歩歌が芸能活動のデビューに向けてのロケーション先の神奈川県横浜市の海岸にいる頃、根谷法代は父と弟と祖母と共に千葉県の北部にある我孫子市の手賀沼に来ていた。 空は白と灰色の雲に覆われていたが、雨の心配はなさそうで沼にはシギやコサギなどの嘴と首の長い鳥たちが来ていた。 「法代と真久利(まくり)はともかく、母さんまで来るなんて無理しなくていいのに……」 自動車を手賀沼近くの施設、『水の館』の駐車場に停めて、法代姉弟の父の房之(ふさゆき)が自身の母である毬藻に声をかけてくる。根谷毬藻(まりも)は法代と同じ位の背丈に灰色の髪と老人向けの暗い緑色のワンピースの老婆で、よっこらせと自動車から降りてくる。 「いいんだよ。あたしだって、ずっと家の中や近所だけで過ごすのも退屈だったんだから。それにね、ここはあたしにとっての"想い出の場所"なんだから」 「想い出……? ああ、確か母さんはここで父さんと出会ったんだよな。もう五十年も経つんだっけ?」 父は祖母に訊いてくる。 「そうだよ。他の町から引っ越してきたばかりのあたしに親切にしてくれたのが、一松(ひとまつ)さんだからね」 祖母は拳で背中を叩いて答える。祖母の毬藻は五十年前に手賀沼近くの町に引っ越してきたばかりで右も左もわからなかった。その時、困っている祖母を助けてくれたのが今は亡き祖父の一松であった。そして二人は交際して結婚し、法代姉弟の父・房之が生まれた。 (といっても、おばあちゃん本当は妖精なんだけど、わたしとおばあちゃんだけしか知らない秘密なのよね) 祖母と父の会話を聞いて法代は思った。祖母の毬藻は本当はミスティシアのマリーノ王国出身の海藻の妖精ウィーディッシュであった。毬藻は家を継ぐ必要のない次女で兄も姉もいたため、人間界で移り住むことになったのだった。 祖母の今の姿は妖精が場所に合わせて姿を変える変化自在法によるもので、一二〇代の妖精で本当の姿はもっと若いのだ。更に言ってしまえば父は半人半妖精で、法代と真久利はクォーターの妖精である。だが、父と弟は妖精の力に目覚めることなく法代だけが祖母の妖精としての遺伝子を受け継いだだけでなく、水の妖精の勇士となったのだから。 手賀沼の見える町は道路は沼と山のふもとに敷かれ、モダンな『水の館』の建物、『水の館』の近くには『鳥類博物館』の建物、他にもレストランなどの店もあった。法代一家の他にも、自動車が何台か停車しており、来客者がかなりいた。 「うわーっ、すげーっ!」 真久理は『水の館』の中を目にして歓喜をあげる。建物の中は手賀沼の模型やそこに棲む魚などの資料、中庭には水で動くらせん型のポンプもあり、法代と真久理は保波市では見られない施設の物珍しさに関心を向けていた。更に手賀沼には小型船で手賀沼をクルーズできることが出来た。 「なつかしいわねぇ」 祖母が手賀沼のクルーズ船を目にして言った。それを聞いて法代が訊いてくる。 「もしかして、おじいちゃん船に乗ったことがあるの?」 「え? ああ。手賀沼の町に来てた頃、おじいちゃんが乗せてくれたんだっけ」 「いいなー、ばあちゃん。船に乗ることが出来て。ぼくも乗りたいな」 真久理が祖母の想い出話を聞いて羨ましがる。 「そんなことを言うな。真久理、父さんはそんなに金を持ってきていないんだ。どうせ学校の遠足になったらどこかの沼や湖畔で船に乗れるんだからな」 父が真久理に現実的なことを言うと、法代も黙りながら心で頷く。 (そりゃあそうだよね。お父さんは現実をよく見るんだし。だから妖精としての能力が出なかったんだろうな) 法代がそう思っていると、祖母が父に向かってこう言ってきたのだ。 「いいよ。昼食を食べたら、クルージングしようじゃないか」 「えっ、いいの? ばあちゃん、流石!」 祖母の気前良さを聞いて真久理が顔を明るくさせ、父が止めるように注意してきた。 「母さん、おれはそんなに持ち金……」 「こんなこともあろうかと、余分にお金を持ってきていたから。