5弾・8話   利恵子とほづえ


 稜加はようやく祖母・利恵子の幼馴染で同じ養護施設出身者の岩郷ほづえから祖母
の話を聞くことが出来て、ほづえの語る過去の内容を聞き留めた。

祖母は小学五年生十歳の夏初めに知人の老親の告別式に行く途中の大雨による交通事
故で両親を亡くした。親戚は老人介護や農家の経営難などで利恵子を引き取れられな
い状況にあたり、利恵子はつくば市内の養護施設ひなぎく園に入所することになっ
た。

 ひなぎく園には利恵子と同じように親を亡くし親戚が引き取り出来ない或いは身寄
りのない子供、親がいても借金などで暮らせられない子供が預けられていた。

年長の子は年下の面倒を見るのは当たり前、毎日の掃除や洗濯や炊事などの当番はも
ちろん、一部屋で二、三人が寝起きしていた。

 一人っ子だった利恵子は母親のように家事はできても年下の面倒にはだいぶ手こず
っていた。性別や年齢差はもちろん、性格や特技も異なるので大人しく入浴や着替え
にじっとしていられない子、果物やお菓子ばかり食べていて野菜や魚を食べてくれな
い子、髪型にこだわる幼児の女の子などの扱いに悩まされていたという。

 それでも中学生になってどの年下の子どう対応すればいいかが出来るようになって
いて、中一の時に利恵子は新しく入ってきた高浪(たかなみ)ほづえと出会った。

「岩郷は夫の姓。結婚するまでは高浪だったのよ」

 ほづえは稜加にこう説明すると続きを話す。ほづえと利恵子は一歳違いで、ほづえ
は小六の時にひなぎく園に預けられた。ほづえは父親が八歳の時に工事現場の土砂崩
れで亡くなり、母親がほづえを養いながら働いていたがほづえの母親が癌を患って入
院してしまい、また身近な親族もいなかったので、ひなぎく園で過ごすことになっ
た。

 ほづえは父の死と母の病気で荒んでいて、年下の子に暴力を振るい器物に八つ当た
りし、同じ学校の親のいる子に妬みを抱いて苛めをやっていたという。

 ほづえが小六の冬休みの時、ひなぎく園で先輩から施設内の掃除が雑だと注意され
たことでほづえはカッとなって先輩の男子に殴りかかっていた。施設内の職員や他の
先輩はほづえを止めようとしたが、誰もがほづえの喧嘩の強さを承知していたので怯
んでしまった。

 そんな中、ほづえの暴力を止める者が出てきた。それが利恵子だった。「何すんだ
よ」とほづえは利恵子に悪態をついてきたが、利恵子はほづえの片頬を平手で叩いて
きたのだった。

 わああっ、と利恵子の世話を受けていた年下の子供たちが声を上げ、職員の一人が
ほづえを叩いた利恵子を見て動揺しつつも止めてきた。

「な、何でこんなことを……」

 ほづえのとばっちりを受けるぞと職員は利恵子にそう言ったが、利恵子は職員の言
葉よりほづえを目にしてこう諭したのだった。

「痛かったよね? さっきの人もあなたに叩かれて痛がっていたよ?」

 利恵子の言葉を聞いて、ほづえは荒れていた気持ちが次第に落ち着いていくのを感
じた。先輩に叩かれたのは痛い。だけど利恵子に叩かれるまで相手を傷つけてきた自
分は何て恥知らずだったのだろう、とほづえは反省したのだった。

 ほづえが荒れていたのは冬休みに入る前にほづえの母親が完治した後に父親以外の
男の人と黙って再婚して、ほづえは母親に裏切られたと感じて他の人に八つ当たりし
ていたのだ。

「わたしだって、お父さんとお母さんが事故で亡くなって親戚も引き取ってくれなか
ったし、ひなぎく園で年下の子の面倒を見る羽目になって辛かったよ。だけどね、ど
んなに辛くてもどうにもならないと気づいて、大人になって自分が親になったら長生
きしようって決めたの。ほづえちゃんも他の人に当たらないで、どんな大人になるか
考えよ?」

 利恵子にそう言われて、ほづえは利恵子の言葉の通りにした。学校や施設内での苛
めの加害を悔いて反省して、中学生になると学校に通って勉強や係、クラブ活動や委
員会で努力するようになって、通信制の高校にも進学して、つくば市内の市役所に就
職することが出来た。ほづえの母親はほづえが高二の時に肺炎をこじらせて亡くなっ
ていた。

 一方で利恵子は中三になったばかりの頃に成績の良さの件で同じ学年の女子グルー
プに絡まれた時に三階の窓から落ちてしまうも、一度木に引っかかって学校内の中庭
に倒れて三日後に意識を取り戻したという。

