稜加とデコリがエルザミーナ界でイルゼーラ女王の公務の負担を減らす為の結婚の案を勧めてから六日目に稜加は自分の世界へ帰っていった。帰って来た場所は言うまでもなく、陽之原高校女子寮の〈紅梅〉の間で出入り口から見て右側のロフトベッドの上であった。 壁付けの時計を見てみると朝の六時十五分前を指しており、左のロフトベッドの千塚丹深はまだ寝ていた。エルザミーナ界で過ごしている時と現実世界にどれ位差が出ているかは平均ではないけれど。 稜加は灰色のワンピースを脱いで寝間着に着替えて、起床時間になるまで寝そべることにした。またデコリも現実世界の一日の多くをスターターの中ですごす為、稜加を見守ってあげていた。 朝食時間の寮生は朝六時四十分に起き、制服とエプロンと三角巾を着て人数分の朝食を作る。稜加と丹深は別の当番だったので起床時刻の朝七時に起きて制服を着て髪型を整えて寮の食堂で朝食をいただく。朝の七時半までに朝食を終えた後は朝の食器当番が洗って、その後通学バッグを持って寮を出て二十分歩いた反対側の方にある陽之原高校へと登校する。 現代日本では朝のHRと曜日ごとの授業を受ける日々を送り、エルザミーナ世界のレザーリンド王国では初夏に対し、日本は六月半ばの梅雨の時季で、雨の降る日は傘を持参して体育の授業は体育館になるか自習と決まっていた。 (イルゼーラは今頃、お婿さんを探しているんだろうか?) 四時間目の授業の後、大勢の生徒が集まる学生食堂で今日の献立であるハンバーグデミシチューを食べながら稜加は思った。 稜加は見晴らしのいい食堂の窓の様子を見つめる。陽之原高校の学生食堂は約五十人の収容範囲で食べ終わると交互に人が入れ替わり、窓からは校庭と町の景色を見渡すことが出来る。 今は梅雨なので空はすっかり灰色の曇天だが雨の降る心配はなさそうだった。梅雨が終われば陽射しの暑い夏の本格化である。 一伊達家は栃木県に引っ越ししてからは、平地の多い千葉県から盆地が多くて夏は猛暑日が多く、冬は雨雪と気温の低さに悩まされていることもあったが、三年以上経った今は慣れてしまった。 エルザミーナ界レザーリンド王国は内陸国だが、あちらは世界の東に位置して住人はマナピースで生活できるから夏の暑さも冬の寒さも問題なかった。 食堂での昼食が終わると一度教室に戻って通学バッグからこっそり、スターターとマナピースの巾着を引っ張り出して他の人にバレないように、学校内の目立たない階段下(稜加の高校の一年の教室は一階にある)まで行って、予めセットしてあったフードグレイスのマナピースを発動させて、デコリの為の昼食となる幕の内弁当を出してあげた。その後でデコリがスターターの窓から出てきて幕の内弁当を食べだした。 「おいしかったぁ」 ペロリと平らげたデコリを見て稜加は現実世界では自由に出入りのできないことに申し訳がない、と思っていた。デコリは育成ゲームのキャラクターと変わらないからだ。時々食べさせてあげたりエルザミーナで動かさないと育児放棄になるからだ。 (だけどおばあちゃんの分まで、そばにいてやらないと) 祖母の遺した精霊で亡き祖母の旧友(とも)でもあるデコリ。精霊は三〇〇年生きられるけど、デコリは今何歳で、先に稜加が亡くなったら誰がデコリのそばにいてくれるかの問題もあった。 (あ、そうだ。前にエルザミーナに行ってレザーリンドの大図書館にあった降霊術を参考にすればいいんだ) それは柊などの霊力のこもった木を人型にし、死者の名前を刻んで塩水の張った器に入れる、というものだった。補足として月夜にやると成功率が高くなるそうだ。 (しまった。今の日本は満月過ぎたんだった) 稜加は現代日本の満月の日が終わってしまったことに気づいたが、エルザミーナ界のレザーリンド王国の満月の日に行けばいい、と思いついた。 (エルザミーナと現実世界じゃ時の流れが違うんだった。そこはラッキーだったな) 更に稜加はこの日の授業が全部終わると、他の同級生が自宅や寮に帰っていく中で早速無人教室近くの非常口の扉前で通学バッグからスターターと二枚一組で効果を出して、どんな遠方でもつながる〈テレパスリンク〉のマナピースを出して六マスの一つにはめ込んだ。 