3弾・11話 稜加とデコリの過ごした夏の日々


「リョーねぇ、今年の山口県の伯父さんやじいちゃんばあちゃんのとこには行かないのか?」

 稜加がエルザミーナの世界で悪霊の長、デルフを倒してから現代世界に戻ったその日の夜だった。夕食の時間、稜加は両親と弟妹に母方祖父母と伯父の家族の所へ行く旅行にはいかないと告げると弟の康志が訊いてきた。

「うん……。塾に行っている間に考えていてね」

 実際稜加はエルザミーナで向こうの時間で十日過ごしたのだから稜加だけ旅行したことになる。それに巻き込まれた冴草くんの件で罪悪を感じていて悪霊退治もしていたから疲れていた。だったら稜加だけ家に残って受験勉強して過ごす方を選んだのだった。

「そう……。だけど夜は稜加を一人にさせたら困るから玉多さんの奥さんを呼んでおくわね」

「うん。ちゃんと小母さんの言うことを聞くから。それに受験勉強疲れたら市営プールにも行けるからね」

 稜加は母にそう言って本当の理由を隠して誤魔化したのだった。

 夕飯の後に稜加は自室に行ってデコリに残した夕飯をおかず皿に乗せて持ってきた。デコリはシシトウやズッキーニなどの夏野菜の天ぷらと茶碗のご飯の残りを食べる。

 稜加は椅子に座って机の上の参考書を広げ、今日の受験勉強の残りを三十分やってからデコリを連れて風呂場へ行って湯につかった。

「冴草くん、あの後は自分の家へ帰っていったようだけど……」

 記憶改変のマナピース〈メモリロード〉でエルザミーナに関する記憶を消したとはいえ、次に会う時は何事もなければいいのだがと思っていた。

「深追いしちゃだめだよ、稜加。そしたら稜加が何も出来なくなっちゃうよ」

 それを言われて稜加はデコリの言っていることは正しいと悟った。迷いや悩みに惑わされていたら勉強も家事も当たり前のことが手につけられない。

「そうだよね。前みたいに振舞っていればいいよね」


 あと二日で盆休みに入って塾の夏期講習も十五日まで休講になる翌日のことだった。稜加は昼食を食べ終えると自転車に乗ってJR駅前の智阪学院へ向かった。中三クラスの教室に入ると、冴草くんの姿はなかった。

 先生が入ってくると夏期講習の生徒たちにこう言ってきた。

「みんな、今日で冴草はこの塾を辞めることになった。午前中に退室届の電話が親御さんからかかってきた。だけどわざわざ塾に行かなくても受験勉強は出来ることは心に刻んでおくように」

 それを聞いて稜加は冴草くんが智阪学院の夏期講習を辞めたことに心を痛めるも、それはそれで仕方がないと思った。冴草くんのプライバシーには関わらない方がいいと。


 盆になって両親と弟妹は母の故郷である山口県の祖父母と伯父一家の元に出発して、稜加だけ留守番し夜は玉多くんのお母さんが泊まりに来てくれた。

 稜加は留守中の昼間はエアコンのある両親の寝室兼居間で過ごし夏休みの宿題と受験勉強をそこでやってのけた。稜加は一人といっていたが、実際は精霊のデコリと一緒でデコリも家族が旅行でいないうちは一伊達邸の中をうろつけて、それからデコリの元パートナーである稜加の父方祖母・利恵子の遺影がある仏間に顔見せできた。デコリは線香を立てて利恵子とその夫の遺影に合掌する。

 夜は玉多くんの母親がやって来て稜加に夕飯を作り、夜は客間にもなる仏間で寝泊まりしていた。

 稜加は他の家族が旅行中の時は自分の部屋で寝ており、傍らにはデコリも寝ていた。真夜中、稜加が熟睡していてデコリはすっくと起き上がった。そのままふすま戸を開けて、廊下に出たのだった。

