エルザミーナの世界、東のウォルカン大陸の中枢辺りのレザーリンド王国では王立監獄から囚人が五人脱走して一般人を脅かしたが、またしても現世代の救済者とパートナー精霊と王室近衛兵の活躍により解決したのだった。 異世界人の稜加は現実世界に戻り、他の四人の救済者も各々の生活と日常に戻っていったのだった。王政、稼ぎ頭、就労、学校……。サヴェリオも王室近衛兵の仕事を二、三ヶ月休んで負傷した父に代わってアレスティア村の公務に専念した。 脱獄者のフリェーロに襲われた侯爵と使用人のファルドーネの入院生活が思っていたより長引いたからだ。侯爵はフリェーロに殴られて歯を折られたので差し歯にする治療も受けたほどだった。 サヴェリオが村の公務に勤しみ、また事件解決の一ヶ月後、エルザミーナの世界に新年が訪れて誰もが新年の祝賀会を楽しみ、サヴェリオも村の人たちを集めて侯爵邸で祝賀会を催した。 屋敷の大広間にはいくつものの白いクロスがかけられた円卓が置かれ、壁側の長方形のテーブルには肉や魚や野菜、パンやコメなどの料理が置かれ、村人は次々に新年のごちそうを味わっていた。 「ふぅ、予算内で催事をまとめるのって手間取るなぁ……」 入院中の父に代わって侯爵の仕事をこなすサヴェリオは呟いた。サヴェリオは祝い事用の金糸と赤いベルベットの上着を着て、また村の大人や役人などの高役職の人たちと会話しながら、祝賀会の主催者としての役目を果たしていた。 「サヴェリオ」 横から声がしたので振り向いてみると、それはサヴェリオの婚約者でジョルフラン州知事の娘メイティスとメイティスの家の守護精霊のキラキーナだった。メイティスは金髪をアップにしてクリスタルビーズのティアラを頂き、ドレスはオフショルダーの黒いサテンに赤いリボンの縁取りで、イヤリングやネックレスもティアラとドレスに合う銀色にガーネットの飾り石。 「ああ、来ていたのか……」 サヴェリオはメイティスを見て言った。 「あなたが王室近衛兵の仕事を休んで父親の仕事をこなしているのはいいけれど、わたしと会う回数減ったわよね」 メイティスはノンアルコールのピンク色のカクテルをこくこく飲みながら、サヴェリオとの近況を語る。 「だって父さんの回復までおれが引き受けることになったんだから……。それに文通でやり取りしているから、いいじゃないか」 それを聞いてメイティスはサヴェリオにきつい視線を向けてきた。 「そのことなんだけどね、脱獄者が全員監獄に送還されてから、あなたの書く手紙の文面には『稜加』って名前が必ず入っているじゃないの。あなたの従妹イルゼーラ女王の友人で、あなたとは単なる旅の仲間の関係ぐらいだと思っていたのに。どういうことなの!?」 「いや、それは……」 サヴェリオは口ごもった。確かに稜加とは三度もエルザミーナでの旅をしてきた仲間なのは確かだ。だけど、メイティスに送る手紙には「稜加」の名前を入れていて、また父の侯爵の見舞いの時にも稜加のことをよく話していた。 「つまり、そういうことね」 メイティスの様子を見てサヴェリオは「?」の顔つきをする。 「わたしという婚約者がいながら、あなたは稜加って娘(こ)に好意が出ているのよ。わたしの知り合いにも恋人がいながら他の男の好きになった娘がいたからね。わたしには、わかるのよ」 メイティスに言われてサヴェリオは思い返してみた。何故婚約者がいるのに、違う世界の住人である稜加のことばかり話すようになったのかを。 「まぁ、サヴェリオがわたし以外の娘のことばかり口にするってのは、あの娘に好意を寄せている証拠よ。あなたが稜加さんのことばかり話しているようじゃ、あなたのお嫁さんになるのは無理。さようなら。稜加さんにまた会えれば奇跡だけどね」 メイティスはそう言ってサヴェリオに別れを告げ、また婚約破棄をしてきたのだった。去っていくメイティスの背中を見てサヴェリオは沈黙した。 「どうしたんだよ、サヴェリオ。何かあったのか?」 村の精霊たちもと駄弁していたトルナーがサヴェリオに声をかけてきた。