「行ってきまーす」 真魚瀬安里(まなせ・あんり)は玄関の戸を開けて家を出る。安里は肩まであるウェーブのセミロングヘアを二つの三つ編みに結わえて、オリーブグリーンと芥子色の制服を着て、通学用のピンクのチェック柄のショルダーバッグを肩にかけて両親にあいさつした。 瓦屋根の和風住宅や煙突付きの屋根の洋風住宅が並ぶ千葉県保波(ほなみ)市の住宅街、左が道路で右が駐車場、向かい側が赤と白と青の装飾で施されているコンビニエンス『グッドラック』に囲まれた低層マンション『メゾン磯貝』。 『メゾン磯貝』は灰色のプレハブ壁に黒い寄せ棟屋根、一階に四部屋ずつある三階建ての賃貸住宅で、その二〇一号室に真魚瀬安里一家が住んでいた。 四月に入って間もないこの日は澄みきった晴天で青の中に白い雲が浮かび、太陽は白く輝いていて、暖かな風が吹いていて、街路樹の木の葉や生垣は深い緑色で中には赤や白の花を咲かせたツツジや小花を穂のようにつかせているトチもあった。町中では灰色や紺色のスーツを着たサラリーマン、茶色のスカートスーツのOL、赤や黒や青やピンクのランドセルを背負った小学生を見かけた。 安里はバス停に足を進めて、スーツ姿の青年、私服の大学生、少し派手目の服の主婦などの待ち人に混じってバスが来るのを待った。バス停には金属製のスタンドには『磯貝五丁目』の円の看板とバス時刻表が表され、安里と同じように白いセーラーシャツとオリーブグリーンのダブルのブレザーと芥子色のスカートの制服の女の子やオリーブグリーンの詰襟の男子高校生もいる。オリーブグリーンの制服は安里の通う県立保波高校の生徒の証だ。 安里がバス停に来てから五分後に白と青の車体のバスが来て、安里や他の乗客が乗り込む。バスの中は老人や子連れの母親、他の保波高校の生徒も乗っていて座席に座っているか柱やつり革につかまって立っていた。 バスに乗ってから十分後に保波高校前の停車場に着き、安里や他の保波高校の生徒はここで下車する。そして西沿いに歩いていくと、灰色のコンクリートの校門に三階建ての第一校舎と二階建ての第二校舎のある保波高校に到着する。校門の前には『第二十三回入学式』の立札がかけられていた。 校門をくぐるとオリーブグリーンの制服を着た生徒たちがぞろぞろといて、灰色の石畳の道の西には体育館、東には校庭があり校庭側には新入生のクラス分けの掲示板があって、安里と同じ新入生の男女が自分の名前を見て一年何組かを探していた。 「あたしアッコと一緒だーっ」 「あいつと同じクラスかよ〜」 ざわざわとクラス分けの掲示板を見て騒ぐ生徒がいて、クラスがわかるとその生徒は三階建ての第一校舎へ向かった。安里も自分のクラスを探し、五クラスある中の四組に自分の名前があるのを見つけて校舎の中へ入っていった。昇降口で茶色のローファ靴から白いスニーカー型の上履きに履き替えて、一年四組の教室に向かっていき、教室の後ろの引き戸を開けると、黒板に表示されている生徒の名前が書かれている席に座ってバッグを机の上に置いた。安里の席は後ろから二列目、廊下側から二番目の席だった。教室は前に黒板と教壇、後ろが生徒の持ち物を入れるロッカーと掃除用具入れ、右が窓で生成り色のカーテンで遮光されていた。 どの生徒も初対面同士あいさつをしているか安里のように座っているかのどちらかで教壇上のスピーカーから放送が聞こえる。 『一年生のみなさん、入学式を行いますので体育館前に集合してください』 一年生たちは放送を聞くと教室を出て、体育館前で整列して一組から順に体育館前の中へ入場し、二年生と三年生と先生たちの拍手を受けて椅子に座り、入学式が始まった。校長先生のあいさつと話の中で安里は軽く辺りを見回した。男の子も女の子も先生もみんな安里にとっては新しい人物ばかりだった。 入学式が終わると一年生は教室に戻って、担任の先生のあいさつと一人一人の自己紹介が行われた。自己紹介というのは本人の名前と出身中学、得意教科や趣味や将来の夢といった簡単なものである。 「神奈瑞仁(かんな・みずひと)。海神(かいじん)中学出身。バスケ部志望。よろしくお願いします」 細面の顔に整った目鼻立ちのスラリとした背丈の男子生徒があいさつする。安里の担任の江口吉夫(えぐち・よしお)先生は四角眼鏡に中肉中背のアラサーの先生でダークグレーのスーツと赤いネクタイの服装である。 