「え!? ぼくの亡くなった父さんは人間じゃなかったんですか?」 炎寿が進化を遂げてから数日後、『ベルジュール磯貝』の真魚瀬家に呼び出された岸尾徹治が思わず声を上げた。彼らがいるのはベルジュールの四〇三号室の和室、真魚瀬夫妻の寝室兼居間の畳の上で正座していた。しかも真魚瀬夫妻と安里と炎寿だけでなく、宇多川比美歌と根谷法代も来ていた。 「ああ。調べてみて判明したのだが、君の父親はミスティシアの海に住む妖精の一種、魚精(ピスケピエンス)だ。魚精は人間の体格に魚の鱗やひれ、水かきがついていて他の水妖精よりも泳ぎが上手いといわれている」 「はぁ、ぼくの亡くなった父さんがミスティシアという世界の妖精で魚精っていうんですか。じゃあ朱堂さんが変な女に襲われた時やまたぼくが変な女に遭遇した時に水の壁や攻撃は亡き父から受け継いだっていうんですか?」 徹治は自分が半分妖精であることにまだ納得がいかなかった。 「まだ受け容れがたいようだけどさ、わたしと炎寿もミスティシア出身の水妖精なんだよね」 「本来なら大っぴらに言うものではないのだが、岸尾は半分妖精だから伝えられたんだ」 安里が徹治に自分たちの正体を教え、炎寿が上手くフォローしてくる。 「わたしは亡くなった母がミスティシアの歌妖精セイレーンでね」 「わたしはおばあちゃんが海藻精(ウィーディッシュ)で半分妖精のお父さんに妖精の力が覚醒せずに、わたしが妖精の力を受け継いだんですね」 比美歌も自身も妖精のハーフだと徹治に教え、法代に至ってはクォーターの妖精だと教えてくる。 「ま、まさか君たちが妖精で、しかも様々な悪と戦ってきた水妖精の勇士っていうの、まだ実感わかないなー……。動画サイトやネットの掲示板にはそういう情報はポツポツあったけれど」 「岸尾、あんまり深く考えない方がいい。人間であれ妖精であれ、どんな者でも受け容れがたい出来事は持っているんだ。ところで……」 炎寿が徹治をなだめてジザイが軽く咳払いしてから本題に入る。 「徹治殿が水妖精の力が覚醒し、四人とも〈進化の装具〉による発動も達した今、我々は〈禍を起こす者〉に立ち迎えられるようになった。徹治殿にも協力してもらいたいことがある」 ジザイの言葉を聞いて徹治は思わず訊いてくる。 「あのー、まさかぼくにも〈禍を起こす者〉と戦うってことですか? いくら亡き父が妖精でぼくも能力覚醒したばっかりでコントロールも上手くいっていないんですが……」 「いや徹治殿はあくまで裏方担当。戦うのは彼女たちの役割。我々が言いたいのはそれを頼みたいなのだ」 ジザイにアクアティックファイターのサポートを委ねられた徹治はしばしためらうも、水を操る能力をこのまま上手く使えないままにするのももったいないと悟って答えた。 「わかりました。朱堂さんたちのサポートをします」 炎寿たちも徹治の答えを聞いて安堵する。味方は一人でも多い方がいい……。今は〈禍を起こす者〉は出現していないけれど、その間に準備に取り組むことも必要だった。 それからのアクアティックファイター四人とミスティシアの水妖精の力に覚醒した岸尾徹治の日常はというと。 比美歌は浄美アートアカデミーに通いながら新人歌手として歌番組や地方ロケーションに出回り、一流アイドルとは違った忙しさに右往左往していた。それでも彼女の持ち歌が都市部の大型モールやストリートで絶えることはなかったし、CDの売り上げでも音楽ダウンロード二十位台に来ていた。 法代は中学校に茶道部の活動や家の花屋の留守番兼自宅学習の日々を送る間に進化を得てからの技のコントロールの修行に励み、祖母の毬藻が見ていた。 炎寿は体操部に所属しつつも早朝のランニングや自宅学習、隙間時間で徹治と共に技の修行を行い、徹治の先輩妖精として指示していた。 そして最初のアクアティックファイターである安里ことアンフィリットはというと――? 「はーい、モデルさんはジッとしていてー」 美術担当の見上(みかみ)先生がモデル役の生徒に命じる。 