわっ。ずいぶん寝ちゃった。三時過ぎているじゃないの〜」

 昼寝から目覚めた稜加は携帯電話の画面に映った時計表示を見て呟いた。時刻は午
後三時四十分を示しており、寝ぼけ眼(まなこ)をこすった。

「ぐーすか寝てたよ。時々晶加ちゃんが訪ねに来ていたみたいよ」

 デコリが言った。デコリは家に着くとスターターからデイパックの中に出てきて、
デイパックの隙間から晶加が十五分おきに稜加の様子を見に来ていたのを目撃してい
た。

「晶加がわたしに何用で来たか知らないけれど……。十分くらいわたしがいなくて
も、晶加は平気でしょ。エルザミーナへ行こうっと」

 稜加は学校の寮を出る時に着ていた青いチェックのネルシャツと黒いインナーと灰
色のロングパンツから、押し入れの引き出しにしまっていた丸襟にレースの付いた赤
い蔓バラ模様のワンピースを取り出して着替えて、チェストの中にある化粧品やアク
セサリーを引っ張り出して髪をとかしてファンデーションやリップやアイシャドウを
塗り、赤いラインストーンの付いた花形の髪留めと赤いガーベラに模ったサテンのコ
サージュを左胸につけて、ベージュの小花模様の足首靴下を履いて、リボンの付いた
黒いパンプスも履いて〈パラレルブリッジ〉のマナピースをスターターに入れて、稜
加とデコリは金色の光に包まれてエルザミーナの世界へ飛んでいった。

 稜加とデコリが出発してから数分後、晶加が稜加の部屋を訪ねてきた。

「お姉ちゃーん、起きたのならおやつ作って……」

 晶加が稜加の部屋を覗いてみると、姉の姿はなく姉のデイパックと帰ってきた時に
着ていたシャツとズボン、家具だけが部屋の中に残っていた。窓は半分開いていて網
戸から風が吹いて、ピンクのボーダーカーテンが揺れていたのだった。