あと五日で高校の中間テストが近づいてきている稜加の学校では、英語の辞書や教 科書の中のテスト用語探しや本人にとっては苦手な教科が得意そうな人に教えてもら おうとてんやわんやだった。 「大久保、この数学の公式はどう解くんだ?」 「鍋山ぁ、ちゃんと授業受けてんの?」 聖亜良が碧登に数学の内容を教え、稜加といずほは清音から情報Tのヤマを教えても らっていた。 「この用語はこうこうで…」 「あと英語の文法も教えてよ」 清音は専門教科以外はギリギリないずほに教えてばっかりだった。稜加も無地の単 語帳に情報Tの用語を書き込みながら、早く試験が終わってエルザミーナにいるデコ リを迎えに行かないと、と思っていた。 (まぁ、いいか。向こうには知り合いがいるし。絶対追試と補習を受けない!) デコリとトルナーはアレスティア侯爵の許可をもらってレザーリンド王国を出て、 レザーリンドのあるウォルカン大陸の西隣のオリエスナ大陸にある〈紅い砂漠〉へ向 かっていった。旅の白雁シナゥ(固有名詞である)の協力も得て、二人の精霊と一羽 は三日三夜かけてオリエスナ大陸へ訪れることが出来たのだった。 ウォルカン大陸の地形は海へ近づく度に町村の農業は少なく、漁業と海塩の性産業 が盛んなのが特徴で、建物も潮風に強い石材の家が多く、小型の魚船や大型の遊覧船 が湾に停泊していた。 海の上を渡る時もデコリとトルナーにとっては珍しい光景で、空を舞うカモメやア ジサシなどの海鳥、水面を跳ねるトビウオたち、沖に行けば口元が出て背ビレのある 獣イルカが時折ジャンプをかまし、イルカより大きな海の獣クジラが頭の上の鼻腔か ら潮を吹きだして、日光と重ねた虹を作り出してくれた。スピアリーも海に棲む者は 海藻やサンゴ、二枚貝などが体に着いた姿をしていた。 日暮れになると二人と一羽は岩礁の上に降りて、そこで一夜を過ごすことにした。 シナゥの羽毛がデコリとトルナーの布団になってくれた。デコリは夢の中でエルザミ ーナ界の海を稜加に見せて、こう寝言を放った。 「稜加、エルザミーナの海って素敵でしょ?」 夢の中の稜加は背中に翼を持った天使の姿になっていて、デコリの傍らでうなずい ていた。 またオリエスナ大陸に近づくと、空気が次第に暖かくなっていって、亜熱帯によく 起こるにわか雨――スコールが降り出すこともあった。それでも二人と一羽は水平線 の向こう側に帆を張った何艘かの船と桟橋や埠頭が見えてくると、オリエスナ大陸の 極東国の港町に着くことが出来た。 その港町は外国からの商人が出入りする他、山の集落から来た人々も猪や鹿などの 獣肉や毛皮を持ってきて海の幸などと交換していた。 建物も家も店も役所も潮風や塩水に強い漆喰壁の家が多く、屋根も粘土を焼いた瓦 を扱っていた。町の住人も浅黒い肌に暗色の髪と目を持ち、風通しのいいキーネック などのトップスで男は主にひざ丈のズボン、女は巻きスカートが多かった。またスピ アリーもヤシの木やキンマといった南国に相応しい姿が主だった。 他の人やスピアリーの邪魔にならないように、とデコリとトルナーと雁のシナゥは ここで何を買うべきかを相談しあった。 「侯爵が旅費として三ルーを持たせてくれたけど、地元以外の食いもんはデコリが持 っている〈フードグレイス〉で出せるけどね」 トルナーは小さな巾着から三枚の金貨を出して呟いた。レザーリンド王国とその周 辺国で使われるルー金貨は現代日本の約三万円に値する。三枚もあれば十万円近い大 金である。失くす訳にも盗まれる訳にもいかない。 「お金とマナピースとスターターの他に何を持ってきたんで?」 シナゥが尋ねてくると、トルナーは背中にたすき掛けしたリュックサックから、 色々な物を取り出す。