「本日の授業はここまで。お疲れ様」 服飾科一年の担任でファッション造形・基礎の担当である皆川(みながわ)先生が一年の生徒たちに告げた。教室は黒板と壇上から見て右側がカーテンのかかった窓、左側は窓から廊下が見えて、後ろはロッカー棚と月間予定の黒板が設置されていた。席は今の時代に珍しく、天板が開閉式の机であった。 服飾科一年の生徒はHRが終わるとぞろぞろと教室を出て、昇降口やクラブ活動へ向かう生徒の中に天然パーマのショートヘアに丸顔で大きな垂れ目が血の女子生徒が鼻歌を鳴らしながら歩いていた。 「稜加、ホントにメイン学科の授業になると機嫌よくなるよねぇ」 天然パーマショートと同じ歩みの女子生徒が声をかけてきた。天然ショートの丸顔の女子生徒は一伊達稜加(いちだて・りょうか)。この栃木県立陽之原(ひのはら)高等学校服飾科に入学して二週間目である。 稜加が進学受験した高校は自宅のある織姫町(おりひめちょう)からJR線で一時間東先の都心、北栃木市の中にある陽之原高等学校である。陽之原高校は服飾科の他に園芸科、インテリア科、造形美術科、絵画科の五つの学科があり、生徒は卒業後の進路はデザイン事務所や植物園などへの就職、美術大学などと幅広く中にはファッション業界や芸術業界で名を上げる生徒もいた。 陽之原高校は男女ともにサックスブルーのダブルブレザーで白いシャツに学科ごとに色の異なるネクタイ、男子はチャコールグレイのトリプルストライプのスラックス、女子は同色同柄のボックスプリーツスカート。足元の靴下は無地の白・黒・紺で靴もローファーかモカシンと校則で決められ、ネクタイは造形美術が赤、園芸科が緑、インテリア科は紺色、絵画科は紫、服飾科は茶色と分かれていた。 HRやクラブや委員会が終わると生徒はL字型の校舎から出ていって、自宅から通っている者はそのまま最寄りの駅やバス停へ、寮生活をしている生徒は校舎を出て駅のある方角とは反対側、つまり校舎の裏の敷地にある方へ歩いて行った。 陽之原高校は平地に建てられているのに対し、学生寮は雑木林のある高台に造られていた。学校から歩いて十二分、寮へ行く坂道を八分かけて上った先に陽之原高校の寮生の住まいがあるのだ。 灰色のプレハブ造りの校舎と体育館と校庭がある学校の敷地と違って左の男子寮はブルーグレーの壁にこげ茶色の屋根、右の女子寮は桜色の壁に灰色の屋根の建物で、林間学校の宿泊で利用する少年自然の家のような形であった。 「ただいま帰りましたー」 寮生は帰ってきたら必ずこのあいさつを言い、寮母の先生に寮生名簿の帰宅時間と名前を書き込んでから入る仕組みになっていた。 雑木林の中の目立つ色の外観と違って中は生成色の壁紙にこげ茶色の床板と下壁のモダンな造りで、床は学校の廊下と同じラバー素材。寮の中は一階は厨房と食堂と入浴場とレクリエーション室、二階と三階は寮生の部屋で厨房からは今日の夕食準備をする当番の生徒たちが集まって食材探しや調理器具を出している音や声が聞こえてきた。 稜加の部屋は二階の一番奥で廊下にはドアがいくつも並んでいたが、表札の部屋の名前が花の名前で、稜加の部屋は『紅梅(こうばい)』であった。 「ただいまー」 稜加は『紅梅』の部屋の扉を開けて、同じ部屋に住む二本の三つ編みにダンガリーワンピースの女子生徒が机に向かって今日の復習をしていた。 「お帰りなさい、一伊達さん。夕食後の食器洗い、忘れないでね」 「あー、そうだっけ……。専門授業は、はかどるんだけど当番もしなくちゃいけないからなぁ」 稜加は部屋の中に入ってローファー靴を脱いで出入り口近くの靴棚に入れて、床が赤紫のマットフローロングの室内に足を入れる。 寮生の部屋は扉と対になる壁がベランダに出る窓になっており寮生の布団や洗濯物を干せるようになっていて、壁はそれぞれロフトに寝具が敷かれていてロフト下の出入り口の方に生徒の服や私物を入れるクローゼット、ロフトの下が勉強机でしかも互いが気にならないようにカーテンで仕切られていた。稜加のルームメイトはロフト下の勉強机のカーテンから顔を出してきたのだ。 「タミちゃんは早いよねぇ。