(そうか。おばあちゃんは不良女児に絡まれて校舎の三階から落ちた時に住伝に持っ
ていた救済者のマナピースによってエルザミーナに飛ばされたんだ! エルザミーナで
の旅が終わった後に学校の中庭に着いて気を失ったんだ)

 稜加は祖母が異世界移行したのが、その時だと知った。

「その後で利恵子ちゃんはわたしより十ヶ月上だったから高校卒業した後はつくば市
の隣の婦人服の工場に就職して、工場と同じ地域のアパートに住んだのよ。ああ、ひ
なぎく園では年に一回だけど卒業者が旅館やホテルを借りて同窓会をやっていたんだ
っけ。同窓会で利恵子ちゃんと会うのは毎年の楽しみだったわ」

 ほづえはひなぎく園を出てからも利恵子と交流していたことを教えた。

「利恵子ちゃんがひなぎく園を出てから五年目のことだったわ。利恵子ちゃんは休日
の出かけ先、確か水戸あたりで一伊達文吾さんと出会って、文吾さんは雄々しくて親
切な人だと利恵子ちゃん言っていたわね。一年の交際の末に利恵子ちゃんと文吾さん
は結婚して家庭を築き上げたのよね。わたしの場合、上司のすすめたお見合いで岩郷
家に嫁いだけれど、わたしの上の孫が五歳の時に息子一家が神奈川県に転勤すること
になって夫と二人暮らししたけれど、その夫も二年前に急な発作で亡くなって、夫と
住んでいた家や車を売って団地暮らしになったの。月に一回は息子や嫁いだ娘が来て
くれるから大丈夫よ」

 ほづえは利恵子とのその後を語り続ける。

「わたしと利恵子ちゃんが疎遠になったのは、わたしが結婚してからね。利恵子ちゃ
んは文吾さんとの間に男の子――あなたのお父さん銀治くんを産んで、わたしも赤ち
ゃんの銀治くんのことは覚えているわ。だけど銀治くんが一歳になる前に、わたしの
夫の転勤が決まって、わたしと夫は北海道の東で暮らして利恵子ちゃんのことはかま
けられなくなったの。わたしにも息子が生まれて育児と家事に追われていたから」

 ほづえは話し疲れて台所へ行って、冷蔵庫から麦茶のピッチャーと透明なタンブラ
ーを持ってきて麦茶をタンブラーに注いで、稜加にも差し出した。透明な茶色の飲料
をごくごくと飲んで話し続けていくうちに渇いた喉を潤した。

「わたしは知らなかっとはいえ利恵子ちゃんがいつの間にか亡くなっていたのには残
念だったわ。だけど利恵子ちゃんの孫である稜加ちゃんに会えたのは利恵子ちゃんの
導きなのね」

 そうなのかもしれない、と稜加は心の中でうなずいた。亡くなった祖母がエルザミ
ーナの救済者に選ばれたのは善悪の分別や年下などの弱者に対する扱いが上手かった
のだろう。

 その時インターホンが鳴って、ほづえは立ち上がった。

「あら、誰かしら?」

 ほづえは玄関近くのインターホンの内線ボタンを押すと、男性の声がしてきた。

『おばあちゃん、おれだよ。一番奥の達夫(たつお)だよ』

「ああ、たっちゃんね。今お客さん来ているけど、いい?」

 すると玄関のドアが開いて中二ぐらいの短髪を中分けしたTシャツにジーンズ姿の
少年が入ってきた。

「おばあちゃん、これ母さんが作ってくれた惣菜。ちゃんと保冷してあるから」

「たっちゃん、ありがとう」

 稜加はおかずを届けに来てくれた近所の少年とやる取りするほづえを見て、立ち上
がる。

「じゃあ、わたしはもうお暇(いとま)します。失礼しました」

 稜加は手早くナップザックを背負ってほづえに別れを告げた。

「稜加ちゃん」

 外廊下へ出た稜加にほづえが声をかけてくる。

「今日は来てくれて、ありがとう。あなたのお父さん――銀治くんによろしく、って
言っておいてね」

 稜加は軽く頭を下げて手を振った。


 その後、稜加は峰谷将に電話して茅野台の一番広い大型スーパーの駐車場で待ち合
わせすることになり、峰谷家のミニバンが来ると稜加は後部席に乗って茅野台の住宅
街から農業地区まで走っていった。

