「今日の天候は良かったわ」 エルザミーナの世界の東部にあるウォルカン大陸の内陸国の一つ、レザーリンド。国の北は鉱物資源、東は森と水、西は工業と商業が盛んなのに対し、南部は辺境の地が多く住んでいる人間の地域や身分で貧富の格差がはっきり出てしまっている。 ヴァンシア地方はレザーリンド南部にある地域で現在は段差のある土地に町が造られ、土壌は過去の災害の件で町の道路や歩道、建物の土台は瀝青で舗装されており、また町の見栄えをよくすために街路樹や生け垣などの植物が植えられていた。 「あの災害から二十年でヴァンシアの地はここまで変われるとは……」 王室用飛行艇エルミッド号に乗ってヴァンシア内の町にやってきたイルゼーラ女王と精霊アレサナ、エルミッド号の操縦士として同行してきた近衛兵の青年サヴェリオはヴァンシアの町がよく見える高台の上にいた。 ヴァンシアは現在、北は商業および住宅区、東は温暖のため農業区として田畑や果樹園があり、西はマナピース研磨や乗り物などのパーツの工場区として区分けされていた。現在の人口は五千人でこの過去五年間は災害による死者はなかった。町の住民も子供たちは学校で大人たちは工場や田畑、学校や図書館や市役所や病院で働いていた。 ヴァンシアの町の南区はやせた土地のため田畑にも建物造設にも向いておらず墓地として利用され、イルゼーラはアレサナとサヴェリオを率いて墓場にやってきた。 ヴァンシア墓地区は多くの石の墓標が並び、一族によっては墓石の質や形が異なる。イルゼーラはその墓地の小高い場所にある元自治区長一族の墓地に訪れる。元自治区長一族の墓はよく使われる板状の墓石でそれぞれに死者名と生没年日が刻まれて、イルゼーラは自治区長一族の墓で一回り大きな墓に跪く。 『レザーリンド王国の一年天下の女王、ガラシャ=ペトラ=レザーリンド=ヴァンシア』 男やもめのイルゼーラの父のロカン王に取り入り、ロカン王の体調の悪さを上手く城の者や国民に誤魔化し、失脚したイルゼーラがいないの利用してレザーリンド王国の女王となったガラシャの墓であった。 「しかし皮肉なもんだな。かつての独裁者を故郷に戻すなんて」 サヴェリオがイルゼーラに言うと、イルゼーラはガラシャの墓前に弔いの花束と供物の果物の籠を置いて手を合わせる。 「仕方がないわよ。他に身寄りがないんだもの。せめてわたしだけでも、ガラシャの弔いをしておかないと」 それからイルゼーラはヴァンシアの町の資料館へ行き、館長に二十年前の地域記録と元自治区長一族の情報の写しをもらい、レザーリンド王城へ帰っていった。 レザーリンド王国の中枢部域にあるピンクブラウンの城、レザーリンド王城。場内敷地の実践訓練を受けている兵士たちや干していた洗濯物を集めている女中や庭園の雑草や枯れ枝の処分をしている庭師は国章のついた紫色の大型飛行艇エルミッド号が上空を飛んで城に向かっているのを目にした。 「陛下がかえっていらしたぞ。全員整列!」 将軍の言葉に従って飛行艇の着陸スペースに兵士たちが位ごとに整列し、エルミッド号が着陸するとハッチが開いて国内出張に出かけていたイルゼーラとアレサナが出てくる。イルゼーラはヴァンシアの地に出向いていた時は薄紫の丸襟のベストとショーとスラックスと白地に水色のストライプのシャツと茶色の皮の編み上げブーツの動きやすい服装からフリルやレースが少なめのパールグレイのドレスに着替えており、髪型もハーフアップから後ろシニヨンに変えていた。出張先に赴く時はドレスだと目立ってしまうため、国民と同じ服装をまとっていた。 「お帰りなさいませ、イルゼーラ陛下!」 兵士たちが敬礼のポーズを取り、イルゼーラは「ご苦労様」と返事をする。それからサヴェリオが飛行艇を王城敷地内の格納庫にしまい、イルゼーラとアレサナより遅れて王城に戻っていった。 イルゼーラは城内に入ると執務室の椅子の上に座ってヴァンシアの地から持ち帰った資料を机上に出して調べる。 