一方でレザーリンド王国内のアレスティア村の侯爵邸に里帰りして父の家業を手伝った後眠っていたサヴェリオのスターターがチカチカと光りだして、その眩しさにベッドの上で寝ていたサヴェリオが気付いて、稜加と同じ〈テレパスリンク〉のマナピースをはめ込んでいたスターターを手に取って、応答に出る。 『お、おお。稜加か。折角寝ていたんだけど……、何だ?』 しかも〈テレパスリンク〉のマナピースは違う次元にいても、お互いの世界や国の言葉に翻訳されるので気ままに会話することが出来た。 「うん。わたしのおばあちゃんの幽霊を呼ぼうと、レザーリンドの満月の日を教えてもらおうと思って」 『そういうことか。今のレザーリンド王国の満月は六日後だ。確か魔除けの木の人形を使った降霊術は満月の晩が効果的っていうからな。もし良ければ、魔除けの木を探しておくぞ』 「ありがとう。じゃあ、満月の晩が近づいたら教えてね」 ここで稜加は通信を切り、他の寮生に遅れて校舎の裏山にある寮へ戻っていった。 それからレザーリンド王国の満月の夜が翌日だとサヴェリオから教えてもらったのは、サヴェリオとの連絡の数日後の金曜日だった。この日の稜加は朝食当番の最中、こっそりスターターからデコリが出てきて、味噌汁の具を刻んでいる稜加に教えたのだった。 「まいったなぁ……。今、朝ご飯作っているのに」 厨房には丹深と二年女子二人と三年女子がいる。三年生は当番の監督を担うので他の人に指示を出していた。でも稜加はエルザミーナにも行きたかった。 「仕方がない……」 そう言って稜加は包丁を流し台の中に落として、ステンレス流しと包丁の金属音が鳴って他の朝食当番が耳を向けてきた。 「いたたた! 手を切ったかも!」 「えっ!?」 誰もが稜加がケガをしたと聞いて、丹深が近づいてきた。 「だ、大丈夫なの!?」 稜加は左の掌を抑えていた。 「だ、大丈夫! 医務室に行ってくるから!」 そう言って稜加は小走りで厨房を抜け出していった。デコリも稜加の制服の面につかまって、他の人間に見つからないようにしていた。 デコリは一階女子トイレまでスターターとマナピースの巾着を運んでくれていた。稜加は女子トイレのトイレットペーパーの替えの後ろに隠してくれていたスターターを取り出して、〈パラレルブリッジ〉のマナピースをはめ込んでデコリと共に金色の光に包まれて、エルザミーへ飛んでいったのだった。 この時、稜加とデコリはレザーリンド王城のイルゼーラが与えてくれた〈稜加の間〉に着いたのだった。 「良かったー。まだ昼間のようで」 王城の私室から見える窓の向こうは太陽が西に傾いたけど、空は青かった。 「そうだ、稜加。ケガしているんじゃ……」 デコリが高校の寮の厨房でケガをした稜加が気になって訊いてみた。 「ああ、このことね。ほら」 稜加は左掌をデコリに見せた。傷も血もなく、至って普通だった。 「え? 嘘ついていたの?」 「仕方ないでしょ。〈嘘も方便〉よ」 そう言って稜加は学校の制服とエプロンを脱いで、クローゼットの中にあるレザーリンド王国の服に着替える。レザーリンドでの稜加の服はイルゼーラが用意してくれて、尚且つ稜加の体型に合わせて王室のお針子が仕立ててくれていた。正装用のドレスや礼服は数着だが、一般人が着るような木綿や麻などのシャツやスカートなどが多く、それに合わせた靴やアクセサリーや帽子も入っている。 稜加はフリルの付いた肩出しのブラウスとひざ丈のフレアースカートとパンプスを取り出して着替えた。上が白で下がマリンブルーのさわやか系でパンプスも甲にベルトのある青いベルベットだ。 稜加は王城内のサロンへ向かい、夜が来るのを待った。サヴェリオと連絡し合った時に、そこを集合場所にしたからだ。 「サヴェリオ、入るよ?」 稜加はサロンの扉を開けた。サロンは壁と天井が白く黒い蔓草状のシャンデリアが吊り下がり、チョコレート色の絨毯、テーブルも椅子も他の家具も黒い蔓草状の装飾であった。更に、かつての旅の仲間も来ていたのだ。 