次々に男子十二人のあいさつが終わり、女子生徒の番になる。女子生徒は男子よりも髪型が個人によって様々でショートヘアもいれば長い髪をポニーテールにしていたり、黒いヘアゴムでツインテールにしている女子もいた。 「次、真魚瀬安里」 江口先生に呼ばれて安里は席を立った。 「はい。真魚瀬安里です。えっと……わたしは生まれた時からずっとギリシアにいて、三ヶ月前に日本に来ました。 日本のことはよく知らないので、よろしくお願いします」 安里は同級生と先生に自己紹介を述べると着席し、みんなは安里がギリシアからやってきたと聞くと、顔を見合わせてざわつく。 「真瀬さん、ギリシアから来たんだって?」 「すごーい、帰国子女じゃない」 「長いことギリシアにいたっていうんだから、英語やギリシア語がペラペラなんだろうな」 教室がざわついたのを見て安里は黙りこくってしまうものの、江口先生が止めた。 「静かに。まだ全員の自己紹介は終わっていないんだぞー」 そしてクラス全員の自己紹介が終わると、先生は後日に校内オリエンテーションやクラブ活動決めなどの予定を伝え、入学式は終わった。生徒たちは次々に校舎を出て歩いたり自転車に乗ったりバス停へ向かったりと帰宅した。 安里もバッグを肩に提げて帰ろうとした時、安里のギリシア帰りに興味を持った三人の女子に声をかけられた。 「ねぇ真魚瀬さん、良かったらわたしたちと一緒に帰らない? 真魚瀬さんがギリシアに住んでいた時の話を聞きたいんだー」 三人の女子は安里との下校を誘ったが、安里は顔色を曇らせて席から立ち上がった。 「わっ、わたし、家の人から留守を頼まれてて、もうすぐバスの時間だからっ!」 そう早口で言って早歩きで教室を出て昇降口を出て校舎を出ると駆け足でバス停に向かっていった。バス停には他のバス通学の保波高校の生徒がいた。安里はハァハァ言いながらバスが来るのを待っていた。次のバスまで五分もあったからだ。 (ギリシアから帰ってきたのは、ただの口実で本当はミスティシアのマリーノ王国からやって来たなんて、口が裂けても言えないよ……) 実は安里は妖精の世界ミスティシアの一角であるマリーノ王国からやってきた妖精だったのだ。 ミスティシアは人間の世界よりも清浄な空気と緑豊かな大地といつでも澄みきった水に恵まれており、長身長耳のエルフや猫に似たケットシーや穴掘りが得意なノームや小柄だが鍛冶に長けたドワーフなどの多種多様の妖精が住んでおり、ミスティシアも人間界同様に種族や宗教によって異なる国がいくつも存在していた。 安里の住んでいた国はマリーノ王国といって、ミスティシアの東の海の中にある水の妖精の国で人魚や海鳥の翼を持つセイレーンやアザラシの皮をかぶって水中移動するローンなどの住まう国で、住民は貝殻や土砂やサンゴを寄せ集めて住居を造り、王の住まいは巨大な巻貝の形をした王城であった、安里――ミスティシアではアンフィリットはマリーノ王国の女王シレーヌに仕えるムース伯爵とその妻エトワールの間に生まれた娘で、アンフィリットが生まれた時、マリーノ王国である占い師の老女、マダム=テレーズという齢二一九歳の人魚からムース伯爵とエトワール夫人はこう予言を伝えられたのだった。 「この子が成人する前に大いなる悪が現れ、マリーノ王国はその悪によって支配されるだろう。しかし、この子は水の妖精の勇士となり、三人の仲間と共に悪を撃ち破るだろう」 マダム=テレーズによれば、アンフィリットはその運命の下(もと)で生まれたというのだ。ムース伯爵もエトワール夫人もまさか自分の娘がマリーノ王国を支配した悪を撃ち破る勇士になるなんて……と思ってもいなかった。 アンフィリットはマリーノ王国や他国の語学や算術や地理も歴史も科学も生物学も天文学も地学も礼儀作法も踊りも歌唱もそして人間界学が得意な子として育った。ただ母や先生から習っても料理と裁縫は下手で、料理は焦がすか半生、裁縫は縫い目がいびつか針で指を刺しまくっていた。 アンフィリットは他の子よりも秀でで育ったためか学校でも交遊の場でも浮いていることが多く、孤立していた。 