安里は美術室で一緒に授業を受けている他のクラスの生徒のスケッチのモデルとして中心で両手を腰に当てるポーズをとっており、他の生徒たちがクロッキー帳でモデルの安里を写生していた。 芸術の授業は一年おきに音楽か書写か美術を選んで一定の単位を採れば進級卒業できる。安里は一年生の時は音楽の授業を選んで比美歌と受けていた。比美歌の中学校時代の友人である田所郁子は去年は書写、今は音楽で音楽室にいた。 切れ長の眼に長身の男子生徒、神奈瑞仁がモデルの安里をせっせとスケッチしている。他にもギャル風の伊藤桂子や深沢修もいた。安里はモデルながらも神奈くんの真剣な写生を見つめる。高校に入ってから神奈くんと次第に顔を合わせるようになり、神奈くんに好意を持つようになった。神奈くんの幼馴染の鈴村史絵が親の転勤で台湾から三年ぶりに戻ってきた時には神奈くんは史絵を選んでしまうのではないかと思っていた時期もあった。 妖精の世界ではミスティシアの東の海の中にあるマリーノ王国のムース伯爵夫妻の一人娘として生まれ、幼い頃から語学・数学・科学・歌唱や舞踏も長けており――ただし調理や裁縫などの家庭的なことは残念で――人間の八歳の時点で十二歳のクラスにいて学び、マリーノ王国に災厄が起こる前までは十五歳でいうとこの十九歳のクラス、大学一年に在籍していた。 ミスティシアではアンフィリットは他の娘よりも優秀過ぎた故に同年代のマリーノ王国の住民から妬まれていた。それでアンフィリットは独りでいることが多かった。 そんなある日のこと、ドレッダー海賊団が出現して船長のドレッドハデスが恐ろしい力を使って女王やアンフィリットの両親や他のマリーノ王国の住民を万年水晶の中に閉じ込めてしまい、アンフィリットは父母に仕える不思議生物のジザイとブリーゼと共にマリーノ王国を亡命し、人間界に通じる門をくぐって現代世界の日本国千葉県の舟立海岸にたどり着いて、舟立海岸に近い保波市に避難して生活することになったのだった。 アンフィリットは誕生時に名占い師マダム=テレーズから水妖精の勇士、アクアティックファイターとしての運命をたどり、ドレッダー海賊団と戦うと予言されていた。マダム=テレーズの予言は当たり、また人間界にいるアクアティックファイターを探す使命にも受けた。 最初は一人で海賊団と戦った方がいいと考えていたアンフィリットだったが、一人ではどうにもならないと察すると、保波市に住んでいる比美歌と法代、最初は敵だったフェルネこと炎寿が仲間となってドレッダー海賊団のドレッドハデスを倒し、ミスティシアのマリーノ王国の住民を万年水晶から解放した後もアンフィリットは日本国民の真魚瀬安里として今に至るのだった。 二つの世界の家庭に仲間に恋人とマリーノ王国では得ることのなかったものを手に入れた安里であったが、一つ問題があった。妖精の寿命は二〇〇年であることであった。比美歌の母親は歌妖精セイレーンで徹治の父親は魚精、法代の父方祖母は海藻精で若い時期も長く、老いているのは変幻自在法による仮の姿だ。それから人間と結ばれたとしても人間の伴侶の方が早くに亡くなるか、妖精の方が天命を迎える前に亡くなることだってあるのだ。比美歌の母親は彼女が八歳の時に脳病で亡くなり、徹治の父親は事故死している。 (わたしが神奈くんと結婚できたとしても、わたしは若くいられて神奈くんは老齢で亡くなる。神奈くんが亡くなる前にわたしが早世することだって考えられる。寿命の違う者同士の結婚の代償なのかもしれない……) 人間とのハーフやクォーターの妖精は寿命が人間の平均寿命よりも十年位長いだけで、伴侶も七十代や八十代まで生きられれば問題ないだろう。 芸術の授業が終わり片づけをして生徒たちは教室に帰っていく。その途中、安里は神奈くんに話しかけられた。 「真魚瀬、今度の日曜日クラブないから二人で遊びに行こうぜ」 「え? ああ……。六月最初の日曜日ね。いいわよ」 「あと、おれがケガをしてバスケ部の活動に出られなくなってから真魚瀬、なんか不満なことでもあったか? ずっと無表情が多かったからさ」 それを訊かれて安里は神奈くんが〈禍を起こす者〉の影討ちされたことを思い出して、軽くびくついた。 