「ジュナ」 それは正午のお昼時だった。ジュナはお昼ごはんのホールダー(サンドウィッチ)をかじっている際、ラヴィエに声をかけられた。 階段状の机が五段に並ぶ教室、生徒達は皆仲良しのグループに分かれて、昼食をとっている。 ジュナのクラスは全部で二十二人。中間肌の無特徴人種(ノルマロイド)もいれば、小麦色の肌の南方人種(ソルロイド)も肌も目の色も髪色も薄い寒方人種(ブレザロイド)もいる。 エリヌセウス皇国では全ての人種の共存が尊重されている。学校も職場も公の場も。三月下旬にエリヌセウスに来てから、一ヶ月半。ジュナはすっかりとは言わないが、だいぶ住み慣れただろう。 「ジュナって、いつからそうなの?」 ラヴィエが薄茶色の瞳をジュナの金の眼に向ける。ホールダーを両手で持ったまま、ジュナはきょとんとしている。黒麦(ネルデメアロ)のモグッフ(パン)を薄切りにして、ナラダの菜っ葉と薄切りテトマとニーオ、それからサルムという赤身魚の燻製を挟んだホールダーはほんの少ししか欠けていない。 「いつから……って、何が?」 「機工学部三年のエルニオ・バディスと五年生のトリスティス・プレジット先輩とどうして一緒にいるのが多いのかってこと」 セミロングのオレンジブロンドに青緑の眼のノルマロイド、ダイナが横から口を挟んできた。 「あたしら見たんだよ。ジュナがさ、四日ぐらい前に校内図書館でエルニオくんと一緒に話しているところを」 「この間はトリスティス先輩と学食にいたよね」 ラヴィエとダイナが交互に言う。 「……うーん」 ジュナはこの友人二人に、エルニオとトリスティスとの関係をどう話そうか迷っていた。 「話すけど……あんま受け入れてくれないかも」 ジュナはダイナとラヴィエになれ染めを話した――。 全ての始まりは、ジュナが国立エルネシア上級学院に転入してわずか五日目のことだった。 ジュナは学校の帰りに川で溺れそうになった子犬(ヒュニーヘン)を助けて共に流されて地下水路へと迷い込んだ。その地下水路を家にしている融合獣ラグドラグと出会い、無事に彼の協力もあって、子犬を飼い主のところに返し、帰ろうとした時、ラグドラグのことをほっておけず、連れて帰ったのだ。ラグドラグはジュナと一緒に過ごすことになり、家の留守番をやっているという。 それから六日後に同じ学校の生徒、エルニオ・バディスと保健室で出会い、彼はツァリーナという融合獣の適応者ということが判明し、一年以上適応者をやっているエルニオには他の人間が融合適応者か一般人かを見分けられる能力がついていて、ジュナだけが同じ学校の中での適応者だったから話しかけられたのだ。 それから街中で和仁族(わとぞく)の少女・羅夢(らむ)や旅先のホテルで出会ったトリスティスと出会い、融合適応者仲間として今に至るという――ことをジュナは話した。 「でも、わたしだって融合獣の存在は全く知らなくって……」 ジュナは赤面しながら二人にいきさつを全て話した。しかし、ラグドラグと融合して養護院を襲った銀行強盗や他の悪者と戦ったことはあえて言わなかった。 「それでエルニオくんやトリスティス先輩と仲良くやっている訳ね、なっとく」 ダイナが指先を銃にしてあごに立てて頷く。 「あー、ジュナ。エルニオとは付き合っている訳じゃないんでしょう?」 ラヴィエがからかうように訊ねてきた。 「ちっ……、違う! 断じて違う!」 ジュナは立ち上がって首を振りまわす。 「じょーだん、じょーだん。気の合う友達なんでしょ、はいはい」 ラヴィエが上下に四本の指を振った。