「ごちそうさまー」 稜加は康志と晶加と一緒に昼食の焼きそばとグリーンサラダを食べ終えると、食器を片付けて自分の部屋へ戻っていった。 「悪いけど康志、お皿洗っておいて!」 そう康志に伝えると、康志は「え」となる。 「リョーねえ、何があったんだ?」 まだ食べている康志と晶加はきょとんとなる。稜加は自分の部屋へ戻ると、風呂敷の中の本と板を再び調べだす。本を叩いてみて固めの素材ではあるが軽く、開いてみようとしたが中に何かが引っかかっている訳でも溶接されている訳でもないのに、開かなかった。 「……?」 稜加は本が開かないとわかると再び風呂敷に包みなおして、台所へ向かった。台所の流し台では康志がしぶしぶと皿とフライパンを洗っていた。 「ったくリョーねえ。いきなり飛び出したけど、学校に忘れ物でしたのかよ?」 康志に訊かれると稜加はムッとなるも、適当な返事をする。 「べ、別に康志には関係ないでしょ」 「あっそ。おれ、これから友達の和雄(かずお)の家に行ってくるから」 そう言って康志はフライパンを洗い終えると、玄関の方へ向かっていった。 「日が暮れる前に帰ってくるのよ」 稜加は康志にそう言うと居間に残っている晶加に尋ねてくる。 「晶加、今日はお天気いいからお出かけしない?」 それを聞いて晶加はうなずく。稜加は晶加を連れて家を出ると、町中にあるショッピングタウンへ歩いていった。 ショッピングタウンは稜加たちの住んでいる住宅街から南に歩いて十五分の場所にあり、巨大な一つの敷地にスーパーマーケット、レストラン、本やゲームやCDのリサイクルショップ、服と靴の店もあった。 稜加はショッピングタウンの衣(い)エリアの衣服店の商品を見に来たのだった。そこはカジュアルやスポーツ系、エスニックやガーリー、サイケレトロの店があった。稜加は店に入ってはショーウィンドウや店内マネキンの来ている服を眺めたり、どんな商品が仕入れてあるかチェックして楽しんでいた。店員も商品に見合った装いであり、中高生の女の子や二十代の女性が来ていた。 「ね〜,りょーねーちゃん。あきた。もう帰りたい」 晶加が駄々をこねてきたので、稜加は折角楽しんでいたのにと思いつつも、晶加の機嫌が損ねる前にショッピングタウンを出た。そして家に帰って洗濯物を片付けて畳んで夕食作りを始めた。 翌日は日曜日で朝から雨だった。両親は日曜日もクリーニング店で働き、稜加は朝食後の皿洗いと洗濯物を乾燥機にかけて、その間は明日の予習をしていた。 お昼間近になると稜加は手を止めて、昼食を作らないと、と椅子から立った。栃木県に来てから学校と家事と弟妹の世話と自宅学習の多い生活に、稜加は飽きていた。水曜日はクリーニング店が休みで中学校の委員会の日で、稜加はその日は図書委員会の役目に励んでいたので、稜加にとって水曜日はいつもとは違う日で好きだった。佳美や数人の女子とは親しくなったけど、中学三年生の今は受験生で、自分の成績や能力に見合った高校を選んで入学試験を受ける――。 (どうせなら、寮のある高校に進学しようかなー……) 寮のある高校に行けば学校の規則には従わなくてはならないが、家にいるよりは自分の自由時間や一人で過ごせる時間が増えると思ったのだ。 稜加は台所を調べていると、今日の昼食にする肉や野菜が少ないと知ると、買い物をしようと決めた。今日は雨なので自転車は使えず、稜加は自室に戻って押し入れの引き出しから水色のレインコートを出して財布を持つ。部屋を出ようとすると、昨日天井裏で見つけた赤い風呂敷の包みを目にして、このままにしたら康志が探りにきてまた面倒になると思って自分の服の懐に入れたのだった。 「康志、晶加。お昼ご飯の材料を買ってくるから留守番しててね」 稜加は居間でテレビゲームをしている康志と晶加に言うと、おしゃれな花柄のレインブーツをはいてリボンのついた青い傘を持つと、十字路の中にあるショッピングセンターの食品市場へ向かうことにしたのだった。あそこなら歩いて十分で、何より今日は割引の日だった。雨はしとしと降りで、休日でも自動車が走っており、かすかに空気が暖かかった。 「あ〜あ、休みの日くらいはよっちゃんとかの友達と市外に遊びに行きたいよ……」 稜加がそう思っていた時だった。