安里が人間界にいる仲間の危機に駆けつけるために人間界に舞い戻ってマサカハサラのハマヤーンと戦っている頃、フェルネはジザイと共にミスティシアの東の海域に来ていた。 ミスティシアの海図は必ず島や小型の大陸が存在するのだが、フェルネとジザイのいる海域には青い海から突き出た岩礁と大陸や島から忘れ去られたように点在している小さな無人島があるだけであった。 「確か、この辺りはフェルネ殿の出身地の島があった所でしたな」 ジザイがフェルネに話しかけてくる。 「ああ、海底火山の影響で沈み、他の炎蛇(えんじゃ)族も島の崩壊によって命を落とした」 フェルネは今はない故郷を語る。 海底火山で沈んだ炎蛇族の集落の島――。そこがフェルネの"想い出の場所"らしく〈進化の装具(エヴォリュシオン・ガジェット)〉が眠ると思ってやって来たのだった。 島は海の中でいくつもの破片となり、かつて建物だった物には海藻が生えサンゴやフジツボなどが宿っていた。フェルネの家族をはじめとする炎蛇族の屍は海底で風化したり、海中の魚によって食べられ、骨も散らばっているためどれが誰の骨かわからない。 「……帰ろう。もうすぐ夜になる」 フェルネはジザイに告げると、滅んだ島を後にしてマリーノ王国へ戻っていった。 マリーノ王国でフェルネとジザイはムース伯爵の屋敷に戻ると、フェルネはエトワール夫人と共に食事の支度をしたり、ルミエーラの幼い妹のミルクやりをしたり、食後の皿洗いをして過ごした。 フェルネの部屋はムース伯爵邸の一番奥にあり、水晶板の机と壁付けの棚、貝型のベッド、私物も少なくクローゼットの中の衣類もコートや晴れ着といった決まった時の服ばかりであった。 「もうあれから四日。わたしの故郷に行けば〈進化の装具〉があると思っていたが……。どうしてその気配が未だに見つからないのだろう?」 ミスティシアでは四日の経過であるが、人間界では一日しか経っていない。学校の始業式までまだ時間はあるけれど、始業式の前日までに見つかってほしいものだ、とフェルネは思った。 フェルネはその日の夜、夢を見た。フェルネが住んでいた島はマリーノ王国より半分の大きさで、大きな肉厚の葉の木や暖色系の果実の生る木、尾長や羽冠などのある極彩色の鳥、猿や大型のげっ歯類などの動物も生息しており、島民は上半分が人間で下半分が暖色系と黒の鱗に蛇尾を持つ妖精、炎蛇族であった。 炎蛇族は主に狩猟や漁業で生活を賄い、多くの炎蛇族は他の妖精とのかかわりを持つこともそんなになかった。フェルネもその島で両親や兄弟姉妹と共に平凡ながらも平穏に暮らしていた。だが、ある日島全体が大きく揺れて、大地が裂け山が崩れ、多くの生物が混乱に陥る事態になった。島民たちは狼狽えたが、ズドーンという大響音によって島は沈み、炎蛇族の多くが犠牲になり、生き残った者たちは散り散りになってしまった。 フェルネも島の沈没によって海に放り出され海流によって漂っていると一台の巨大な潜水艦が海を漂うフェルネを見つけて彼女を回収した。フェルネはその潜水艦に乗っていた者たちに救われ、白い装束のドレッドハデス船長がフェルネに誘いかけてきた。 「仲間を亡くしたのか。憐れな炎蛇族の娘よ……。だが帰る処も迎えてくれる者もいないのなら、我々と共に来るがよい」 ドレッダー海賊団に拾われたフェルネはドレッドハデスの言葉に従った。このまま野垂れ死にするよりは海賊として生きることを。 ドレッダー海賊団に入ったフェルネは他の海賊と共に他妖精の国を侵略して宝や名産品を奪って行動していた。 ある時ドレッドハデスはマリーノ王国をはじめとするミスティシアの海の支配をすると告げ、手はじめにマリーノ王国を襲撃して住民を万年水晶に閉じこめて捕虜化させるが、住民の人魚と不思議生物が人間界逃げたためにその妖精たちを追った後で、フェルネの運命は変わっていった――。 