千葉県保波市の町中道路――。そこには何台ものの自動車があったが、どれも乗り捨てられており、十字路に出る先端に至っては陥没していた。そこにいるのは背に海鳥の翼を生やし音符をあしらった白い衣装の比美歌と、髪型が変わり薄緑のアームカバー付き衣装の姿の法代が突如町中に出現したマサカハサラの改造生物ハマヤーンと戦っていた。 ハマヤーンは何匹のアメフラシが出てきて、それが犬と同じ大きさの体で体から紫色の粘液を出していた。道路が陥没したのはアメフラシのハマヤーンの仕業だった。ハマヤーンは地下水道を通ってアスファルトの下の地面を湿らせて、道路を陥没させて、そこから出現してきた。大きなアメフラシの群れを見て、町の人々やドライバーはその場から逃げ出していったのだった。 この時自分の町にいた比美歌と法代は町の騒ぎを聞きつけて、現場に駆けつけてきたのだった。アメフラシのハマヤーンの指揮官は巨漢のカウィキテフだった。比美歌と法代は変身して戦うも、ハマヤーンの体の粘液は比美歌の音撃も法代の海藻型攻撃も全て弾いてしまい、更にハマヤーンの出してくる紫色の粘液の散乱で身動きが取れなくなったりと苦戦していたのだ。 「やっぱり炎寿さんと安里さんがいないと、勝てないんじゃあ……」 法代がフレイルを持った状態でフルートステッキを所持する比美歌に訊いてくる。 「安里ちゃんと炎寿ちゃんはミスティシアに行っているとはいえ、今さっき助けを求めたのはともかく、どこのタイミングで出てくるか……」 比美歌も自分たちを囲んでいるハマヤーンをどうしようか立ち止まっていた。 「くくく……。やっぱりリーダーとなる妖精がいないと苦戦するのだな。それとも純粋な妖精と混血の妖精では、性能に差が出るものなのか?」 カウィキテフが法代と比美歌の様子を見て、うっすら笑う。ハマヤーンの群れが比美歌と法代に迫ってくる。 (万事休すか……) 比美歌がそう思った時だった。光を帯びた水の楔が後方から飛んできて、ハマヤーンの三体に当たり、その攻撃を受けたハマヤーンは体が縮んで普通のアメフラシになる。 「あ、あれは……」 法代は攻撃が飛んできた方向を目にして呟く。長い深いピンクのウェーブヘアに紫色の瞳、魚のひれ型フリルの意匠の紫色のフィッシュテールスカートの衣装に右手に三叉槍を持った少女が立っていたのだ。 「安里ちゃん!」 「来てくれたんですね。良かった!」 比美歌と法代はミスティシアに行っていた安里が自分のピンチに駆けつけてくれたことに安心する。 「マーメイド=トリアイナスラスト!!」 安里は光を帯びた水流を三叉槍にまとい、ハマヤーンに向けて撃ち放つ。光の激流は直線となり、ハマヤーンは攻撃を受けて、次々とアメフラシに戻って全滅する。 「くそ……。また失敗か。アーキルラースに頼んで、もっと強いハマヤーンを出してもらわないと」 そう言ってカウィキテフは現場を去っていく。比美歌と法代は安里に駆け寄る。 「安里さん、ミスティシアに行っていたとはいえ、来てくれてありがとう」 法代は安里に礼を言う。 「安里ちゃん、〈進化の装具(エヴォリュシオン=ガジェット)〉は……?」 比美歌が尋ねてくると安里は自分の右手首のリングブレスを二人に見せる。 「ほら、これだよ。わたしが通っていた大学の庭の東屋で見つかったの……」 安里と比美歌と法代はハマヤーンを倒した後は変身を解除して、比美歌は安里を連れて自分の家の団地へ連れていった。というのも、安里は仲間のピンチだったとはいえ、自分の荷物をそんなに持ってこられず、人間界に戻ってきたため、着の身着のままだった。 「ミスティシアでは四日だったけど、人間界ではまだ一日しか経過してないんだよね。 だからといってマンションに戻ったら戻ったで、近所の人たちにどう説明したらいいかも……」 安里は紫色のカーディガンと中シャツと巻きスカートと布ブーツの姿で町中を歩き、比美歌に行ってきた。 「そしたらブリーゼさんが帰ってくるまで、わたしの家に泊まればいいよ。お父さんには上手く言ってあげるから」 比美歌は安里を泊まらせてあげることを思案し、安里はそれを聞いて安心した。 「ああ、ありがとう。比美歌ちゃん、困っているわたしを助けてくれるなんて」 「うん。