2弾・3話 黄泉隠(ヨミガクレ)の挑戦


 地上より数百メートル下にある暗くて深い地底洞。そこにヨミガクレの本拠地があった。

 ヨミガクレの拠点は鍵穴のような形の前方後円墳をかたどった城で、その中にある王間は青白い炎によって照らされている行灯、王座は四方を白い布で囲まれており、女王の姿ははっきりとしない影であった。

 ヨミガクレの幹部、タケモリノイクサは女王に地上には人間の他に妖精もいたことを伝えた。

「異世界の妖精、アクアティックファイターズだと!? かの者にヤドリマを倒された、と」

 女王は低くも高くもない声を出してタケモリノイクサに尋ねる。

「はい。彼奴らはそう名乗っておりました」

「今しばらくは、かの者たちを見つめる必要があるな。地上侵略は後じゃ」

 女王がこう判断すると、タケモリノイクサは「はっ」と答える。


 安里たちがモールから帰ってきた日から二日後に一学期期末試験の発表があった。一年生は一年の教室がある廊下の大型掲示板に生徒の名前と点数の順位表が貼られていた。

「学年総合一位は深沢くんかー。どれだけ努力してるんだろ」

「安里ちゃんだって、学年総合で六位じゃない。あたしなんて、真ん中なのに」

 安里は順位表を見て深沢くんが一番だったのを目にして呟き、郁子が安里と自分の順位を見て言った。

「わたしは上から三五番ね。音楽だけが極端に良かったからなぁ」

 比美歌が自分の順位を見て呟いた。他の生徒も自分の順位を見て喜んだり落ち込んだりとしており、一人の男子の声が聞こえてきた。

「くっそー。数学と英語、追試かよ……」

 そう言ってきたのは、安里たちと同じクラスでバスケット部員の神奈瑞仁であった。

「瑞仁。確か四五点以下は追試なんだよな?」

 神奈くんと同じバスケ部の男子が言ってきた。神奈くんの順位は二〇五位と書かれており、二〇〇位以下で一教科四五点以下は追試と決まっていた。

「他は何とかなったけど、英語と数学はどうもなぁ……」

 神奈くんは頭を抱える。

「でもなー、クラブの練習には出たいし、追試もやらなくちゃいけないし、どうしたら……」

 いつも明るくて笑顔の多い神奈くんの悩ませる顔を見て、安里は神奈くんの知らない一面を知った。

 神奈くんの他にも一年四組では追試を受ける生徒が五人もいて、その人たちは休み時間や昼休みでも教科書と問題集を広げていた。

「ええーと、この数字がここに来て……。あれがこうなって……」

 神奈くんが数学の教科書を開いてブツブツ言っている。追試のない生徒は図書室へ行ったり、外でバレーボールなどの軽い運動をしたりと様々であった。

「みんなー、次の化学の授業は実験室でやる、ってさー」

 教室に入ってきたのは深沢くんで、教室に居る神奈くんたちに伝えた。

「ああ、そうか。教えてくれてありがとな」

 他にも化学の授業で使う教科書やノートを取りにやってきた生徒が次々に入ってきては道具を取って第二校舎の実験室へ向かう。神奈くんも数学の教科書をしまい、化学の教科書とノートを取り出して第二校舎へ向かっていった。

「深沢、放課後になったら数学と英語を教えてくれないか? 学年一のお前の頭脳が頼りなんでなぁ……」

 すると深沢くんは顔を曇らせる。

「教えてあげたいのは山々なんですが、僕はこの日は英語塾の日でして無理なんですよ」

「そんな〜。じゃあどうしたら……」

 神奈くんが困り出すと、深沢くんが眼鏡を持ち直す。

「真魚瀬さんに教えてもらったらどうです? 彼女はギリシア帰りで大学に飛び級してたというし」

「真魚瀬かぁ……。確かに真魚瀬は上から数えて早いしなぁ。真魚瀬に頼んで教えてもらうか」

 深沢くんの言葉を聞いて神奈くんはその案を受け入れることにした。

 化学の授業も六時間目の授業も掃除の時間も終わり、帰りのHRも済んで生徒たちがクラブや委員会や自分の家に帰ろうとした時、安里はバッグに教科書を入れていると深沢くんに声をかけられる。

