4弾・13話   5番目の脱獄者


アレスティア村は王都より北方のファヴィータ州にあり、イルゼーラの伯父であるアレスティア侯爵が治めていた。

 アレスティア村は農耕に適した地で麦や米などの穀物、根菜や葉菜などの野菜類、果樹園には季節に問わずブルーベリーやラズベリーなどのベリー類にリンゴやナシやアンズといった果物が成り続けていた。

エルザミーナの世界は稜加のいた世界とは違ってマナピースで生活していたので鍬や鋤といった農耕具は人の手で造るが、畑を耕すのは農耕具をつなげた装置である。現実世界のトラクターに似ており、大地のマナブロックを入れて畑にする地面を掘るのだ。もちろん農業に限らず林業や紡績業、狩猟やマナピース製造で暮らしを賄ってきた。

 アレスティア侯爵邸は村の中で一番大きな邸宅で紫の屋根に灰色の壁の屋敷で統治者のアレスティア侯爵は栗色の髪に水色の眼とたくわえたアゴヒゲと雄々しい体つきの壮年男性で領地の統治者としての仕事――近隣の領区との交流、領内で民の視察、民から要求に対する解決策を練る……。亡き妹の娘で姪であるイルゼーラ女王よりは少ないが領主としての役目もそれなりにあった。

 何せ現在は国の北西ジョルフラン州の王立監獄から囚人が五人脱獄して、しかもその脱獄者はガラシャ女王の派閥だったことが判明して、姪の仲間たちと息子と共に王室近衛兵が脱獄囚を四人捕縛することが出来たという報告を受け取って安心していた。

「あと一人か……。脱獄囚がいた地域の住民には多大な負担を抱えさせてしまったからな」

 アレスティア侯爵は王城から送られた報告書を読んで呟いていた。侯爵の今居る書斎は机の背の方は窓で秋の今は茶色のカーテンを使い、両壁には備え付けの本棚で専門書や地図などに分類されていて、出入り口から見て右の壁には扉が付いていて隣の会議室とつながっていた。

 机の上にも羽ペン立てやインク壺、手書き原稿の聖書に使うタイプライター、また古風な置時計が午後二時を示していた。コンコンとドアを叩く音がしたので、アレスティア侯爵は返事をした。

「どうぞ、入りたまえ」

アレスティア侯爵の返事に従って中に男の使用人が入ってきた。

「失礼します、侯爵」

 その使用人の男は白い襟付きのシャツと茶色のベストと灰色の作業用パンツと黒い皮長靴をまとい、シャツの襟にはループタイがかかっていた。

「君は……、誰だね?」

 アレスティア侯爵はその使用人に声をかける。使用人は茶色いぼさぼさの長い髪、前髪で両目が隠れていたので表情が読みづらかった。

「はい、下働きのファルドーレでございます」

「ファルドーレ……? 君の持ち場はここじゃない。下働きは床磨きや庭掃きや畑仕事といった汚れ作業中心だ。部屋の掃除にはその担当がいるのだから。さぁ、持ち場に戻りなさい」

 アレスティア侯爵が下働きのファルドーネに素気なく言うと、ファルドーネは侯爵のいる机に前進してきて懐からナイフを取り出してきて、侯爵の喉元に突きつけてきた。

「!!」

「動いたらわかるよな? おれのことは上手く隠していつも通りに振る舞え」


 時と場所は変わって四機の白い中型飛行艇、シラム号がアレスティア村へと向かっていた。

「他のみんなと合流できたとはいえ、父さんが心配だ……!」

 操縦桿を握りながらサヴェリオが呟いた。後方の席では稜加とデコリが最後の五番目の脱獄者の情報を目に通していた。

『フェリーロ=ジョッツァ。二十六歳。レザーリンド王国テルシュバン州にあるボッゾという町の出身。両親は十歳になる前に事故死して親戚もいなかったために養護院育ち。しかし養護院での社会自立プログラムに馴染めず、地元の不良とつるむようになる。

 十八歳の時に不良仲間と悪ふざけで起こした大量の花火を点火させて養護院を火事にさせてしまうも、不良仲間は逮捕されたのに対し、フリェーロは上手く逃れて火事場泥棒の常習になり、またガラシャ女王に採用されたことで直属の部下になる』