園芸科って片付けた道具に時間がかかるものかと思っていたけど」 「園芸科は次の授業に間に合うように授業が終わる十分前にやっているから」 高校生になった稜加のルームメイトは園芸科の千塚丹深(ちづか・たみ)。栃木市の南部に住んでいたが家と高校の距離に差があるため入寮して同室になった。 寮生は二人一組で同じ部屋を使うことになっており、二階が一年生の六割と二年生の四割、三階が二年生の三割と三年生の七割に分かれていた。稜加は同室になったのが真面目で内気そうな丹深と上手くやれるのかと迷っていたが、一緒になってみると丹深は料理も掃除も洗濯も出来て、特に調理当番になった時に彼女が作ったパエリアは美味しかった。 稜加はサックスブルーのブレザーとトリプルストライプのスカートの制服を脱いで、出入り口から見て右側のクローゼットを開けてピンクのスウェットパーカーとインディゴのボーイッシュデニムのロングパンツとバイカラーの靴下に着替えると、自分も夕食の時間になるまで今日やった授業の復習をするために右側の机に座った。ロフトベッドの下の長机は両側の足元に三段の引き出し、机の上は生徒の私物となるシャープペンシルや蛍光ペンや色付き消しゴムなどが安いペン立てや小箱の中に収められている。 陽之原高校は専門学科の授業だけでなく普通科の高校と同じく、語学や体育や数学などの勉強もあったが稜加にとっては苦ではなく、本当に専門学科のある高校の方が相応しかった。 夜七時になると生徒たちは食堂に集まって、その日の食事当番が作った夕食を全員一同で食べた。食堂は広めで学年別に長い食卓が並んでお盆には主に一汁一飯三菜のメニューの食器。今夜は麦ご飯になめこ豆腐の味噌汁、ホウレンソウのおひたしとポテトサラダと鮎の塩焼きである。 夕食時間は七時半まで、お盆と食器は厨房まで運んでいって、この日の夕食後の食器洗いの当番である稜加と丹深、他の四人の一年女子が数十人分の食器を洗った。 夕食後の食事当番が終わると生徒たちはそれぞれの部屋に戻って自習をするかロフトで横になるか決まった時間内の入浴へ行くか、一階のレクリエーション室に置かれているテレビドラマやバラエティを視聴していた。 稜加は『紅梅』の部屋に入って同室の丹深が浴場から帰ってくるまで、ロフト下の机の引き出し――左側の真ん中からピンク色の本と複数の透明な色板を取り出して机上に本を置いて開くと、本の右ページが四角い窓にセンサー付きで窓から一人のピンクと白と水色のリボン状の髪の毛にソーダブルーの楕円型の眼、リボンと同じ色の服をまとった三等身のマスコットが出てきたのだ。そのマスコットは二本の脚で直立してくる。 「あ〜あ、ようやく出られたよ。稜加ぁ、寮のある高校に入ってから、家よりもデコリを出すのが難しくなっていない?」 マスコットは幼女のような声を出して稜加に話しかけてきたのだ。このマスコットはデコリが固有名詞で種族は精霊。といっても現実世界の神話や童話のようなのではなく、異世界からやってきたのだ。 そもそもデコリは別次元にあるエルザミーナという世界の出身で、稜加の亡き父方祖母・利恵子(りえこ)のパートナーであった。エルザミーナでは数十年おきにどこかで災厄が訪れた時に天から金の光が当てられた人間が味方の精霊と共に災厄を打ち払う使命を当てがわられていた。祖母の利恵子も若い時にエルザミーナへ来訪したことがあり、使命が終われば現実世界に戻っていった。だがデコリもついてきたのだが、マナピースを発動させる本型の道具――スターターの中に入ってきていたにも関わらず、利恵子はデコリがついてきたことには知らず、また眠りのマナピースによってデコリは五十五年間眠っていて利恵子も老体による腎臓病で亡くなっていた。 その後で稜加が家の掃除中に利恵子が使っていたスターターとマナピースを見つけて、稜加もまたエルザミーナの救済者としてエルザミーナ世界の一角、レザーリンド王国の災厄を打ち払うために四人と四精霊の仲間と共に使命を果した。稜加は祖母と同じように現実の世界に戻っていったが、デコリもついてきて今度は元パートナーの孫と共に過ごせたのだった。 