「旨ぇ! 旨ぇ!」 エヌマヌル大陸から来た少年は、ウォルカン大陸の東端の港町に入港して入国手続きをしてから数時間後。ある一軒家に住む老夫婦の元で一晩宿を借りることとなった。 テーブルの上にはジャガイモの山盛り、紫キャベツとレタスを使ったサラダ、それから玉ねぎソースの焼きニシンが置かれていた。パートナー精霊も老夫婦のもてなしをほおばっていた。 少年とスピアリーが老夫婦の元で何故、一晩泊めてもらえたかというと夕方の田舎道を西の方へ歩いていた彼らは老人が森から採ってきた焚き木を運ぶときに腰を痛めているのを目にして、家まで運んであげたのだった。 それだけでなく、老婦人に代わって乾かしていた洗濯物を取り込んでアイロンもかけてあげ、老人が明日村人と交換する為の焚き木を小分けにして荷車に詰んであげたのだった。 「どなたが知りませんが、助けてくれてありがとう。旅の方ならお礼として一晩泊めてあげましょう」 老夫婦は少年とスピアリーを泊めてあげることとなり、なるべくもてなしてあげた。 「海に近い地域に住んでいるもんですから、肉はありませんが……」 老婦人は少年とスピアリーにそう言うと、少年は気にせず口にしたのだった。 「別にいいっすよ。一晩泊めてくれるだけでもありがたい、って」 それを聞いて老夫婦はホッとした。老夫婦の住む家は藁ぶき屋根に木板の壁、一階だけの床は石を敷き詰めた石灰で大小や色の異なる石を使っていて凹凸だったが、常に椅子や卓やベッドを夫婦は使っていて、尚且つ平たく研磨されていたので心配なかった。屋根裏部屋は主に食物倉で干し魚や穀物の櫃などが置かれていた。 老夫婦は自分たちの一つしかないベッドで寝るようにとすすめたが少年は断った。 「いいっすよ。おれ、早朝にまた出発するから屋根裏で」 老夫婦は親切なだけなく場の状況が読めるこの少年に感服して、自分たちはベッドで寝て、少年とスピアリーは屋根裏の食物倉とは反対の箇所――古びた長持ちや寒い時の寝具などのある物置き場にゴザを敷いて乾いたタオルを二枚、枕と毛布にして一夜を過ごしたのだった。 少年は屋根裏部屋の窓から見える星空を見つめていた。エルザミーナ世界でも、国や季節によって星の位置が異なる。小さな六等星から大きく閃く一等星、どれをつなげば何の星座になるか。 (おれ運命の星は西に行けば辿り着く、っていうけどな) 天文学はそんなに詳しくはないけれど、少年にとっては西へ向かうことだけを目指していた。 少年がウォルカン大陸の東端から入国して老夫婦の家に泊めてもらってから十八時間先のレザーリンド王国の一角では。 稜加は高校の寮の同室の丹深が寝入ってから異次元移動のマナピース、〈パラレルブリッジ〉を使って、恋人と親友のいるエルザミーナ世界のレザーリンド宇王国にやって来た。 金色の光が城下町の路地裏に現れて、光が弾けると灰色の地にピンクリボンの半袖ワンピース姿の稜加が現れた。更に稜加が持っていたスターターの窓からリボン状の髪の毛のスピアリー、デコリが出てきた。 「はぁーあ。稜加が学校にいる時はおちおち、出られないよ」 「ごめんね、デコリ。当番によっては出せる時と出せない時があるから……」 本当は稜加だってデコリをスターターから出してのびのびさせてあげたいのだ。 稜加とデコリは路地裏を出て、レザーリンド王城の城下町に足を踏み入れる。食糧品や衣類や家具を売る店、現実世界のコインランドリーにあたる店は水のマナピースを使って洗浄し、乾燥能力のある炎のマナピースで動く箱に入れていた。 また住人も老若男女が町を行き交い、スピアリーもまた様々なのがいて、店の主の手伝いをしたり、ベランダのプランターに咲く花に水をやる様子を見られた。 レザーリンド王コックは今は春の暮れから初夏に入る頃で、空は快晴で日差しが暑く、東風が涼しげに吹いてくるので過ごしやすかった。 稜加とデコリはレザーリンド王城の城門の前に立ち、槍を持った二人の門番に女王の友人の証――虹色が入った白地に人と精霊が合わさった浮彫の救済者だけが持つ〈フュージョナル〉のマナピースを見せたのだった。 