わたしの家はお父さんが出勤の時はいつも一人だから寂しくて」 「ああ、そうだったね……」 安里は比美歌の家庭状況を思い出す。比美歌の母は彼女が七歳の時に脳病で亡くなり、それ以来比美歌は父と二人で生活してきたからだ。 磯貝三丁目の中にある三階建て団地の三棟の真ん中の三階の一角が宇多川家であった。 「お邪魔しまーす」 安里は初めて入る比美歌の家にお邪魔し真魚瀬家が使っているマンションよりもこぢんまりしているが、廊下や部屋は清潔そうだった。居間はテレビや小物を入れる引き出しタンスの他に小さな黒い仏壇があった。その遺影の枠の写真は比美歌によく似た女性であった。 「お母さん、ただいま」 比美歌は鈴(りん)を叩いて手を合わせ、安里も比美歌に倣って合掌してお辞儀をする。 「お父さん、夕方までには帰ってこないから、ここで好きにしていいよ」 「じゃあ、お言葉に甘えて……」 といっても春休みの今は勉強と家事以外の用事は思いつくことなく、比美歌の部屋から持ってきた漫画や小説を読んでみた。恋愛やファンタジーが多く、他にも児童文庫もあった。 それから十二時になると比美歌は台所で野菜を刻んだりし始めて、二人分の昼食を作った。野菜とエビなどの魚介類を使った塩焼きそばとインスタントのチキンコンソメスープである。 「むふぅ……。比美歌ちゃんはやっぱり料理の達人だよ。わたしなんて、お菓子を一つだけで精一杯だったのに」 「そんなことないよ。わたしだってお母さんが亡くなった後はお父さんがご飯を作って、帰りが遅い時は出前や弁当屋で済ましていた時もあったし」 比美歌は安里に母亡き後の状況を教えた。 「わたしが料理できるようになったのは小四に入ってからかな。カレーと焼きそばとチャーハンぐらいがいいところだったし。わたしだって最初は上手くいかなかったのよ」 「だけど、お母さんがいなくても料理や裁縫ができるのは立派だと思う。ああ、そうだ。ミスティシアに行っていた時、比美歌ちゃんのお母さんのことを調べてわかったんだけど、ミスティシアの八十年前に比美歌ちゃんのお母さんの親――、母方祖父母が亡くなっていて、お母さんはその後一人で人間界に移行してきたみたいね」 安里の話を聞いて比美歌は静かになる。母はどこで生まれ育ったのかを聞かされていなかったからだ。 「ふと思ったんだけどさ、比美歌ちゃんの"想い出の場所"って、比美歌ちゃんのお母さんが初めて人間界に来た時か比美歌ちゃんのお父さんと出会った場所なんじゃないかと? 憶測だけど」 「お母さんが初めて人間界に来た時の場所……」 そこに行けば〈進化の装具〉があることなのだろうか。父が帰ってきたら母との想い出の話を教えてもらおう。比美歌はそう決意したのだった。 夕方の四時ごろに安里より遅れてミスティシアから戻ってきたブリーゼが人間の真魚瀬潮に姿を変えて、安里の携帯番号を通じて比美歌の家まで迎えに来てくれた。 「それではまた……」 「また何かあったら連絡するね」 安里はブリーゼと共に帰った後と入れ替わるように、比美歌の父が帰ってきた。 「ただいまー」 比美歌の父はタクシー会社の運転手で、妻の真美歌が亡くなってから、比美歌と共に過ごしてきた。なれない家事や通勤日と娘の学校行事が重なってしまったりと四苦八苦していたが、娘が文化祭でアマチュアバンドの歌手をやったことから音楽プロデューサーの玉城氏にスカウトされてから、娘の夢が叶ったことには喜んでいた。 その日の夜、比美歌は父と食べる夕食の鱒の塩焼きを焼いた後、父に訊いてみた。 「ねぇ、お父さん。お母さんとはどうやって出会ったの?」 それを聞いて父は娘の突然の質問にピクッと反応する。 「何だ、急に……。いきなり訊いてくるなんて」 「わたし、お母さんがどうやってお父さんと結婚したのかと訊こうとする前に、お母さんが亡くなったから……。今年で十周忌を迎えるから」 比美歌の母は九月の始業式に入った後に自宅で倒れて、一週間後に亡くなった。その時比美歌は学校にいた。体育の授業を受けている中、学校の先生が病院から電話が来たことを比美歌に教えた。比美歌は父と一緒に病院へ向かったが、母の意識は戻らず亡くなる前に病院にきた比美歌と父に、臨終前に目覚めた母は「この子をよろしくお願いします」と言って間もなく息を引き取った。