5弾・2話  二世界での日常


 稜加とデコリは王城内をぶらつくことにした。お城に勤める人たちは城下町からの通いつけや住み込みの王家女中、兵士から大臣と幅広く、〈パラレルブリッジ〉のマナピースで現実世界とエルザミーナを時々だが行き来している稜加とデコリはもう、王城の人たちやアレスティア村の村民にとっては顔なじみになっていた。

「あっ、稜加お姉ちゃんだ!」

「デコリもいるよ! 遊ぼー」

 王城には学校もあって、子供たちにとって異世界人である稜加は珍しいお客さんで特別な先生でもあった。城内学校の教諭たちにとっても臨時の先生になってくれる稜加は正に〈借りてくれる猫の手〉であった。

 また王城勤めの女中たちも稜加を慕っていた。中学生になってから共働きの両輪に代わってやってきた掃除や片付け洗濯はお手の物で、新米の女中たちに種類ごとの選択の仕方や特殊な汚れの落とし方、アイロンがけのコツを教えていた。

 調理場に来れば料理人たちから異世界の料理やお菓子のレシピがあれば教えを乞いてもらわれて、稜加は図書館や学校図書の料理本から書き写してきたレシピをレザーリンド王国で使われるヴェステ文字に訳して料理人に見せて相談を受けてきた。稜加から現実世界の料理の作り方を受け取った料理人たちは早速試食品を作って稜加とデコリに味見を頼んできた。

 さっき現実世界で食べてきたんだけど、と思いつつも稜加はレザーリンド城の料理人が作った現実世界の料理の模倣を食べて感想を述べてくる。

「これは水分の多いマイタケよりシイタケやシメジの方がいい」

「粉をよくこねすぎて生焼け感がする」

「果物は赤を多くした方がいい」

 稜加に料理の試食を頼んできた料理人たちはレシピに追加のメモを書き込んで次こそはより良くさせるように、と努めるようになる。今のレザーリンド王国には肉じゃがも筑前煮も青魚の押し寿司も流通するようになっていたのだ。

 ようやく稜加とデコリは王城の敷地内にある兵士の訓練場に来て、兵士の十数人が外に積もった雪の除雪作業をしていてスコップや大きめの塵取りで広く使う場所の雪を外端に出していて、雪をかき出した場所では兵士が二人一組になって組み手をしていた。その中の一人の青年――杏色の髪に水色の切れ長の眼に長身、細身ながらもしなやかな体躯。イルゼーラ女王の従兄でレザーリンド王国近衛兵隊長のサヴェリオ=アレスティアである。

 冬の現在、兵士たちは防寒用の青いファー付きジャケットに厚手の灰色のカーゴパンツ、ゲートル付きの皮ブーツ姿で除雪作業や組み手による鍛錬でこの服装であったが、十代半ばの新人や四十近いベテランもいて、女性も幾人かいた。サヴェリオは稜加を見ると、近衛兵たちに指示を出す。

「みんな、十分の休憩だ。動かしすぎていると後で辛くなるからな」

 サヴェリオの呼びかけで組み手や除雪作業をしていた兵士たちは喜んで城内に入って大広間の暖炉で暖まったり、食堂でコーヒーを飲みに行ったり、持参していたパンや温かい茶を軒下でほおばったりしていた。

「また来たよ」

 稜加とデコリはサヴェリオに久しくあいさつをした。

「稜加、デコリ。来てくれてありがとうな。異世界移動のマナピースを持っているとはいえ、前もっての連絡が出来ないのは困るけど……、それはいいや」

「うん。サヴェリオも近衛兵隊長の仕事、順調そうね」

 サヴェリオは稜加とデコリを率いて兵士の訓練場から離れて一階のテラスで時間を過ごした。

「父さんもすっかり体調が良くなって領主の仕事を務められるようになったよ。今のレザーリンド王国に重犯罪者はいないけれど、冬の今は任務が多くてな」

 サヴェリオは冬のレザーリンド王国では近衛兵団の任務が他の季節とは異なる内容だが、今冬は近衛兵団の出張が思っていたより多々あったという。

 世界の東、ウォルカン大陸の中央に位置している国だが、国土の北側で起こる積雪は珍しくもなく、雪の重みで家の外に出られない人や雪に埋もれて身動きできない人を助ける任務がありまくりだった。炎のマナピースによる温熱や暖房も多かったので炎のマナピースの値上げもあった。炎のマナピースのない世帯では薪や焚き木を集めて火を起こすのだが、それも限りがあった。