必要な分のマナピース、ドライバーや栓抜きなどの機能を持つ 十徳ナイフ、バンドエイドなどの救急キット、小さいロウソク半ダース、胃腸や頭痛 などのタブレット薬剤。 「あとはこの国はウォルカン大陸のお金は使えませんよ。換金所へ行って、この国の お金に換えてもらわないと」 シナゥが教えてくれた。換金所は役所の中にあり、三ルー金貨はこの国――バラム 共和国の通貨、五シヴァンに換えてもらった。シヴァンは紙幣で共和国になる前のバ ラム国王ゴーナン十世王の肖像が描かれていた。ゴーナン十世王は三十代半ばの広い 額に逆ハの字眉、タカのような目つきと鼻と横一文字の口唇、羽毛付きの王冠やマン トを身に着けていた。 こうして二人と一羽はバラム共和国東端の港町に入った訳だが、彼らの目的は港町 より西の〈紅い砂漠〉を目指すことであった。 「あっしが海鳥たちに〈紅い砂漠〉への生き方を聞きに行ってきます」 シナゥはトルナーとデコリにそう言うと、近くに棲んでいる海鳥を尋ねに行った。 「それにしても、バラムの国ってレザーリンドにはない物があるね〜っ」 デコリはバラム国の港町を見て興奮する。採れたての魚や貝は水気に強い木箱の中 に入れられていて更に水属性のマナピース〈チルキープ〉で腐らせないように冷やさ れていた。果物も楕円型朱色のマンゴーや黄色い雪ダルマ型のパパイアや毛が生えた ようなランブータンなどの南国果実が屋台の上に置かれ、肉はすでに調理されて牛肉 や羊肉は竈で焼かれており時々が野良犬が来るほどで、布製品や涼しい麻や綿や安価 品の他サテンや絹などの高級な靴や服が売られており、パンも発酵菌を使わない平べ ったいのや蒸したのがメインで中にナッツやドライフルーツ入りもあった。酒は甘酢 っぽい果実酒が多く、土産物も磁器の食器や七色の真珠に大きな目の魔よけ人形と豊 富だった。 客人も同じオリエスナ大陸の浅黒い肌の人種の他、北から来た白色人種や黄色人 種、オリエスナ大陸人より濃茶肌のスレマヌル大陸人の商人が訪れていた。 デコリとトルナーはシナゥが戻ってくるまで飲み物と軽食を買うことにした。ヤシ の実の果汁と黄色いパインアップルと赤紫のザクロの汁を混ぜたミックスジュースは ヤシジュースの甘さと他二つの酸味がよく合わさってのど越しがよく、ココナッツの 粉をこねて蒸して中にナツメやカスタードクリームなどが入ったお菓子を市場の片隅 で食べた。ココナッツ粉の蒸し菓子は赤や黄色や緑などの食料色素で色付けされてユ ニークだった。 デコリとトルナーがブレイクタイムしていると、二〜三〇人の外国人が行列を作っ て何かを買っていた。そこは屋台ではなく、荷車から直接売られていた。荷車の近く には茶色と灰色の毛のロバがつながれていたが、今は地面に座って大人しくしてい た。 「あの人だかり、何だろう?」 デコリが気になって呟きトルナーが浮いて真上から様子を見てみた。荷車の中には 半透明の灰色の大小の石が積まれており、売り手である青年が客の注文に合わせて目 盛付きの秤で石を売り、石を麻袋に入れてお金を受け取っていた。 「何でこんな地味な石を売っているんだろう?」 トルナーは不思議そうに思ったが、そこへシナゥが戻ってきてトルナーはあの石売 り場で何故何十人も行列が来ているのか尋ねてみた。するとシナゥは答える。 「あれは岩塩で山で採れる塩なんですよ。バラム国の塩は海の塩より岩塩の方が質が 良いらしいですよ。あと、海鳥たちから聞きましたがこの港町を西の方角へ進むと 〈紅い砂漠〉があるようですよ。人が歩けば三時間かかってしまいますが、空の上な ら半時間です」 「そうか。