稜加とデコリはつくば市に着くと、駅ビルの中の飲食店で昼食を採った。イタリア ンや和食、ファストフードがあったけれど、その中のソバ屋で月見そば定職を買って 食べた。シックな室内に四人掛けの畳席とカウンター席に分かれ、店の方針で畳席は 二人以上の客、一人ならカウンター席と定められていた。 親子や夫婦、単身赴任のサラリーマンにまじって稜加はソバや麦飯、茶わん蒸しを他 の客や店員にバレないようにデコリに欠片を落として食べさせていた。 「一〇八〇円です」 会計を済ませて空腹を治めた稜加は店を出るとウェストバッグからスマートフォン と一枚のメモを取り出して、他の客の邪魔にならないように非常階段側へ行ってメモ の記述の電話番号を入力して電話をかける。 「もしもし。……さんの家ですか? わたし、一伊達銀治の娘の稜加です……」 稜加はデコリを連れて駅周辺をぶらぶらしながら電話の受け取り主が来るのを待っ た。デコリが旅行バッグから顔を覗かせて、「いつ来るの?」と訊いてきた。 「平日だったら二〇分ぐらいで来られるんだけど、今は連休でお出かけする家が多い から、車が渋滞しているんだろうけど……」 バスロータリーのバスやタクシーの番号は時間が経つにつれて変わり、街の人々も 行き帰りする中、稜加とデコリは待ち続けた。デコリが十五回目ぐらいの「いつ来る の?」が出始めた時、稜加の近くに一台の自動車が停まったのだ。六席あるミッドナ イトブルーのミニバンだった。運転席から一人の男の人が顔を出してくる。 「あのー、君、一伊達稜加さんかい?」 短い白髪雑じりの髪に額に二本じわ、細くつり上がった目に細長い鼻と尖ったあご。 強面そうに見えた。 「あっ、はい。そうです……。えっと……、峰谷(みねや)さん……ですか?」 稜加はその男性に訊いてきた。デコリはそっとバッグの隙間から顔を覗かせる。 「初めまして。銀治くんの同級生の峰谷将(まさる)です」 稜加は峰谷さんの車に乗り、つくば市の市街を走っていった。峰谷将は稜加の父、 銀治の中学生までの同級生で数年前までは会社勤務だったが、今は退職して実家の農 業を受け継いだ。 「今朝、銀治くんから電話がかかってきて、『うちの娘がつくば市に行くことになっ たから泊まらせてくれないか』ってきた時は正直驚いたよ。だけどうちは年寄りが二 人と女房との暮らしでね。一人娘は今、家を出ていてね」 「ああ、そうなんですか……。いきなりのことで、すみません……」 「いや、いいってことよ。今住んでいる所は年寄りの多いとこだ。今の若いもんは 『農家は力仕事で休みが少ないからやりたくない』のが多いからね」 峰谷さんの運転するミニバンからの景色は道路と歩道と信号と緑地のある地域から、 一車線の多い緑色の田んぼと畑の多い地域になっていく。そこは帽子をかぶり作業服 姿の人たちが稲の苗を植えたり、畑の土から野菜を掘り出す作業をしていた。 峰谷さんの家は赤い瓦屋根に白い漆喰壁の二階建てで、灰色のブロック塀の囲いに松 の木がある一軒家だった。家の壁は白かったのが日に焼けて色褪せて、ヒビも入って いたが長くもっていた。 峰谷家の畑は家の裏側にあって、峰谷さんの老父母と丸顔にふくよか体形の奥さん が野菜の水やりや肥料、奥にある収穫時の野菜をプラスチックの網かごの中に入れて いた。 中はお座敷でどの部屋も柱と畳床で風情が漂っていた。二階は夫婦の寝室と峰谷家 の娘の私室、一階が老父母の寝室と客間、台所と茶の間とトイレと風呂場で、稜加は 老父母の寝室の向かい側の客間で寝泊まりすることになった。稜加はふすま戸と押し 入れとちゃぶ台だけの四畳間の客間で一休みして、栃木県にいる父に携帯メールで連 絡した。 「あ〜あ、ずっと隠れっぱなしだったから、息が詰まりそうだったよ」 客間で二人きりになれたデコリが旅行バッグからはいずり出て、肩をだらんとさせ た。 「デコリはご苦労さん。今日から連休最後の日の朝まで、峰谷さんとこでお世話にな るからさぁ。