サヴェリオはトルナーの言葉を聞いて我に返って返事をする。 「いや、何でも……ないよ」 賑やかな祝賀会の会場の中でサヴェリオは一人静寂の中にいた。 栃木県織姫町内にある織姫中学校では卒業式が行われていた。一・二年生が卒業する三年生に送る歌を合唱し、三年生は体育館の壇上に一人ずつ呼ばれて校長先生からの卒業証書を受け取る。三年生は男子の黄色い縁取りに黒い詰襟、女子は黒いブレザーの左胸に布製の赤い花の卒業勲章を付けていた。どの生徒もパイプ椅子に座り、生徒の列の左脇には教員が何人かが生徒の出発を祝って泣いていた。また三年生の中には友人と別々の高校や家の都合で栃木県外の高校に行くことになって卒業式でお別れになる生徒が泣いていた。 一・二年生は卒業式が終わると体育館の片づけ、三年生は教室に戻って仲良し同士で記念撮影や同期との寄せ書きを集めていた。 担任の大沢伸夫(おおさわ・のぶお)先生こと通称オオノブ先生の「卒業おめでとう」のあいさつが終わると生徒たちは下校していった。オオノブ先生は三十代前半の理科教師で、三角形の顔に角ばった目つきと七三分けの黒眼鏡に細身の人で卒業式の今日はストライプの入ったダークグレーのスーツに赤いネクタイの服装だった。また生徒たちから「担任ありがとう」の花束を受け取って号泣していた。 三月も十日を切ったけど、かすかに冬の寒さが残り空は晴れて太陽は雲で隠れていた。 稜加は百坂佳美と玉多俊岐と一緒に下校した。帰り道に稜加は佳美と俊岐に進路を語ってくる。 「よっちゃんは群馬県だけど東武織姫駅から近い法桟高校で玉多くんは隣町にある灰鷹高校に受験合格して、わたしは推薦で陽之原高校服飾科に合格したもんね」 「ああ。学年一優秀な那須なんかは埼玉県でレベルの高いさいたま国際高校に入学が決まって、一伊達と同じく寮に入ることになったもんなぁ」 俊岐が他の同級生、特に同期で優秀者の那須くんの進学先について答えてきた。 「あたし体力派だから受験勉強、四苦八苦したけど高校には進学出来て良かったよ」 佳美が県大会出場でクラブ活動を引退してから受験勉強に携わったことを思い出す。 「だけど三月三十一日にまた中学校で離任式やるから会えるじゃない。それはそれでいいような気がする」 稜加は毎年小中学校で三月末に行われる教員の転任発表――離任式の件について言ってきた。途中で佳美と別れて、俊岐と同じ方向へ歩いていった。卒業式は午前中に終わったので町中の道路は少なく、通行人も百歩おきにすれ違うだけだった。 「それじゃあな、一伊達。また離任式でな」 「うん。またねー」 稜加は大通りに個人経営の店やアパートの並ぶ住宅街に着くと俊岐と別れた。俊岐とはご近所同士だからまたいつでも出会えるが、稜加は離任式が終わったら陽之原高校の寮に行くことになっていた。 えんじ色の屋根にダークオークの板壁の平屋の一戸建て住宅の我が家に着くと、稜加は引き戸を開けて玄関に入る。 「ただいまー」 手洗いうがいを済ませて、風呂場の隣の私室に入ると、制服を脱いで普段着のスウェットトップスとデニムスカートに着替える。部屋の中には旅行に使うキャリーケースには詰めかけの普段着やバッグや靴や小物が入っていた。 それから窓際の机の上に置かれたピンク色の本――スターターから精霊デコリが出てきた。デコリは卒業式のこの日、留守番していた。 「稜加、お帰りなさい。もうすぐお昼だから何か作って」 「わかっているよ。受験勉強も入試も合格した後の手続きも卒業式も終わって、せいせいしているんだから」 稜加はデコリにそう言った。とはいえ三回もエルザミーナの世界に行って災厄を打ち払ったとはいえ、稜加の心には何かが欠けていて足りない感があった。受験勉強や受験中や学校にいる時はそっちの方に集中していたけれど、やっぱりエルザミーナでの友人や世界観が懐かしく感じられた。 (だけどエルザミーナの世界でやっぱり災厄は起きてほしくないよ) それが稜加の切ないけれど正しい願いだった。 卒業式が終わって更に稜加の祖父の命日に服する三周忌も終わり、しあさってには織姫中学校で離任式が行われる日の昼間だった。