横断歩道を渡ろうとした時、道路の信号が赤になったのにも関わらず、一台の乗用車が猛スピードで突っ走ってきたのだった。ザアアア、と水たまりの飛沫の音とはねる水にまぎれながら、スマートフォン操作をしていた運転手が稜加に気づいたが、車のバンパーが稜加に当たろうとしていた。 「えっ!? あっ……」 稜加は自分に突っ込んでくる自動車を目にしたが、恐怖のあまり身動きがとれなかった。 その時、稜加の懐に入れていた赤い包みが激しい金色の光を発し、稜加は自分の身に何が起きたのか知ろうとしたが、金の光の眩しさのあまり両目を閉ざし、そのまま気を失ってしまった。 「う、う〜ん。ここは……」 気を失ってどれ位が経っていたのだろうか。稜加はまぶたを開けると、いつの間にか知らない場所にいたことに気づいた。どうやら室内のようだった。 薄暗い部屋の中にいて、白い天井には黒鉄色のシャンデリアがつり下がり、白地に金のつる草模様の壁紙に窓は青紫色のつや地のカーテンがかかっていて、窓の景色はわからなかったが、カーテンの隙間の光で昼間だということはわかった。床は群青色の見たこともない模様のじゅうたんで、毛織物っぽかった。部屋は稜加の家の居間より広く、家具は黒いアンティークらしく、縦長の楕円の鏡のドレッサーが一番目を引き、天蓋付きのベッドはダブルサイズで、天蓋の布も枕もブランケットもミッドナイトブルーであった。 「ここは……どこ? わたし、外にいたのに……」 稜加は自分に何が起きたのかわからず、いつの間にか立派な部屋の中にいることに動揺していた。ベッドと真向いの壁は出入口のようで、家具と同じ黒い木材に金色のノブがついていた。 「ここを出れば何かわかるかもしれない」 おそるおそるノブに手を伸ばし、鍵がかかってないと知るとノブを回して部屋の外に出た。そこは長い廊下となっており、十六マスはある黒い窓枠のガラス窓に天井と床と窓壁は明るい色合いのタイルで敷き詰められており、部屋の壁は白い壁紙で天井にはさっきの部屋よりも小さめの黒鉄色のシャンデリアが五メートルおきほどに吊り下げられていた。 更に稜加が建物の窓を覗いてみると、そこは全く見慣れない景色であった。空の青さと白い雲と白金に輝く太陽は同じであるが、空の下の城壁の向こう側は赤や青や黒の屋根にレンガや白い漆喰の壁の家屋が多く、はっきりと見えないが町の人たちが男も女も子供も老人もいて、また犬や猫やスズメなどの鳥、葦毛や栗毛の馬や灰色のロバや黒い牛もいて荷車や荷馬車を引く様子が目に入った。そして町の向こう側が緑色なのは草原だろう。 「え、何!? わたし、ヨーロッパのどこかの国にワープしちゃったの……?」 稜加は英語の授業は受けているとはいえ、単語や短い挨拶ならできるが、会話までは苦手であった。それにパスポートを持っていないと知られたら、どうしようと狼狽えた。 その時だった。白いハンカチを頭巾状にかぶり、白いエプロンに紺色のシンプルなワンピースを着た二十代くらいの二、三人の女性が歩いてきて稜加を発見したのだった。 「まぁっ、あなた何者!?」 稜加は女の人たちを目にして後ずさりするも思わず日本語でこう言ったのだ。 「え、ええと、わたしは別に怪しい者では……」 「あ、怪しい者じゃないなら、何なのよ!」 女性の一人が怒鳴ったのを目にして稜加は怯むも、あることに気づいた。 (あ、あれ、この人たち、わたしの言葉がわかる? いや、違う。わたしも、この人たちの言っていることがわかるんだ!) すると反対側の廊下からドタドタという音がしてきて、次に来たのは白銀の肩当て付きの胸鎧に手甲とスネ当てと兜をまとった五人の男の人であった。年齢は二十代から五十代ぐらいだろう。鎧の下の来ている服は色や形は違うけど、長めのシャツや厚手のパンツと革のブーツを身につけていた。 「この娘、賊か!? いつの間に城中に……」 リーダー格の男が稜加を目にして言うと、稜加は尋ねてくる。 「え、ここってお城なんですか?」 (となると、王様か女王様が治めているんだ。ここって……) 鎧を着た男の一人が稜加に縄をかけて拘束し、稜加は男たちに連れてかれて王の間に引きずり出された。