ヴァンシアの資料館から持ち帰った資料の写しは思っていたよりたくさんあって、よく使われる書類の大きさでいうと、五、六十枚あった。資料館の情報は学校の課題や仕事の関係といった個人的なことの写しは許可されているが、今回のイルゼーラのように個人情報の写しは許されないうえ、機密漏洩罪で懲役三年か罰金十六ルー(日本円で五十万円)になってしまうのだ。しかしイルゼーラは現君主のため特別に許可を受け取り、継母の過去を手にすることが出来た。 今から二十年前、ヴァンシアの地に四日にわたる雨のため地盤が緩んで土砂崩れが起き、死者九十人、負傷者一三六人が発生した。死亡者の中に当時のヴァンシア自治区長一族の名前があった。それがガラシャの両親と祖父母と兄と叔父一家と伯母一家で、ガラシャのみが生存した。ヴァンシア伯爵家の守護精霊も土砂崩れによって死している。 イルゼーラは思い出していた。レザーリンドの王位を乗っ取りイルゼーラはガラシャの魔の手から逃れるために亡き母の兄であるアレスティア侯爵の元へ避難し、異世界からの救済者が来るまで一年間待ち、稜加が現れると共に他の救済者を探しだしてレザーリンド王城に突入してガラシャと対峙した時のことを。 「わらわもレザーリンド王家の血を引いているのだ」 ガラシャの先祖は五代目レザーリンド王の姉で弟はレザーリンド王城に残り、五代目王姉は国内の南にあるヴァンシアの地の自治区長である伯爵に嫁いだ。ヴァンシア伯爵は五代目王姉がヴァンシアの旅行に訪れた時、彼女を一目で気に入って四代目王に頼み込んで結婚を要求した。この時レザーリンド王国はレザーリンドがあるウォルカン大陸に侵攻しようとしてくる真北の大陸国家ペルト帝国と緊張関係にあたっていた。 四代目王はペルト帝国から侵攻を免れるために長女を政略結婚させようと考えていた。しかし長女は侵略国との結婚を拒否し、同国のヴァンシア伯爵と結婚することを選んだ。 ウォルカン大陸の真北にあるペルト帝国は小型の大陸そのものが国で、鉱物資源と軍事力がたけていて、また産出されるマナピースも武力系が多かった。それでもレザーリンド王国は近隣国との同盟を得てペルト帝国を追い払うことに成功した。 四代目のセヴァン王の長女ガラシャはヴァンシア伯爵に嫁ぎ、子孫も授かり百年以上の間は五代目王姉ガラシャの家系が続いていた。 一方で五代目王はペルト帝国を撃退したものの、ペルト帝国との政略結婚に応じなかった姉を恨み姉との関係が悪くなって疎遠となって、自分の子孫と姉の子孫との婚姻を結ぶことなく王室とヴァンシア伯爵一族のつながりを風化させたのだった。 この記録を読んでイルゼーラは肩をすくめた。ガラシャの先祖の五代目王姉が敵国との政略結婚を拒んだために実家である王室と疎遠になったことを理解した。よく考えれば五代目王もペルト帝国と戦争をする羽目になって近隣国との同盟を得なくてはならない程に国守しなくてはならず、姉を恨んで関わらなくなったことも責任があったのではと痛感した。 五代目王姉の名前がガラシャでイルゼーラの継母となったガラシャだったのは偶然だったのか、それとも凶名だったからか使われなかったのか。そこは不明であった。 次に二十年前の長期にわたる雨からなる土砂崩れでガラシャの家族と守護精霊、多くの住民が死した記録だった。 ヴァンシアは国の南に位置し主に晴天が多く、災害は十数年に一度くらいの頻度で被害も少ないぐらいの土地だった。二十年前の夏の終わりから秋初めの時期にヴァンシアに珍しく雨が何日も続いた。一日目は小雨だったのが次第に降水量が上がり、四日目には地盤が緩んで土砂崩れが起き、高台街や平地街が 茶色い濁流と泥に呑み込まれた。 ヴァンシア伯爵邸は高台の中心あたりに建てられ、祖父の誕生祝に来ていた母の弟の叔父夫婦、父の姉の伯母夫婦と従姉が祝いの食事を終えた後の片付けや入浴準備の時に起きたことである。