それと同時に彼女の長い紺の髪も揺れる。ジュナは座り直して、ホールダーにかぶりついた。 (実際、一般人の友達と融合適応者仲間と仲良くするのって、気遣いしちゃうなあ……) アルイヴィーナ新暦二〇〇年五月十七日。ジュナの住むエリヌセウス皇国は初夏の季節に入っていた。植物が全て緑色に染まり、果樹が赤や青や黄色の実をつける。 エリヌセウス国は内陸国だが、惑星の中心に値しているため、それほど寒くない。青緑の空に白い千切り絵のような雲が浮かび、白金の太陽が人々や作物に恵みを与えていた。 本日全ての授業が終わり、生徒達は放課後の生活――クラブ、委員会、その他を過ごそうとしていた。 ジュナがミニコンや教科書を鞄につめていると、ダイナとラヴィエがまた声をかけてきた。 「ジュナって、今月が誕生日なんだよね?」 ラヴィエが訊いてきたので、ジュナは「うん」と答える。五月二十九日はジュナの十三歳の誕生日なのだ。ジュナの生まれた日、夏に入る季の間近の朝四時半に生まれてその日は静かな雨の日だったというらしい。母親から聞いた話では。 ジュナは十一歳までは誕生日は家族全員でやり過ごし、父親が亡くなってからは母親とで岩っていたが、今年はどうだろうか。 「誕生日になったら、そん時は待ってて。じゃあね」 「じゃあね」 二人の友人はクラブと委員会へと行った。 「それじゃ、わたしも約束の場所へ行こうっと」 ジュナは鞄を背に背負い、教室を出ていく。受け皿状の土地に明青のガラス張りの学校を出て、東のセラン地区へと駆けていった。 重力で浮かび上がる車が空中を行き交わる。様々な街路樹を植えた道は天然瀝青で覆われ、脇に植えられた木々は緑色の葉を生やしている。木の根元は芝生でいろんな生き物が日向ぼっこをしている。道は学校同様にノルマロイド、ソルロイド、ブレザロイド、それからセラン区の主住民である和仁族が歩いている。和仁族と他種族の区別の見分けは大体つく。和仁族は着流しや小袖を着ていることだ。セラン地区の建物の、白い漆喰の壁に渋い色の和瓦屋根が並んでいる。その中で黒いミニベスト、カナリアイエローのシャツ、オレンジのスカートに茶色のブーツを身につけたジュナが紛れ込んでいた。 その街中の赤茶色屋根の和瓦屋根に白い漆喰の横長二階建て建物――大きな木の板で『宗樹院織物処(そうじゅいんおりものどころ)』と墨字と和仁文字の看板を掲げた店の前にやってきた。一階も二階も黒い障子の引き戸が設けられ、二階には黒い木の外階段がついている。たくさんの客が出入りしているから、今日も売れているとジュナは悟った。外階段を上り、ジュナは玄関の門前についた青銅の呼び鈴をひもで引いて鳴らした。チンチンと鈴が鳴り、玄関の引き戸がガラッと開いた。門を開けたのは、一人の老人だった。元々はこの家の少女と同じ色だったのか白群の髪は薄い灰色になっており、眼は褐色、顔中にしわが走り、臙脂色のちゃんちゃんこに濃灰色の着流しを着た老人は、この家の主だという事がわかる。七十代に見えるが、腰がしゃんとしている。 背丈がジュナより一ジルク高めである。 「よう来たな。孫が待っとるよ」 老人はしゃがれ声を出して、ジュナを家に招いた。 「おじゃまします……」 ジュナは見ただけで厳しそうな老人に招かれて、家に入る。ブーツを丁寧に脱いで土間に並べ、足を踏み入れる。家の中は和色というべき色の仲間の緑――渋緑色の壁紙と白っぽい木肌の枠の中障子と明るい色の板張りでできている。廊下の天井には、白熱色の蛍光灯がついている。 ジュナは老人の後をついていき、辺りを見回す。