赤い髪の毛に菫色の目に長身のジーナ=ベック、ベック家の守護精霊で木の葉状の緑の髪に樹皮のような衣をまった紺色の眼のウッダルト。 灰茶色の髪に切れ長の瑠璃色の切れ長の眼の青年はアルヴァ山のマナピース工房の浮彫師、エドマンド=ヒューリーでエドマンドの家族でパートナー精霊のラッションは赤と黒の体に頭や胴体に黄色い鋭角がついた精霊。 そして藍色のセミロングストレートに角ばった黄色い眼で稜加より年下の少女はパシフィシェル=ウォーレスで副都市オスカードにあるインテリア会社の社長令嬢で、ウォーレス家の守護精霊は噴水型の帽子に流水状のドレスをまとったフォントである。 「みんな、どうしてここに?」 稜加は目を丸くするも、かつての仲間が王城のサロンに集まっていて久しく会えたことに喜んだ。 「サヴェリオさんが呼んでくれたのよ。稜加が面白いものを見せるから、って」 「あと弟たちと母さんはちゃんと留守番しているぞ」 ジーナは父親が数年前に事故死して弟二人妹二人の世話をしながら樵となって未亡人の母親を助けながら林業及び珍しいマナブロック発見及び売却で生活していた。 「思っていたより元気そうだね」 「ああ、デコリも変わりなくな」 エドマンドはアルヴァ山の集落のマナピース浮彫師として働き、亡き両親の遺した精霊ラッションと暮らし、また日常面もいい変化が訪れていて順調だった。 「久しぶりねぇ。今の学校生活、楽しんでいる?」 「パーシーなんか、また学校を休んでしまって……」 パーシーは稜加にそうあいさつして、フォントはまだ長期休みでもないのにパーシーが学校を休んでしまったことに悩ませる。三人とも、王城に呼ばれたので恥ずかしくもなく仰々しくなく簡素なフォーマルな服装で着ていた。 「ああ、みんなそろっているな。稜加、よく来てくれたな」 サヴェリオが近衛隊長の軍服から普段用のシャツとベストとズボンの姿で現れ、更にアレスティア村から侯爵家の精霊、空色の体に頭や肩につむじ風をまとったトルナーも現れる。 「デコリ、久しぶりだな!」 「トルナー、久しぶり〜」 トルナーとデコリがあいさつを交わす。 「みんな、イルゼーラは公務疲れで休んでいるが、夜になったら来てくれる。もうすぐ夕餉だから、料理が来てくれるぞ」 サヴェリオがみんなに伝えた。夜の六時になって給仕たちがサロンに現れた面々の食事を二段組のカートに乗せて運んできた。野菜コンソメとホウレンソウポタージュと魚の出汁の三種スープやバターライスと雑穀入りライス、カモのコンフィとマスのソテーとマトンチョップなどの総菜や果物もサクランボやオレンジなどの今が旬のもの。 夕餉が終わった一時間後にはアレサナを連れたイルゼーラも現れた。イルゼーラは誰から見てもくたびれ感がはっきり出ている。 「稜加、これでいいんだろ?」 サヴェリオが稜加に例の物をテーブルの下から出してきた。塩水を張った小さな金盥(かねだらい)にトネリコの木を削った木の人形、木の人形の胴体にはヴェステ文字で〈リエコ=スガウ〉と刻まれていた。 「あ、そうだ。効果がわかるように部屋を暗くして、窓のカーテンを一ヶ所開けて」 稜加は仲間にそう指示をしてジーナが壁から照明のマナピースを抜き取って暗くして、エドマンドがカーテンの一ヶ所を開けた。濃紺の空に銀の満月が浮かんでいた。 「それじゃあ、いくぞ」 サヴェリオが塩水の金盥にトネリコの木の人形を入れた。トネリコは柊や樫よりも聖気が多く流れているそうだ。 すると盥の水が青白く光り、月の光と合わさって更に人形から仄青い霧みたいのがまとわりついてきて、それがだんだんと人の型を形成させていく。 人形が完全に仄青い霧に包まれていくと、一人の人物の姿が映し出されたのだった。 「稜加……?」 イルゼーラとデコリが木の人形に宿った人物があまりにも似ていたので首をかしげたが、稜加はすぐそばにいる。 人形に宿った霊魂こそが稜加の祖母とデコリのパートナーだった利恵子の若い時の姿だったのだ。 |
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