小学校を卒業して間もなく祖父が急死して父が祖父の遺したクリーニング店を継ぐために十二年間暮らした千葉県幕張市から栃木県の西端にある織姫町に引っ越しして、共働きになった両親に代わって家事の多くと弟妹の世話を担い、中学時代はあまりいい思い出がなかった稜加であったが、中学三年生にエルザミーナを旅し、デコリと過ごして何とか高校生になって親元を離れて同年代の女子と寮生活に入ったのは良かったけれど……。 親弟妹や中学の同級生、近所の住人にはデコリの存在は秘密にしているので、デコリも陽之原高校の寮に入る時に連れていったのだ。――以前妹に知られ時は祖母の遺した人形だと思われて、妹の晶加(あきか)に遊ばれた時もあったけど。もちろん先生や他の生徒、寮母先生にバレないようにして。 「まぁ、エルザミーナの世界に食べ物が出てくるマナピースがあって良かったよ」 そう言って稜加はスターターの左ページ、正方形のマス目が六つあるくぼみの一箇所に半透明の板を入れてセンサーの所に指を当てて発動させた。 エルザミーナの世界では自然エネルギーの残りカスが結晶化したマナピースで生活し、青い水のマナピースなら洗浄や飲み水、赤い炎のマナピースは暖房や調理といった目的で使用され、稜加もまたエルザミーナに行っていた時のマナピースをいくつか残していた。またマナピースは同じ属性でも彫られた浮彫りの種類によって効果が異なる。 稜加がスターターにはめ込んだのは無属性の〈フードグレイス〉でパンやスープや皿に盛った魚の浮彫りが施され、稜加が発動させるとデコリの目の前に一つの大皿に盛られた麦丸パンやサラダ、ハムの薄切り数枚と小鉢のキャベツスープ、デザートには今が旬の大粒のイチゴが五つ乗っていた。デコリは〈フードグレイス〉のマナピースで出てきた皿の上の料理をがつがつ食べた。 「ふー、ごちそうさまー」 デコリが皿の上の食べ物を食べつくすと、皿は一瞬にして消えた。 卒業先の中学校の離任式が終わった次の日に稜加は父親が運転する車に乗って栃木市の北にある陽之原高校に入寮し、同じ服飾科一年の女子とも仲良くなり、また家庭内のルールで土曜日の昼から日曜日の昼及び長期休みの時には」自宅に帰省していた。 陽之原高校に入って二週間以上が経った。それから稜加には寮制高校で動燃の女子と平等で公平な生活を送れるようになっただけなく、別の幸運も手に入れることが出来たのだ。 土曜日になると稜加は一泊分の着替えと復習用の教科書数冊とルーズリーフと筆記用具、もちろんデコリも連れてスターターとマナピースも持って午前中の当番である廊下の掃除を終えた後、それらの荷物が入ったピンクと紫のデイパックを背負って寮母先生に外出届を出して高校の寮を出た。 稜加に限らず北栃木市外の自宅へ帰る生徒もいるけれど、その人たちの大抵は家業の手伝いや親の外泊による留守番だった。 稜加は陽之原高校を出た後にJR駅行きのバスに乗っていき、JR駅に着くと織姫駅へ向かう電車に乗っていき、その途中の駅で降車して下りた駅周辺の食堂や牛丼などのファストフード店で昼食を採り、もちろんデイパックの中にいるデコリにも分け与えて再び乗車してJR織姫駅へ向かっていった。 JR織姫駅のホームに着くと稜加は駅利用する人たちや駅員に見つかりにくい場所を見つけてから、スターターをデイパックから出して、二つの星をつなぐ架け橋の浮彫りであった。〈パラレルブリッジ〉――稜加が作ったマナピースである。 〈パラレルブリッジ〉で稜加とデコリはスターターから発せられた金色の光に包まれてどこかへ消えてしまった。人間は目撃していなかったが、駅構内に巣を作っていた親ツバメや角っ子に網を張っていたクモ、乗客の食べこぼしをついばみに来たハトはその眩しさに驚いていたが。 稜加とデコリが金色の光に包まれて、その光が消えた後に降り立った場所は栃木県織姫町とは、かなりかけ離れた場所でレースのカーテンや天蓋付きのベッド、ドレッサーやロココ調などのタンスなどがあって、それに合う色合いの壁紙、天井に吊り下がったシャンデリア、これまた高級素材のじゅうたん。