エルザミーナの世界、東にあるウォルカン大陸の中枢よりにあるレザーリンド王国。 現君主は十六歳のイルゼーラ=ステファナ=レザーリンドで、女子の身でありながら公務に励んでいた。 レザーリンド王城は国土の中心、ファビータ州の東に位置し、晩秋の現在は森林や街路樹などの木々が赤・黄・茶・橙に染め、日の入りも早く住民も長袖や裾長のズボン・スカートをまとうようになった。 レザーリンド王城より北西にあるジョルフラン州の西にレザーリンド王立監獄が建設されていた。 王立監獄は巨大な岩壁をくり抜いて独房や看守室を造り、監獄に送られた罪人はエルザミーナ世界の住人の必需エネルギーの塊・マナブロックと鉱石・好物の採掘、採掘された金属を溶かして釘などの金属部品を造る製造作業、またマナピースの研磨及び浮彫が可能な囚人がいればその作業に充てられた。 女性の囚人は男性囚人が造ったマナピースや金属製品の荷詰め、老囚人の世話、体の弱い囚人は食事作りや洗濯といった作業を充てられていた。 現在のレザーリンド王立監獄の収監者は約一〇〇人。これでも少ない方で前科者や凶悪犯は全体の一割未満である。 そんなある晩のことであった。秋の夜更けは早いとはいえ、空は墨のように黒く満月は不気味な程青白く輝いている時期だった。 王立監獄勤めの看守たちは灰色の制帽と制服、軍靴に革の手袋を身につけ腰に伸縮式のスティックと護身及び囚人威嚇用の拳銃のホルスターを下げていた。 若い新米看守の青年が岩壁をくり抜いた廊下を歩き、鉄格子がはまった扉の奥では囚人たちがいて静かに眠っている者、まだ起きて考え事をしている者、「出せ、出せ」と騒ぐ者もいた。天井には〈グロウアップ〉のマナピースで発光されている照明器が下がっていて夜は真っ暗な廊下を仄かに照らしても薄暗かった。 青年看守は二階看守室に着くと、観音開きの金属扉を開けて中に入る。 「いよぉ、お疲れ」 看守室の中には青年より三、四歳年上の若い看守が椅子に座っていた。看守室は二十から三十のマス目状の映像板(ビジョナー)が壁一面に設置され、そこから独房にいる囚人の様子がわかるのだ。 「眠気覚ましと気つけのコーヒーだ。飲めよ」 「ありがとうございます……」 新人看守は先輩からブリキのマグに入ったコーヒーを受け取り、ちびちびと飲んだ。 「お前、猫舌か?」 「あ、いえ。苦いのは苦手なので」 「何だよ、それ。女やガキじゃあるまいし」 先輩看守がからかってくると、新米看守はコーヒーを飲むのを途中でやめる。 「親父が病気で寝込んでお袋が村の中で働き回るようになって、弟妹もまだ学校に通っている年齢で、総領息子であるぼくが稼ぎ頭になっちゃったんですから」 新米看守の青年が呟いた。 「確かに監獄の看守という仕事は大変だ。囚人同士のもみ合いの仲裁、暴れた囚人の取り押さえ、主に囚人を取り締まるのがおれたちの役目だからな」 「はい……。ずっと林業と農業中心の田舎で過ごしてきたものですから……」 新米看守の青年はジョルフラン州の南の村の出身であった。田舎だから大型市場や遊園地動物園といった娯楽施設はなく、森と草原と山と川の自然ばかりであったが。争いも犯罪もなく育っていたから喧騒や物騒さの感覚に疎かった。 「だけども給料は高いし、業績が良ければ出世もある。何よりお前さんは努力家で辛抱強いのがいい所だ。それじゃあ次の見回りはおれだ。後は頼むぞ、ゲラルド」 「はい、ファリック先輩!」 ゲラルドはファリックにそう交わすと、ファリックは看守室を出ていった。 ファリック先輩からもらった眠気覚ましのコーヒーを飲んだからか、ゲラルドは全く眠たくなかった。看守室独房の映像板はどの囚人も眠っているようだった。 (今夜も問題なさそうだな) 王立監獄に就職して四ヶ月。最初の一ヶ月は基本を学ぶのに戸惑ったけれど、ゲラルドは何とかやり過ごせたのだった。その時だった。 ドドォーン、という盛大な音がゲラルドや他の看守、独房にいる囚人たちが耳にして何事か、と思った。それと同時にゲラルドの通信機――細長い箱状の道具に通信と共鳴のマナピースを入れて遠くの相手と会話できる装置が音を立てたのだった。 「はい、こちらゲラルド」 『ゲラルド、大変だ! 監獄の西棟の岩壁が炎と〈ライトエクスプロード〉のを合わせた物で盛大に爆ぜて、囚人が何人か逃げ出してしまった! 人手が足りない! 応援を頼む!』 ゲラルドはこれは一大事だと悟って看守室を飛び出し、照明のマナピースが廊下を仄かに照らす中、硝煙と粉塵が目と耳と口と鼻に入りそうになってゲラルドは目をつむり腕で口と鼻を覆った。また独房の囚人たちも硝煙と粉塵でゲホゲホとむせる者もいた。 ゲラルドはやっとのところで破壊された西棟にやってくることが出来た。そこには看守五人が倍の囚人をひっ捕らえた処であった。 「おお、ゲラルド。まずいことになってしまったぞ」 六十近いがやたらと巨大で灰色の髪とあごひげをたくわえた看守長がゲラルドに声をかけてきた。 「すみません、遅れてしまって……」 「西棟の囚人を五十人確保できた。しかし、数人程逃げられてしまった」 「ええっ!? ま、まさか強盗殺人犯とかが!?」 ゲラルドは逃げた囚人が凶悪犯なのか看守長に訊いた。看守たちが捕らえた囚人は顔に傷がある男、背中に刺青を持つ強面の男、細身だが顔だけでなく中身も死神のような男と多種多様だが、全員眠りのマナピースを使って眠らされていた。 「それはわたしにもわからん。だが脱走者は硝煙と粉塵に紛れて上手く逃げ出したのは確かだ。顔や姿までははっきりと……」 看守長がゲラルドに言った。 その早朝、ジョルフラン州中の家庭世帯や商業世帯、学校や職場中に脱獄犯卆被害に遭わない為の外出禁止令が広められた。 学校生は家で勉強をし、外勤めの者は政府が無償で衣類・食糧・薬・その他の生活必需品を飛行艇で運んで上から落下傘で落として届けられるようにした。 また一人暮らしの老人や障碍者は親族と同居もしくは身寄りなしならレザーリンド王国兵を派遣させて家事や介護などの生活補助を受けられるようになった。 もちろん国の中部ファビータ州の王都にいるイルゼーラ女王にも王立監獄の脱獄囚の件が入ってきた。それでイルゼーラ女王はジョルフラン州や近辺のカラドニス州、セブリス州、キレール州にも脱獄囚の情報提供を送ったのであった。 |
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