「女王陛下のご友人ですね。どうぞ、お入りください」 城門の金格子が上に開いて、稜加とデコリはレザーリンド城の中に入っていった。 王城の廊下は十六マスの窓枠のガラス窓に壁と床と天井は明るい色合いのタイルで敷き詰められ、小さな黒鉄のシャンデリアが五メートルおきに吊り下がっている。王城では白い頭巾と白いフリルエプロンと紺色のワンピースをまとったメイドたちがモップで床磨きや大臣の寝室のベッドメイクなどをしており、城内の兵士の訓練場では白や黒のカットソーに青い軍用パンツに黒い軍靴を身に着けた兵士たちが組み手や筋力トレーニングなどを行(おこな)っていた。 稜加は廊下の窓から青年兵士の指導をしているのが、レザーリンド王国近衛兵長のサヴェリオ=アレスティアを見つけると微笑む。 「サヴェリオも相変わらずだなぁ」 杏色の髪、水色の切れ長の眼、中間肌に長身、細身ながらも筋肉質な体つき。稜加のエルザミーナの親友、イルゼーラの従兄で稜加の恋人でもある。 稜加とデコリが場内を歩いていると、稜加より高めの背に丸顔のふくよか体型、黒髪の巻き毛に若葉緑の垂れ目のメイドとばったり出会った。 「あっ、あなたは……」 稜加はそのメイドを見て尋ねてきた。 「お久しぶりですね、稜加さま。随分と……」 稜加が三度目にレザーリンド王国に訪れた時、王城暮らしをすることになった稜加の世話係、オッタビア=チェンツォーネだった。 「ごめんね。またアポなしで来ちゃった」 「いえいえ。イルゼーラ陛下は『稜加ならいつ来てもいい』とおっしゃっていましたもの。今、稜加さまのお部屋を掃除いたしますので」 そう言ってオッタビアは王城内の稜加の部屋へすっ飛んでいった。 王城内の稜加の部屋は現実日本の七畳間大で、壁はパステルピンクのレース状のエンボス紙、天蓋付きのベッド、大きな鏡付きドレッサー、中心にガラスのテーブルと二脚のクッションチェア、カーテンは白レースとクリーム色の布の二重でここから城下町の景色が見られ、また壁にはエルザミーナのテレビジョン〈映像板(ビジョナー)〉、温風と涼風のマナピースを入れると冷暖房になる装置も付いていて、 照明のマナピースで点灯する小ぶりのシャンデリアもピーチベージュの絨毯もある。稜加とデコリは一先ず王城の稜加の私室でたたずみ、イルゼーラかサヴェリオが来るのを待った。 待っている間に稜加とデコリは膨大な数の書物がある図書室へ行って物語や詩や世界風景の本を探して時間をつぶした。稜加は中三受験生の夏休みにエルザミーナに来た時、エルザミーナの文字の読み書きを学んでいたので、レザーリンド王国や周辺国で使われるヴェステ文字の本を読んだ。 エルザミーナにも創作物語があるのは知っていたけど本格的に読んだことはなかったので、この機会にいくつか読み漁ることにしたのだった。英雄伝、叙事詩、民話、喜劇、恋物語……。何話かは現実世界と似る内容があったが、それはそれで読み比べが出来て良かった。 コンコン、とドアをノックする音がして、稜加は入っていいと促した。中に入ってきたのはプラチナブロンドにエメラルドの双眸、真珠色の肌のイルゼーラ女王だった。イルゼーラはこの日、レースとフリルが質素についた茶色のリンネルドレスに髪型も軽く括ったものであった。 「イルゼーラ、久しぶり……。あれ? 何か、前に会った時と違う……」 稜加はイルゼーラの顔を見て疑問に思った。イルゼーラは国内の公務の多忙さなのか、白粉でカバーしているが目の下のクマや睡眠不足による肌荒れの痕が見えており、目つきも悪くなっていて口元も口角が垂れ下がっており、女王としての印象は保たれているものの、酷く疲れているのが一目でわかる。 (レザーリンド王国の統治者とはいえ、また十六、七歳なのにこんなにも公務が大変なの!?) それでも稜加はイルゼーラを私室に招き入れて、椅子の片方に座るように促した。 「イルゼーラ、そんなに国のお仕事、大変?」 