壁には空調機のような危機が設置されているが、暖かい空気が流れていた。 「イルゼーラの寝室だったか……。まぁ、深夜かとかじゃなくって良かったよ。それにしても、レザーリンド王国はまだ冬なのか……。道理で暖房が効いていると思ったら」 稜加が異次元移動のマナピースでやって来たのはエルザミーナ界の東にあるウォルカン大陸の中枢辺りにある国、レザーリンド王国であった。稜加がエルザミーナの救済者になった時に災厄が起きたのはそこで、稜加と最初に出会った救済者が王家のイルゼーラだった。 「イルゼーラの所へ行くか。サヴェリオもいるだろうし」 サヴェリオというのはイルゼーラの従兄の青年で、レザーリンド王国の現近衛兵隊長であった。稜加とデコリがエルザミーナを旅することになった時、彼の世話を受けていた。 「まぁ、稜加。また来てくれたのね。嬉しいわぁ」 稜加がレザーリンド王城をうろついていると、顔なじみの大臣もしくはメイドが稜加とデコリを見つけて公務に携わっているイルゼーラの耳に入ってくると、イルゼーラは公務を早く切り上げるか中断して稜加と対面しに行く。 プラチナブロンドを編み込んで後ろでシニヨンにして、冬のこの時期は暖かそうなボア付きのレンガ色とオレンジ色のドレス、またティアラとイヤリングなどのアクセサリーもドレスに合ったガーネットを使い、真珠の肌にエメラルドの緑眼の若い女王がイルゼーラ=ステファナ=レザーリンドである。 「全く稜加がレザーリンドの災厄が起きなくても稜加が元いた世界から来られるようになったのはともかく、イルゼーラが公務より友達付き合いを選ぶのはどうか、と思いますわ」 代々レザーリンド王家に仕え、虹色がかったミルキー色のロールヘアに赤と緑のオッドアイ、また王家の守護精霊でドレスも目立つ三等身の精霊アレサナが呟いた。 「まぁまぁ。だけどアレサナだって、デコリと稜加が来てくれて嬉しいんでしょ?」 デコリがなだめるとアレサナは赤面しながらそっぽを向く。稜加とイルゼーラは二人きりになると互いの日常の生活の報告をしたり、今は王城にはいないけど他三人の救済者の現状を知ったりとしていた。 稜加が卒業した中学校の離任式の前の時、父親がケガをして入院中で実家のアレスティア村の公務に携わっていたサヴェリオから稜加が別次元からやって来たと聞いた時、イルゼーラは信じられずにいた。しかし稜加が入学式後の就寝する前にルームメイトや他の寮生にバレないようにレザーリンド王城内の調理場に現れた時は誰もが仰天し、イルゼーラが確かめに調理場に来ると、それはまぎれもなく向こうの世界に戻っていった筈の稜加とデコリであった。 イルゼーラは稜加が何故、救済者のマナピースでもないのにエルザミーナに来られた理由を聞くと稜加が三度目の来訪での使命が終わった時にアウターの中にマナブロックの小石大が入っていて、それで異次元移動のマナピースを作ったからだ、と納得した。 「じゃあ、いつでも稜加と出会えるのね」 イルゼーラは喜ぶものの、稜加はデコリを寮に連れてきたのは家族や近所の人に知られないようにするためだったけど、寮では集団生活をすることになってデコリに食べさせる物を持ってくるのが難しくなってしまったことを話すと、イルゼーラは一つのマナピースをくれた。それが食べ物を出してくれる〈フードグレイス〉であった。 「これを持っていって。〈フードグレイス〉は大量生産が禁じられているから、災害時などの非常事態しか使えないし、権利所有者も限られているの。だけど稜加ならデコリのために正しく使ってくれそうだから、あげるわ」 「ありがとう!!」 稜加とデコリは超特別なマナピースを手に入れられて感謝の言葉をイルゼーラに述べた。稜加とイルゼーラが会議室から離れたサロンにいるとアレサナと大臣の一人がやって来て、会議に戻るようにと促してくる。 「わかったわ。稜加とデコリは好きにしててもいいわ。帰ったり帰りそうになったらなじみのメイドに伝えてね」 イルゼーラはサロンを出てアレサナと大臣と共に会議室へ向かった。稜加はデコリを連れて、ある人物に会いに行くことにした。 「サヴェリオはどうしているかな……」 |
---|