3弾・2話 迷いと異変再び


 稜加はレザーリンド王国の住民が不明な敵に立ち向かっている夢を見た後、食事時は一家が集まって食べる両親の寝室で朝食の目玉焼きとスパムと白ごはんを食べていた。スパムは缶詰から出して平等に薄く切ってから焼かれていた。

 稜加はぼそぼそと食べており、弟の康志と妹の晶加がいつもとは違う姉の様子を窺っていた。

「リョーねぇ、全然箸が進んでいねぇじゃねぇか。口ン中でも腫れてんのか?」

「おねーちゃん、大丈夫?」

 父も母もいつもとは違う稜加を見て、母に至っては娘の顔色を覗いてみる。

「稜加、受験勉強と塾通いで疲れているのかしら……」

 その時、康志がとんでもないことを言ってきた。

「もしかしてリョーねぇ、男が出来たのかもしれない」

 その時、お茶を飲んでいた稜加が盛大にグラスの麦茶を吹き出し、更に新聞を読んでいた父が激しく反応する。

「ああっ、もうこんなにこぼして!」

 母がちゃぶ台の上にお茶を吹き出した稜加を目にして台布巾を渡すが、父が目を吊り上げて稜加に説教してくる。

「稜加! お前、今の立場をわかっているのか!? あと半年で高校受験にも関わらず、男女交際とは……!」

 稜加はうろたえた。確かに昨日の塾の帰りに冴草くんから申し込まれたのは事実だ。しかし、稜加にとってはそれよりも別のことで悩んでいたのだ。

「そ、そんな訳ないよ! 第一、男女交際は少なくとも入試が終わるまで考えているし……。わたしはその……」

 それを聞いて父は長女がちゃんと受験に専念していることに胸をなでおろした。父は決して冷たい訳ではないが亭主関白であった。

「そうか、ならいい。あー、だけども今年のお盆の旅行はどうするんだ?」

「お母さんの故郷の山口県でそこのおじいちゃんおばあちゃんや伯父さん一家に会うこと?」

 稜加の父方祖父母はとっくに亡くなっていたが、母方祖父母は健在で母の兄の伯父夫婦と子供である稜加姉弟の従兄妹と暮らしている。

「受験生だからって勉強ばかりしてたら疲れるでしょうし。一息入れるってことで旅行についていってもいいし、受験勉強しながら留守番して玉多さんの奥さんに来てもらうってことも出来るし」

 母が意見を述べてきて、稜加の中学入学から同じ地域に住んでいる玉多俊岐の両親とは面識があり、玉多くんには兄姉と整骨医者の父親がいるから稜加がお盆に留守をすることになったとしても玉多くんのお母さんという頼れる存在がいた。

「今はまだ考えられないよ、旅行の件は……。八月に入ったばかりとはいえね」

 そう言いながら稜加はスパムの切れ端をちゃぶ台の下にいるデコリにこっそりと与えていた。


 朝食を終えると稜加は自室に戻って学校からの課題の問題集を一時間ほどやってから受験用の問題集を開いていた。机の前の窓を網戸にして風がピンクのボーダーカーテンを揺らし、後ろでは扇風機が回っている。

「稜加、お盆休みの旅行どうするの?」

 デコリが稜加に訊いてくると稜加は「それなのよね」と答える。

「そりゃあ山口県の伯父さんたちやおじいちゃんおばあちゃんには顔を見せに行きたいよ。でもデコリ、山口県の伯父さんちに行っても、今の家にいる時のように姿を見せないでいられる? 確か伯父さんとこにはブチ丸っていう犬がいるから……」

 山口県の伯父一家はブチ丸というオス犬を飼っていた。ブチ丸はバーニーズマウンテンドッグと土佐犬のミックス犬で体が大きく土佐犬の型にバーニーズの毛色で、無邪気だが脳筋であった。ブチ丸がデコリを見つけたら一踏みでたまらないだろう。

「じゃあ留守番したいの?」

「それもなぁ……。玉多くんのお母さんって、結構勘が鋭いのよね」

 稜加によれば玉多くんの母親は真後ろ一メートルにいるゴキブリの気配を感じ取れるという情報が近所中に出回っていた。だからエルザミーナ出身の精霊であるデコリなんかはあっという間に発見されてしまうだろう。