「あの真魚瀬さん、ちょっといいですか?」

「ん? 何?」

「はい。神奈くんが追試を受けることになったので、勉強を見てもらえませんか?」

「え? わたしが神奈くんの勉強を見る?」

 それを聞いて安里の他に教科書をバッグに詰めていた比美歌と郁子もそれを聞いて手を止める。

「ぼくは習い事があって教えたくても教えられず、ギリシア帰りで大学に行ったこともある真魚瀬さんなら神奈くんの追試勉強の教え役が適任だと思って」

「わたしが勉強を教える身ねぇ……」

 深沢くんの話を聞いて安里は考える。

「わかったわ。わたしも林間学校で神奈くんに助けてもらったのもあるし」

 それを聞いて比美歌と郁子も深沢くんの話を聞いて納得した。

 一年四組の教室は安里と神奈くんの二人だけで比美歌と郁子は先に帰っていった。

「この公式はこうやって解くんだよ」

「あー、そうか。おれ間違えて一つ見落としてたんだな」

 神奈くんは安里から数学の問題の解き方を教えてもらい理解する。

「この会話文の動詞は主にこれで、接続詞が……」

 安里は英語の問題も神奈くんに教えて、神奈くんも安里の教え方がとてもわかり易いことに受け入れていた。

「あっ、もうこんな時間。バスの時間、間に合えばいいんだけど……」

 安里は神奈くんに勉強を教えている間に一時間近くも経っていたことに気づく。いつもなら三時台のバスに乗っていくのだが、深沢くんに頼まれたため、いつもより遅れてしまったのだ。

「あ、もしかして真魚瀬も習い事か?」

「ううん。お母さんに連絡するのを忘れていただけ。心配性だから」

「真魚瀬、教えてくれてありがとな。おれもう帰るわ」

「うん。また教えてあげるよ」

 神奈くんは教室を出て、安里もバス停へ向かっていった。幸いバス停はこれから帰る保波高校の生徒が一〇数人も並んでいたが、バスはすぐ来てくれたので待たずに帰れることが出来た。バスの中は学校帰りの中高生の他に出掛け先から帰ってきた老人や主婦、親子も乗っていた。

 安里は磯貝五丁目に着くと、ブザーを押して下車して、『メゾン磯貝』に到着した。

「ただいまー」

「アンフィリット様、お帰りなさいませ。今日はいちだんと遅かったですねぇ」

 居間のドアが開いていて、カモメ姿のブリーゼがアイロン台とアイロンを出して安里のシャツやハンカチをのばしていた。

「うん……、クラスメイトが追試を受けるから、って勉強を教えてたんだ」

 それを聞いて翼の先でアイロンを動かしていたブリーゼが静止する。

「今何と!?」

「クラスメイトに勉強を教えてたから帰るのが遅くなって……」

「まぁまぁ、アンフィリット様がご学友に勉強を教えるなんて……」

「ほ、本当は深沢くんが教える筈だったんだけど、深沢くんは塾があって深沢くんに頼まれて代わりに教えて……」

 安里は事の正しさをブリーゼに伝えた。

 夜にジザイが帰ってくると、ジザイはブリーゼが作ってくれた晩御飯を食べながら、アンフィリットがクラスメイトに勉強を教えてあげていた話を聞いて感心する。

「アンフィリット様が……。アンフィリット様も他者に思いやられることが出来るようになったとは……」

「だから深沢くんの代わりに、って言っているのにな〜」

 安里はジザイに今日の出来事について褒められると照れる。

「いや、ご学友に勉強を教わるのも進歩の一つ! ミスティシアのお父上とお母上が知ったら、どんなに喜ぶかと……」


 安里が神奈くんに勉強を教えてから一週間が経ち、神奈くんや追試を受ける生徒たちは放課後に同じ教室に集まって追試を受ける。

「神奈くんたち、追試に合格するといいね」

 昇降口で郁子が神奈くんたちの成功を望んだ。

「安里ちゃんが教えてあげていたから、大丈夫でしょ」

 比美歌が郁子に言った。

「神奈くんは『真魚瀬の教え方は丁寧でわかりやすく、家に帰ってからもはかどる』って言ってましたよ」

 深沢くんが神奈くんから状況を教えてもらうと安里は「そーなんだ……」と言った。

「安里ちゃん、教え方がいいんなら学校の先生がいいんじゃないの?」

 郁子が安里に尋ねてくる。

「学校の先生ねぇ……。前にいた国では大学に行っていたけど、進路まではなぁ……」

 安里は思い出す。ミスティシアの海の中にあるマリーノ王国にいた頃の安里は大学に通い、自分より年配の妖精たちと一緒に勉強していた。安里はマリーノ王国の国立大学に通っていた時は総合学部というクラスに所属しており、そこでは語学や法律、歴史や地理、数学、科学、生物、気象、物理学、芸術も音楽も習っていたが、大学修了の後の進路はどうするまでか考えていなかったのだ。

「郁ちゃん、安里ちゃんの進路は自分で決めるんだから、そこまで言わなくていの」

 比美歌が郁子に注意する。

「そうだよね。安里ちゃんの夢は安里ちゃんが決めるんだよね」

 郁子が舌を出して言った。

(神奈くんや他の人の追試が上手くいきますように)

