ジーナとウッダルトがチェチア州北東の赤杉林に向かっている同刻、もう一機のシラム号はレザーリンド王国の真北のインヴリア州の北、ミムス岩塩鉱へ向かっていった。そのシラム号を操縦するのはレザーリンド王国の近衛隊長、マルクス。マルクスは三十代半ばで屈強な体格に黒いオールバック、半月型の褐色のつり目に浅黒い肌の男であった。その操縦席の後ろに座るのは灰茶色の髪に切れ長の瑠璃色の眼、長身やせ型の青年、エドマンド=ヒューリーである。エドマンドは灰茶色のハイネックシャツにカーキ色のアーミーパンツ、赤いダウンベストに黒い軍靴の服装で、目的地に着くまでの間、マナピース図鑑をパラパラとめくっていた。 エドマンドの反対側の席に座る赤と黒の体に黄色い突起が頭や肩や脚についた三等身の精霊ラッションもマナピース図鑑をめくっていた。 マナピース図鑑はエルザミーナ中で読まれている書籍で、国や出版社によっては属性別やレア度別などで刊行されていて、エドマンドとラッションが読むでいるのはレザーリンド王国の図鑑専門出版社の現在の属性別全九巻であった。 (女王からの命とはいえ、一番気難しい二人を送ることになったからなぁ……) マルクス近衛隊長はイルゼーラに命じられた任務だからとエドマンドとラッションをミムス岩塩鉱へ連れていくことに抵抗があったけれど、何とか二人を運んでいけたのだった。 エドマンドはインブリア州の西南にあるアルヴァ山の集落のマナピース工房の浮彫師であった。エルザミーナの救済者に選ばれガラシャ女王を倒した後、エドマンドとラッションは前と同じようにアルヴァ山のマナピース工房で働いていたのだ。 マナピース浮彫師はマナピースにする前のマナブロックを新しく作るマナピースにするにはマナブロックの声を感じ取ることでそのブロックに相応しい浮彫を彫るといわれている。エドマンドもその一人だった。 エドマンドがデュルト親方と二人の先輩といつものように甲斐甲斐しく働いていると、マルクス近衛隊長が現れてエドマンドに助けを求めたのだった。何でもガラシャ女王が崩御した人物の一伊達稜加がエルザミーナにやって来て、その時に彼女の友人もついてきてしまい、その友人ははぐれてしまってマダム=ドラーナの占いの結果、国内のキレール州にある〈霊界の口〉に囚われてしまったという。〈霊界の口〉に入るには〈悪霊払いの聖水〉の材料の一つ、ミムス岩塩鉱の塩が必要だと言われた。 「いきなりこんなこと言われましても……」 唐突嫌いのエドマンドはマルクスに口を尖らせるも、マルクスは土下座をしてまでエドマンドに頼み込んだのだった。 「どうか! どうかご協力をお願いします! たった一人の人間の為とはいえ、一人でも多くの助けが必要なんです!」 マルクスの土下座を見てデュルト親方も二人の先輩もエドマンドに行ってやるようにと促したのだった。 「わかりましたよ、そう言うのなら……」 これがつい二日前の出来事であった。 マルクス近衛隊長が操縦するシラム号はいくつかの川や森、村町を越えてインブリア州北部のミムス岩塩鉱に到着したのだった。 ミムス岩塩鉱は北隣の国と南北半分ずつ分け合って国に所有されていた。白と炭灰色の岩壁が世代ごとにだんだんと削られ、労働員はヘルメットや命綱の装備をし、鋼鉄の楔と金槌を使って上手く小型に切り分けていた。 レザーリンド王国は内陸国なので塩は岩塩から手に入れていた。しかし臨海国の住人にとっては海で採れる塩よりも岩塩の方が得なのであった。海塩は主に食用として利用され、岩塩は海塩よりも質が良く皮をなめしたり塩もみ美容の素材として使われるのもあるからだ。 岩塩鉱の親方は背が曲がっているが体つきは良く、口髭とヘルメットから出ている髪の毛は灰色で、ベージュの作業着を着ていた。マルクスがエドマンドとラッションを連れてミムス岩塩鉱に着いた時は、岩塩鉱にの親方との交渉もすんなり進んだ。 「わかりました。女王陛下の友人の友人の為ならば、お渡ししましょう」 それを聞いてマルクスは胸をなでおろし、聖水の材料となるミムス岩塩は苦せずに手に入れられることに感じ取ったのだった。 「しかしですな。