薄暗い夜明けのさ中、フェルネは夢から醒めて罪に対する恐れと親兄弟を奪った悲愴で震えていたが、自分の"想い出の場所"がどこなのか悟ったのだった。 (ドレッダー海賊団の潜水艦……) フェルネはムース伯爵夫妻やラルーシェやジザイに気づかれないようにこっそりと屋敷を出て、妖精の気配が少ない通りを出て王城の方へ向かっていった。 巨大な巻貝を思わせるマリーノ王国の王城――。現在はセーヌ女王が城と国を治めており、雄々しい男人魚が城の衛兵を務めていた。城の正門や王城の周囲には見張りの兵士が鎧をまとって槍を持ち、身を固めていた。 フェルネは城の兵士たちに気づかれないように城の地下に通じる通路の入り口を探し出し、王城の勝手口とつながっている裏門の兵士がその場を離れると、素早く駆け込んで隠し持っていた針金で門の鍵を開けて、王城の裏門に入っていった。 フェルネは裏門に入っていくと、台所番や庭番にバレないように海藻の茂みや木のような大型藻の後ろに隠れながら王城の地下に格納されている物を探し出した。やがて地下に通じる上げ蓋を見つけると、海水に耐えられる石材の扉を大きな音を立てないように開くと、折曲がりの多い階段を下っていき、そして階段が終わると針金と同じく隠し持っていた長めのろうそくと手持ち式の燭台を出して、自身の出す火をろうそくの芯につけて灯りをともした。 灯りがともされると、広々とした地下の様子がわかり、フェルネの目の前に巨大なホオジロザメを思わせる黒と灰色の潜水艦――ドレッダー海賊団の船が置かれていたのだ。 ドレッドハデスがアクアティックファイターに敗れた後、他の海賊も不思議生物だったため船は残り、海賊たちが他所から奪ってきた宝は持ち主がわかった物は返却、持ち主不明の物はセーヌ女王が難民や貧民の多い地域に寄付した。 潜水艦の扉は閉ざされていたが、窓のいくつかは鍵がかかっていなかったのでそこからフェルネは入り込んだ。 潜水艦の中は薄暗く、フェルネが持ってきたろうそくと燭台がなかったらどこが何なのかわからないままであっただろう。宝物庫は空っぽ、武器庫や燃料室も中身がなく、ドレッドハデスが座っていた司令席もそのままの形で残されていた。 (ドレッダー海賊団は親兄弟も故郷も失ったわたしにとっては、居場所だったんだな。だけど、今は違う) アクアティックファイターに覚醒してから、敵だった妖精の仲間となり、ルミエーラの出身国を取り戻した後は罪滅ぼしとしてマリーノ王国に貢献し、ムース伯爵夫妻の養子となり、マリーノ王国の学校であらゆる学問や作法、いずれは人間界で暮らすために人間界学を学んでいき、人間界の学校で郁子や桂子や睦美といった友人、朝のランニングで知り合った岸尾徹治と交友が出来ていった。 (もう、わたしにはここにいる必要はなくなったんだな) そう思った時だった。潜水艦の司令官席が炎のように一瞬眩しく輝いた後、赤い光の玉が出てきてフェルネの手元におさまった。光の玉ははじけて赤い飾り石のついた金色の輪に変化する。安里のと同じく〈進化〉を現す紋章と古代マリーノ文字が入った紋様の彫りが刻まれていた。 「何だ、これは? 腕輪にしては大きいし、チョーカーにしても合わないな」 輪型の装具を見つけることは出来たけど、これが何なのかフェルネは首をかしげた。 「だけど、ここに長居すると王城の兵士から面食らうから、そろそろここを出ないとな」 フェルネは〈進化の装具〉を見つけると、王城の兵士に見つからないようにし王城を抜け出し、町の方へ帰っていった。ムース伯爵邸に戻った時は朝起きたらフェルネの姿がなくなって狼狽えていたエトワール夫人に心配をかけてしまい、ムース伯爵とジザイから勝手に家を出ただけでなく王城の地下に忍び込んだことを??られた。 「全く! わたしたちに黙って家を抜け出しただけでなく、無断で王城の地下にあるドレッダー海賊団の潜水艦に入るなんて!」 「幸い兵士たちに気づかれなかったから良かったものの、もし見つかったら刑罰を喰らっていたんですぞ!」 