 安里は追試を受けている人たちの様子を思い浮かべて祈った。


 安里は比美歌と郁子と別れて『メゾン磯貝』に戻り、玄関に入るとブリーゼが居間の中で安里が帰ってくるのを待っていた。そして居間のローテーブルの上には白い二枚貝のようなものが三つ置かれており、貝殻の表面には赤や緑などの色石がはめ込まれていた。

「ただいまー。ブリーゼ、これは?」

 安里がブリーゼに貝の形をしたアイテムのことを訊くと、ブリーゼは答える。

「昨日と一昨日、ジザイはまたミスティシアに戻って、マリーノ王国のムース伯爵から、これを渡されて『娘や仲間に持たせておくように』と頼まれたのです。でもジザイは昨夜ミスティシアから戻ってきたばかりで、アンフィリット様に渡しそびれたようです。それで、今渡すことにしました」

「またミスティシアから呼ばれたのね、ジザイは……。これは何に使うの?」

 安里はブリーゼに貝型アイテムの使い方を聞いてくる。

「これはシュピーシェルといって、普段のアクアティックファイター同士の通信ができるというアイテムです。ちなみに地下でも高い場所でもどんなに遠くても使えるので便利ですよ」

 安里がシュピーシェルを一つ手に取ってみてみると、貝の上には鏡が付いており、下の部分には水晶のようなボタンが付いていた。

 安里がボタンの一つを押すと、残っているシュピーシェルがルルル、と音を立ててブリーゼが通信に出る。すると安里の持っているシュピーシェルの鏡にブリーゼの顔が映し出される。

『もしもし。これがシュピーシェルの使い方なのですよ。おわかりいただきましたか?』

 安里はこんなに便利な物があるなんて思ってもおらず、表情をパァッとさせる。

「これで事件が起きたら、比美歌ちゃんや法代ちゃんを呼べるんだね!」

「そうでございます。ではこの二人にもシュピーシェルをお渡してやってください」

 ブリーゼは安里に比美歌と法代にもシュピーシェルを渡しておくようにと伝えた。


 磯貝四丁目にある保波第二中学校。陸上部の面々は倉庫からマットレスやハードルなどの道具を出して早朝練習にはげんでいた。

 磯貝第二中学校では校舎の昇降口前に初代校長の胸像が飾られており、初代校長が年代や世代の変わっていく生徒を見守るように見えた。

 胸像の近くで灰色の作業服を着た用務員のおじさんが校舎前の花壇の掃き掃除をしていると、誰かに見られているような視線を感じた。用務員のおじさんが振り向くと、いるのは自分と胸像だけだった。

「気のせいか……?」

 用務員さんが再び掃き掃除を始めると、また気配を感じた。そしてさっきと違って素早く振り向くと、何と初代校長の胸像の目が赤く光り、用務員さんを睨みつけてほくそ笑んでいたのだ。

「うわあああっ」

 用務員はこの胸像を目にして悲鳴を上げ、朝練の陸上部員たちが駆けつけてきたが、部員たちは胸像の前で失神している用務員さんを見つけただけだった。


 この事件のあった日の夕方、安里は学校から帰ってくると、ブリーゼからお使いを頼まれて制服から普段着のボタンダウンワンピースに着替えてスーパー丸木屋へ買い物へ行き、買い物が済むと帰宅前に法代の家に行って、法代にシュピーシェルを渡しておこうと考えていた。

 法代の家は商店と住宅がある合一街の『NEYA(ネヤ)フラワーハウス』で、黒い切り妻屋根にミントグリーンの板壁の二階建て屋根裏付きの花屋で、今は朝顔や百合やシャクナゲなどの夏を代表する花が売られていた。

「あら、あなたは真瀬さんとこの……」

 長い髪を一括りにしてエプロンをつけた法代の母が閉店の準備をしていた。

「あ、こんばんは。法代ちゃん、いますか?」

「ええ、今呼んでくるわ」

 法代の母が法代を呼ぶと、長い黒髪に薄手のサロペットとポップなTシャツ姿の法代が店の中から現れる。法代が出てくるのと入れ替わるように法代のは母は店の中に入って、店内を片付ける。

「ああ、そうだ。法代ちゃん、これを……」

 そう言って安里は法代にシュピーシェルを手渡す。

「安里さん、これは……」

「これはわたしと比美歌ちゃんと法代ちゃんが通信するためのアイテム。別々の場所に居ても連絡が取り合えるのよ」

「わぁ、素敵。どうもありがとうございます」

 安里は三つ目のシュピーシェルを法代に渡して一息つかせる。二つ目のシュピーシェルは学校で比美歌に渡しており、比美歌はシュピーシェルを受け取ると、お互いのピンチになったら助け合えると言っていたのを思い出した。