この家は横長の内部を廊下で十字状に四分割して、さらに三部屋にしてある構成である。曲がり角で老人が足を止めた。 「ここが羅夢の部屋や。ワシは自分の部屋に戻るから、あとはやっとき」 「ありがとうございます……」 老人の背中を見送り、ジュナは障子を開けて、中に入る。 「こんにちは、羅夢……」 ジュナは部屋の持ち主に声をかけた。部屋は七畳間の畳部屋で、廊下の同じ壁紙に明かりとりの障子、障子の反対側の壁に梯子があり、それが屋根裏部屋への入り口だということがわかった。ジュナの向かい側の壁は床の間と上下の引き戸と違い棚のセット――床脇がある。屋根裏梯子の隣は薄茶色の文机と本棚、その中に辞典や書物が入っている。机のある場所は、一段高くなっている。その部屋の中心に部屋の主、宗樹院羅夢がいる。 「いらっしゃい、ジュナさん」 語尾が高い和仁訛りの入った公共語を話す少女が畳の上でくつろいでいた。ふわっとした白群のセミロングヘア、白い肌、桃色の瞳、シェルピンクの和衣ワンピースと桃色の半ズボンとハイソックスの少女がジュナに挨拶をする。隣には羅夢の相方融合獣ジュビルムが海苔せんべいをかじっている。他にもエルニオが半あぐらの姿勢、トリスティスも体育座りをしている。 「や、ジュナ。先に来ていたよ」 カールしたプラチナブロンド、中間肌、エメラルドグリーンの瞳、緑色の薄手ジャケット、黒いハイネックシャツ、白いアスコットタイ、アイボリーの長ズボンの少年がジュナに目を向ける。彼がエルニオ・バディス。ジュナと同じ学校の機工学部三年生。融合獣ツァリーナの融合適応者だが、そのツァリーナは今はいない。 「ん」 長いクリーミーパープルのストレートロングヘア、南国出身だが色白の肌、ラムネードブルーの瞳、内陸国には少し不似合いな水色のボーダーシャツ、青いギンガムチェックの折り返しがついた白いサブリナパンツの長身の少女、トリスティス・プレジットが白磁器の湯飲みで緑茶をすすりながら、ジュナに挨拶する。彼女もジュナと同じ学校の五年生で、一見ノルマロイドに見えるが、水中活動が得意な人種ディヴロイドの血をひいている。服の下には両肩と両腿にディヴロイドの証である青い三本線が走っているのだ。 「羅夢の家に来たのって初めてよ」 ジュナが畳の上で、お姫様座りをする。(スカートなので) 「お茶を入れるので」 羅夢が白磁器の湯飲みに急須の緑茶を注ぐ。ジュナは湯飲みを受け取り、息を吹きかけながら緑茶を飲む。 「ジュナさんはおせんべいがいいですよね。あんこは苦手だって言ってたし」 羅夢はジュナにせんべいの袋を四つ出した。 「ああ、ありがと」 ジュナはせんべいの袋を破り、中からザラメせんべいを取り出してかじる。 「僕やトリスティスも和仁族の家に来るの初めてだけど」 「ん」 エルニオも海苔せんべいをかじり、トリスティスは白まんじゅうをほおばりながら答える。 ジュナは人見知りが激しいため、仲の良い友達というのはあまりいなかった。だけど、母親の仕事の都合でエリヌセウス皇国に引っ越してきて、仲間という者ができた。 まず同級生のラヴィエ・ネックとダイナ・タビソと仲良くなった。ここまでは普通。 このエリヌセウスで融合獣という生き物の存在を知ってから、いや会ってからジュナの生活に変化が起きた。白竜(ヴィッテ・ドーリィ)の姿をした融合獣ラグドラグ。白い体と明紫の契合石という意志を胸に持った彼。彼と一つになることで、ジュナは融合闘士(フューザーソルジャー)という者になること。