父も母も伯爵一家仕えの不思議生物ジザイとブリーゼもアンフィリットに年齢の近い友達ができないことを気にしている中、マリーノ王国に巨大なサメのような戦艦が出現、それがマダム=テレーズの予言していた悪――ドレッダー海賊団であった。 マリーノ王国の兵士や戦士はドレッダー海賊団に立ち向かったが、海賊たちは奇妙な術を使う曲者ばかりで女王をはじめとするマリーノ王国の住民は海賊船長の放つ光線によって万年水晶の中に閉じ込められた。 アンフィリットの父と母も海賊たちによって万年水晶の中に閉じ込められ、海賊たちはマリーノ王国を中心にミスティシアを支配することをたくらんだ。そして生き残りであるアンフィリットとお供のジザイとブリーゼを捕らえることを先に企て、アンフィリットたちはマリーノ王国の外れにある『異界への門』と呼ばれる普段は立ち入り禁止の穴の中に入り、渦潮と虹色の光の空間を激しく進みながらも人間界――妖精たちがいう人間界の日本の海岸に来ていたのだ。 空気がやたらと冷たく、漆黒を塗りたくったような夜空に白い満月がポッカリと浮かんでいた。冬の真ん中であった。 「お父さま、お母さま……」 父や母だけでなく、女王や他の住民を海賊によって万年水晶に閉じ込められたアンフィリットは冬の海岸で嘆いた。緑色の海亀に似た不思議生物のジザイとカモメに似た不思議生物のブリーゼはアンフィリットに言った。 「アンフィリットさま、ミスティシアはともかく人間界は父上や母上だけでなく、知り合いが一人もいないのですぞ。まずは住む所とこの世界に見合った服を探さなければ。この格好では風邪をひいてしましますよ」 人魚姿のアンフィリットは深いピンク色の長いウェーブヘアに明るい紫の眼、紫の鱗とヒレ、胴体は薄紫色の肩出しトップスと腰は同じ色の三段フリルスカート、紫真珠のネックレスとブレスレット、白波貝の髪飾りという日本人には見えない姿であった。 しかしミスティシアの多くの妖精や不思議生物は変化自在法という術を身につけていたため、アンフィリットは髪と眼は明るい茶色に変化させ、紫色の長袖フリル付きワンピースの姿になり、人魚の尾ひれも人間のように二本の脚に変えて足元は白いレースアップブーツを履いていた。 ジザイとブリーゼも人間の姿に変えて、ジザイはオールバックに丸眼鏡に恰幅のよい深緑のスーツ姿の老紳士になり、ブリーゼは茶色の髪をアップにしてスレンダーで白いニットアンサンブルの姿の女性になった。 「人間界ではわたくしたちがアンフィリットさまのご両親となりましょう。 朝になったら住む家を探しに行きましょう」 そう言ってジザイはアンフィリットに言った。もう夜更けだったので海岸近くの公園の遊具トンネルで一夜を過ごし、夜が明けるとアンフィリットと人間姿のジザイとブリーゼは町へと向かっていった。 白と桃色と淡い紫が混じった明け方の町を見てアンフィリットは初めて人間の町を目にしたのだった。灰色のアスファルトで舗装された道路、色も屋根の形も異なる家屋、明け方とはいえ、道路を走る四つの車輪をつけた赤や黒や緑の自動車、灰色の自動車道路に対して歩道は白いタイルと赤や青や黄色のタイルを敷き詰め、道行く人も早朝の散歩をする老人や学校の制服を着た少年少女、スーツ姿に襟付きコートをはおった青年や若い女性――。 電信柱に街灯、電線には黒いカラスや茶色のスズメなどの鳥が泊まり、街路樹の木は冬は木の葉が茶色くなって散っていたが緑色の芽が吹いていた。歩いている途中でアンフィリットはお腹が空いてジザイとブリーゼが困っていると、『24』と書かれた赤い外装の店、コンビニエンスで人が出入りしているのを目にして見つけた。 「たしか人間界にあるコンビニエンスというお店は朝早くから夜遅くまで営んでいて、一年中開いているとのことでしたな。すぐに食糧を」 ジザイが行こうとしたところ、彼らは人間界のお金なんて持っていなかったのだ。アンフィリットの両親からもらった宝石はいくつか持っていたけれど、たかだか朝食に宝石を払うのもおかしいと思っていると、使わない貴金属や宝石やブランド品の鞄を買い取ってくれるお店、高級リサイクルショップのことを思い出して、それを探し出した。貴金属換金店を探して見つけて入店したジザイとブリーゼは二人合わせて六粒持っていたミスティシアの宝石を売ってお金に換えたのだった。 「おお、こんな宝石は質が良すぎる。