土砂崩れの拍子でガラシャは偶然台所のテーブルに転がり込んでテーブルが屋根、クロスが幕となって屋根が崩れても潰れずに済んだのだった。土砂崩れの翌日に雨が止み、軽傷者は助けを呼び近くの町村の救助隊が来て、土砂に埋もれた人々を助け出してくれた。 土砂に埋もれても生存していた住人や精霊は守りに向いた壁を出したり念波の膜をまとうマナピースを使って回避していたり、テーブルやベッドの下あるいはタンスや食糧棚の中に隠れていた。 十二歳だったガラシャも土砂崩れの七時間後に救出され、ケガも軽かったため大事(だいじ)には至らなかったが、後日別の村にある死体安置所で両親や兄、祖父母や親戚の死体を発見し、ヴァンシア土砂に災害の見舞金は王室が出してくれたので、生存者は身内の葬儀や次に住む住まいに費やした。 また災害孤児たちも国内の孤児院に入れてもらい学校に通ったり職業訓練を受けることも出来た。しかしガラシャは十二年間、伯爵令嬢として生きていたので一気に親族を喪ったとはいえ中流や下流出身の子たちと共に生活することに馴染めなかった。勉強や料理裁縫といった女の嗜みは出来ても、自分より身分の低い子供たちにとっては伯爵の娘であったガラシャは変わり者だった。 孤児院では誰もが掃除や自分の服の洗濯と干し畳み、アイロンでしわをのばしたり皿洗いといった召使いのやるようなことを誰もが不満を言わずにやっているからだった。ガラシャは自室の片づけやましてや床について雑巾で磨くといった汚れ仕事はみんな召使いがやっていたのでそれが屈辱に思えた。 「身の回りのことぐらいは自分でやれるようにならないといけない」と孤児院の大人たちから叱られ、ガラシャは土砂災害さえなければ……と不平と不満の募る醜い表情をしていた。 またガラシャは子供の頃から悪知恵の働く人間だったので孤児院で年下や同世代の大人しくて気弱そうな子供に汚れ作業を押し付けたり、自分の間で汚れ作業をやってくれたら学校の課題をやると取引したりしていた。それがバレてしまいガラシャは自分の行動を孤児院の大人たちに告げ口した子たちを逆恨んでケガをさせると別の孤児院に入れられた。 二番目の孤児院は最初にいた時よりも孤児の扱いがひどく、ガラシャが汚れ作業を放棄するとその日の夕食を抜かれて一晩中空腹で過ごす場所であった。「働かざる者食うべからず」をガラシャは大人たちに背負わされたと怨み、一度目は八ヶ月、二度目は四ヶ月の短さで孤児院を過ごし、三度目は東部の都市の孤児院でガラシャは十五歳まで過ごした。三番目の孤児院は設備も孤児の扱いも良かったため、また孤児の性格と技能で院内の仕事を振り分けてくれる所で、学校の成績も良かったため東の都市の高等学校にも通えることが出来たのだった。 ガラシャが高等学校を卒業すると奉公に入った。しかし学校の奉公紹介は貴族や企業重役の住み込みのメイドばかりだったが、ガラシャは奉公先でメイドをしてからもっと上の職場で働こうと考えた。最初の奉公先は東部都市の子爵邸でメイドになった。 子爵の元で奉公することになったガラシャは一年間主人一家の衣服を洗ったり床を磨いたりし、また十代前半の時と違って汚れ仕事が屈辱にならなくなって、自分の持っている服や靴が破れた時だけ給金を使い、一年間で貯金は三十ルー(百二十万円)になっていた。 その後ガラシャは王都に住むことを夢見て、子爵の元を退職し、マナピース問屋で働くことになった。マナピース問屋は工房から研磨したマナピースを買い取って各地のマナピースショップに均等に売る職業のことである。 マナピース問屋はメイドよりも体力を使わない仕事でガラシャも子爵邸の奉公よりもマナピース問屋の方が向いていた。ガラシャには高等学校に入った時からある研究に興味関心を向けていた。錬金術である。 鉛や鉄などの卑金属を純金純銀に変えてまた河原の石ころを上手く化合すればルビーなどの貴石に変えられる成金を生み出す学問がガラシャの心に憑りついたのだった。 