「玉多くんのお母さん、ガラシャ女王やならず者とは別の怖さがあるね……」

 デコリも玉多くんのお母さんの伝説を聞いて引いた。

「それはさておき、夕べ見たイルゼーラやサヴェリオ、レザーリンド王国の人たちが得体の知れない敵に立ち向かっていたっていう夢も気になるのよねぇ」

 確かレザーリンド王国の大臣の一人から聞いた話だと、エルザミーナの世界では数十年におきに国の一つが災厄に見舞われた時に天から放たれた金色の光に選ばれた者がエルザミーナの救済者となり、そのうちの一人は必ず現実世界の住人であるという。だけど同じ国にまた災厄が起きて現実世界の救い手が来たという伝説は耳にしていなかった。

「……どういうことかな?」

 稜加は腕組して考える。しかしそんな考えを起こす位なら、勉強して知恵をつける方を選んで問題集を解きだした。


 昼食を終えた後、稜加は暑さ対策をして問題集やデコリやスターターを塾用のトートバッグに入れて自転車に乗って、駅前の『智阪学院』まで駆け出していった。

『智阪学院』に着くと十分後に授業が開始して、生徒たちは国内外の歴史の内容を書き留めていく。稜加の一席空いた左隣には冴草くんがいた。冴草くんは日本の歴史が苦手なようで、人物名や年号や出来事を書き留めているのにまごついていた。

(冴草くんはどう見ても、わたしと同じ高校へ進学する可能性は低そうだな)

 稜加はそう悟っていたが、数学や英語、地理や理科系では冴草くんは得意であった。数学はおそらくどこの国でも共通しているだろうし、英語は英米問わず国際語としての科目のようで、地理と理科系も日本語学や日本史よりも楽までとはいわないけれどそれほど苦ではないのだろう。

(もしかしてわたしより、偏差値が上?)

 稜加は冴草くんの学びぶりを見て脱帽する。

 この日の授業が全部終わって、稜加は荷物をまとめて帰ろうとするも、デコリが突然顔を出してくる。

「稜加っ」

 デコリがバッグから出てきたのを目にした稜加はまだ帰っていない人に気づかれないようにと一番後ろの方に逃げて、小声でデコリに話しかける。

「デコリ! まだ残っている人もいるんだから、自転車に乗るまで待ってて……」

 出入口の方をチラ見して他の人が帰宅していくのを見計らいつつも、稜加はデコリに訊いてくる。

「何なの、いきなりと」

「稜加が持っている救済者のマナピースが光っているよ」

「ええ!?」

 稜加はバッグの奥に隠しているスターターとマナピースの巾着を取り出す。巾着は稜加が古着で作ったもので、エルザミーナの道中や祖母が遺したマナピースが入っていた。その中の一つ、白地に虹色のマナピースがかすかに光っていたのだ。

「本当だ。でも何で……」

 それから稜加は辺りを見回して誰もいなくなったことを確かめると、救済者の証のマナピースを取り出して掌の上に乗せた。

 するとマナピースから幻影が浮かび上がってきて、一つの景色が映し出される。住民は中世から近代までの

ヨーロッパ風の服をまとい、レンガや白い漆喰の壁の家や店、果樹園も畑も石の道路もあって、ピンクブラウンの西洋風の城、レザーリンド王城が映し出されたのだ。

「レザーリンド王国……。そんな、ガラシャ女王

の支配政治はなくなってイルゼーラが女王になって治めているのに……」

 その時だった。冴草くんか教室に入ってきて、後ろを向いている稜加を見つけて声をかけてくる。

「あれっ、一伊達さん。まだ帰っていなかったの?」

 同時に救済者の証のマナピースも激しい金色の光を発して、稜加とデコリを包んでいき教室には誰も残っていなかったように、光が治まったのだった。


 エルザミーナの世界。東の域にあるウォルカン大陸の内陸にあるレザーリンド王国。

 現在の気候は暖かく、まだ春が続いているかのような気温で農耕地は二、三ヶ月後には収穫できる麦や米などの穀物畑の稲穂が青々と実り、温暖期の主要となる果実のイチゴは赤く大きく熟れてブルーベリーや他のベリー系果実も大きく熟れている。

 町の方でもタイルやレンガを使った道には自転車に乗って移動している住人、炎のマナブロックで動く箱型に車輪が付いた炎動車、運河を渡る船は水のマナブロックで動き、地面の線路に沿って動く路面列車は雷のマナブロックで滑走し、クジラのような飛行船やプロペラに比翼の飛行機は風のマナブロックで空を翔けていた。