デコリがイルゼーラに尋ねてくる。 「ええ。大臣や派遣兵を各地視察に送っているだけじゃなく、自分で出向いているのもあるから……。眠れても、せいぜい六時間」 稜加はイルゼーラの今の現状を目にして、イルゼーラがこのまま過労で倒れるのではないか、と不安になった。 「今はまだ安定している方よ。大臣たちが引き受けてくれることもあるから」 イルゼーラは稜加に心配かけさせないように返事をする。 (こりゃあ、イルゼーラを補佐してくれる人が必要だな。イルゼーラが王城で政治を受けて、補佐の人が現地へ赴く――。この方法なら、イルゼーラの負担が減る筈だ) 稜加はこう思案したが、イルゼーラの補佐役は誰が相応しいかと立ち止まった。 (わたしとイルゼーラの同期の救済者、ジーナは林業、エドマンドはマナピース浮彫師の仕事があるし、パーシーは学校に通っているからなぁ。サヴェリオは従兄だけど国の近衛兵長だからな。わたしがエルザミーナの住人だったら、イルゼーラの補佐役になれたのに) ふと稜加はイルゼーラが女王になってから一年以上が経った今、大臣や国民から結婚を薦められていることを思い出した。 「そうだ! イルゼーラ、結婚すればいいのよっ!!」 「わっ!」 イルゼーラとデコリは稜加の言葉を聞いて思わずビックリした。 「け、結婚!? そりゃあ、大臣や国民から後継ぎ問題で薦められているけど……」 「そうじゃなくって、イルゼーラと一緒に政治をしてくれる人との結婚! 要するにイルゼーラがお城に残って会議や執務をやって、お婿さんには国の視察や国民との交渉に行ってもらう。わたしの世界じゃ大企業の社長さんが一人で社長の業務が出来ない時は奥さんが手伝ってくれている人がそれなりにいるのよ」 「そうなの? そういう理由で結婚する人もいるのね……」 イ ルゼーラは稜加の言う〈結婚〉の理由を聞いて考える。確かに自分中心に国の公務に携わるのには限度がある。稜加の言う通り、自分は王城とその周辺、婿に地方に行ってもらって情報を集めてもらう――。 「稜加の言う通り、結婚するわ。公務に携わってくれる人を探すか招集するか」 それを聞いて稜加もデコリも胸をなで下ろす。 「イルゼーラって責任感はあるけれど、抱え込んじゃうタイプだからねぇ」 「イルゼーラ、良かった。お婿さんとなら、労働力は半分ずつ、国民からの好感度は二倍になるよ」 デコリは現実世界の漫画で覚えた一句を言ってきて、イルゼーラを元気づけさせる。イルゼーラ自体も、王族としての責務を抱え込みすぎた、と実感して結婚にも複数の理由があるのだと思い直した。 イルゼーラは稜加の私室で一時間ばかり休んだ後、再び国内問題の報告書などに目を通し、更に王室仕えの宣伝担当の女官に自分の結婚宣告を国中に伝えてほしい、と頼んだ。 稜加とデコリも宣伝女官の手伝いをし、女官が書いた記事の誤字脱字をチェックしてあげた。稜加とデコリは四日間王城に留まって(現実世界の時間経過はどうかは略して)、五日目には記事が完成して城下町の印刷所と広報社に記事の配布を依頼した。 宣伝女官が書いた記事はピンクのザラ紙で見出し文とイルゼーラの顔写真が載せられていた。 『レザーリンド王国現女王イルゼーラ、結婚の為に花婿を募集する』 更に結婚の条件として、出身地や学歴や人種や職業を問わず。体力のある人、地方に詳しい人などが書かれていた。 面白いのは、エルザミーナの世界では王侯貴族が発行する新聞や雑誌などは雇われた配達者が一般民の各世帯に配布するだけでなく、飛行艇を使って空中からばらまく方法で国民に伝えることだった。 白い王室の中型飛行艇シラム号が数台、国の東西南北へ行って拡散させていったのだった。それは稜加とイルゼーラの仲間である林業者のジーナ=ベックやマナピース浮彫師のエドマンド=ヒューリー、副都市の有名校ゼネカ学院に通うパシフィシェル=ウォーレスにも知れ渡ったのだった。 |
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