イルゼーラ女王は執務室で王国内の辺境地に派遣させた大臣たちからの報告書を読んでいた。 「最西南部では洪水による作物不足で物価の値上がり、北東部では領主の鉱脈独占による低賃金化……」 継母のガラシャ女王の政権が終わっても、レザーリンド王国では各地方で天災や人災などの問題がしばし起きていた。 「困ったわねぇ。国を取り戻してからの方が問題がありまくりだったとは……」 イルゼーラ女王はため息を吐き、自分が女王になってからのレザーリンド王国の内政に頭を抱えていた。 まばゆい金髪を後ろでシニヨンにし、儀式や行事の時とは異なる質素な水色のドレスをまとい、エメラルド色に瞳の若干一五歳の女王は国を乗っ取った継母から王位を取り戻したのはいいが、異世界からの救い手・稜加が自分の世界に戻って間もなく公務を担うことになった。 まず王城内の余裕のある大臣たちにレザーリンド王国内の地域に派遣させて、イルゼーラはその間に報告書の待機や過去の文献を読んで解決策などを引用したり、派遣した大臣の報告を受け取った後に大臣たちと地方の問題について討論し合った。 コンコンとドアをノックする音がして、イルゼーラは報告書から目を離してノックしてきた者に声をかけてくる。 「どうぞ」 カチャッとドアが開くと、虹色がかった白いロールヘアの髪に赤と緑のオッドアイに背丈の二〇センチほどの精霊、アレサナが銀のトレイを頭に乗せて入ってきたのだった。 「アレサナ、お茶とお菓子を持ってきてくれたのね。ありがとう」 イルゼーラのパートナーで、レザーリンド王族の守護精霊、アレサナはトレイを持って浮いてきて、机の空いている場所に乗っかると、ティーポットとカップと受け皿、お菓子のお皿をイルゼーラに出してあげた。 「イルゼーラ、毎日お勤めご苦労様。副料理長がお菓子を出してくれたわ」 アレサナは最初から砂糖が入っているメリヌという花の茶をカップに注いで、お菓子デザート担当の副料理長製のケーキをイルゼーラがフォークですくって食べた。掌よりも小さくて円状のケーキはふわふわの土台に周囲を生クリームで塗り中には北方で採れる甘酸っぱいチチェラ苺が挟まれケーキの上にはチョコレートの網もあった。 「アレサナ、わたしこう思うのよ。『お父さまが生きてくれていたら』って。わたしは一五歳とはいえ、女王に相応しい振る舞いや教育、舞踏や音楽といった女のたしなみを学んでいても、政治や公務に携わることは少なかったから……」 イルゼーラは呟いた。王族という者は国全体を治めまとめる人物である。幼い頃から語学や算術、地理や歴史、法律や経済も学び、たしなみとして音楽や詩歌、裁縫や踊りも習う。 イルゼーラの父のロカン王は母のマルティナ王妃と出会った時は父が一八、母が一六であった。ロカン王もイルゼーラと同じく一人っ子で、子供の頃から政治や法律といった学問や王族としての帝王学も学んできた。ロカン王がまだ王子だった時は祖父のレザーリンド王がいたから、政治はここまで苦ではなかった。 ロカン王は嫁取りの旅でアレスティア村に訪れた解き、侯爵の娘でイルゼーラと同じ金髪で気品があって物わかりの良いマルティナ嬢と出会い、王子が選んだお妃候補は文通から始め更に嫁入りの前提として王子に献上する手製の服やアクセサリーを送る風習があった。これは初代レザーリンド王の妃が農村の娘でしかも料理や裁縫が出来るか、というたしなみを現していた。 ロカン王は他にもお妃候補がいたけれど、家庭的で教養があって親切なマルティナ=アレスティアを選んだ。 三年後にロカンはマルティナを妃として迎えて結婚。アレスティア侯爵も王の義兄になり、マルティナがロカンの妃になってから二年後に七代目レザーリンド王が病で崩御してロカンが八代目レザーリンド王に即位した。ロカンが王になった頃にアレスティア侯爵に跡取り息子のサヴェリオが生まれた。 ロカン王はお人好しな所もあったが、思いやりがって責任感の強い男であった。王城内で大臣や軍事部の不正があればその大臣や将校を降格や左遷にさせ、国内で地方部族の問題が起こればロカン王が直々にその地に赴いて解決しに行くのだった。 国内の問題や外国との交流のために自ら出陣してきたロカン王も、二十五歳の時に娘が生まれ、先祖の一人にあやかってイルゼーラと名付けたのだった。 エルザミーナの世界では本家や直系ならば女子でも王位や家督を継げる国があるため、イルゼーラはレザーリンド王家の嫡子として育てられた。 王族の子女は男児と同様に育てられたり、妃や夫人としての女のたしなみを多く学んだりと地域によって異なっていた。