 レザーリンド王城のある場所に住む人々は市井で農家から仕入れた果実や野菜、貝や魚といった海の幸、新しい色や柄の布を売る商人などと活気が溢れていた。

 二階建てから四階建てまでの建物が並ぶレザーリンド城下町を囲むように建てられたレザーリンド王城がそびえ建ち、塔の一つが鉄枠の足場で修理中になっていたが、あとは屋根が出来れば完了であった。

 城内でも白いエプロンにヘッドフリルをつけて紺色のワンピースをまとったメイドたちがモップを動かしたり洗濯物を召したり、料理人たちが昼食作りとその後始末を終えた後に一服休んでいたり、厚手のシャツとズボンの上に白銀の肩当付き鎧と手甲とすね当てを付けた衛兵たちが城門や外壁の上など、各々の担う場所で警備をしていた。

 その中の一人である杏子色の髪に水色の切れ長の眼に黄色がかった肌に長身の青年がバルコニーの一ヶ所に立っていた。

 エルザミーナの気候は地域によって異なるが、レザーリンド王国の空は清々しい青に白金の太陽が浮かんでいた。青年の衛兵がバルコニーから見える範囲内に不審者がいないか見回していると、空の一ヶ所が一瞬光ったかと思うと、目の前に一人の少女とピンクの髪の精霊が青年の目の高さ辺りに現れて、青年の真上に落下してきたのだ。

「ああ、移動ってきっついな〜。せめて安全な場所に……って、アレ!?」

 少女は自分の真下に見慣れた姿の青年が仰向けに倒れているのを目にして、慌ててどいた。

「ああっ、ごめんなさい〜!! 決して悪気があった訳じゃないのよ〜」

 青年は起き上がって少女の顔を見つめる。褐色の天然パーマのショートヘア、垂れがちの眼に丸顔、それからカーキ色の裾レースが入ったボタンダウンのワンピースに持っているバッグからはライトピンクの本型の道具、スターターが出ていて青年は彼女を見て声を上げてきた。

「お前、もしかして稜加か!?」

 青年にそう呼ばれて少女はハッとなって相手の顔を見つめる。

「わたしの名前を知っている、ってことは……。あなたはイルゼーラ女王の従兄のサヴェリオ!?」


 それからして稜加とデコリはサヴェリオに連れられて清潔に保たれている王城の廊下を歩いていた。十六マスはある黒い窓枠のガラス窓に天井と床と窓壁は明るい色合いのタイルで敷き詰められており、部屋の壁は白い壁紙で天井には黒鉄色のシャンデリアが五メートルおきほどに吊り下げられていた。稜加と同じ時期のエルザミーナの救済者であるイルゼーラ女王と対面するために。

「失礼します。サヴェリオです」

 金色の枠に赤茶色の高そうな皮革の扉を二回ノックした後、向こう側にいる女王の声が飛んでくる。

「どうぞ」

 すると扉が外側に開いて天井には大きな金色のシャンデリアがつり下がり、床には黄色い優美な曲線状の模様が入った赤いじゅうたんが敷かれ、白いらせん状の支柱に壁は白に金色の幅太のストライプ、扉の向かい側の赤と金の天蓋付きの玉座には、赤いベルベットの布を張り付け白い石の玉座があり、十五、六歳の少女が鎮座していた。金髪、エメラルド色の垂れがちの瞳、白真珠の肌にほっそりとした美女は髪を結いあげて普段用の赤銅色のティアラを頂きティアラや他のアクセサリーに合う赤地に黒い縁取りのサテンのドレスをまとっていた。胸元はデコルテで袖は肘まであるペタルスリーブでスカートはAライン。

「あなたは……稜加?」

 イルゼーラ女王は王間に入ってきた少女を目にして尋ねてくる。

「はい。お久しぶりです。イルゼーラ女王……女王陛下」

 稜加は平伏しデコリも稜加を倣って平伏する。するとイルゼーラ女王は玉座から立ち上がって稜加の方へ歩み寄ってきた。

「稜加、そんなにかしこまらなくていいのよ。さ、顔を上げて。わたしはガラシャ女王とは違うのよ」

 稜加は顔を上げてイルゼーラ女王の顔を見つめ直す。この時のイルゼーラは稜加と初めて会った時の友の表情をしていたのだった。

「あなたがエルザミーナの世界に現れたということは、レザーリンド王国に別の災厄が来たということらしいわね。今は一たん王間を出て着替えてわたしの私室に来てちょうだい」