5弾・3話 マリーノ王国の大学


「……という訳で、お父さんとお母さんに頼み込んで、携帯電話が手に入りましたー!」

 保波高校の修了式の朝の時間、安里は田所郁子に父母に買ってもらった携帯電話を見せびらかした。開閉式の旧式携帯、世間でいうガラケーで色はパールピンクである。

「へー、良かったじゃん。これでわたしの比美歌ちゃんと通話やメールができるのね」

 ショートボブに丸顔に小柄な背丈の郁子は自分の携帯電話に安里の携帯番号とメールアドレスを入力する。郁子の携帯電話は機器の全体が画面になっていて、画面のアイコンをタッチするだけで操作するスマートフォンである。チャイムが流れると、生徒たちは体育館へ向かい、校長先生の話と挨拶を述べる集会を行(おこな)った後は教室でHRを開いて、生徒たちは担任から通知表を受け取る。みんなは通知表の中身を見て、苦い顔をしたり安心したりとしていた。

「うーん。学年末テストが全体で十二位、クラスでも七位とはいえ、何ともなぁ」


 安里は自分の成績を目にして呟いた。音楽や美術や理科や社会はA、家庭科だけはCのままであるが、あとはBになっていた。妖精の世界と人間界では学問の内容に差異があるとはいえ、高一の春夏と比べてみるとこんなにも変化が出てしまうのだろうか。

「明日から春休みに入るが、春休みだからって不規則な生活をしたり、事故などの危険な目に遭わないように」

 教壇で担任の江口吉夫先生が生徒たちに注意事項を伝えた後、生徒たちはクラブのある生徒を除いて帰宅する。春休みのクラブのない生徒は上履きや私物も持ち帰っていき、安里も教室から出ようとした時、郁子に呼び止められた。

「安里ちゃん、今日は一緒に帰る?」

「えー、どうしよっかな……」

 安里がそう言っていると、五組の教室から来た炎寿がやってきて郁子に声をかける。

「おお、郁子。安里はこの後用事があってな、わたしと帰ろう」

「あ、そうなの。じゃ、またね。もし春休み暇ならメールしてね」

 炎寿に促されて郁子は教室を出て、安里は教室に残っていると、入れ替わりに神奈くんが入ってきた。

「真魚瀬、携帯電話を手に入れたんだって?」

「うん。時間がかかっちゃたけど……。これで通話とメール交換ができるよ」

 安里は自分の携帯電話を神奈くんに見せる。

「じゃ、入れさせてもらうわ」

 神奈くんは自分のスマホに安里の携帯番号とメールアドレスを入れた。神奈くんのスマホは灰色の迷彩模様のカバーをつけており、郁子は黄色の水玉のスマホカバーだった。

「これで連絡取り合えるな。じゃあな、俺は午後クラブあるから。何かあったらスマホで伝えてくれよ」

「うん、またね!」

 安里は教室を出て昇降口でローファ靴に履き替えて、上履きはショルダーバッグの中の大巾着の中に入れて、校舎を出ていった。空は青々としていて、太陽が眩しく空気も暖かく、校庭の木々には葉が吹いてたり小さな花のつぼみが枝にあった。

 安里は白と青の車体の市内バスに乗り、バスは学校のある地域からビル街、住宅街へと走っていき、安里は住宅街の磯貝四丁目で降車し、今の住居であるレンガ色の七階建てマンション『ベルジュール磯貝』へ帰っていった。エントランスホールに入り、階段を上がって四〇三号室の自分の家へ足を入れる。ダイニングキッチンではブリーゼと普段着に着替えた炎寿が昼食のシーフードピラフを食べていた。

「ただいまー。いつもより遅くなったわ」

「お帰りなさい。さぁ、どうぞ」

 ブリーゼが帰ってきた安里を見て促し、安里は保波高校の制服から普段用のシャツワンピースに着替えて、昼食にありつく。その後は片付けて自宅学習や近所の散歩を送り、夜にジザイが帰ってくると、ジザイは明日からマリーノ王国に向かうための準備を告げてきた。

「この前の土日にムース伯爵とエトワール夫人の所へ行って、マダム=テレーズの夢のお告げを話したところ、お二方は驚きましたが、これから来るであろう"巨悪"のことは信じてくれました。

 春休みは人間界時間では十二日ですが、ミスティシアでは四十八日です。ですから、じっくりと"巨悪"に立ち向かうためのアイテム探しの時間はある、ということになりますぞ」

 ジザイは土曜日に一度マリーノ王国に戻り、安里の両親のムース伯爵とエトワール夫人にマサカハサラより上の"悪"とその"悪"を倒すためのアイテムのある"想い出の場所"についてを話し、日曜日の夕方に人間界に戻ってきた。