今回の件はあたしの方から房之に頼んできたんだから」 祖母が法代たちに言うと、法代は軽く安心する。 「おばあちゃん、ありがとね……」 その後は『水の館』に近い町のファミリーレストランで昼食を採り、根谷一家は三十分一周の手賀沼のクルーズ船に乗り込んだ。クルーズ船は一度に三十人が乗れる水上船で、窓がないため手賀沼の空気が流れ込んできていた。 根谷一家の他にも何組かの親子が乗っており、全員乗り込むと操縦士が舟を動かす。船から見た手賀沼の景色はシギやガンなどの水鳥が舞い、離れ小島や手賀沼の水平線の景色の山や線路上の橋が見えていた。沼の水面は太陽の光を受けて輝いており、法代はその光景に目を奪われていた。 「ああ、この様子だ……」 法代の隣の景色側の席に座る祖母が呟いた。 「輝く水面(みなも)、水平線の向こう側の空、沼の上を舞う鳥たち……。一松さんとの想い出が去年のように返ってきたよ」 「おばあちゃん……」 だとしたら、手賀沼のどこかで〈進化の装具〉の反応がある筈なのだが、水中となると弟や父や他の人たちのいる前では探しに行けない。法代がどうしようと思っていると、手賀沼の真ん中からいくつかの水泡がわき出てきて、そこから黒い甲翅に棘状の前足を持つ巨大なゲンゴロウが出てきたのだ。 「うおおおっ? 何だぁっ?」 「うわーっ、お化けゲンゴロウだぁ!」 船の操縦士や他の船客たちは舟と同じ大きさの巨大なゲンゴロウの出現で大騒ぎし、法代がそれがマサカハサラの改造生物ハマヤーンだと知ると変身して戦わなければと察したが、父や弟たちの前では変身できない。 (しまった。どうしたら……) 法代が立ち止まっているその時だった。父や真久利、他の船客や操縦士がふらつくように倒れて、そのまま寝入ってしまったのだ。 「え、どういうこと……?」 法代がその様子を目にして驚くも、法代以外の人たちを眠らせたのは祖母の毬藻だった。祖母は手に小さな香炉を持っており、その香炉から出る煙で法代と祖母以外の人たちを眠らせたのだった。 「おばあちゃん……」 「法代、わたしが真久利たちを眠らせた。今のうちに怪物を倒して、沼の中に潜って〈進化の装具〉を取りにお行き」 「あ、ありがとう。これで心置きなく変身できるよ」 法代は祖母の助けを受けて首に提げていたライトチャームを取り出して、念を込めて緑色の光に包まれて変身する。 海藻型の意匠のある薄緑の衣装に身をまとい、更にチャームをフレイルに変えて、法代はハマヤーンに立ち向かう。 「行くわよ!」 法代は舟のへりに立ってハマヤーンは法代に攻撃を仕掛けてくる。ハマヤーンは口からアブクを出してきて、そのアブクが法代の方に向けられてくる。法代はフレイルの先端を伸ばしてアブクを割って、ダメージ回避するもハマヤーンは水の中に潜り法代も船の人たちに危害が加えられないように自身も水の中に飛び込む。 水中に潜ったハマヤーンは船底を狙って船をひっくり返そうとするも、法代が海藻型エネルギーの綱、ウィーディッシュ=エナジーバインドを出してハマヤーンの後ろ足を縛って止めてきた。ハマヤーンは法代に邪魔をされると立腹してきて、法代に攻撃を仕向けるためにUターンしてきて水中で口からアブクを連射してきた。 ハマヤーンが出してきたアブクは水中だと早い速度で法代に放たれ、法代は慌ててバリアを出そうとするも、ハマヤーンの出したアブクに当たってしまう。ハマヤーンを縛っていた海藻の綱は消えて、ハマヤーンは再び船底を狙って進んでくる。法代はアブクの圧力に押されるも、船の人たちを守るために海藻型エネルギーをいくつも出してきて、ハマヤーンの体や前足をがんじがらめにして阻止した。 「悪に変わり生命よ、癒しの波動で邪を清め払う。ウィーディッシュ=カタルシスオーラ!!」 法代は技の詠唱をし、ハマヤーンを縛っていた海藻の綱が緑の激光を発して、ハマヤーンの体が縮んで一匹のゲンゴロウになって、その場を去っていった。 「な、何とかなったか……」 法代は父や弟をはじめとする船の人たちに危害が及ばなくて済んだと落ち着くと、手賀沼の中の〈進化の装具〉を探し出す。