両親はクリーニング店に行っていて、晶加は居間でレンタルDVDを視聴していて康志も友達の家に行っている時、稜加は押し入れから高校の寮の休日に着ていく冬のアウターを選別していた。 「これにしようっと」 稜加はエルザミーナ三度目の時に着ていたピンクのフリースジャケットを選んだ。するとジャケットのポケットからころん、と何かが出てきたのだった。 「あれっ、これマナブロックだ。この大きさだと、マナピース一枚が出来る程の大きさだよ」 稜加の傍らにいたデコリが稜加の冬服から出てきたマナブロックを拾って確かめる。 「白い半透明……。無属性か。いつの間に入っていたんだろう……」 稜加がマナブロックを見つめていると、デコリが問いかけてきた。 「稜加、これで新しいマナピースを作ってみなよ」 「えっ? わたし、エドマンドみたいにマナブロックの声が聞こえるわけじゃないし。わたしには出来ないよ」 稜加が拒むとデコリが更に説いてくる 「あのね、マナピースは職人の手によって定められた形になるけれど、ここは稜加の世界。稜加が望んでいる求めていることを、このマナブロックに込めて彫ればいいんだよ。稜加の本当の望みは何?」 「本当の、望み……?」 志望先の高校に入学することは自分で叶えられた。家とは違う生活をしたいのも、高校進学によって叶えられた。だとすれば、稜加の求めていることはただ一つ。 稜加は机の上に浮き彫りする時に大きめのハンカチを広げて、机下のチェストから学校の美術の授業で使った彫刻刀を使って、いつの間にか持っていたマナブロックを削り始めた。 まずマナブロックをスターターに収められる板状の大きさにし、凸版印刷の要領でマナピースの浮き彫りを入れ始める。稜加がマナピースを彫る時に時間がカチコチと進み、昼の一時半に作り出したマナピースは夕方の四時に完成した。 「出来た……。わたしだけのマナピース……」 稜加が彫った浮彫は両端の二つの星にアーチ状の橋を思わせる模様であった。 「わぁ。出来たねぇ、稜加。これ、スターターにはめてみて」 「オッケー。どうなるかな……」 稜加は夕日が差してきて、稜加とデコリとその他の影が入る部屋の中で祖母から受け継いだスターターをはめ込んだ。スターターの六マスある正方形の一ヶ所に稜加製のマナピースをはめ込むと、マナピースが輝きを放って金と銀の光が発せられて稜加とデコリを包み込んで消え去ったのだった。部屋の中は稜加が使っていた敷布と彫刻刀が机の上に残ったままだった。 稜加とデコリは畳とふすまと家具のある四畳半の部屋から、全く知らない家の中にいたのだった。いや、稜加とデコリにとっては知っている者の家の中にいたのだった。 どうやら食事らしき台といくつかの椅子があって、天井にシャンデリアが吊り下がり、夜だからか窓はカーテンで閉められ、何より白いエプロンとヘッドフリルを身に着けた数人の女性と燕尾服の壮年の男性、食卓に座っていた杏色の髪に水色の切れ長の目の青年がポカンとしていたのだから。稜加は白いクロスのかかった食卓の上にいて、ギリギリでスープやサラダを足で踏みつけそうになっていた。 「お前……、稜加なのか?」 目の前の青年が稜加に話しかけてくる。 「うん。来ちゃった……。でも救済者のマナピースとは関係ないの。わたしが以前帰っていった時に、いつの間にか持っていたマナブロックでわたしが作ったマナピースでね」 そう言って稜加はスターターにはめ込まれた自作のマナピースを見せて青年に言った。 「すみませんが、食卓から下りてくださりませんか? あまりにも無作法なので」 執事頭のジェッポーネが稜加に声をかけてきた。稜加は食べ物伊林皿が置かれた食卓の上で膝座りした状態だったからだ。青年だけでなく他の使用人も精霊のデコリとトルナーもその様子を見つめていたからだ。 稜加は青年――負傷した父に代わって村の公務を行(おこな)っていたサヴェリオと共に食堂を出て炎のマナピースで起こす暖炉のある客間で稜加とデコリが災厄が起きたわけでもないのにエルザミーナに来た理由を聞いていた。 