王の間の扉は金色の枠に赤茶色の皮革で、リーダー格の男が扉を二回ノックする。 「誰じゃ?」 扉の向こうから太くて低い女の声が聞こえてきた。 「近衛隊長のマルクスです。城の中に曲者がいたのでひっ捕らえました」 「曲者じゃと!? わらわに見せろ。入れ」 すると扉が外側に開いて、稜加がさっきいた部屋より豪勢な部屋が目に入った。天井には大きな金色のシャンデリアがつり下がり、床には黄色い優美な曲線状の模様が入った赤いじゅうたんが敷かれ、白いらせん状の支柱に壁は白に金色の幅太のストライプ、扉の向かい側の赤と金の天蓋付きの玉座には、赤いベルベットの布を張り付け白い石の玉座があり、恰幅のよい女性が座っていた。 女性はワインレッドのドレスを着ており、金細工の色付きの宝石のネックレスやイヤリング、指輪や腕輪を身につけ、大きな冠を戴いていた。身長は少し高めではあるが横幅が常人の二倍はあり、顔は白粉やアイシャドウや口紅でやたらと濃い化粧で、冷たい目つきに団子鼻、大口と二重あごといった容姿で、おせじにも美人とはいえなかった。髪は長い赤茶色の髪をヘアワックスで固めてわざとらしくまとめて見えるようだった。 「お前はいつこの城に入り込んだ? まさか、あの子と関わっているんじゃ二だろうね?」 女王は野太い声で稜加に尋問する。稜加は女王のきつい表情と声色におびえながらも、しどろもどろに答えた。 「わ、わたしはいつの間にかここの部屋の一つにいて……、自分でもわからないんです。それにあの子って誰のことですか?」 稜加の言葉を聞いて女王は答える。 「あの子ってのは、一年前に急病で亡くなった国王の娘、イルゼーラのことだ。わらわの娘ではなく、前の妃と国王との子だけどね。イルゼーラは父王が亡くなった後、この城から姿を消した。もしかしたらイルゼーラはわらわに反乱するためにスパイを送り込んだのだろうね。いずれにしろ侵入者だ。地下牢に放り込め。明日尋問を行う」 「はっ」 女王は兵士たちに命令し、兵士は稜加を連れて城の地下にある牢屋に入れた。地下牢は床の天井も壁も石のブロックで埋め尽くされ、扉は厚い鉄製で壁の天井近くの明かり取りの窓と監視役が覗く扉の窓には鉄格子がはめ込まれていた。牢の中は壁に備え付けられた椅子兼寝床、反対側の壁の角にある小さな堀状になっているのはおそらく用をたすものだろう。鉄格子からは日の光が暗い独房を照らしていた。 「何で、こんなとこに……」 稜加は呆然としていた。自動車に轢かれそうになったとはいえ、いきなり知らない国の知らない女王によって投獄されたことに。 「どうしたらいいんだろう……」 稜加が呟いたその時だった。稜加の懐に入れていた本が仄かな金色の光を帯びていた。稜加は着ていたレインコートを脱いでベストの内側に閉まっていた本がどうしたのかと気になって取り出してみた。すると家にいた時は開くことのなかった本が開いたのだった。 (開いた!) 本は二つに開いたが、中には字や絵といったものはなく、左は六つの正方形が二列に並ぶくぼみのようになっており、右は枠の中に白い画面のようになっていた。そして更に不思議なことが起きた。 白い画面に一つの絵が浮かび上がってきたのだった。それは三等身のマスコットのようなキャラクターで、水色とピンクと白のリボンは髪の毛のようになっていて、また髪の毛リボンと同じ色のワンピース型の服をまとい、腕と頭は丸みを帯びているが手は五本指で足は水色のブーツをはいているようだった。更に閉ざされていたまぶたを開いて、ソーダブルーの虹彩の瞳を見せた。そして、画面から飛び出してきたのだった。 「なっ、何……!?」 稜加は持っていた本からキャラクターが出てきたことに目を丸くする。そしてそのキャラクターは稜加の目の前を浮いていて、稜加を目にすると声を発したのだった。 「利恵子(りえこ)ー! 久しぶりー!!」 「ええっ!?」 稜加はキャラクターが声を出して自分に向かってきたのを目にして、思わずよけてしまい、キャラクターは壁にぶつかった。 「ふっ、痛いよぉ……。デコリはスターターの中に眠ってて、ようやく目が覚めたんだよ? 久しぶりなのに何で避けるのさ?」 キャラクターは痛がる顔を押さえて立ち上がり稜加に言った。