レザーリンド王国では三代目が最初の女王で、この時のレザーリンド王国は大国との戦争の真っ只中にいた。三代目君主は兄が病死し弟が目が見えず盲人のため、王女が君主となったが彼女は政治力や学問はあっても武力がなかったため、レザーリンド王国は戦争に勝てたものの終結までに二年の月日がかかってしまい、その上国の復興までに五年かかってしまった。その時、三代目女王は女子でも武術を習得させることを提案し、以後はレザーリンドの王女に射撃や剣術などの訓練も課させるようになった。継母に国を乗っ取ったイルゼーラが自分で戦う力と技術を持っていたのは、三代目女王からの経緯だった。 またレザーリンド王家に代々仕えている精霊アレサナはイルゼーラの祖父の代からいる。 エルザミーナの世界では人間より精霊が多かった頃、精霊たちは自分たちの好きなように生きていた。また三〇〇年の寿命を持つため、自分の生涯から成る経験で人間や他の生き物に知恵を授けたり、長生きの秘訣を教えることもあった。人間たちが家を建てたり田畑を耕し作物を作ったり暮らしに必要な道具を生み出せるようになると、精霊は二つの生き方に分かれるようになった。一方は自然のままで存在して自活する精霊、もう一方は人間たちと暮らして代々一族の守護を担う精霊である。それから一族が天災などでいなくなった精霊ははぐれ精霊となり、新たな生き方をすることもある。 一族に仕える、といっても精霊は三〇〇年までが限りで、天寿や事故で無くなった守護精霊の一族では守護してくれる次の精霊を最高神エルザミーナに願う。するとエルザミーナ神が一族に新しい精霊を授けてくれるのだった。 方法は家の前に杯に入れたミルクと新しいパン一切れと果物を一つ置けばそれが新しい守護精霊が来てくれる方法。もう一つは前の精霊の屍を家の近くの日に当たる場所に埋葬して清水をかけることを朝昼夕に三度を三十三日行い、三十四日目に掘り返すと精霊の卵が出てきて六日間一族の者が温めると前の精霊と同じ精霊が生まれる方法であった。 今のアレサナは二代目に当たり、祖父が青年の時に先代アレサナが寿命で亡くなり、四〇日後に生まれ直す方法で存命しているのだった。当然イルゼーラやロカン王夫妻より年上で、この世の知識と常識を七〇年分持っていた。だから祖父やロカン王と同行して国内の問題を片付けに行ったこともあるのだった。 イルゼーラも父と同じように自分自身が現場へ赴くこともあった。しかし違う場所で同じ時期に問題が出てくると、どっちを先に解決させればいいか行き止まることもあった。 イルゼーラが女王になってから二ヶ月後の最西南部地域の洪水による作物部足で値上がりの件と北東部の領主の鉱脈独占の件による会議が開かれた。会議室は学校の教室一個半の広さに窓は厚手のベージュのカーテンで遮光され眩しすぎても暗すぎでもいけないようにし、高級木材の横長のテーブルには一度に十二人が座れるようになっていて、上座にイルゼーラとアレサナが座っていた。 大臣たちは若くて二十二歳、年長で六十八歳と外見も容姿も異なり、報告書の写し――超属性のマナピース、<コピーインクリーズ>で出した書類を目に通した。 「確かにどっちも解決させないといけないな。どうしたらいいのだろう?」 二、三十代の大臣がこの問題に困っていると、老大臣がイルゼーラに尋ねてきた。 「陛下、確かに同じ時期に違う場所の問題はどうすればいいのかお悩むのは当然でしょう。しかし、わたくしとしては人災よりも天災による被害の件を優先します。あそこはわたくしの亡き父の出身地で、父が若い頃にも同じことを経験しているからであります」 禿げ頭に灰色の口髭に丸眼鏡に暗緑のケープをまとった老大臣のロベーリが論を出してきた。その時、一人の大臣が異議を唱えてきた。 「異議あり。わたくしとしては領主の鉱脈独占を片付ける方が先だと思います。天災による被害から復興させるには時間がかかるのは当然ですが、その間に領主の鉱脈や名産品の独占化が進んで貧富の差が出てしまいます」 異議を唱えてきたのは二十四歳の大臣、カルジェリオだった。茶色の巻き毛に青い眼、スラリとした背丈の彼は王城内の侍女や女中、国内の女性たちから人気はあったが、多少強引な物事を出す欠点も持っていた。 四十代から六十代までの大臣たちはロベーリに賛成し、二、三十代の大臣たちはカルジェリオに賛成した。今ここにいる大臣たちは過半数が四十歳以上なのでロベーリ大臣の意見に達した。