もちろん、おばあちゃんのルーツ探しもね」 稜加はデコリにそう言うと、スターターを引っぱり出して、〈フードグレイス〉の マナピースをはめ込んで発動させた。煙のように二人分のティーカップとティーポッ ト、市松模様やジャム入りや渦巻などのクッキーの乗った皿が出てきた。ティーポッ トの中身はミルクティーで甘さは控えめ、稜加とデコリはおやつを楽しんだ。 農家では日暮れになると誰もが作業を切り上げて、夕餉の時までひと時の休みを得 る。峰谷夫人と老母は農作業での休みを取った後、夕飯準備の支度をして峰谷さんは 風呂掃除、老父も妻と嫁の下着以外の服やタオルの洗濯物を畳む。稜加は夕食の呼び 出しが来るまで教科書を読んでいて、デコリは稜加が持ってきた児童文庫を読んでい た。 夕食時間になると、茶の間では大きめの食卓に農家の野菜を使った筑前煮や味噌 汁、鰆のみりん焼きや金平ごぼうや豆腐、麦入りご飯が置かれていた。テレビは地元 の暮らしを紹介する番組をやっていて老父母が観て楽しんでいた。 「おかわり欲しかったら、遠慮しないで言ってね」 峰谷夫人が稜加に言ってきた。 「あっ、はい」 高校の寮やエルザミーナ界での過ごす時以外で食事するのはすごく久しぶりに思え た(デコリはこの時、客間に残されていて一人で〈フードグレイス〉によるサンドウ ィッチを食べていた)。 「あのう……、峰谷さんの娘さんって連休なのに、家に帰ろうとしないのは?」 稜加は老人と壮年しかいない家なのは何故かと訊いてみた。 「ああ、うちの娘? なずなは小学生の頃から農業を手伝わされてきたか、『高校は寮 に入って好きなことをやる』って言ってきて、寮のある高校を受験して入ったからな ぁ……。親の携帯電話に週一だけメールを送るくらいで、今年は『連休は友達と寮に 残る』とメールを送ってきて、それっきりなんだよ」 峰谷氏がそう言ってきた。 「……わたしのとことは逆ですね。わたしは寮のある高校への入学受験の条件とし て、土日や長期休みの時には自宅に帰ってくることを求められまして」 「あら〜、稜加ちゃんは孝行娘なのね。うちのなずなとは大違いだわ」 峰谷夫人がそう言うと、稜加は苦笑いして返事をする。 「いえ……。そうでもないですよ」 内心、峰谷家の一人娘なずなの思考や行動を羨ましつつも謙遜した。 その後は泊めてくれたお返しとして峰谷家の食後の皿洗いをして、峰谷家の人にバ レないようにデコリと一緒に入浴して、四畳間だけど気持ちのいい布団の上で移動の 疲れを癒していた。 二日目に起きた時は朝の七時半を回っていて、峰谷家の人たちはとっくに朝食を済 ませて農作業をして、稜加が茶の間に着くと峰谷夫人が用意してくれた朝食――海苔 巻きおにぎりと黄色い沢庵数切れと急須のお茶が食卓の上に置かれていた。中身は梅 干しと焼き鮭とおかかで、梅干しに至っては峰谷のおばあさんが自身で漬けた梅干し で、お店の物よりも塩味が効いて美味しかった(デコリには〈フードグレイス〉のマ ナピースで出したパンケーキとミルクで客間に残したまま)。 その後で稜加は峰谷氏が町まで送ってくれる十時になるまで教科書を開いて勉強し て、十時になるとベージュのつなぎからジャンパーとスラックスに着替えてきた峰谷 氏が自動車の前で待ってくれていた。 稜加は峰谷氏に祖母がかつて住んでいたひなぎく園のある地域まで送ってもらっ て、移動中は田んぼと畑から次第にスーパーマーケットや服屋や靴屋などがある市 場、色々な家屋の並ぶ住宅街の町並みの景色へと変わり、稜加は農家から数キロも離 れた町にたどり着いたのだった。時間でいえば三十五分。 「じゃあ、帰りたくなったら迎えの電話、よこしてくれよ」 「はい。送ってくれてありがとうございます」 峰谷氏の乗るミニバンが見えなくなると、稜加は旅行バッグに常時入れているキャ ンバス地に茶色の渦巻き模様のあるナップザックにスターターとマナピース、デコリ を入れており、ウェストバッグには財布とスマートフォンを入れていた。ナップザッ クの口からデコリがこっそり顔を出す。 「稜加、ここが利恵子の住んでいた町なの?」 