淀みが強いと言われている手賀沼だが、水は多少濁っているけど水妖精の血を引く法代は水の中でも呼吸が出来て視界もそれなりに見えていた。カワニナが水底の石にはりついていたり、タガメやヤゴなどの水棲昆虫、魚もフナやウグイなどの在来種もいればブルーギルや小型のバスなどの外来種が泳いでいた。 (手賀沼がおばあちゃんの"想い出の場所"とはいえ、〈進化の装具〉なんて簡単に見つかるものじゃない……) 法代が沼の中を漂っていると、水草の揺らめく中にかすかな淡い緑色が放たれているのを目にした。 (もしかしてあれが……) 法代は光を見つけるとその方向に向かって潜っていった。濃い緑の水草にまじって光は大きな丸い石の下にあった。法代は石をどかそうとしたが水によって力は出づらく、石もそれなりに埋まっているために動かなかった。 (せっかくここまで来たのに、どうしようか……) 法代は二本指を額に当てて考えた。水の中の石をどかすことが出来なかったら、どうするかを。 (動かせなかったら、壊せばいい!) 単純ながらもこの結論に悟った法代はフレイルを振るって、破壊に向いている技が出せるように念じて詠唱する。 「鎖槌よ、硬きものを砕け。ウィーディッシュ=スーパーラッシュ?」 法代はフレイルの鎖を伸ばして振るって、石に向かって先端を強く叩きつけた。フレイルの先端が鋼のハンマーで叩いたように石が四方に割れて、そこから淡い緑色の光の玉が法代の手に渡り、光が治まると一つの装具になった。 中心に緑色の半透明の半円状の宝石がはめ込まれ、金色の枠には安里のリングブレスと同じ〈進化〉を現す紋章が入っていた。 「これがわたしの〈進化の装具〉……!」 更に中心の石が映し出されて、法代によく似た女性と父によく似た若い男性が一緒に手賀沼の岸に立っている幻影が出てきた。 「若い頃のおじいちゃんとおばあちゃん……」 幻影が映し出された後、法代は船へと向かって泳ぎだした。 「あれ、ぼくはどうしたんだろ……」 真久利をはじめとする船に乗っていた人たちは眠りの香の効果が切れて目が覚めて、自分たちの身に何があったのか不思議がる。 「お父さん、真久利。気がついたんだね」 変身を解除して普段の緑色のパーカーワンピース姿に戻った法代が父と弟に声をかける。父が何事かという顔をすると、祖母は大ごとにならないように答えてあげた。 「誰もが幻を見て気を失ったんだろう」 この出来事は誰もが不可解であったが、病人もケガ人もいなかったので誰もが毬藻の言葉を信じて、船が岸に着くとみんな自動車に乗っていったり自転車で駅まで走らせたりと帰っていった。 法代は自宅に帰った後、祖母の部屋へ行って自分が見つけた〈進化の装具〉を祖母に見せた。 「これが〈進化の装具〉かい。この枠の真下の紋章は〈進化〉を意味して、ブローチの左右と真上には古代マリーノ文字が刻まれているようだねぇ」 「おばあちゃん、読める?」 「ああ、まだ記憶に残っているからね。……水の勇士、進化の徳は正義の光、夢想の歌、安楽の繁茂、高潔なる熱気。そう書かれている」 祖母が読んでくれた〈進化の装具〉の枠の字の意味を知って、法代は気づいた。 「わたしの場合、安楽の徳に反応してなんだ。光は安里さんのことで、歌は歩歌さん、熱気は炎寿さんなんだ」 祖母はブローチを法代に返すと、こう言ってきた。 「法代、この〈進化の装具〉は亡くなった一松さんが導いてくれたんだろうね。大事に持っていなさい」 「うん。これからの巨悪に立ち向かうためのアイテムだものね」 法代はブローチをそっと手で包んだ。祖父はもうこの世にいないけれど、想い出は子や孫に受け継がれていく。 〈進化の装具〉はこれで三つになったが、残る一つはミスティシアの東の海のどこかにあるのだが、それは炎寿が見つけるだろう。 |
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