「おれの場合、父さんが回復するまでアレスティア村の公務に携わっていたこともあって、今年の冬は例年より真冬日が半分も続いていたから、事前に情報を手に入れられたのが救いだった。まぁ、七十代以上の老人が寒さについていけず亡くなったこともあったけどな」

 その話を聞いて稜加はエルザミーナ世界の天災におけるシビアさを感じ取った。一見マナピースによる生活に恵まれているように見えていても、どうにもならないこともあるのだな、と。

(わたしは運が良かったんだなぁ。高校入試の日に雨や雪がなかったのは)

 三ヶ月前の陽之原高校の推薦入試の日は曇りだった。試験会場へ向かう途中の電車が大雨や雪で止まってしまったら……と不安もあったけれど、その危険からは免れた。栃木県は盆地だから晩秋から春初めにかけては雪と雨の日がよくあるから天候のせいで入試落ちする人もいるのだ。だけど試験のあった日に雪が降ったのは試験が終わった帰りの電車の時だった。

「っと、稜加がいるのにこんな暗い話をするのはどうかしているな。稜加、新しい学校はどんなんだ?」

 サヴェリオが話題を変えてきてくれたので、稜加は気分が良くなって高校生になってからの話を伝えた。

「寮に入ってからも夕食作りや室内掃除といった家事はあるよ。だけどそれは誰でもそれは誰でも平等にね……」

「高校の寮に入る時にデコリは連れていくことにしたよ。あっちの世界ではエルザミーナの精霊のことを知っているのは、わたしだけだし」

 高校生や寮生活になったらそれなりの大変さもあるけれど、中三受験生まではあまり浮かない感じと違って表情が豊かになった稜加を見てサヴェリオは安心した。また稜加が高校の服飾の授業で使う教科書を読んでみて、サヴェリオは現実世界の言葉や用語に難儀を感じて目から離してしまった。

「お前、こんな難しい内容を勉強しているのかよ? おれにはさっぱりだ」

「そうじゃないよ。サヴェリオがわたしたちの世界の言葉や常識や道徳とかを知らないだけ。デコリはエルザミーナの精霊だけど、絵本でひらがなやカタカナを覚えて、小学一・二年生の漢字も書けるようになったんだよ」

「サヴェリオも稜加の世界に着て暮らせば、そっちの世界の言葉が読めるようになるよ」

 デコリがそう言うとサヴェリオはそれを聞いて沈黙する。

「いや、いい。エルザミーナの人間が別の次元に行って帰ってきた記録がないから」

 それを聞いて稜加は確かにと悟った。現実世界の人間がエルザミーナの救済者に選ばれて災厄を打ち払った後、現実世界に戻ってきた時はそんなに時間が経っていなかった。だけどその逆パターンは聞いたことがない。

「そりゃあ、おれだって稜加の住む世界に行ってみたいよ。どんな建物があって何が主食で、民族衣装の種類や乗り物だって……。もしおれがエルザミーナを一度出ていったら、何ヶ月いや何年後になっているか、になっていたら……」

 サヴェリオは違う次元での時間差に迷いを持っていた。いわゆるウラシマ効果である。

『浦島太郎』の主人公は助けた亀に連れられて竜宮城で一年過ごしていたら地上では三百年になっていて、乙姫からの玉手箱の煙で老人になった。デコリは三百年生きられる精霊で、しかも祖母の利恵子についていくもスターターの中に入っていた眠りのマナピースで五十五年も眠っていた眠り姫効果だったからまだいい。

(やっぱしわたしの方からエルザミーナに行った方がいいのかな)

その時デコリが稜加に声をかけてきた。

「稜加、そろそろ織姫町の家に行った方がいいんじゃないの?」

「あ……」

 そういやエルザミーナ内のレザーリンド王国に来てから三時間になる。もうJR織姫町駅の構内に戻る頃合いだろう。学校のない二日間は家族と過ごすのも大切な日常の一つだ。稜加は荷物をまとめるとサヴェリオに告げてきた。

「わたしはもう向こうの世界に戻るね。お父さんたちが待っているから」

「ああ。また来いよ。待っている」

 稜加はスターターに〈パラレルブリッジ〉のマナピースをはめ込んでセンサーに指をかざすと、金色の光が発せられて稜加とデコリは光に包まれると消えていった。


 稜加とデコリが降り立ったのはJR織姫町駅の女子トイレの中だった。幸いトイレには誰もいなくてよかった。デコリはスターターの中に入って、稜加は何事もなかったかのように駅のトイレを出て電子パスカードを使って改札口に出た。