ムース伯爵とジザイから面を喰らうも、フェルネはしょぼんとして謝った。 「ごめんなさい。だけど、わたしがかつていた島の跡でなかったら、ドレッダー海賊団の船だと思って……」 「それで、当たりだったのか? 外れだったのか?」 ムース伯爵が尋ねてくると、フェルネは自分手に入れた〈進化の装具〉をムース伯爵たちに見せる。 「これは……。行ってみたら該当したんだな」 「ああ、だけどこれがどこにつける装身具なのか、わたしにもさっぱり」 フェルネが呟くと、ラルーシェを寝かしつけに行っていたエトワール夫人が〈進化の装具〉を目にして訊いてくる。 「これはガーターリングじゃないの? 今はフェルネは蛇の尾だけど、はめられるわよ」 「これを尾に……」 エトワール夫人に言われて、フェルネは〈進化の装具〉を自身の尾にはめてみる。すると見事にはまったのだった。 「二本脚の時には大腿にはまる仕組みになっているのだろうな。よくやったな、フェルネ。これで、これからの〈巨悪〉に立ち迎えられるだろう」 それからジザイとフェルネは共にマリーノ王国から国の外れにある人間界への通路を通じて、人間界に戻っていった。舟立海岸近くの海は明け方の白と薄紅に染まっており、フェルネとジザイは海岸に人がいないのを確かめると、変化自在法を使って人間の姿になった。 「ミスティシアでは五日いたのに、人間界では一日半近くしか経っていないのだな」 「さようで。だけど、近所の者には『ギリシアの親戚の集まりに行ってくる』ということになってますし、これからどうすれば……」 舟立海岸を出て、道路沿いの道を歩いていると、濱吉姿のジザイが旅行鞄を持ちながら朱堂炎寿姿のフェルネに尋ねてくる。濱吉は濃緑のスーツと赤いネクタイ付きの白いシャツ、炎寿は赤と黒のバイカラーのミニワンピースにガータータイツと茶色のウェスタンブーツで背中にストライプのリュックサックの服装であった。その時、ジザイの携帯電話に着信音が鳴る。安里からのメールであった。 「おや、ルミエーラ様からのようで。何々……。ルミエーラ様は現在、ブリーゼと共に東京内のシティホテルにいるそうですぞ」 「東京ねぇ。まぁ、確かにこのまま磯貝のマンションに戻るより、東京のホテルで滞在する方がいいかもしれんな」 炎寿も賛成し、まずは舟立海岸から保波駅へ向かうバスが来るのを待つことにした。 炎寿と濱吉は保波駅行きのバスが来ると保波駅から東京行きの電車に乗って、安里とブリーゼがいる新宿内のシティホテルへ向かっていった。シティホテルといっても二十〜三十階建ての豪勢なホテルではなく、住宅街の中にある五階建ての小ぶりのホテルであった。だけど大浴場もコインランドリーもある出張ホテルであった。 安里とブリーゼが四階の一室におり、安里は炎寿が帰ってきたことを知ると一息ついた。 「炎寿、戻っていたのね」 「ああ、安里よりだいぶ遅れてしまったが。だが、ちゃんと〈進化の装具〉はここに……」 そう言って炎寿は背負っているリュックサックから〈進化の装具〉を取り出して見せる。 「おやまぁ、この脚輪には古代マリーノ文字が刻まれているようですね。……水の勇士、進化の徳は正義の光、夢想の歌、安楽の繁茂、高潔なる熱気。そう書かれていますね」 ホテルの一室内ではカモメに戻っているブリーゼが炎寿の脚輪の文字を見て読みあげる。 「あとは歩歌ちゃんと法代ちゃんの報告を待つまでね。……にしても、近所の人たちには『ギリシアに行ってくる』と言ってたとはいえ、ホテルで勉強しているのも何かなぁ、って思うようになったし。どうしようかな」 安里が呟くとブリーゼが安里と炎寿にこう言ってきた。 「どうせなら、この近くを散策してみたらどうです? いい気晴らしになりますし」 ブリーゼの案を聞いて安里と炎寿はそうか、という風に反応する。 