「神奈くんがケガしたの、わたしについていた厄が移ったんじゃないかって……」 「それか? あんなのは偶然に決まっているよ。ちゃんと治ってクラブ活動にも出られるようになったし。あっ、おれのクラス次は体育だった。急いで着替えんなきゃな。じゃあな」 安里にそう告げて神奈くんは自分のクラスへ向かっていった。神奈くんの背中を見つめてから安里は廊下の窓の外を見つめて呟いた。窓の外は晴れ渡る青空で木の枝の葉が緑色に輝いていて、太陽が照っていた。 (お願いよ、〈禍を起こす者〉。神奈くんや他の人たちには禍を与えないで。わたしや他のアクアティックファイターだけにして) 制服の胸ポケットに入れてあるライトチャームを握りしめるように拳にした。 その日の晩、安里は不思議な夢を見た。真夜中を十二時過ぎた頃だろうか。どの家も照明が消え周りの住宅街も夜遅くまで仕事していたり勉強している家は二階の一角が明るくなっており、道路の外灯も省エネで十二時を過ぎると自動消灯される。 『アクアティックファイター、光のアンフィリットよ。わたしはマダム=テレーズ……。あなたたちに〈禍を起こす者〉の出現場所と時をお教えに来ました。 彼奴は六の月、初めの日曜日の海辺、あなたたちの住んでいる場所の近くに出ます。〈進化の装具〉を手に入れ、〈禍を起こす者〉の使いを撃ち破ったあなたたちなら出来るでしょう……』 そこでマダム=テレーズの声が途切れて、安里は暗い中でまぶたを開いた。カーテンの隙間から月の光が差し込んでいた。 同じ頃、比美歌も法代も炎寿もマダム=テレーズの教えを夢の中で知って、半ば眠たくも六の月の初めの日曜日の舟立海岸に出てくると記憶したのだ。 翌日の学校の昼休み、安里と炎寿は人があまり来ない非常階段の入り口で貝型通信機シュピーシェルで別の学校にいる比美歌と法代と昨夜のマダム=テレーズからのメッセージを語り合っていた。 『じゃあ、六月最初の日曜日の舟立海岸に〈禍を起こす者〉が出てくるってことはみんな同じなのね?』 「ああ、まさかアクアティックファイター四人全員そろった場所でな」 比美歌と炎寿がそろえる。安里は法代と会話している。 『〈禍を起こす者〉を倒せば平和が訪れるんですよね?』 「だといいんだけど。それに……」 安里は気まずく答えた。六月最初の日曜日は神奈くんとのデート日なのだ。それが安里にとっての悩みだった。折角の幸運日と(おそらく)史上最大の厄日が同じ時になるとは……。しかし四人は六月最初の日曜日の舟立(ふなだて)海岸で決戦を受けると誓ったのだった。 「四人で守りましょう。ミスティシアと人間界を」 安里はリーダーらしく比美歌と法代に告げたのだった。安里と炎寿は他の二人の通信を終えると、教室に帰る処で神奈くんと遭遇した。 「よぉ。相変わらず従姉妹と仲いいよな。今度の日曜日のデートの件なんだけどさ……」 「ど、どこに行きたいの?」 安里が神奈くんに尋ねると神奈くんはこう言ってきたのだ。 「舟立海岸で期間限定割引クルーズがあるんだ。親父が券をくれたから一緒に行こうぜ」 それを安里は頷いた。 「うん。クルージングね。必ず行こうね。いえ、行くから!」 いつもとは違う安里の様子を見て神奈くんは首をかしげるも、次の休みのデートが決まると微笑んだ。 「じゃあ、昼十二時に舟立海岸でな」 そう言って神奈くんは自分の教室へと足を向けていった。 「安里、いいのか? 気丈に振るまって……」 神奈くんとのやり取りを目にした炎寿は安里が何か無理をしているように見えたが、安里は答える。 「わたしは行くよ。〈禍を起こす者〉を止める為にも……。わたしたちは戦う。水の勇士としての使命ではなく、運命でもなく、自分の意志で」 安里の言葉を聞いて炎寿も同感する。 「だろうな。わたしも自分の意志で、な。比美歌と法代もきっと同じだ」 誰が為には自分の為でもある。 |
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