「それで手掛かりはつかめたのかい?」

 自動車の少ない田舎の一本道の中、峰谷さんは稜加に訊いてきた。

「はい。おばあちゃんの幼馴染と出会えて、おばあちゃんの若い頃の話を聞けたの
で」

「それじゃあ明日は帰るのかい? だったら今夜のうちにお父さんに連絡しておいた方
がいいぞ」

 峰谷さんは稜加にそう促すと、稜加は宿先の峰谷家に着いたら父の携帯にメールを
入れておくことにした。

 峰谷家に着くとまた峰谷家の人と夕餉を食べ、宿泊のお返しとして食後の皿洗いを
し、入浴して客間の布団で寝入った。

「稜加、利恵子の子供の時や若い頃の話を聞くことが出来て良かったね」

「うん。明日は丁度期限の五日だ。おばあちゃんのこと、知ることが出来て良かっ
た」


「お世話になりました」

 朝食の後、稜加はまた峰谷将につくば駅まで送ってもらい、車に乗る前に峰谷夫人
と老父母にお礼を言って帰ることになった。

「いいのよ、こっちは娘が高校の寮に行ったままで寂しかったから。お父さんによろ
しく言っておいてね」

 峰谷夫人はそう言って稜加を見送った。流石に五月五日は帰省ラッシュの時だから
か町中に出ると渋滞にはまった。それでも峰谷家を出てから四十分後には最初の日と
同じようにつくば駅に着いた。

「色々とありがとうございます」

 稜加はバスやタクシーの邪魔にならないよう道端に停車させた峰谷さんに礼を言っ
た。

「いや、いいってことよ。もし良かったら、また泊まりに来てもいいから」

「さようなら」

 峰谷さんのミニバンが見えなくなると、稜加はつくば駅のホームに入っていって、
最初の日と同じルートで栃木県の自宅へ戻っていった。


 峰谷家を出たのが朝の九時。駅に着いたのがその四十分後。稜加とデコリは十時台
初の電車に乗り、午後三時過ぎに東武線の織姫駅に着いたのだった。

「あ〜、やっと織姫町に着いたの? 早く家に帰って手足伸ばしたい〜」

 旅行バッグの中のデコリが稜加にこう言ってきた。エルザミーナの精霊はスタータ
ーの中に入れるとはいえ、何時間も入れると窮屈で退屈になるらしく、デコリに〈ス
リーピング〉のマナピースがあれば寝かしたまま移動できたのに、と稜加は思った。

「う〜ん。千葉県の駅の時から曇っていたとはいえ、雲行きが怪しいな」

 稜加は駅の構内出入り口から見える空を見て呟いた。千葉県の流山の駅から見た空
は白がかった灰色になっていたのには気づいていたが、栃木県に着くと空は濃い灰色
に変わっていた。

「雨降る前に急いで帰ろ……」

と稜加が駅を出ようとした時、空から稲光と轟音のような雷が鳴ったのだった。

 ドォーン……と遠くの山の方で鳴った雷は近隣の住民だけでなく、離れた場所にい
る人や犬猫もビビらせた。その後で雨がサーと降ってきて、稜加は父親に頼んで駅に
迎えに来てくれるように連絡した。

「もしもし、お父さん? さっき東武織姫駅に着いたんだけど雨が降ってきちゃってさ
ぁ、迎えに来てくれる? うん、待っている」

 父からの了承はできたものの、稜加とデコリはレトロな造りの駅ホームで待った。
他にも駅でバスや家族からの迎えを待っている人が何人か見られ、稜加とデコリは柱
に寄っかかって、父の迎えを待った。待っている間に駅構内のコンビニでお菓子やジ
ュースを買う人、スマートフォンで動画やニュースを見て暇をつぶす人もいた。

 それからして十五分後、稜加が欠伸をした時だった。プップッとクラクションの音
がして稜加が南口のタクシー乗り場とバス乗り場の前に見覚えのある車、一伊達家の
ココアブラウンのSUVが停まっていた。


 帰りの車内で父は運転しながら稜加とデコリに尋ねてきた。稜加の話を聞いて、父
は自分の母の十代から結婚してからの出来事を知って呟いた。

「そうか。母さんの幼馴染の……ほづえさん、赤ん坊の時のおれと出会っていたの
か」

 父は物心つく前だったとはいえ、利恵子の知人の存命と証言を聞いてしんみりして
いた。

「おばあちゃんが過ごしていた養護施設はなくなっていたけど、おばあちゃんの幼馴
染のほづえさんから、おばあちゃんの若いことのことを聞き出せられたのはラッキー
だった」

 稜加は父に伝えた。SUVは駅周辺の住宅街から大通りに店のある住宅街に移動
し、他にも種類や型の異なる自動車やトラックなどが雨の道路を走っていた。


 稜加とデコリは一伊達家に着くと仏間で祖父母の遺影に手を合わせ、その後は玄関
から近い稜加の私室で旅の疲れを癒していた。

「明日、朝食を食べたら陽之原高校に戻らなきゃ、ね」

 稜加はデコリに明日の予定を伝えてきた。

「あとエルザミーナ界のレザーリンド王国にも行きたいなぁ」

 デコリがそう催促してきたので、稜加はそれをどうしようかしばし考えてみた。

「そうだね。でもどうせなら、学校の寮に着いた後でね」

 稜加の部屋のボーダーカーテンから見える窓からは五月の雨がしとしと降りになっ
ていた。