保波駅を北へ一キロ先へ向かった場所には一般の住宅街の中にひときわ大きい家宅と庭のある敷地があった。百坪以上はある土地には白い柵に囲まれ、れ煉瓦と漆喰造りの屋敷に噴水と温室のある庭の伊能塚邸。ここの主人の伊能塚氏は保波市の名士で、千葉市に会社を持つ伊能塚カンパニーという造園会社の会長でもあったのだ。 伊能塚氏は大の爬虫類マニアで、中でも白イグアナのビアンカは東南アジアの大富豪から七百五十万で買い取ったという。そのビアンカがマサカ=ハサラに狙われたのだった。 そこに現れたのはマサカ=ハサラの女幹部、アーキルラースであった。アーキルラースは温室で白イグアナのビアンカの餌やりに来た伊能塚氏を待ち伏せし、部下の小男二人がハマヤーンになって姿を現した。 同じ地域に住んでいる富豪が白イグアナを飼っているという噂を聞きつけて、炎寿は法代と比美歌も呼んで、伊能塚邸にかけつけたのだった。 鳥かご型の温室は冬でも暖かくなるように二十五度に設定され、中にはヤシの木やドラセナなどの南国の植物が植えられ、また珍しい柄の鯉や金魚が水盤の中で泳いでいた。 アクアティックファイター姿の炎寿・法代・比美歌は気を失った和服姿の老人、伊能塚氏を安全な場所に確保し、法代がビアンカを抱き、比美歌と炎寿の目の前にはアーキルラースと二体のハマヤーン――人間の男と同じ身の丈で、人間のように二足歩行ができるサンショウウオとセンザンコウのハマヤーンがいた。 「うーむ、マサカ=ハサラのハマヤーンがここまで変わってきているなんて思ってもいなかったな」 炎寿が亜人型となったハマヤーンを見て唸る。サンショウウオのハマヤーンは頭部にひれ、手足の指に水かきのある薄い灰色の体で尚且つ動きも素早く、炎寿は炎技で体を乾かしてしまおうと思ったが、サンショウウオのハマヤーンは自分の体から出る粘液で回避してしまうのだ。 「こっちも声を出しすぎて技出せない、かも」 比美歌が喉を手で押さえながらセンザンコウのハマヤーンを目にする。センザンコウのハマヤーンは固いうろこ状の皮膚に覆われており、体を丸めて体当たりをかましてくるため、比美歌は歌声や音波で防いでいた。 「まぁね。わたしのハマヤーンの実験も変化や進歩を遂げている訳よ。しかし、リーダーとなる妖精がいないんじゃあ、あなたたちは苦戦するのね」 アーキルラースが言うと比美歌と炎寿は察する。 「ルミエーラのことか」 「チームの要がいないんじゃあ、戦い方も困るってことね」 アーキルラースはハマヤーンにビアンカを捕らえるように指をはじいた。のそりのそりとハマヤーンが三人に近づいてくる。その時、温室の扉が勢いよく開いて、アクアティックファイター姿の安里が現れる。 「安里!」 「安里さん!」 「やっと来てくれた!」 炎寿と典代と比美歌が安里の登場に胸をなでおろす。安里はチャームを槍に変えて、矛先をハマヤーンとアーキルラースに向ける。 「折角の大事な日に、マサカ=ハサラが出てくるなんて許せない! みんな、行くよ!」 安里は決め台詞を発した後、炎寿たちの指揮を執る。 「わたしと法代ちゃんはセンザンコウを! 比美歌ちゃんと炎寿はサンショウウオを!」 「わかった!」 二手に分かれて、法代と安里はセンザンコウのハマヤーンが体を丸めて転がってくると、法代はチャームをフレイルに変えて、フレイルを伸ばしながら海藻型エネルギーの綱を出してくるウィーディッシュ=エナジーバインドを出してハマヤーンの動きを封じて四肢を絡めとり、安里が光を帯びた水流を槍から出すマーメイド=トリアイナスラストを出して、ハマヤーンは光と水に飲まれた後、センザンコウの骨片になって消えた。 比美歌と炎寿はサンショウウオのハマヤーンの動きが足元の粘液で移動していると知ると、炎寿はハマヤーンの足元に爆炎、バイパー=ヒートエクスプロードを出して、サンショウウオのハマヤーンは足元を焼かれて爆ぜた時の衝撃で後方のタマリンドの木にぶつかった。比美歌がチャームをフルートステッキに変えて、先端でト音記号を出して、そこから白い光の波動を出すセイレーン=カタルシスウェーブを出して、ハマヤーンは光に包まれて、一匹のサンショウウオになってしまい、水の中に飛び込んだ。 「うう。さすがに四人全員集まると厄介ね」 ハマヤーンを二体とも倒されてしまったアーキルラースがしり込みをする。その時、温室に震動が起き、地面が盛り上がって赤いオケラメカが出てくる。 『アーキルラース、今回はここまでじゃ! 撤退しろ』 オケラメカから老人の声が聞こえてきたので、アハザダヤドが迎えに来たのだとアーキルラースは察した。