 また玉多母も夜中に起きてトイレに行こうとしていた。仏間は居間の近くでトイレは玄関の近くでから距離がある。玉多母がのそのそと廊下を歩いていると、寝ぼけて歩いているデコリを見つけたのだった。玉多母はふと軽く目が覚めて足を止めた。

「何でお人形が廊下に出されているのかしら?」

 そう思ってデコリに手を伸ばして掴んだ時だった。

「ひゃあ、くすぐったい〜」

 デコリの声で玉多母は大方目が覚めて表情を変えて手足を動かすデコリを思わず手放してしまったのだ。デコリは床に放り出されるが玉多母は急いでトイレに駆け込んで済ませ、デコリはふらふらとふすま戸の開いた稜加の部屋に入って放り出された時の目まいで気を失ったのだった。

 玉多母は廊下に出ると人形がないことに気づいた。

(いい、一体どういうことなの!? 人形が手足を動かしたり喋ったりするのは兎も角、表情を変えるなんて……。暑すぎて頭が変になったのかしら……)

 勘が鋭くて一メートル後ろのゴキブリにも察することが出来る玉多母であったが、デコリのことは流石に猛暑のせいだと思い込んだのだった。


 朝になると玉多母が朝食を作ると彼女は玉多家へ帰り、稜加は夕方までデコリとの二人きりになった。

 塾はお盆休みな分、受験勉強も自分でやり繰りしていた稜加であったが、十四日に家族が帰ってくる前日の十三日、家にこもっていると堅苦しく感じた稜加はデコリを連れて東武鉄道の電車に乗って隣市の群馬県太田市のショッピングモールへ出かけていった。

 暑い日差しの中自転車をこいで電車に乗ってモールバスの中でたくさんの来客と一緒に立っていないといけなかったけど、稜加はこの三日間家の中で受験勉強のストレスを発散させに来たのだった。デコリはずっとバッグの中のスターターに留まっていたから移動は楽だったけれど。

 稜加の服装も家にいた時はTシャツとナイロンのハーフパンツに対して外出着はサーモンピンクの角襟トップスにデニムキュロットとゴムベルトミュールの可愛らしさと活動性を備えたスタイル。

 稜加はモール内で夏のセール品の服や靴やアクセサリーを見て回り、書店で過去の問題集を買うついでに児童文庫や伝記漫画のチェック、フードコートでタピオカドリンクを買って客席が埋まっているのと目立たない所へ行ってバッグからデコリを出してクレープ屋で買ったタピオカドリンクをデコリにも分け与えた。デコリはマンゴーオレンジジュースの中の黒いつぶつぶにビビったが、もっちりしていて美味しいと知ると喜んだ。

 稜加はドリンクを飲み干すとデコリを再びバッグの中に入れて容器をゴミ箱に入れた。そろそろ帰ろうと二階通路のエスカレーター近くを通りかかった時だった。そこのトイレから出てきた少年とぶつかって尻餅をついたのだった。

「ああ、すみません。わざとじゃないんで……」

 稜加にぶつかった人物が声をかけてくると、その人物はまさかの冴草くんだった。

 冴草くんは同じ中学のクラブメンバーと遊びに来ていたのだ。それから稜加との交際についての件を語ってきた。

「辞める前の日に考え直して塾辞めたんだ。受験勉強、家でもやれるから」。一伊達さんとのお付き合いのことなんだけれど……」

 稜加とバッグの中にいるデコリは冴草くんの言葉に耳を立てる。

「一伊達さん、何か他の男子にモテるような気がして、ぼくとじゃ差があるように感じて……。自信持てなくなった。じゃあ、一伊達さん。さようなら」

 そう言って冴草くんは去っていった。

「わたしが他の男子にモテるって……。冴草くんの思考って一体……」

 だけど冴草くんがエルザミーナの世界に飛ばされて悪霊たちの生贄になりかけた記憶がなかったのには稜加は理解した。それが救いだった。

 翌日の八月十四日の昼に山口県の母の故郷へ旅行に行っていた両親と弟妹が帰ってきた。山で遊んできたのか康志と晶加は日に焼けていた。稜加は家族が旅行に着ていた服の洗濯をし、は稜加が留守番している時に泊りに来てくれた玉多母にお土産を渡しに行った。