ただ単にお渡しするのもなんていうか、あなた方にとっては徳でも我々岩塩鉱勤めには銅貨一枚と同じ位の得しか感じません」 「え、それっておれたちに何かしろってこと!?」 ラッションはそれを聞いて気分を曲げる。それから親方はエドマンドを見つめてこう尋ねてくる。 「お若いの、確かマナピース浮彫師じゃったな。この岩塩鉱には時々マナブロックが出てくることがあって、我々はそれを他所まで売って衣類や道具や野菜などの食糧を買っているのだが、いちいちマナピースを買いに行くのもどうかと思っている。そこでだ」 親方はエドマンドに言ってきた。 「我々が見つけたマナブロックをここで使えるマナピースにしてくれたら、塩を二キロやろう。これが取引だ」 エドマンドとラッションとマルクスは岩塩鉱勤めの人たちが生活する住居に連れてこられた。そこは以前採掘した岩塩の穴をそのまま食堂や相部屋などにして、木材の家具は塩の成分で腐食しないようにニスを何重に塗られていて全部あめ色に光っていた。 エドマンドの前には茶色や灰色や白のマナブロックが採掘時のまま置かれていた。 「道具もあるし時間もある。頼んだぞ」 岩塩鉱の親方がエドマンドに言った。作業用の台は大理石っぽく、丸い椅子もあり、台の上には彫刻刀やヤスリや磨き布などの道具もある。 「ミムス岩塩鉱の人たちの頼みだからって、ここに相応しいマナピースがつくれるのかよ?」 ラッションがエドマンドに訊いてくると、エドマンドは自分のリュックサックからスカーフを出して頭に巻き、キャンバス生地のエプロンを着て手には皮の手袋をはめる。 「言われたからにはやるしかないだろう?」 エドマンドは白い半透明のマナブロックをノミと金づちで小さく削り取ってから、ヤスリで小さな板状に削り、更にこのマナピースに相応しい浮彫を想像してから彫刻刀で彫り出していった。 またマルクスもエドマンドの作業が終わるまでの間、岩塩鉱勤めの人たちの為に食事を作ったり住居の掃除で暇を埋めた。岩塩鉱に勤める人たちは二十代から五十代までの体が大きく力のある男たちばかりで、一日に五回も食べるという。 岩塩鉱の男たちはマルクスの作った料理を食べて次の作業の為の体力を蓄えていった。岩塩鉱は塩だけが困らない物なので、食糧を冷やして保存する水属性のマナピースが必要なく、肉も魚も野菜も塩漬けされていたので腐る心配もなかった。その代わり体を洗ったりの水属性のマナピースは塩を売った時に仕入れていたが。 昼の食事を終えた岩塩鉱の男たちが次の作業に勤しみ、マルクスも皿洗いや鉱夫たちの衣類のアイロンがけをして、ようやく終わらせた時だった。別の場所にいたラッションがマルクスを呼びに来たのだった。 「おーい、エドマンドが岩塩鉱の親子に頼まれたマナピースが出来たよ!」 「何っ、本当か!?」 マルクスはそれを聞いて思わずアイロン台から立ち上がって、アイロンが彼の足の甲に落ちてしまった。ガシャンという音と同時にマルクスが痛みのあまり叫び声を上げたのだった。 エドマンドが使っていた作業台の近くには属性ごとに分けられた木箱の中に、エドマンドがミムス岩塩鉱の親方との取引の条件のマナピースが入っていた。 無属性は特殊な防壁を出す〈ディフェンス〉、爆破を起こす〈ライトエクスプロード〉、物質を分裂させる〈セパレーション〉、鋼属性は金属片で物体を包む〈スチールラップ〉、鋼鉄製の刃を出す〈スチールエッジ〉、大地属性は鋭い黒曜石を出す〈シャープオブシディアン〉、地表を盛り上げる〈アップモールソイル〉、レア度星三つの〈グランドアップ〉もあった。 エドマンドは通常よりも多くのマナピースを作った為に柱によっかかって椅子に座ったままの状態でいた。 「エドマンド、こんなに作ったのか!? ざっと一〇〇枚くらいはあるんじゃないの?」 ラッションが訊ねてくるとエドマンドは返す気力もなく両腕をだらりと下げていた。その時マルクスと親方が入ってきて、箱に入れられたマナピースと粉塵だらけの作業台を見てしばし沈黙する。親方はマナピースを一枚ずつ手に取ってはその浮彫の正確さに感心する。 「よくやったな、若僧。わしらの要求をよくのんでくれた。約束通りここの岩塩をやろう」 「ふぁい……」 エドマンドは疲れた手を上げて目的の物を手に入れられたことに安堵したのだった。 