葬式の時は近所の人たちと小学校の担任と同級生、父の会社の人たちと父側の親戚しか来ておらず、母方の親戚や身内がいないことに比美歌は気づいたのだった。 「お母さんはお父さんと出会った時点で、すでに身寄りがなかった」 と父は幼い比美歌にそう言ったのだが……。 「まぁ、いつかは話さないといけないと思ってきたけど、お前が言うんじゃなぁ。おれが真美歌と出会ったのは、神奈川県横浜市だったな。あの時父さんは大学四年生に入る前の春休みで、サークルの人たちと一緒に旅行に来ていた」 父は比美歌に母・真美歌と出会った理由を語り出す。 父は大学のサークル仲間とは別々の自由行動の時に一人で春の浜辺を歩いていた。波打つ海と白い砂浜、潮風に当たっていると、どこからか澄んだ女の歌声が聞こえてきた。海岸を探っていると、灯台の下で一人の女性が歌を唄っていたのだ。長い褐色の髪は潮風でたなびき、白い麻と木綿の合わせワンピースで細長い腕脚はバレリーナと思うかのような感じで、細面の美女だった。 父はその美しさと歌声に一発で惚れてしまい、灯台へ駆け寄り美女に話しかけてきたのだった。横浜の地元民化と思ってていたが、真美歌も旅をしていて横浜に来ていたという。父は真美歌と文通から始めてくれないか、と申し込んだが彼女は海外に住んでいたためそれは出来ないと答えた。その代わりとして九ヶ月後の冬に同じ場所でまた会おうと告げてきた。 父は大卒後に就職が決まると、年明けの冬の横浜の海岸の灯台で真美歌と再会した。それから父と母は定期的に会うようになり、父が二十五歳の時父は真美歌にプロポーズをした。また母も自分の両親が鬼籍だったのを機に、父のプロポーズを受け入れた。 だが父の実家の人たちが父の結婚を反対した。身寄りがないとはいえ、素性のわからない女と結婚するのを。父はどうしても真美歌と結婚したがっていた。父の実家は愛知県豊橋市にあり、父の姉は愛知県内の地主に嫁いで父の兄も長男ということで実家を継ぐことが決まっていたからともかく、末子で次男だけど比美歌の父がどこの誰ともわからない女との結婚は誰もが反した。 結果父は真美歌と駆け落ちし、千葉県に移り住み、父は就職した愛知県のシステム会社を退職して、千葉県の別企業で就職してから三年後に比美歌が生まれ、比美歌が小学校に入ると運転免許証もあったのでタクシー会社に転職したのだった。 「お父さんとお母さんが駆け落ちしてたなんて……」 比美歌は両親の結婚の真相を聞いて驚いていた。母が素性がわからないからと父方祖父母から反対されていたことにも。 「でも真美歌はお前を残して死んだ。だけど、父さんが再婚したり愛知県の実家に戻ることもなかったのは、お前だけでもいてくれれば良かったんだ。父さんは本当に母さんのことを想っていて……」 しんみりする父を見て比美歌は思った。 (お父さん、お母さんはミスティシア生まれの妖精セイレーンなんだよ。お母さんは本当のことを言わない、いや言えないまま亡くなったの) 「それと比美歌、お前が横浜に行きたいのなら、何とか合間を見つけて連れて行ってやるぞ」 「うん。わかった……」 比美歌と父は夕食を食べ終えると、比美歌は食器を洗って父は風呂掃除をする。比美歌は自分の部屋に戻ると、バッグに入れていた携帯番号にメールが入っていたのを目にしてみると、それは音楽プロデューサー、玉城五夢(たましろ・いつむ)氏からの通知だった。 『デビュー曲のPXのロケ地が決まった。場所は横浜の海岸で、三月第四土曜日朝九時に保波駅に来ること』 比美歌は目を見開いた。まさか自身のデビュー曲のPVのロケーション先が父と母が出会った場所なのを! 比美歌はここに行くなら今しかない、と悟って父にメールを見せに行った。 比美歌のデビュー曲のPX撮影の日、この日は玉城氏の他、運転手やスタイリストやメイクアップアーティスト、カメラマンなどおスタッフがそろっており、比美歌は三月第四土曜日に朝早く保波駅へ行き、そこには玉城氏たちが来ており、比美歌たちは二時間かけて横浜の海岸に到着し、スタイリストの女性が比美歌に衣装を着せてくれた。 中心にフリルがついたパフスリーブに袖口がフレア状の白いワンピースに白いフレアハット、靴は細い革ひものミュール。