 稜加とデコリは最後の脱獄者が火事場泥棒の常習だったことに肩を落とし、またガラシャ女王の直属の部下だったこともあって、稜加や他の四人に対する怨みが大きそうだと悩ませた。


 稜加たち四人の救済者とパートナー精霊を乗せて王室近衛兵がシラム号を操縦して移動中の中、誰よりも一足早くアレスティア村に到着した者がいた。髪をハーフアップにして薄手のリボン付きコートに皮の黒いロングブーツ、頭にスカーフを被り黒いサングラスをかけた若い女性であった。

 アレスティア村は一般民は畑や果樹園で働いているか林業や漁業に勤しんでいるか、十七歳までの少年少女は学校に通い、店では常にパンや肉や魚が売られていて、マナピースショップでは客の入れ替わりが分ごとに変わっているくらいで平穏そうだった。

「アレスティア村に脱獄者の一人が隠れているって情報は誤りだったのかしら?」

コートの懐の中のスターターから声が聞こえてくる。

「でも誤りでなかったとしたら? アレスティア侯爵を守れるのはわたしたちだけよ」

 コート姿の女性は脱獄者にバレないように変装したイルゼーラだった。伯父の息子で従兄のサヴェリオや他の救済者が未到着の今、イルゼーラは王城や国内の政務を大臣たちに委ねてアレサナと一緒にアレスティア村へやって来たのだった。

 イルゼーラはコートの外ポケットからアレスティア侯爵からの電報が記された手紙を取り出した。

電報は現実世界の今日(こんにち)ではあまり見かけなくなったが、エルザミーナの世界では通信手段の一種として使われているのだ。

 アレスティア侯爵は自分が治めている土地に脱獄者の一人が転がり込んできた時に、電報用の通信機にこっそり王城に送ったのだった。


『ワタシノオサメルトチニ ダツゴクシヤガデタ ワタシハオドサレテイル

アレステイアコウシヤク』


 一日半ほど前に侯爵の電報が届いていたので、イルゼーラは他の救済者にも伝えて、イルゼーラも女王だと村の住人に気づかれないように変装してきたのだった。


 一方でアレスティア侯爵邸では下働きのファルドーネと名乗って侯爵邸に乗り込んできたフリェーロはアレスティア侯爵が他者に助けを求められないように監視していた。といっても等身大のままだと屋敷の者にバレてしまうので体を縮小化させる〈スモライズ〉と姿を透明化させつ〈インビジライズ〉のマナピースを使って侯爵以外の者から上手く誤魔化すことが出来たのだ。

 フリェーロは食べる時は〈インビジライズ〉で毎日三食後の使用人の食べ残しで凌ぎ、体を洗う時もマナピース〈ミストシャワー〉を使って体臭を他の者に気づかれないようにして、また眠る時もアレスティア侯爵と同じ部屋のベッドの下で眠ったのだった。それでフリェーロは屋敷内の者や他のアレスティア村の住人に気づかれないようにやり過ごしたのだった。

 アレスティア侯爵が脱獄者のフリェーロと奇妙な生活を始めてから四日が経過した。アレスティア侯爵は姪のイルゼーラ女王に電報を送った以外、誰にも助けを求められずにいた。たったの四日間で侯爵の目の下にクマが出来て落ちくぼみ、ろくに侵食も出来なくなったために三日で体重が一キロ半も減り、目は充血して赤くなっていた。

「……わたしをこんな風に追い詰めて、何が目的なんだ?」

書斎で机に座りながら侯爵はフリェーロに尋ねる。

「小さくなったり姿を消したりして、わたしを監視してまで苦しめて陰湿にも程がある」

 フリェーロは姿を透明化させた状態でほくそ笑み、きつい言葉を侯爵に吐いた。

「あんたに教えるかよ、ど阿呆」

「もしかしてわたしが、お前の主(あるじ)を葬った憎い相手の肉親だからか? 亡き妹夫婦の忘れ形見であるイルゼーラを直接狙わず、伯父であるわたしを狙うにも卑劣がある」