しかし、イルゼーラはこう唱えてきた。 「わたしとしては、ロベーリ大臣の意見は正しいと思っています。しかし、カルジェリオ大臣の意見にも一理あります。わたしは被災地の物価値上がりには領主の鉱脈独占の方法を使おうと考えてます」 イルゼーラの意見を聞いて室内がざわめく。どういうことか、と。 「わたしが直接北東部の領主に交渉しに行ってまいります。『領主が鉱脈を独占する代わりに被災地の復興に援助するのなら』と。さすれば領主は鉱脈の独占をやめ、自分の行いに改めるでしょう」 イルゼーラの私案を聞いてカルジェリオが拍手をしてきた。 「女王さま、流石です。わたしの意見を上手いようにアレンジするとは……」 他の大臣たちもイルゼーラの意見に賛成した。 後日、イルゼーラは王室御用達の飛行艇、エルミッド号に乗って北東部の鉱脈を独占する領主の元へ出発した。お供は従兄で王城の近衛兵で飛行艇免許も持っているサヴェリオ、炊事などを担ってくれる侍女二人、それからロベーリ大臣。 エルミッド号は大型の飛行艇で操縦席はもちろん、ベッドと机と戸棚のある個室が十あり、トイレに浴場、台所と食堂もあり、エンジンルームには直径二メートルもある風属性の桃色のマナブロックで動かしていた。 エルミッド号は巨大な翼にプロペラが六つあり、機体もレザーリンド王国の紋章である白い光と槍が描かれており、明るい紫の塗装が気高さを思わせた。 エルミッドとは初代レザーリンド王の名前で、王室飛行艇の名称はそこから付けられた。エルミッド号はレザーリンド王城から北東部のバニエル地方へ飛んでいき、風は西南風で穏やか、空は青々とした快晴、渡り鳥の群れとすれ違ったり、地上の様子も駒がいくつも並んでいるような家々と店の城下町や村、緑の草原や森、縫うように流れている川は泉や沼につながっていた。 バニエル地方は大型飛行艇なら三時間で到着し、森と小山に囲まれた地域であった。季節は春の後半だが山の地域のためか少し肌寒かった。エルミッド号は平たい空き地に停泊させ、イルゼーラはロベーリ大臣を率いてバニエル地方の領主と交渉しに領主の屋敷へ参ったのだった。庶民の家々は漆喰塗りやレンガの家で小さいのが多く、人々は林業や製鉄業、バニエルヤギやバニエル牛の畜産や荒れ地でも採れる野菜や穀物の農業で生活していた。 領主の屋敷は石造りの大きな屋敷で、領主のジェルモは薄茶色のゴワゴワした髪にあごひげに恰幅のある中年男性で、村人はヤギや牛や野生動物の毛織物や木綿の服に対し、ジェルモは錦やビロードなどの飾り付きの服を着ていた。 「……という訳であなたが鉱脈の独占を続けたいのなら、被災地に自分の収入の四割を渡すことですね」 ジェルモはイルゼーラの来訪を聞いた時、自分の鉱脈独占による利益の件だと感づいていたが、相手が女王だと流石に逆らえなかった。イルゼーラが用意した鉱脈独占停止の契約書にサインしたのだった。 「ジェルモ殿、陛下はただ玉座に座って大臣や国民に命令し、国税を自分のために使い、国外の貿易についてはこの国の利益のためにいるのではありません。 国の頂点に立つ者は幼い頃から学び知り、自ら地方へ赴いて何を見聞きし、全ての民がどうやったらよく暮らしていけるかを考えておるのです。あなたも一介の領主なら、もっと領民のことを思ってやったらどうですかね」 ジェルモを諌める役として連れてきたロベーリ大臣の説教にジェルモは「ぐぬぅ」と唸った。小娘の女王は生意気に思ったが、老大臣の言葉には流石に言い返せなかった。いわゆる「年の功」である。 こうしてバニエル地方の鉱脈独占の件は解決し、イルゼーラとロベーリ大臣はエルミッド号へ戻っていった。バニエル地方の滞在時間は二時間で終わり、エルミッド号は王城へ戻ることになった。 帰路に入っている時のエルミッド号の中で、ロベーリ大臣はイルゼーラにこう言ってきた。 「陛下、わたくしはそろそろ大臣職を引退しようと考えています。王城に仕えてから五十年、流石に老いにはついていけません」 「……そう。あなたはわたしの父が生まれる前から王室に仕えていたものね。城に帰ったら、あなたの退職手続きをするわ。隠居はご自由に」 亡き父の跡を継いで女王になり、公務に励むイルゼーラには古参の大臣は頼もしい味方であったが、いつまでも彼には頼れない。それでもイルゼーラは古参の大臣の正しい教えを守っていくと誓っていったのだった。 |
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