デコリが辺りを見回すと、織姫町とは違った雰囲気の住宅の並びと道路と電柱。家 にいる人はお年寄りが多く、子供や若者は連休の今は出かける人が多かった。 「うん。つくば市茅野台(かやのだい)六丁目に利恵子おばあちゃんが住んでいたひな ぎく園があった、ってお父さんが言っていたよ」 写真の中のひなぎく園はかなり古びていた。もしかしたら、いやすでになくなって いるかもしれない。ひなぎく園は東側が団地で西側が五丁目との境目に建てられてい たというが、稜加とデコリがその場所へ向かってみると、五棟ある団地は外の古びた 箇所は工事されて修復されていたが、五丁目との境目の東隣はベージュのタイル壁に レンガ色の屋根の老人ホーム『ひるがおハウス』だった。 「……そりゃあ、そうだよね。もう何十年も経っているもん」 稜加は呟いた。老人ホームの施設内は二十代から五十代まで職員が自宅にいられな い或いは身寄りのない老人の世話をしていた。 「あーあ、またやり直しかぁ。おばあちゃんのルーツ探し……」 「稜加……」 稜加は祖母が育った場所が無くなったと知ると、とぼとぼと歩き始めた。ぼんやり とした状態で足の向くままに。デコリは稜加を止めるべきかそのままにしておくべき か、と悩んでいると、稜加は道の段差につまづいて前のめりに倒れた。 「痛ぁ……」 稜加はアスファルトの地面で両掌と半ズボンだったので両膝を擦りむいた。 「稜加っ!」 デコリは周囲に稜加以外の人間がいないのを見計らってナップザックから出て、稜 加のケガを確かめた。どこからもかすかに血がにじみ出ていた。 「どうしよう……。癒しのマナピース、〈リライブメディカル〉はないし……」 デコリが狼狽えていると、「どうかしたの?」と声がしたので、デコリは急いで稜 加のナップザックの中に隠れた。 稜加が声をかけてくれた人の顔を見てみると、一人の老女が立っていたのだ。七十 歳ぐらいで白髪を薄茶色に染めてアップにして、藤色の薄いニットカーディガンに黒 い長袖カットソー、ベージュのドレープスカートに足元は軽くて丈夫なスリッポン。 簡単なようがあったのか黒いハンドバッグを提げていた。 「あの……、転んじゃって」 稜加は老女に返事をした。老女は稜加の顔を見て、こう言ってきたのだ。 「あなた……、利恵子ちゃん?」 「え!?」 老女が利恵子の名を言ってきたので、稜加は首を傾げた。 老女は今は老人ホームとなったひなぎく園の東隣の団地に住む人だった。五棟の内 の一番東の二階の一角に住んでおり、一人暮らしだった。老女は稜加を連れてきて、 ケガの手当てをしてくれた。 「ありがとうございます」 両掌の擦りむいた所にガーゼエイド、両膝にはガーゼと固定テープが当てられた。 団地は2LDKで板の間にはじゅうたんが敷かれて机やベッドなどの家具、畳部屋は 普段はふすま戸で閉めているが客が来た時の寝室で、茶の間はテレビやローテーブル やソファーやフローリングマットなどの家具家電が置かれていた。 「いいのよ、気にしなくて。あなた利恵子ちゃんの孫だったのね。わたしは岩郷(いわ さと)ほづえ。利恵子ちゃんと同じひなぎく園の出身よ」 岩郷ほづえは稜加に自己紹介をした。 「おばあちゃんと同じ養護施設の人だったんですか? わたし、おばあちゃんがどんな 子供時代を過ごしてきたかしりたくて、連休の今を使ってここに来たんです」 稜加は自分がつくば市に来た理由をほづえに話した。 「わたしは一伊達稜加。高校一年生です。祖母はわたしが十歳の時に腎臓病で亡くな って、祖父も中学生になる前に急病で亡くなりました。ほづえさんが祖母の知人なら ば、どうかわたしに祖母の若い時のことを教えてくれませんか?」 稜加はほづえにそう頼んで、デコリもナップザックに隠れたまま耳を傾けていた。 「あなたが言うのなら教えてあげるわ。利恵子ちゃんのこと」 ほづえは自分と利恵子の子供時代を語りだしていった。 |
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