化粧のメイク担当の青年が比美歌の衣装に合わせたメイクを施してくれた。 その後は玉城氏が企てた原案の通りにし、白い砂浜と青い海をバックにして、PX映像の撮影に励んだ。玉城氏も誰もが比美歌の様子を目にして感心していた。 PV撮影は思っていたより早く終わった。 「四時に帰るから、それまで自由にしていいよ」 玉城氏から自由行動の許可をもらった比美歌はそれを聞いて喜んだ。 「あ、ありがとうございます」 PV撮影用の衣装から普段のジージャンと白地に小花模様のワンピースに着替えた比美歌は移動用の車から海岸と灯台への道を駆けていった。メイク係の人もスタイリストも海岸近くのカフェで一服しており、比美歌は一人で"想い出の場所"へ行くなら今だ、と悟って灯台へ向かっていったのだった。 灯台は撮影場所から歩いて二十分の場所にあった。岬の先に灯台の周囲には松の木々、ハマナスなどの花が咲いていた。灯台に来られたのはいいが、比美歌はさっきと比べて潮風が強くなっていることに気づく。 (PV撮影の時よりも、風が激しいな。早いうちに〈進化の装具〉を見つけないと) 比美歌は思った。潮風が吹くたびに髪や肌がべたつき、目にゴミが入りそうでまぶたを閉ざしてしまう。まるで風が比美歌の邪魔をするように。 (ここが"想い出の場所"ならば、わたしを導いてくれるのに……。お母さん、教えてよ) 比美歌がそう思った時だった。どこからか柔らかい旋律が走り、風が音色に応えるようにだんだんと弱くなっていく。風がすっかりそよ風になると、比美歌はまぶたを見開き、目の前の光景を目にする。岬の両脇には並列に植えられた松の木々、地面には赤紫色のハマナスの花、そしてそびえたつ白い灯台。 比美歌は視界がわかると、チャームを両手で包み込んで念じる。 (お母さん、ここが"想い出の場所"なら、〈進化の装具〉がどこにあるのか導いて下さい。今の悪であるマサカハサラより上の"悪"である存在と戦うために。人間界とミスティシアの未来のために。そして、お父さんとお母さんの想い出をわたしが受け継ぐためにも!) その時だった。灯台の門前とその近くの左右の松の木が挟むような地面が金色に輝きだしてきて、地面から金色の光の玉が出てきて、比美歌の手元に納まる。すると光が弾けて、金色のイヤーカフがあり、そのイヤーカフには安里のリングブレスと同じ紋章と白い宝石がはめ込まれていた。 「これがわたしの〈進化の装具〉……」 更に比美歌の前に一人の女の人が現れた。その人は長いオレンジ色の髪にマリンブルーの双眸、背には白い海鳥の翼、白い天女のような衣をまとっていた。 「比美歌、大きくなりましたね……」 「お、お母さん? ああ、そうか。これは幻なんだ……」 比美歌は亡き母の幻影を見て呟く。 「わたしは一時的に黄泉の国から出ることを許されました。あなたとあなたの仲間が持つ〈進化の装具〉のことを伝えに……」 「〈進化の装具〉がどうした、っていうの?」 比美歌は母に尋ねてくる。 「〈進化の装具〉は所有者の徳に反応するアイテムで、それぞれ正義・夢想・慈悲・信頼を司り、これから出現する"悪"を倒すためアクアティックファイターの進化を促すのです。 あなたの仲間は正義、比美歌は夢想。あとの二つは残りの仲間が手に入れることでしょう。それと、比美歌」 比美歌の母は比美歌を見つめる。 「わたしがこの世を去っても、あなたの父さん、圭介(けいすけ)さんはあなたを育ててくれたみたいね。あなたの歌手になる夢も黄泉の国から見ていましたよ。本当に嬉しいわ……」 「お母さん……」 比美歌は目を潤ませる。 「わたしはもう黄泉の国に帰るけれど、これからも比美歌と圭介さんのことを見守っているわよ」 そう言って比美歌の母、真美歌の幻は消えた。風もいつの間にか凪となり、空は淡い紫を帯びた黄色になっていた。 そして比美歌は先ほど手に入れた〈進化の装具〉を両耳につけた。 「お母さん、わたしこのまま夢に向かっていくよ……!」 比美歌は母の霊魂と会えただけでも、自分の今の姿を見せることが出来ただけでも良かったのだった。 |
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