てっきり悪質な不良品かと思っていたら、素晴らしいものだ」 ハゲ頭に太鼓腹の換金店の主人はジザイとブリーゼが持っていた宝石を見て感心し、ありあまる大金を手に入れたのだった。 アンフィリットたちはようやくコンビニで人間界最初の食事であるおにぎりやコンビニパンのハムチーズ入りやサラダやペットボトルの紅茶にありつき、腹ごしらえが済むと次は家を探しに行った。 不動産屋は小さなアパートから広い土地を貸したり売り買いをしてくれる場所で、夫婦に娘がいるご家庭には『メゾン磯貝』がよろしいかと紹介してくれた。毎月五万円で敷金礼金も出さなくてはならないが、彼らはここに住むことに決めた。それからジザイはアンフィリットに人間界では「真魚瀬安里(まなせるみ)」と名乗るようにと教えた。 アンフィリットという名前では日本では不自然すぎるのと人間界に侵略してきた海賊の追っ手から逃れるための方法だと伝え、ジザイとブリーゼは安里の両親、真魚瀬浜吉はま(きち)と潮(うしお)と名乗ることにした。 三階建ての賃貸低層マンションの『二〇一号』が真魚瀬一家の家となり、玄関に入ってすぐのダイニングキッチン、トイレと風呂場と洗面所、部屋も洋間が五畳二間というちょうど良さであった。 家が決まるとジザイとブリーゼもとい真魚瀬夫妻は生活に必要な道具――ベッドや勉強机や学習椅子、本棚に小物用タンス、食器や鍋などの調理器具、テレビや冷蔵庫や電子レンジの電化製品、トイレットペーパーや箒など、その他の生活必需品を買い集めて十日目で他の人間と同じ暮らしができるようになったのだった。 ブリーゼはアンフィリットもとい安里に替えの下着や衣服を買うようにとお金を出してくれて、変化自在法では姿と衣服の両方は保たせるのに限りがあるからと、アンフィリットは一週間分の下着と人間界の女の子が着るような服を買い集めた。襟シャツやボレロジャケット、膝丈のスカートやドレスシャツ、飾りのないフラットシューズなど。 生活が整うと次はアンフィリットの学校であった。アンフィリットは人間界での知識や学識は浅い方だからとジザイとブリーゼは学校に行くようにとすすめた。アンフィリットは人間でいうと十五歳にあたるため、高校に行くことになった。生活が整った頃に私立高校の入試は終わってしまったが、公立高校の入試を受けて決まったのが県立保波高校だった。 かくしてアンフィリットは人間界・日本国千葉県保波市に住み、保波高校に通うことになった。他にもアンフィリットは音楽番組やCDショップで日本の流行音楽やクラシック、民謡を聞いたり図書館で日本や日本以外の国の歴史や地理を図鑑で動植物、創作民話問わずの物語を読んだりとアンフィリットなりに知識と情報を習得していった。 人間界の現代日本の語学や常識学問、住居や衣服や文化は得られてもアンフィリットは賢明すぎる自分に人間界でも友達はできないと思い込んでいた。実質、高校の入学式で安里がギリシアの帰国しだと信じている女の子たちから逃げてしまったのだから。 (あれは人間界で暮らすためのでっち上げだからなー……) 安里が考えて込んでいると、白と青の車体のバスが来て、他の乗客や保波高校生と乗り込み、空いている一人がけの席に座る。昼間のバスは早朝と違って空いているため悠々と座ることができた。 窓の景色は学校の周囲の色や形も違う住宅や自転車屋やお米屋といった小さな商店があり通りに入ると灰色のアスファルトに白い縦横で書かれた白線の横断歩道、赤黄青の三つの色を表す信号機、通りゆく人々も老若男女と外観が異なり、通りの建物は銀行や一階がコンビニなどの店になっているマンション、フードマートや○○証券といった名称の会社ビルがいくつもそびえ立っていた。 信号機が青になるとバスが動き出し、右折先が安里の住んでいる地域、磯貝五丁目であった。 『次は磯貝五丁目、磯貝五丁目。お降りの方はお近くのブザーを押してください』 次の目的地を報せるアナウンスが鳴って、安里は停車ブザーを押した。ピンポンという音と同時に『次、停車します』のアナウンスが響く。低層ビルが並ぶ通りを抜け、住宅や所々に商店のある住宅街に入ると、バスが停まって安里は下車し、メゾン磯貝に向かって歩いていった。 一階の真ん中に階段と郵便受けのある出入り口に入り、階段を昇って二〇一号室の玄関戸を開けて、壁に備え付けてある下駄箱にローファ靴を入れてダイニングキッチンに上がった。 