「マリーノ王国には戻る気はないけれど、マサカハサラより上の"悪"を倒すためだもんねぇ」

 安里はため息をつくが、それでも新たな宿命には抗えないことには理解しており、正月以来にマリーノ王国に一時帰還することにした。


 真魚瀬家の住人はその日の夜のうちに旅行用の荷造りをし、翌朝には『ベルジュール磯貝』を出て、舟立海岸へ向かっていった。舟立海岸の岩礁にマリーノ王国へとつながる道があるのだ。

 真魚瀬家の人々は防波ブロックと岩礁のある舟立海岸に着くと、周りに誰もいないのを見計らって変幻自在法を解いて、人魚と不思議生物と蛇女の姿に戻って沈んだ青い色の海の中へ入っていく。海の中は砂の海底に貝やカニ、緑や紫の海藻、浅瀬に棲む魚などがいて、岩礁の洞穴が輝きを放ち、安里たちはその中に入っていく。

 虹色の光と流水の空間を移動し、安里たちは白い砂の底に灰色の岩礁と明るい青の水の空間のミスティシアの海にたどり着く。

「人間界にいる時は入浴と眠る時にしか、本来の姿に戻れないからなー……」

 瑠璃色のハーフアップヘアに紅色の双眸、黒いビスチェと腰ストールをまとった蛇女姿の炎寿ことフェルネが呟く。フェルネは人間界では細長い二本脚だがミスティシアでは赤と黒の蛇腹の下半身になっている。

「仕方ないよ。人間界で本来の姿を見られたら、大騒ぎになっちゃってるよ」

 長い深いピンクのウェーブヘアに薄紫色の双眸、パールパープルのティアードの上下を着て、紫色の尾ひれと鱗の下半身を持つ人魚姿の安里のアンフィリットが言った。

「さぁ、マリーノ王国へ行きましょう」

 ジザイが二人に促し、海中を泳ぎ進んでいくと、中心に巨大な巻貝型の建物がある水妖精の国、マリーノ王国が目に入った。マリーノ王国は砂を固めて貝やサンゴを使った家や店が建ち並び、アンフィリットのような男女の人魚や背に翼をもつセイレーン、海藻模様の衣のウィーディッシュ、甲殻類人などの水妖精が住んでいた。店の区域では貝やサンゴの器を売る店、陸の獣の肉を切り分けて売る肉屋、海藻の繊維で織った布の店などが多々であった。

 アンフィリットたちは商店区や一般民の住宅区を抜けて、富裕者や大商人の家がある区域に入り、その区域の家は二、三階建ての家が多く、アンフィリットの実家は紫サンゴと白波貝を使った大きな家であった。

 アンフィリットは海水に強い石の扉を叩くと、中にいた深いピンク色の髪に紫色の尾ひれに水色の眼を持ち、シンプルな薄藍の簡易ドレスをまとった女の人魚が姿を見せた。

「あらぁ、アンフィリット、それにフェルネまで! ブリーゼ、ジザイ、お疲れ様」

「ただいま、お母さま……」

 アンフィリットの母、エトワール夫人であった。

「話はジザイから全部聞いているわ。人間界の学校の新学期前になるまでに、ここにいなさい」

「おじゃましまーす」

 フェルネも邸宅の中に入り、マリーノ王国の家宅の室内は白石灰で舗装され、壁の棚や窓ガラスは透明な石英水晶で作られ、テーブルや椅子などの家具も石英や海水に強い石で出来ていた。テーブルクロスやカーテンなどの布製品は海藻や地上の植物の繊維で更に防水加工が施されていた。

「アンフィリットもフェルネも元気そうでよかったわ。まぁ、お探しの物が見つかるまで過ごしなさい」

 それからエトワール夫人は寝室へ行って、眠っているアンフィリットの赤ん坊妹のラルーシェの世話をしに行く。

 やがて海が暗く染まって夜になる頃、王城から帰ってきた父のムース伯爵が帰宅してきた。ムース伯爵は金髪に紫色の双眸に銀灰色の尾びれに薄茶色の男物の衣をまとった男人魚である。

「お父さま、お帰りなさい」

「おじゃましてまーす」

 アンフィリットとフェルネはムース伯爵にあいさつする。ムース伯爵は王族仕えの人魚で、役職も収入も良く、アンフィリットを飛び級で大学に行かせただけでなく、フェルネも妖精界と人間界の学校に通えることが出来た。ムース伯爵が帰ってきた後はアンフィリットたちは久しぶりにマリーノ王国の料理を食べて父母との時間を過ごした。マリーノ王国産の魚や貝を使ったシチュー、地上の麦粉と海藻を合わせたパンケーキ、こんにゃくと地上野菜と海藻のサラダ。