 比美歌と法代がシュピーシェルを受け取ってから数日後、学校から帰宅しようと昇降口から出ようとした時、ルルルという音がして安里と比美歌が気づいた。

「何、今の音? 安里ちゃんの携帯電話の音?」

 郁子が尋ねてくると、比美歌は郁子に言った。

「ちょっと待ってて」

 安里と比美歌は下駄箱から少し離れた階段下の倉庫近くに行くと、シュピーシェルを制服のスカートから出して上ブタを開ける。すると鏡に法代の顔が映った。

『安里さん、比美歌さん。磯貝四丁目の第二中学校で初代校長の像が怪物となって暴れています。ヨミガクレの仕業だと思います!』

「わかった、今行く」

 安里は通信を切ると、比美歌は昇降口にいる郁子に言ってきた。

「郁ちゃん、先に帰っていて。わたしと安里ちゃん、先生から用事を頼まれていたのを思い出したの」

「ええ!? 仕方ないなぁ……」

「ごめんね」

 比美歌は郁子に謝ると、安里と共に人気(ひとけ)のない場所に行って制服の胸ポケットに入れていたライトチャームを出して、祈る。

「ライトチャームよ、わたしをアクアティックファイターに変えて」

 安里は薄紫、比美歌は白い光に包まれると、薄紫のフィッシュテールスカートの衣裳、背に翼を生やした白いタイトワンピース姿になって。窓から抜け出して安里は比美歌の両手に掴まって、比美歌は背中の翼を動かして保波第二中学校の方向へと向かっていった。


「うわーっ!」

「きゃーっ!」

 保波第二中学の生徒や教師たちは初代校長の胸像が目を光らせただけでなく、腕や脚を出してきて、生徒たちを無差別に襲い出してきたのを目にして逃げたり隠れたりしていた。

 偶然街中を歩いていた法代は中学校の様子の異変に駆けつけて、校長の胸像が怪物になったのを目にして、アクアティックファイターになった。

 だが怪物は無尽に生徒を襲っているため、下手したら生徒を傷つけてしまうと思って留まっていたのだ。

「あっ、安里さん、比美歌さん!!」

 法代は安里と比美歌が北の方角からやってきたのを目にして手を振る。安里は着地して、比美歌も地面に足をつける。

「ああ、今度は校長先生の像が怪物になって生徒や先生を襲っているわ!」

「よし、急いでやっつけよう!」

 比美歌が様子を目にして、安里が二人に言った。


 アクアティックファイターと胸像の怪物の戦いが始まる。まず法代が海藻型のエネルギー波動、ウィーディッシュ=エナジーバインドを出して怪物の両腕を縛り、続いて比美歌が音符型のエネルギー攻撃であるセイレーン=ビューティーサウンドを放ち、四分や六分などの音符型のエネルギーが怪物に当たって倒れる。止めに安里が光を帯びた水流を放つマーメイド=スプラッシュトルネードを出して、怪物は断末魔を上げて、校長の胸像に戻る。

 生徒や教師たちは校舎や体育館に隠れていたが静かになると、怪物はいなくなっており、代わりに地面に埋まった初代校長の像だけが残されているのを目にした。

「一体何があったんだ……!?」

 誰もが不思議がっていたが、体育館の屋根の上で一人の人物が怪物とアクアティックファイターの戦いを見届けていた。タケモリノイクサであった。

「なかなかやるではないか。次こそはもっと強力なヤドリマを出しておこう」

 タケモリノイクサは中学校の胸像をヤドリマに変えて、中学校の人たちを襲わせていたのだ。


 安里・比美歌・法代もヤドリマを倒した後は中学校を去って、返信を解除して普段の姿に戻った。

「いやー、このシュピーシェルがなかったら今頃わたし一人が苦戦してましたよ」

 法代がシュピーシェルの便利さを安里と比美歌に伝える。

「うん。でもヨミガクレはまた何をしてくるかわからないから気を付けないとね」

 比美歌が二人に言った。

「うん。次は何処でどんなヤドリマを出してくるかもわからないし……」

 安里もシュピーシェルを握って、今後の戦いに備えて気を引き締めた。


 次の日の保波高校、安里が教室に入ってくると、神奈くんが安里に追試の結果の答案を見せた。英語は七十八点、数学は七十五点と合格規定の点数であった。

(良かった。神奈くん、追試をクリアできて……)

 安里は神奈くんの様子を見て一安心し、更にチャイムが鳴って、みんな席に着いた。

 外では太陽が青い空を照らし、乾いた地面から陽炎が出て揺れており、木の幹に泊まるセミが鳴いていた。

 もうすぐ夏休みが始まる。