その後エドマンドはマルクスとラッションに支えられてシラム号の中に入り、マルクスが操縦してミムス岩塩鉱を後にして飛び立った。集合場所であるキレール州イニャッツォの町に着くまでの間、エドマンドはラッションに両腕のシップを貼ってもらったり食事を食べさせてもらったりとしていた。 エドマンドが手に入れたミムス岩塩鉱の塩は皮袋の中に入っていた。イニャッツォの町に着くまでは少なくとも一日半はある。それまでにエドマンドとラッションはシラム号の中で休んだのだった。 エドマンドを乗せたシラム号はキレール州の真ん中のセーザの町で一たん停止することになった。夜になって、また風も強くなったからとマルクスの判断であった。 セーザの町はキレール州中部にあるセーザ山の集落のことで、セーザの人たちはシラム号を停泊させる代金として塩を要求したのだった。 「塩が欲しい? こりゃまたどうして?」 マルクスが疑問に思うとエドマンドが説明してくる。 「セーザは採れる岩塩が少ないんですよ。塩っていうのは現金やマナピースよりも人間に必要な物なんですよ。だからセーザの人たちは塩を欲しがっていたんです」 エドマンドはミムス岩塩鉱の親方から手に入れた塩は二キロあったから、その内の半分をセーザの人たちに渡したのだった。シラム号をセーザの平地に停泊させ朝が来るまでエドマンドとラッションはシラム号の操縦席の後ろの座席で横になって寝ていた。その反対側にはマルクスが操縦疲れで早く寝ていた。 深夜に入った頃だった。何者かがエドマンドのリュックサックの中身を確かめ、ゴソゴソと探りだしたのだった。 (ない! ない! ここにあると思っていたのに……) その時ラッションが唸りながら寝返りをうってきたので〈その人物〉はいそいそと逃げたのだった。 翌朝、エドマンドとラッションはリュックの中身が出て散らばっているのを目にして驚いた。しかし財布やスターター、レア度星三つ以上のマナピースと塩の皮袋はエドマンドが寝ている時に持っていたので無事だった。床に出されていたのはマナピース図鑑、麻のロープ、ナイフ、マナピース加工に使うヤスリなどの道具だった。 「まさか町の人が!?」 ラッションがそう言うと、エドマンドが首を横に振る。 「何を言っているんだ。シラム号の停泊料金として塩を受け取った人がそんなことをする訳がない」 すると三人分の朝食のパンと缶詰の食材で作ったごった煮とクルミなどの種子類を使った缶詰ミカンヨーグルトを持ってきたマルクスが言ってきた。 「夢でも見ていたんじゃないのかな。もしかしたら寝る前のリュックの締めが甘かったんじゃ……」 「え? いや僕が寝る前、リュックはちゃんと閉めたんですけど」 エドマンドがそう返すとラッションがこう言ってきた。 「もしかして〈霊界の口〉へ向かおうとしていたから幽霊がやったっていうのか!? ありえね〜」 ラッションは自分で言ってきたくせに身震いする。 「それはそうと朝食を食べてイルゼーラ陛下に連絡しましょう」 マルクスがそう促して三人は朝食を済ませるとシラム号の中の通信機を動かして、イルゼーラ女王のいるレザーリンド城の女王の私室に連絡する。すると通信機の蓋裏にイルゼーラの顔が映し出される。 『こちらレザーリンド城のイルゼーラ。まぁ、エドマンド。おはよう』 「おはようございます、イルゼーラ女王。昨日わたくしエドマンドとラッション、同伴のマルクス近衛隊長はミムス岩塩鉱へ行って、聖水の材料の塩を手に入れてきました」 『そう、よくやったわ。わたしはこれから大臣たちに留守を委ねて、イニャッツォの町へ向かうわ。稜加組やジーナもそこで合流よ』 ここで通信を切り、マルクスがシラム号を動かしてイニャッツォの町へ飛ばしていった。 その頃、カラドニス州のオラーパの町。そこの高台にある住宅街の中にマダム=ドラーナの邸宅では、マダム=ドラーナは水晶の振り子を使って稜加一行の今後に思いがけないことが起きると察していた。 マダム=ドラーナのいる寝室のテーブルにはベルベッドの紫の布がかけられ、その上に○と×と△の絵文字の札が置かれ×の所で振り子が激しく揺れていたのだ。 「これは……、何か危ない予感がする!」 |
---|