「そういえば、アンフィリットさまは人間界のバレンタインという男女の関わりの祝い事で、同じ学校の男子にあげるカップケーキを作ったことがあるんですよ」

 夕食を食べながらブリーゼはムース伯爵とエトワール夫人に言った。それを言われてアンフィリットは慌てた。

「ちょっと、そんなこと話さないでよ……」

「まぁ、アンフィリットに好きな男の子が? 料理も裁縫も苦手なアンフィリットが男の子にあげるお菓子を……」

 エトワール夫人はそれを聞いて好奇を持ち、べっ甲の杯から果実酒を飲んでいたムース伯爵が眉をひそめる。

「でも、比美歌の母さんだってセイレーンだったから……」

 フェルネが夫妻に言うと、ムース伯爵は杯を食卓の上に置いてアンフィリットに告げてきた。

「アンフィリットがマリーノ王国に帰ってきたのは、これから出てくる巨悪に立ち向かうためのアイテム、〈進化の装具〉を見つけだし、それがある"想い出の場所"を探しにきたのだろう? 人間界での日常はジザイから聞いている。自分の目的はちゃんと果たさないと」

「はい。だから人間界での近所の人々や神奈くんに『ギリシアの親戚の集まりに行ってくる』と伝えてまで、マリーノ王国に戻ってきたんです。でもスエーテたちには気をつけないと……」

 アンフィリットは父にそう言うと、一刻でも早く"想い出の場所"へ行って、〈進化の装具〉を見つけて人間界に戻ろうと考えていた。


 次の日の朝、アンフィリットは自宅の私室にある貝殻型のベッドから起き上がると、人間界での住まいとは全く違うと室内にいると気づいて、マリーノ王国では変化が自在法で人間の姿になる必要はなかったことに思い出す。

 朝食を済ませると邸宅を出てフェルネとブリーゼとジザイと共に、アンフィリットの"想い出の場所"と思われるマリーノ王国内の大学へ向かっていった。

 マリーノ大学は国内の最東端にある最高教育機関で、王城に劣らずの施設は砂で固めて貝やサンゴや石英水晶を使った巻貝型の建物がいくつも並んでいるような校舎に医学や教育学や科学などの二十の学部があり、人間年齢十八歳から二十三歳までの妖精が在籍していた。休講で図書室や研究室から出てきた妖精たちが、物珍しそうにアンフィリット一行を見つめていた。アンフィリットは大学に入る時、大学時代のお世話になった教授に人間界での生活報告がしたい、と受付役に伝えて大学の中に入れてもらえた。

 マリーノ大学は一度に数百人が収容可能なことから、一つの教室に三十人の学生が講義を受けていた。学ぶ分野も文学部なら現代語や古典、他にも地上の妖精の語学や伝説も学ぶという風に。

「アンフィリットさまは大学に通っていた頃は総合学部に在籍してましたよね」

 ブリーゼがアンフィリットに尋ねてくると、アンフィリットは軽くうなずく。

「うん。でも、在籍中にドレッダー海賊団が出現したために、人間界に亡命する羽目になっちゃったからね」

 それを聞いてフェルネは罪悪を感じる。

「フェルネ殿、お主も自分の汚名を晴らすためにマリーノ王国に貢献してきたではないですか。気にしてはいけませんぞ」

 ジザイがフェルネに言ってきた。

「しかしなぁ、ドレッダー海賊団がマリーノ王国を占領してきたから、アンフィリットは仲間を持てたというし」

 フェルネは皮肉を呟くも、アンフィリットは確かにと感じていた。周りから出来の良さの故に同世代の妖精からひがまれ、ドレッダー海賊団によって国民が捕虜と化し、アンフィリットはブリーゼとジザイと共に人間界に亡命し、水の妖精の勇士としての運命に沿って仲間を得て、更に恋人まで手に入れたのだから。

「おや、君はアンフィリットくんではないか」

 構内の回廊を回っていると、穏やかそうな顔つきに髪の毛と髭が水で揺らめく海藻のような男人魚がアンフィリットに声をかけてきた。髪と髭は暗緑で尾ひれはえんじ色、灰色の衣に両手には海藻繊維の本を小脇に抱えている。

「あ、あなたはジュシュー教授。お久しぶりです」

 アンフィリットは大学の恩師であるジュシュー教授にあいさつする。

「アンフィリット。君がマリーノ王国を元に戻してくれてから、君はまた大学に通うものかと思ってたら、まさか人間界の学校に通うことになっていたとはね。思っていたより元気そうじゃないか」

「はい……。人間界で仮住まいの筈がすっかり情が移ってしまって……。あの教授、お尋ねしたいことがあるんですが」

 アンフィリットは自分の見た夢の内容をジュシュー教授に一から十まで話し、ジュシュー教授はそれを聞いて多少驚きつつも、考えだす。

「マダム=テレーズのメッセージと"想い出の場所"ねぇ……。君がここにきたのは、大学の可能性が強かったからか。

 そういえば、アンフィリットはよく中庭の東屋で過ごしていたのをよく見かけたなぁ。飛び級で入ってきた子とはいえ、孤独を好んでいたっけ。そこが君にとっての"想い出の場所"じゃないのか?」