 和風造りの駅施設、バス停がいくつもあるターミナル、普通に歩く地元民や栃木県の街並みを携帯カメラやデジカメで撮影する観光客のアメリカ人やアジア人。今日は薄青い晴れた空で空気も暖かい。稜加は自宅のある地域行きのバス停へ向かうと、時刻表を見てあと三十分は待たないといけないことに肩を落とす。電話をすれば父か母が迎えに来てくれるけれど、今はクリーニング店の業務で手一杯だろうと察してあきらめた。

「歩いていくか。あっちで試食した体重を減らす運動として」


 栃木県織姫町に移り住んでから三年。稜加は十二年間住み慣れた千葉県幕張市での生活や幼馴染、町並みを懐かしむことはあったけど、栃木県に住むことを嫌っていた訳ではない。四季ごとに変わる渡良瀬川の風景や夏の夕方には涼風が吹く橋の前の道、駅のホームから見える山の稜線を好きになっていき、また栃木県でも別の高校に進学したけれど同じ近所に住む玉多俊岐(たまだとしき)や中一からの友人である百坂佳美(ももさかよしみ)などといった少数の友人たちも出来た。

 稜加は先程エルザミーナで食べた王城料理の新作の試食のカロリー消費とクリーニング店で働いている両親の負担をかけさないため、織姫町の橋を越えた先の住宅街を歩いていった。四月の半ばとはいえ、昼間の今は陽が照っている。途中で自販機で買ったペットボトルのお茶やミネラルウォータ―で水分しながら自動車が走る道路や買い物などの用事で商業施設へ向かう人の通る道にアパートや形の異なる住宅が並ぶ家々を歩いていった。

 バスを使えば十分で行ける距離は歩けば二十分以上かかる。それでも稜加は二階建てが多く平屋や個人経営の店が並ぶ住宅街に着くと、その中の一角であるえんじ色の屋根にダークオークの壁、庭には金属製の物置と最近母が始めた小さな野菜畑のある敷地に着いた。

 亡き祖父が建てたこの家は石塀の代わりに後ろと左右の三方は柘植の生垣になっている昭和風情の趣がある。

稜加は自宅に着くと引き戸の玄関脇のインターホンを鳴らし、その音で留守番している小六の弟・康志(やすし)と小三の妹・晶加(あきか)が耳にして駆けつけてくる。

「ただいま。康志、晶加」

「お帰り、リョーねえ」

 玄関戸の引き戸を開けると短く刈った髪の男の子と天然パーマのツインテールの女の子が立っていた。

稜加は玄関に入ってすぐの脱衣所の隣のふすま戸を開ける。そこが稜加の私室で稜加が高校の寮にいる間はふすま戸と対になっている窓は雨戸で閉ざされ、他に窓際の壁下の長机と学習椅子、本棚とチェスト、ピンクのボーダーカーテンに畳の床と押し入れのふすま。稜加が家を出て学校で生活するようになったので室内はどんよりとした空気で、稜加は雨戸を開けて換気して更に両親の寝室兼居間にある掃除機を持ってきてホコリを吸い取り、掃除と換気を済ませるとデコリの入ったスターターを持って居間の北隣にある部屋に入る。そこは仏間で薄暗く、仏壇には稜加の父方祖父母の遺影が置かれていた。

「おばあちゃん、おじいちゃん、ただいま」

稜加は仏壇のりん棒を持って鉢を鳴らし、合掌する。デコリも祖母の遺影に向かって合掌してこう言った。

「ただいま、利恵子」

祖父の文吾は父と康志に似た顔立ちで、祖母の利恵子は稜加によく似ていた。仏間で祖父母へのあいさつが終わると、稜加は移動中の疲れを癒すために自室の畳の上で横になる。

「はぁーあ。それじゃあデコリ、一時間休むから後で起こしてね」

北栃木の町から織姫町へ、エルザミーナでの親友とその従兄との対面。楽しかったけど学校にいる間とは違ったテンションが来て稜加は眠り込んでしまった。

「やれやれ。家に着くとすぐ寝ちゃうんだから」

だけど家族との関係はいい方で、行きたがっていた高校の入学に成功して、異世界にいるけれど恋人もいる。稜加はこの幸せがずっと続いていなかったらデコリとの存在意義もなかっただろう。

次第に空は太陽が西に向かっていって、空の色がうっすらと赤みを差していた。