ガラシャはある時、一人の錬金術師が自分の住んでいる土地のマナピースショップをよく利用している噂を聞いて、その人物に取り入って弟子入りさせてもらおうと考えた。それがガラシャの錬金術の師匠、ラウル=エスクリードであった。 ガラシャが二十歳でラウルが四十五歳の時に二人は師弟関係になった。ラウルはガラシャが錬金術師になろうとしていたのは故郷の復興のために使いたいと言ってきたのを信じて彼女を弟子にしたのだった。 ガラシャはラウルの弟子になると彼の家で住み込みしてもらい、掃除洗濯炊事といった家事を受け時間が空くと錬金術の知識や技術の授業を受けた。この金属はどんな成分が入っていて何の成分を追加したら他の金属になるのかといったなどを覚えていったのだった。またラウルの家には書物もたくさんあって、ガラシャは暇さえあれば本の重要項目を書き写して自分の帳面にしていった。法律では禁止されている人工のマナピースの生成法も記していって――。 ガラシャがラウルに弟子入りしてから二年後、ラウルは王室仕えの錬金術師に選ばれ、二人は王都に移住しレザーリンド王城に出入り可能となった。ガラシャは子供の時、自分の先祖が五代目王姉で、ペルト帝国と戦争することになった件で王族とは疎遠になった記録を土砂崩れ前の自宅の本で読んだのを思い出したのだった。 ガラシャはたまたまだったが自分の遠縁の親族であるレザーリンド王のロカンが美しい妃と可愛い娘と忠臣たちに囲まれているのを目にすると、大変妬ましたさが増してきた。 ロカン王もマルティナ王妃もイルゼーラも自分の苦労や不幸を知らずに安全な城の中でのうのうとしていたと考えると、ガラシャはくやしくてたまらず、怒りを抑えるために過食症となり、心の醜さが表に現れていった。 それからガラシャにとって好都合なことが二回も降りてきたのだった。まずマルティナ王妃が妊娠したと思いきや、それは卵管に腫瘍が出来てしかも重度だったために内蔵圧迫と呼吸困難で亡くなり、師匠のラウルも脳病で亡くなったためにガラシャが王室仕えの錬金術師となった。 男やもめとなったロカン王に近づいて自分の生い立ちを美しく脚色し後妻として迎えてほしいと頼み込んできた。最初のうちはためらっていたロカン王であったが、身寄りがなく幼い頃から苦労してきたガラシャを後妻にすれば自分の前妻喪失の気持ちを埋めてくれると考え、前妻の忘れ形見のイルゼーラとガラシャを対面させて、イルゼーラも父の気持ちを考えて再婚を賛成した後にロカン王は次第に衰弱して崩御したのだった。 「ガラシャはイルゼーラのお父さまから王位も財産を奪い取ろうとしたから、イルゼーラを敵に回したのよね」 アレサナがイルゼーラにヴァンシアから持ち帰った資料をのぞき込んで尋ねてきた。 「ホントにガラシャは愚かだわ。錬金術を学んできたのなら、自活のために使えばよかったのに」 きっと土砂災害がガラシャの人格と精神を歪ませたのだろうか。理解はしてやれるけど父王をだまし国を乗っ取りイルゼーラに刺客を送ってきたことには同情できない。救済者が五人そろってガラシャの操る巨大魔変人形(ミスティックプーペ)との戦いでガラシャは死亡した。イルゼーラはガラシャの遺体を彼女の故郷のヴァンシアに埋葬したのだった。 「けれど元をたどれば、わたしや父上の先祖にも非があるのよね。五代目王が姉に見切りをつけていなければ……」 五代目王もガラシャも自身の非が原因とはいえ前者は子孫に災厄が来て、後者は破滅の道をたどった。何よりイルゼーラには亡き両親の代わりの伯父のアレスティア侯爵や従兄のサヴェリオ、稜加たち他の救済者がいた。ガラシャの部下は欲にくらんだならず者ばかりだったのもあるし、ガラシャ亡き後もイルゼーラは継母の怨念を浄化するために国を正すことに扮していた。 |
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