そしてオケラメカに乗り込むと、安里たちに言った。 「今回もあなたたちに邪魔されたけど、次こそは必ず!」 オケラメカはアーキルラースを乗せると、再び地面の中に潜っていった。 「はぁ〜、マサカ=ハサラの幹部は追っ払えたけど、折角のバレンタインが〜」 安里は槍で体を支えながらうなだれた。炎寿たちは安里の様子を目にして、顔を見合わせた。 幸いビアンカと伊能塚氏は無事で、安里たちは大ごとになる前に伊能塚邸から去っていった。人気(ひとけ)のない場所で変身を解除して、四人は自分の家へ帰ることになった。空はすっかり紫色に染まり、夕日が西に沈もうとしていた。比美歌は法代を送ってから帰ることにして、安里と炎寿はバスの時間が過ぎていたので、歩いて『ベルジュール磯貝』に帰ることにしたのだった。夕方の保波市は道路を走る車が行き来し、老若男女の人々が歩いたり自転車で帰る様子が見られた。 「あー、疲れた」 安里が歩道を歩きながら呟くと、炎寿が尋ねてくる。 「疲れた、ってどっちが?」 それを聞かれて安里は正気に返り、目を大きく見開きながら口ごもった。 「そっ、それはその……」 「バレンタインのチョコレート、学校で渡せたのか?」 「うん。だけど肝心なところでマサカ=ハサラが出てきて……」 「それは災難だが、白イグアナが奴らの手に渡らなくて済んだ。相手の返事は焦らずに『果報は寝て待て』だ」 それを聞いて安里は思いとどまった。 (そっか。神奈くんの返事を聞くのはすぐでなくてもいいんだ) だけど、この思いが伝わらなかったら、自分は他の男がいても相手を好きになれるかが安里にとって未知であった。 それから二週間が経過した。二月末は学年末テストの時期で生徒たちは三日目が終わると、クラブ活動を再開させたり、アルバイトに行ったりと試験勉強後の日々に向かっていった。安里はというと、バレンタインを最後に神奈くんと話をしていなかった。 (まさか、他に好きな子が……) 安里は神奈くんを見る度にそう思っていた。試験勉強の忙しさもあってとはいえ、自分は片思いだったのだろうかと沈むこともあった。 生徒たちが次々とクラブに行ったり帰っていく中、安里は教科書やノートを通学バッグの中にしまい、昇降口の下駄箱の中を開いてみると、ローファー靴の上に紙切れが入っていた。安里は紙切れを手に取って、文字を目にした。走るように書かれた字は神奈くんの筆跡であった。 『土曜日の昼十二時にJR保波駅に来てほしい。話がある。 神奈瑞仁』 (神奈くんからの呼び出しだ!) 安里はこのメッセージを目にして期待を持った。土曜日の昼になったら、行方がわかると悟って。 土曜日になり、安里は学校休みの時には法代と比美歌と会う約束を断って、いつもよりめかしこんで、保波駅に向かっていった。化粧もファンデーションとチークとカメリアピンクのアイシャドーとローズピンクの口紅をつけ、比美歌からのプレゼントであるラベンダーのマニキュアも爪に塗り、春らしい菫の葉な柄のワンピースに白いボレロカーデと紫のリボンがついたカンカン帽をかぶり、シェルピンクのエナメルのバニティバッグを持って保波駅へと向かっていった。春が近づく中、空は雲一つない青い色で、空気も温かみを帯び、道路の街路樹や住宅の庭木の枝には芽が吹いて、心も晴れわたるような日であった。 街中では自動車は平日ほどの多さではないが道路を走り、老若男女の人たちが歩いたり店に出入りしたりしていた。 バスに乗って駅に行こうと思ったが、休日はバスの本数が少ないため歩いていくことにしたのだった。 保波駅に着くと、いろんな人たちが歩く中、安里は神奈くんを探した。家を出たのが十一時で今は十一時半であった。 (早く来すぎたかな……) 安里は辺りを見回して神奈くんがいるかどうか探してみた。 (やっぱり早かったか……) 安里は他の人の邪魔にならないように、駅内の柱に寄り添った。切符を買う人、改札口に入る人、駅員、駅構内の真ん中では近くの百貨店のバッグや冬服の処分セールを行(おこな)っていた。 人間界に移り住んでから一年を超えた。妖精の一年はとても短い期間だけれど、人間より長く生きられる妖精である安里は人間界の住人となり人間の学校に通うようになってからは、いくつかの経験を得た。中でも大きかったのは自分の恋であった。 「おーい、真魚瀬ー!!」 自分の名を呼んできた者の声を聞いて、安里は顔を上げた。改札口から神奈くんが現れたのだ。神奈くんは生成りの薄手のニットと茶色のベストとジーンズを着ていて頭に黒いニット帽をかぶっていた。 