恐ろしいことかと思っていたけれど、実際は悲しい存在なのも知った。 二〇〇年前のガルサイダ軍との戦争で最終兵器として造られた彼らは、元は人間だった。重傷のところを兵器開発部隊に目をつけられて、融合獣の人格にされた。その非人道的なことをした科学者はもういないけれど。体を砕かれないか斬首されないか契合石を抜かない限り死なない体となってしまった彼ら。彼らが失くしてしまった物は数えきれないくらいある。ここにいるジュビルムも。 ジュビルムは跳兎の遺伝子と姿、樹の力を持つ融合獣で、三ジルクの小さな体に長く尖がった耳と鞭のような尻尾、体はベビーピンクで眼とお腹の契合石が若葉緑。 羅夢とジュビルム本人の話によると、ベビーピンクの髪に若葉緑の眼のブレザロイド、二十前後の女性兵だったそうだ。重症で動けないところを「生きるか死ぬか」と訊かれて「生きる」と答えたため、融合獣となった。融合獣は体毛や羽毛や鱗などの外観は人間の頃の髪の色と同じで、眼も人間だったころの名残だそうだ。 このアルイヴィーナには人の心を持った生き物がどこかにいるというのだから。 廊下から足音が聞こえてきて、羅夢のいる部屋の障子が開いた。そこに小さな男の子が様子を見に来たのだ。青竹色の短髪に大きな褐色の瞳、それから茶緑色の着流しと黄土色の帯。 「羅夢姉(あね)ちゃ。誰か来とるの?」 「あ、門保(かどほ)」 羅夢の弟、門保だった。羅夢の家族は父方祖父と一階の織物屋で働いている両親、三つ下の弟と自身、それからジュビルムの六人家族である。羅夢の家は二年前まで自国の暁次国(あきつぎこく)の貧しい商家であったが、ジュビルムと七〇〇ヴィーザの価値もある地金を羅夢が拾ってきたことで、金持ちになってエリヌセウスで大商屋を営んでいるのだった。 「門保、今は来ちゃだめだと言ったじゃろ」 「ええじゃろ。見に来ただけかや」 ジュナとエルニオとトリスティスは羅夢姉弟の会話は聞き取れなかった。エリヌセウス国では公共語がエリヌセウス周辺で使用される近隣国の言葉、アリゼウム語を使っている。和仁呉はあまり耳にしない訳でもないのだが、羅夢一家は暁次国の白凪県の出身で、白凪弁を使うので、方言は理解できない。 「姉ちゃの友達というから、区立初学の同級生かと思や、外人さんかや」 「お客さん帰るまで、自分の部屋へ行き!」 弟を追い出すと、羅夢は三人の方へ振り返る。 「す、すみません……。明日夢ったら、図々しくって……」 弟と話していた白凪弁とは違い、和仁族訛りのアリゼウム語で話す。 「いやいや、僕達は平気さ」 「元気でいいじゃない」 「あたしなんて一人っ子だから」 エルニオ、ジュナ、トリスティスが口々に言う。 羅夢は今の初級学校を卒業したら、ジュナやエルニオと同じエルネシア上級学院に入学する。そしたら、いつでも顔を合わせることができるのだ。 「僕の姉は……ってもう知ってるよね」 エルニオが冗談を言いながら話す。 「知ってるって……」 ジュナがそう言った時、一瞬だったが脳内に一つの光景が浮かび上がった。 夜のようだが火災で周りが赤くなっている。家が一軒一軒燃えて崩れていく。逃げ惑う人々。その中に両親に連れられて走る、小さかった時のジュナ。そしてもう一人、隣に誰か(・・)いた。 (誰だろう……。この男の子……。わたしの……何……?) ぼんやりしていてわからない。いつの思い出で、どこの場所なのか。 「ジュナ」 呼ばれて現実に返った。 「どうしちゃったんだよ、急にボーっとして」 エルニオがジュナの顔を覗き込んだ。 