「ただいまー」 ダイニングキッチンは床がフローリングで二口のコンロと流し台、小さな二段の冷蔵庫と小さな食器棚、棚の上には小さな電子レンジ、流し台にはスーパーで買った台所マットが敷かれ、人間姿のブリーゼがエプロンをつけて昼食を調理していた。 「お帰りなさい、アンフィリットさま。ご飯がもうすぐできますので、お着替えなさってください」 「はーい」 安里は風呂場とつながる脱衣室にある洗面台で手洗いとうがいをし、玄関から見て右真向かいの部屋に入る。 安里の部屋は五畳の一部屋でベッド、学習机、学習椅子、本棚、ハンカチや化粧品を入れる三段チェスト、ベランダに出る窓と右手窓は瑠璃色の貝とヒトデ模様のカーテンがかけられ、布団と枕カバーは白地に水色と紫の水玉模様という海の中にいるような趣だった。服は出入り口近くのクローゼットの中に収められ安里は学校の制服から普段着の紫のピンストライプのシャツと黒いインナーシャツとベージュのチノパンツとラベンダーの靴下に着替えて、三つ編みをほどいてセミロングウェーブヘアにする。 ダイニングに出ると二脚しかないダークオークの椅子と正方形の食卓の上にはブリーゼが作ってくれた昼食のオムライスとかに玉サラダが乗っていた。ブリーゼは本来の姿であるカモメのような姿になり、小皿を出す。 「いただきまーす」 うす焼き卵の下にはケチャップライスの他にも玉ねぎや細かくしたブロックベーコンや薄切りのマッシュルームが入っており、申し分のないおいしさだった。ブリーゼもサラダをよそおって嘴で器用に食べる。 「アンフィリットさま、学校はどうでしたか?」 ブリーゼがオムライスを食べている安里に尋ねてくると、安里はスプーンを止める。 「そんなこと言ったって……。入学式だよ? 今日は校長先生のあいさつと同級生の自己紹介だけで終わったよ」 安里は今日の出来事を話す。 「あら、お友達はまだできないんですの?」 「友達なんて……。わたしは他の子よりも出来が良すぎちゃったためにみんなわたしのことを『生意気』とか『見下している』って言われたこともあったし……」 安里はミスティシアでの思い出をブリーゼに語る。しかしブリーゼはぴしゃりと言った。 「アンフィリットさま、ここは人間界です。出来がよかろうか悪かろうが、古今東西、老若男女が混じって暮らしているのです。 アンフィリットさまが生まれた時、テレーズという老占い師が『アンフィリットさまは三人の仲間と共に悪を撃ち破る』と予言したではないですか。ただ、その仲間がどこの誰かまでは知りませぬが」 ブリーゼは安里に説教した後、態度を変えて言い続けた。 「そうだ、今日もお出かけなさい。もしかしたらご友人が見つかるかも知れませぬ」 「ええ〜、昨日も行ったけど、友達になれそうな子なんて……」 「何事にも挑まなければなりません。今はドレッダー海賊団はこの世界に来ておりませんが、平穏な今、勉強にも交遊にも励む時なのです」 ブリーゼに説教されて安里は何も言わずに息を吐いた。昼食を終えて後片付けはブリーゼがやるからと安里は普段用の黒いフラットシューズを履いて家を出たのだった。 とぼとぼと町中を歩いて安里は考えていた。出来の良すぎる自分に本当に海賊と戦ってくれる仲間や友達なんて、できるものなのだろうか。 人間界に来てから二ヶ月半が経った今、店の場所や行き方、人間界で得た知識や学問、通学方法は手に入れられたとしても、友や同士なんて夢や幻のように思えた。 ミスティシアにいた時は一人で屋敷の中にいて、本を読んだり音楽を演奏したり一人でマリーノ王国の町をまわることが多かったから良かったけれど、人間界は親もいないし知り合いが一人もいない自分は真魚瀬安里として生き、高校に通い勉強や学校行事にはげむだけでいくのだろう――と。 結局この日は近所を歩き回っただけで安里は夕方になると家に帰って、更に人間界で働くことになったジザイも家に帰ってきており、ブリーゼの作った夕食の天ぷらを食べた後、自室の隣の居間で音楽番組『ミュージックステージ』を観ただけで終わったのだった。 |
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