「あ……」 安里は神奈くんが来てくれたのを目にして、軽く笑った。神奈くんは改札機を抜けると、安里の前に立つ。 「待っててくれたのか?」 「うん。そんなに、じゃないけど……」 「そっか。あ、そうか。腹減ってないか? 駅ビルの中のレストランで食べない?」 安里はあと十五分で正午になる頃に、自分も空腹なのに気づいた。 「うん。いいよ。どこの店にする?」 保波駅とつながる駅ビルの上層階にあるレストラン街は和食や洋食、とんかつ屋やお好み焼き屋と多数あり、安里と神奈くんはその一つの洋食店で昼食を採った。他にも親子や女私大生のグループといった客もあり、安里はデミグラスソースオムライス、神奈くんはエビフライランチを注文して食べた。会計を済ませると神奈くんは駅ビルの階段の踊り場で二人きりになると、安里と話し合った。 「真魚瀬、バレンタインのカップケーキ食べたよ。美味しかった。ありがとう」 「ど、どういたしまして……」 安里は神奈くんがやっと、バレンタインのチョコレートの返事を伝えてくれたことに胸をなでおろす。 「バレンタインのあと、学年末テストの試験勉強でさ、追試を受けないように勉強しまくっててお礼を言うの遅くなっちまった」 「そ、それは仕方がないと思う……」 「あとおれさ、以前学校に怪物が現れた時、濃いピンクの髪の女の子が仲間と共に怪物をやっつけてくれて、その子に惚れたんだけど……。でもおれはあの子と面したのは少なくって、おれはあの子とは次元が違うんだって気づいたんだ。あの子は怪物退治ためにいるんだって」 (神奈くん、その子はわたしなの。アクアティックファイターのわたしなんだけど……、言えないよ) 安里は本心を伝えたくても、伝えられなかった。秘密なのだから。 「けど、真魚瀬がおれのことを好いていて、料理が苦手なのにも関わらず、チョコレートケーキを作ってくれた時、おれは気づいたんだ。おれは君の気持ちに応えたい。付き合ってくれ」 それを聞かされた時、安里は心の中のわだかまりが一瞬にして吹き飛ばされたような気になった。そして思わず涙が出た。 「ま、真魚瀬?」 「ち、違うの。嬉しいの……。ありがとう、ありがとう、神奈くん……」 自分の秘密は言えないけれど、神奈くんの片思いが叶った。おそらくこの日は、忘れられない記憶に残るだろう。 次の日の日曜日。安里は比美歌と法代と炎寿と共に磯貝地区の公園に来ていた。この日も晴天で、公園や街路樹の枝には葉の芽やつぼみがつけていた。三週間後にはつぼみは開花して、桜の花を咲かせるだろう。この公園には日曜日と水曜日にはタピオカドリンクの屋台ワゴンがやって来て、タピオカドリンクの販売を実施していた。 「法代ちゃんは今月卒業式で、来月から中学生なのよね」 比美歌がバニラミルクを飲みながら、イチゴミルクを飲んでいる法代に訊いてきた。 「はい。磯貝中学に通うんです」 「中学校に入ったら、クラブや委員会に家の手伝いや自宅学習もあるだろうに。なんか不安だな」 ストレートティーを飲んでいる炎寿が法代の生活変化を想像して呟いた。 「あと、クーレーはどうしている?」 安里はクーレーの命の分身の指輪のことを尋ねてくると、法代は自分の右手中指の青い宝石の指輪を見せる。指輪は輝きを帯びていたので、クーレーは生きている証拠であった。 「クーレーもそうだが、その父親もどうにかしなくちゃいけないもんなぁ」 炎寿がクーレーをマサカ=ハサラの本拠点から救い出し、また人間界のどこかにいるクーレーの父親も見つけ出さないといけないことに悩ませた。 「これからも四人でやっていけばいいんだから、続けていこうよ」 安里がリーダーらしく三人に言った。すると炎寿が安里に尋ねてくきた。 「ところで、神奈とはどうしたんだ?」 それを聞かれて安里はドキッとなった。 「な、何のこと……」 「とぼけてもわかるぞ。安里が神奈が好きなのは」 「い、いつの間に……」 「わたしだってわかってたよ」 「わたしも炎寿さんから……」 比美歌と法代も安里が好きなのは神奈くんと口にして、安里は顔を赤らめる。 「みっ、みんな知ってたの!? というか黙っていたなんてズルい!」 隠し通していた筈が、実はみんな気づいていたことに恥ずかしく思ったけれど、安里はとても幸せだった。恋人と仲間と居場所。マリーノ王国では得られなかったものを得られている今が安里の幸福の時だった。 〈第四弾・終〉 |
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