〈卑劣〉と言われてフリェーロは切れそうになったが侯爵は何もかも諦めたような顔つきでこう言ったのだった。

「わたしの息の根を止めても構わん。わたしが亡くなることでイルゼーラを苦しめることが出来るのだからな」


 一方でイルゼーラは約一日遅れで稜加や他の救済者と合流することが出来た。シラム号は村の共同飛行艇停泊場に停められ、イルゼーラはひとまず安心した。

「イルゼーラ、父さんは……」

サヴェリオが尋ねてくるとイルゼーラはこの数日間、伯父であるアレスティア侯爵に連絡を取ってみたが、「大丈夫だ、問題ない」の一言しか出来なかった。

「本当に侯爵さまはどうしちゃったのかしら? 何か秘密を抱えているのかも」

 パーシーがそう言うとジーナが訊いてくる。

「侯爵さまの秘密って何よ?」

「まさか屋敷の人たちを人質に取られて、脱獄者の言いなりになっているんじゃあ……」

 デコリがそう言うと他の精霊たちもドン引きしだした。

「デコリ、わたしの世界のサスペンスドラマの見過ぎ……」

 稜加があきれて突っ込みを入れると、イルゼーラとサヴェリオはデコリの発言通りかもしれないと察した。

「そうか! 父さんの家に脱獄者が転がり込んできて、それで助けを求められないのか!」

「待って。まず作戦を立てて村人から情報を得ないと。何も企てず突入したら、脱獄者が何をしてくるか……」

 イルゼーラは仲間たちにそう告げて、一先ずは作戦会議と情報集めに専念することにした。

 稜加たち救済者と仲間精霊、近衛兵たちはアレスティア村の住人たちに怪しい人物の目撃、不審物の発見などに聞き込み調査した。そんな中、ジーナと共に行動していた近衛兵キオーロが村の病院で入院患者の一人から自分に危害を加えてきた者の情報提供を得ることが出来た。

 ファルドーネという青年は頭に包帯を巻き、左腕と右脚の骨が折れて固定されており、うつろな目つきをしていたが命に別状はなく、あの日何があったのかキオーロに教えたのだった。

「おれは四日前、アレスティア侯爵の屋敷で床板の雑巾がけをしていた。ぞうきんを絞った水を捨てに屋敷の裏にいた処、何者かの気配を感じて雑木林に通じる方へ行ったんだ。

 だけど見失ってしまい背後から突き飛ばされて坂道を転げ落ちた挙句、このザマさ」


「……これがファルドーネの供述です。彼を襲ったのはおそらく脱獄者でしょう。自分に多少似ているファルドーネ本人に成りすまして、侯爵邸に潜り込んだのでしょう」

 キオーロの調査報告を聞いて村の広場に集まったイルゼーラや稜加、他の救済者とパートナー精霊、近衛兵たちはどうやってアレスティア侯爵を助け出して脱獄者を捕えようか考えだしたのだった。

(あと一人なんだよなぁ、脱獄者を捕まえるの。これが終われば、わたしは元の世界に戻れる。そして一ヶ月半後の陽之原高校の推薦入試を受ける。そしたらわたしは高校生になって新しい生活を送れるんだ。そうすればエルザミーナとは……)

 これでいいのだろうか、と稜加は思った。行きたがっている高校の入学受験はともかく、本当にエルザミーナと関係がなくなってもいいものか、と。亡き祖母のパートナー精霊であるデコリはそもそもエルザミーナの生命だ。にもかかわらず彼女は現実世界で文明も文化も生活様式も違う現代日本で稜加と暮らすことを選んでくれていた。

 それだけでなく現実世界の友人である玉多俊岐や百坂佳美、何人かの身近な同級生や学校の先生、両親弟妹や叔父一家や叔母一家などの親戚とは違う交友関係も出来た。

 確かにエルザミーナに飛ばされた一度目の時は知らないこと初めてのことばかりで戸惑っていたけれどイルゼーラの国を乗っ取ったガラシャの圧政を阻止するために稜加はエルザミーナの救済者になってガラシャを倒すことができたのだから。

実際稜加がエルザミーナの世界内のレザーリンド王国三度目の来訪から帰りたがっているのは年末年始の行事と高校入学受験をすませたがっているのではなく、サヴェリオに婚約者がいた事実から逃げたがっているのを。

 そのサヴェリオの父親が大変な目に遭っているのに自分さえよければいいと考えていた稜加は恥ずかしくなってしまった。

 そしてアレスティア侯爵邸潜入作戦は地中から入っていくことにして、そのために稜加一行は侯爵邸とつながるトンネルを侯爵邸より数百メートル離れた場所から造っていくことになったのだった。



第4弾・12話 後書きにおけるお詫び

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