 ジュシュー教授はアンフィリットがマリーノ大学にいた時のことを思い出して教える。

「中庭、東屋、孤独……。ああ、だんだんと記憶がよみがえってきたわ。ありがとうございます、教授。わたし、中庭に行ってみます」


 マリーノ大学の中庭は海に咲く青い泡のアブク草や白星花や紫に茶色の海藻が咲き乱れ、白い大理石の創設者のデュフォー教授の胸像、そして同じく白い大理石の東屋があった。

「ここがアンフィリットがよく過ごしていた場所なのか?」

 フェルネが中庭を目にして尋ねてくると、アンフィリットはこの懐かしい様子を目にして答える。

「うん。大学を飛び級で行けたとはいえ、周りは年上の妖精が多くて、やっぱり馴染めなくって。ああ、でも中庭では心が穏やかにいられるから、よく来てたんだっけ……」

 アンフィリットは大学時代の自分の様子を思い出して、フェルネたちに伝えた。

 その時、アンフィリットは間欠泉のように記憶がよみがえってきて、こう言ってきたのだ。

「そうだ……。マリーノ王国にドレッダー海賊団が攻めてきた時、わたしはここにいた。そしたら大学の中がおかしいことに気づいて、中庭を飛び出して構内を回っていたら……。誰もが万年水晶の中に閉じ込められていた」

 アンフィリットはドレッダー海賊団の侵略時に自分は大学の中庭にいたことを思い出した。

「それからわたしは、大学の外も気になって、町の中も見てみたら、多くの妖精たちが万年水晶の中にいて、お父さまとお母さまも……」

 アンフィリットの様子を見てフェルネは良心が痛むも、アンフィリットが次は何を言うか気になっていた。

「国の真上にドレッダー海賊団の艇があって、ドレッドハデスが高笑いしていた。わたしはドレッドハデスの仕業だと知ると、体が震えた。怖いというより、赦せなかったんだ!!」

 アンフィリットがその言葉を口にした時だった。東屋の天井が激しい金の光を発し、アンフィリットたちはその眩しさのあまり、両眼を閉ざしてしまう。光が治まると、金の光の玉がふよふよと飛んできて、アンフィリットの手中に治まる。光が弾けると、それは金色のリングブレスで、手の甲に当たる部分には紫の輝石が六角形に刻まれてはめ込まれて、反対側にはおそらく〈進化〉を表現させるとおぼしき紋章が刻まれていた。

「これが〈進化の装具〉……?」

 アンフィリットはリングブレスを見て呟き、自分の左手首にはめてみた。

「何の反応もないよ?」

 アンフィリットがぼやくと、ジザイが述べてくる。

「今はまだ"巨悪"の出てない時だから、発揮しないのだと思いますよ。だけど見つかって良かったじゃないですか」

「それも、そうだね……」

 アンフィリットたちは〈進化の装具〉を見つけると、大学を出てムース伯爵邸に戻っていった。その後は両親と妹と過ごしたが、進化の装具を見つけた次の日の朝、アンフィリットの持っているシュピーシェルが鳴りだした。アンフィリットがシュピーシェルを開けてみると、上蓋に比美歌の姿が映し出される。

『安里ちゃん、炎寿ちゃん! マサカハサラが出たの! わたしと法代ちゃんだけじゃ手に負えないから助けて!』

 人間界にいる比美歌の救援だった。その様子を見て、フェルネたちが促した。

「アンフィリットだけでも戻れ! 〈進化の装具〉が見つかったんだから」

「そ、そうね。急いで比美歌ちゃんと法代ちゃんを助けなきゃ!」

 アンフィリットは一刻も早く人間界に戻って、マサカハサラに苦戦している仲間の元へ行こうと決めた。

「フェルネ殿の"想い出の場所"探しは、わたくしが付き添いますぞ!」

「アンフィリットさま、わたしも後から来ます。アンフィリットさまだけだと人間界の暮らしに困りますし……」

 ブリーゼがアンフィリットの援助を告げてくる。

「もう、戻るのか。気をつけて行けよ」

「また帰りたかったら前もって報せてね」

 ムース伯爵とエトワール夫人がアンフィリットに言った。〈進化の装具〉が見つかった後で良かったとアンフィリットは思った。そして家を飛び出し、人間界への通路に向かって町中を駆け抜けていくアンフィリットを見て、他の水妖精たちが驚いていたけど、今は人間界の仲間の救出に向かうアンフィリットには関係のないことだった。