今のレザーリンド王国は年明けから十日を切った冬の半ばで内陸国でもあるため雪の日が多く、住民も橇やスキー板、富裕なら現実世界のスノーモービルによく似た乗り物で通勤通学外出をしていた。 サヴェリオと稜加のいる客間の窓からも夜の黒い景色に白い粉雪が舞っていて対照的だった。 「これが稜加の作ったマナピースか……。今のマナピース図鑑にはどれも載っていない」 サヴェリオはソファに座って稜加の作ったマナピースを見つめた。 「わたし、向こうの世界に戻ってから受験勉強も高校受験も入学が決まった高校の手続きも卒業式も終わったけれど、やっぱりエルザミーナの人たちに会いたい気持ちがあったようで、災厄がなくてもエルザミーナに行けるように、って願いを込めてこのマナピースを作ったの」 稜加はサヴェリオと向かい合う側のソファに座って説明した。 「そうかぁ。だとすれば稜加だけのマナピースになるってことか。名前は?」 それを訊かれて稜加は気づいた。その時デコリがいいヒントを与えてきてくれた。 「二つの世界の行き来が出来るから、そういった名前がいいよ」 「そうか。どっちも違う次元にあるから、また虹の橋をイメージした浮き彫りにしたから……パラレルブリッジ!!」 稜加は自分で作ったマナピースの名称を言った。 「確かにそのマナピースに相応しい名前だな。だけどイルゼーラがいる王城でも良かったのに、何でおれの処に来たんだ?」 サヴェリオにそう訊かれて稜加は胸がドキッとなるも、素直に自分の気持ちをサヴェリオに伝えた。 「わたし……、サヴェリオのこと好きになっていたの……。旅の仲間じゃなく、一人の男の人として……。サヴェリオに婚約者がいたと知った時、それは叶わないんだって思っていたけれど、サヴェリオのとこに来ちゃった……」 稜加はサヴェリオ本人の前で告白した。それぞれの傍らにいたトルナーとデコリは思わず口をつぐんだ。 「そうか。稜加はおれのこと、そんな風にみていたんだな……」 サヴェリオもまた今の自分の気持ちを稜加に伝えてきたのだった。 「おれ、メイティスと別れたんだ。この間の新年の祝賀会で……。でも後悔はしていない。おれも稜加が好きだ」 サヴェリオは稜加の手を取り、稜加は叶わないと思っていた異次元の者同士の恋が叶ったことに歓喜の涙を流したのだった。 「〈パラレルブリッジ〉があれば、またエルザミーナの世界に行くことが出来るね」 「ああ。今度はおれだけなくイルゼーラや他の救済者もな……。あと、おれや他のみんなも稜加の世界に呼んでくれよ?」 稜加はうなずいた。 稜加とデコリは〈パラレルブリッジ〉のマナピースをスターターにはめ込んで、サヴェリオとトルナーとまた出会うからと現実世界に戻り、金と銀の光に包まれて消えたのだった。 光に包まれた稜加とデコリが着いたのは稜加の自宅で私室だった。カーテンから見える窓の向こうは夕焼けになっていて、また机の上の布と彫刻刀もそのままになっていた。 壁にかかっている花模様の文字盤に時計の針は午後四時十五分を示していた。 「良かった。そんなに時間が経っていなくって……」 稜加は〈パラレルブリッジ〉のマナピースでエルザミーナに行っていた時は二時間ぐらいだったのに、現実ではそんなに時間が経っていなかったことに安心したのだった。 「稜加、お腹空いちゃった。お菓子食べたい」 「わかったよ、デコリ。今台所でお菓子探してくるから待ってて」 稜加は私室を出て台所へ行った。居間では晶加が庭に干していた洗濯物を畳んでいて、友達の家に行っていた康志も帰ってきたのだった。 稜加は高校生になって寮生活に入るだけでなく、自分だけのマナピースで両想いとなったサヴェリオや親友のイルゼーラや他の救済者といつでも訪ねていけるようになり、また仏間の祖母・利恵子の遺影に喜びと幸運を報せたのだった。 〈第三弾・完〉 |
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