稜加は目の前の状況に驚きつつも、何とか気を落ち着かせてデコリという名前らしいキャラクターに言った。 「わたしは利恵子じゃなくって稜加っていうの。一伊達稜加。織姫中学校三年生。利恵子っていうのは、亡くなったわたしのおばあちゃんよ」 それを聞いてデコリは「え?」となって、稜加に尋ねた。 「利恵子いないの? でも、あなたは利恵子と同じ顔……」 「亡くなったっていっても、わたしが小学四年生の時に腎不全で六十五歳だったし……。てか、あなたはおばあちゃんとどういう関係なの?」 稜加がデコリに訊くと、デコリは涙ぐみながらも自分と祖母の関係を話した。 「利恵子はね、デコリと一緒にエルザミーナを救った仲間だよ。利恵子はエルザミーナの世界に災いが訪れた時、その災いを打ち払ってくれた救い手だったんだよ。エルザミーナが救われた後、利恵子は自分が元いた世界に帰っていったんだよ」 「エルザミーナ……!」 稜加はデコリの話を聞いて、やっと理解した。ここはヨーロッパのどこかの国ではなく、エルザミーナという自分がかつていた世界とは全く違う世界だと。 (テレビゲームや漫画やアニメでよくある展開だけど、おばあちゃんが昔異世界に行っていたなんて知らなかった!) すると地下に響く高い音がして、見張りの兵士が稜加のいる独房にやってきて、格子窓から覗いて怒鳴ってきた。 「おい、うるさいぞ!」 すると稜加は自分の後ろにデコリと本を隠して、無表情で固まった。 「さっき違う声がしたけど、まさか精霊がここに潜り込んだんじゃないのか? まぁ、一族のいないはぐれ精霊がどこかに転がり込んでくるのは、珍しくもないことだし」 稜加は内心バクバクしながらも兵士に覚られないようにした。兵士は稜加のいる牢から去ると、稜加はデコリと本を出して、デコリに尋ねてきた。 「デコリって精霊なの?」 「エルザミーナに住む人間とは違った種族、精霊はスピアリーって呼ばれることもあるんだよ」 デコリは稜加に教えた。天井近くの格子を見てみると、格子の影の位置が変わっており、稜加はあれからどの位が経ったのだろうかと思った。弟の康志や妹の晶加だけでなく、クリーニング店で働いている両親は稜加が昼食の買い物から帰ってこないことを気にしているのではないか、と。 (何とかここから出て、自分が元いた世界に戻れるようにしないと……) それから天井近くの格子の外がオレンジ色に染まり、これが日暮れだとわかると格子から入る空気がひんやりと感じた。稜加とデコリはどうしたら地下牢から出られるだろうと考えていると、扉を叩く音がして扉下の食事差出口から木の盆に乗せた食事が差し出された。盆の上には木の鉢のスープの具はじゃが芋っぽく汁はミルクのようだった。他に塩ゆでした緑の豆が十粒と炒めた菜っ葉が二枚、そして小さくて平たいパンだった。それから木のフォークとスプーン。 「空きっ腹にされるよりはましよね」 稜加は差し出された食事を口にして、デコリにも分けてあげた。スープも豆も菜っ葉も地味な味であった。だけどパンは小さいけれど柔らかく焼き立てのようだった。稜加はパンだけがまともだと知ると、デコリと半分ずつにするために真っ二つに割ると、パンの中に細長い紙が入っていたのだ。 「これ、何かの手紙……?」 稜加はパンの中に入っていた紙を開いた。中に文字が書かれていたが、ひらがなでもカタカナでも漢字でもない字が書かれていたのだ。英文字のアルファベットにも似ているが、丸や四角などの形を合わせたものであった。 「これはエルザミーナ文字の一つ、ヴェステ文字といって、エルザミーナの西部や北西や西南の国でよく使う文字だよ」 デコリが手紙の文字についてを教えてくれた。 「読める?」 「えーと、何々……。『今夜、牢屋から君を救い出してあげる。ぼくは君の味方だ』って」 「わたしの味方……?」 稜加は手紙の内容を知って、首を傾げた。このエルザミーナの世界に異世界から自分を助け出してくれるなんて、どういう人物なのだろうか。もしかしたら女王が言っていた亡くなった王様の連れ子の仲間なのかもしれない。そう思うと、稜加は気が楽になった。 |
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