「それもそうだな」 「わたしも二度目とはいえ、東京の町をそんなによく知らないしね」 安里と炎寿はビジネスホテルを出て、ホテルの名前と場所を覚えると新宿の町を散策することになった。ホテルは新宿駅やビル街から歩いて三十分の場所にあったけど、真魚瀬家の泊まるホテルの周囲は住宅やおしゃれなアパートの多い街中で、森や草のある公園もあったし、大通りに出ればレストランやコンビニのある店もあった。今は春休みのため飲食店は人の出入りが多く、安里と炎寿はホテルから出る時にブリーゼがくれた一万円でファミリーレストランで昼食を採った。 「フェルネの場合、ドレッダー海賊団の艦が"想い出の場所"だったとはね〜。自分が敵だった頃の艦に〈進化の装具〉があるなんて思ってもなかったよね」 二人席のソファー側で安里が野菜たっぷりペペロンチーノをほおばりながら炎寿から〈進化の装具〉を手に入れた経緯を聞いて納得する。 「わたしも全くそうだと思っていた。皮肉だよな。だけど、一度海賊になって罪に手を染めてたからこそ、今のわたしはいなかった訳で」 ミートドリアにタバスコをかけてかき混ぜながら炎寿が答える。ファミレス内は一家や中高生のグループが多く活気だっていた。 「今はまだ出ていないとはいえ、その巨悪が何なのかまではわからんからな。マダム=テレーズも故人で魂はマリーノ王国のどこかにあるとしか教えていなかったし」 炎寿はマサカハサラやこれまでより上の悪に立ち向かうための〈進化の装具〉を手に入れたとはいえ、これからの出来事は何が起こるかわからず悶々とした言い方をした。 「人間も妖精も他の生き物の平穏や生活を守っていくのが、妖精の勇士なんじゃないかな。わたしだって最初の時は一人でもいい、と思っていたり考えていたりしていたこともあったけど、仲間を得たことで今を生きているんだから」 安里は今の生活が好きだった。学校で友人が幾人かが出来て、近所の人とも関わるようになり、何より恋仲となった神奈くんの存在が支柱であった。 「……それもそうだな」 炎寿は安里の言葉には理(ことわり)があるものだと悟った。マリーノ王国の住民への償いはなかなか打ち解けなかったたりすることもあったけど、人間界で炎寿として暮らすようになると、同じクラスの男女や担任、ランニングで出会った母子家庭の岸尾徹治と接したりしていったのだから。 それから後日、安里と炎寿は歩歌と法代からの連絡を受け取って、この二人も〈進化の装具〉を手に入れたという報せを知ったのだった。 所変わって、千葉県の西北部にある銚子の港町――。波止場には小型漁船や遊覧船が停泊し、海は沈んだ青で空の薄い青と対比になっており、食堂や土産物店といった小さな店がいくつもあり、鉄のシャッターのある倉庫の多い場所であった。カモメやシギなどの海鳥も生息しており、海岸にはヤドカリもカニもいた。 その銚子に住む一人の漁師が仕事仲間と一緒に沖に出ていた所から帰ってきて、船から桟橋に降りる。 「秋水(しゅうすい)さん、網の修繕頼むよ」 漁に入って三十五年目になる六十代の漁師が船を降りた漁師に言った。 「ああ、三日後には必ず渡すからな」 桟橋に降りた漁師はぼさぼさの茶色髪に黒眼は光の角度によって青く見え、背は高く太ってもやせてもいない体型で、服装は仲おれのつば広の帽子にシャツの胸元をヨレヨレのスカーフで結び、厚手のパンツと合皮革の編み上げブーツを身にまとっていて、西洋の漁師に見えた。 男は港町の中にある古びたアパートに住み。漁師の仕事で日銭を稼いで生活していた。彼は一人暮らしのようで、妻も子もいなかった。だけど子のいる父親を町中で見かけると、自分には子供がいたような気がするのだが思い出せない。 彼は記憶喪失で、数年前にこの町に現れた時は自分がどこの誰かわからず、仮の名前である霜月秋水(しもつき・しゅうすい)と名乗って漁師としていることなのであった。 |
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