じゃあ、デコリを連れてくるよ」 トルナーはシナゥが戻ってくると、デコリを連れてきてデコリはシナゥの背中に乗 り、二人と一羽はまた〈紅い砂漠〉のある西へ飛び立っていった。 一方で稜加は陽之原高校の服飾科一年の教室で高校生初のテストを受けていた。試 験監督の先生が教壇前の椅子に座って生徒がカンニングとかをしないように目を皿に しており、また念には念の為と生徒たちの携帯電話を預かっていた。 稜加はまず解ける問題からやっていき、最後の十分を自己採点と使い分けていっ た。稜加が高校最初の定期試験で救いだったのは一日目の一限目が家庭基礎であった ことで、苦手な数学は二日目の二限目だったのが幸いだった。 トルナーは南西風に乗ってデコリはシナゥの背中に乗ってバラム共和国の〈紅い砂 漠〉へ向かっていった。バラム国の空から見た景色はウォルカン大陸の国々と違い、 内陸は網目のような田んぼが多く、葉の形も木肌の色も枝の形も異なる南国の木々、 川や池などの水辺はコバルトのような青さ、山の稜線も方角によって異なり、海辺の 港町と違って内陸の家々は丸太を重ねた高床式で、これは地面の熱から避ける為の構 造である。 シナゥが飛ぶことに疲れると、どこかの集落の水辺で羽を休めて、トルナーとデコ リも南国の鮮やかな色彩の花や果実を目にし、虫は暑さに強い生き物なのでウォルカ ン大陸のものよりも大きめで、蚊やアブやブユなどの毒虫も厄介なので村の住人は必 ず家や家畜小屋や食糧庫の軒下に虫よけの煙を出す香木の木炭を入れた金属の円筒を 吊り下げていた。 村人も農業で採れた作物を運んだり畑の土を耕す為の牛や馬やロバの家畜を最低一 頭飼っていて、村の大人は大抵の男性が農業・林業・鋤などの製鉄業・漁業・狩猟が 中心で、女性は男性の助手か糸つむぎ機織りが主で洗濯や調理はマナピースを使い、 そこはウォルカン大陸人と変わりなかった。子供たちは学校が終わると女の子は家事 や年下の世話、男の子は父親や兄の手伝いをしていた。 シナゥの休憩が終わると再び出発して、〈紅い砂漠〉へ向かっていった。空から見 た地形も先ほどのものと違い、森の木々が高く葉の色も深い緑で森の中から甲高い猿 の鳴き声や笛の音色のような鳥の鳴き声が聞こえてきた。 密林を進んでいくと、灰色の岩壁が見えてきた。シナゥがトルナーとデコリに教えて きた。 「あの岩壁の向こう側が〈紅い砂漠〉ですよ」 岩壁は高くて険しそうに見えたが、思っていたより標高は低く風も穏やかだったので 通り越すことが出来た。 岩壁の向こう側、そこは透明な岩塩が成る渓谷だった。灰色の岩壁の内側は白い塩 の壁で多くの崩れた岩が白い透明な落石となって、更に風化した岩塩が砂状になって いて、それが砂地のように見えた。 「こんな山奥に岩塩の源があったなんて……」 トルナーが白い岩塩の渓谷を見て呟く。 「夕方になると、ここが赤くなるんだよね?」 「そうです。夕日の光によって、赤く染まるんです。何百年も前にここを訪れた旅人 が夕暮れの塩の砂地を見て〈紅い砂漠〉と名付けたようです。まぁ、これは地元民の 代々伝えられし由来話ですが」 シナゥがデコリに教えてくれた。 「マナブロックもいっぱい出そうだな」 「はい。岩塩の中にマナブロックが入っていることもあります。何でも日によって採 掘されるマナブロックの属性が異なるようで……」 シナゥは岩塩の山で見つかるマナブロックの情報を教えてくれた。 空は太陽が西に傾き、色も赤みがかかってきていて、もうすぐ夕暮れに入る頃にな っていた。 |
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