「わざわざ届けに来てくれてありがとうございます、一伊達さん」

「いいのよ。受験生の娘の面倒を見てくれたお礼よぉ」

「ああ、そうそう一伊達さん。確か二日位前の晩のことなんだけどね」

 玉多母は稜加母に言ってくる。

「わたしが夜、トイレに行こうとしたらね、お人形が廊下に落ちて拾上げたら動いて喋っただけでなく、表情まで変えたのよ〜。まぁ、猛暑が激しかったのもあるし、どうかしちゃったのよね?」

 それを聞いて稜加母は首をかしげた。今は残暑の強い時期とはいえ、勘の鋭い玉多さんは本人の言う通り暑さで頭がもうろうとしてあんなことを言っているのではないか、と。


 それからの稜加の日々はお盆が過ぎた後の日曜日にクラスの女子数人と町の総合公園のプールへ行った。総合公園は夏休み期間中に屋外プールが開かれ、小学生も中学生も高校生も仕事場のストレス解消をしに大人も来ていた。

 女の子たちの水着はどれもカラフルで水玉などの模様が入っていた。稜加は緑色のティアードフリルの付いたバンドゥビキニで佳美は黒いベアトップにショッキングピンクのショートパンツの水着でスタイルがどれだけとれているのかがわかる。本当はデコリもプールに入れたかったのだが、何せ精霊である為プールの更衣室の日陰からこっそり隠れて稜加の様子を見つめていた。

(この世界の水遊び、楽しそうだな〜。フォントもここにいたら、真っ先に飛び込んでいたかも)

 エルザミーナの世界と違って現実世界では精霊は物語だけの生き物として扱われているので人前には出られなかったけれど。

 夏休み終了一週間前に稜加の塾の夏期講習が終わり、稜加は夏休みの宿題の仕上げに取り掛かった。五教科の問題集に課題図書の感想文、研究論文は共働き家庭の環境をテーマにして出すことにした。

 そして八月最後の日――。稜加は夏休みの宿題を完了させて、カナカナとヒグラシが鳴く中、夕方の自室で横になっていた。

「あ〜、疲れた。明日から学校と受験勉強の再開かぁ」

 栃木県に来て三年目の夏、千葉県より暑い夏休みの宿題をやってのけてきた稜加は干物化していた。

「稜加、よく頑張ったよね。受験勉強も塾のも夏休みの宿題も、エルザミーナで悪霊退治も」

「ホント、今年の夏は色々あったなぁ……」

 中学一年と二年の夏は夏休みの宿題と両親共働きの中の家事と弟妹の世話に追われていたけど、今年は受験生なので家事と弟妹の世話は免除してもらえたから違っていた。だけど、去年一昨年の出来事が随分前のように思えた。

「来年の今頃のわたし、どうしているかな……」

 稜加は都心にある寮制の陽之原(ひのはら)高校を志望校としていた。陽之原高校の入試に失敗しても園芸科や服飾科のある高校を受ける予定だ。

(そういや、クラスの女の子の何人かが高校に入ったら彼氏作るって言っていたな……)

 稜加は冴草くんとの交際の考え中にエルザミーナに導かれて冴草くんも巻き込まれて、二度目の異世界冒険になってしまうも結局冴草くんとの交際も白紙になってしまった。

(冴草くんのことは失恋じゃないからいいよね。冴草くんから見たわたしは手の届かない存在だって自分から身を引いたんだもの)

 稜加は内心そう呟いた。

 一伊達稜加とパートナー精霊デコリの件は一先ずここで幕を閉じて、エルザミーナでの仲間たちのその後に変えてみよう。