「あ……エルニオ……」 ジュナはエルニオの問いに答える。 「わたしに……お兄ちゃんがいたような気がする……」 ジュナは日暮れの道を駆け走っていた。空は琥珀色に染まり、太陽は朱色になって西に沈もうとしていた。和仁族区から一般居住区へと町の景色は変わり、様々な人々が学校や仕事から帰るところである。 ジュナの住むラガン区は和仁族居住区セラン区との境目である川を乗り越えた先にあり、渋いイメージの和仁族の家とは違い、丸や四角や三角のカラフルな住居が並ぶ街である。ジュナがいつも以上に走って帰るのは、自宅での記憶の確認である。羅夢の家に行ってきた時、ジュナは一同に謎の発言をしたのがきっかけで。 『ジュナに兄ちゃんがいた? 何訳のわかんないこと言うんだよ』 『もしかして親せきや近所のお兄さんだったんじゃないの?』 『ジュナさん、そういう記憶のチグハグってよくあることですから』 融合適応者仲間は信じてくれなかった。二〇〇年も生きているジュビルムも、ジュナの発言を信じてくれなかった。 『ジュビルムだって、誰からか嘘や偽の記憶を入れられていたですぅ。きっとジュナちゃんも思い違いですぅ』 (でも、でも……。わたしの記憶、何だかやけに本物ぽかったもん……) そして白い四角と台形を組み合わせた住居を見つけ、指紋確認ロックを解いて、玄関に入り込んで、靴を脱ぎ捨てて、居間の壁に備え付けられた棚に置かれた家族アルバムを取り出した。 デジタルカメラで撮影してコンピューターでプリントした写真をアルバムに入れてある。 各年号のアルバムを引っ張り出し、自分の兄らしきものが写っているか、一ページずつ見る。 「おい、ジュナ。どうしたんだよ。ただいまも言わず……」 二階に通じる階段から、白い竜型融合獣ラグドラグが降りてきた。胸には明紫の契合石がついている。ジュナの大切な存在。家族でも友達でもないジュナの相方。 「おい、ジュナ。何居間を散らかしているんだよ。お袋さんに怒られるぞ」 しかしジュナは必死にアルバムをめくっており、一冊を見てはまた一冊を見る。 「おい、ジュナ」 ラグドラグがジュナの肩に鋭い爪のついた手を置いた。その時、ジュナの型がビクンと震えた。振り向いて見ると、ラグドラグが「どうしたんだよ」の顔をして、ジュナの顔を見る。 「お帰りと言おうとしたのに。どうしたんだよ、アルバムなんか」 「あ……。ごめん。ただいま、ラグドラグ」 ジュナはラグドラグにただいまを言った。ラグドラグはアルバムを見て、ひょいと一冊を取って開いて見た。写真には九歳のジュナと母親と父親が写っている。写真を見ればジュナの金の眼は母親から受け継いだもので、明褐色の瞳は父親から受け継がれている。ジュナの父親は一年前、エネジュームファームの爆発事故で亡くなってしまい、現在は母一人娘一人融合獣一体である。写真の中のジュナは今よりあどけなく、髪が長い。今のジュナの髪型が短いのは、引っ越しを機にしたリフレッシュであるのこと。 「いきなりどうしたんだよ。家に帰ってすぐアルバムを出して何を探してる……」 ラグドラグが訊いてきたので、ジュナはアルバムをめくりながら答える。 「お兄ちゃんの写真、探してるの」 「は? お兄ちゃん?」 「お兄ちゃんって、どんな人だったか……」 「お前に兄貴がいたのか? 親父は死んだから、母娘二人だと思っていたが……」 「さっき羅夢の家に遊びに行っていた時に思い出したの! わたしにお兄ちゃんがいたこと」 「兄貴ねぇ……」 ラグドラグは考え込む。 「もしかしてジュナが小せぇ時に病気で死んだのか、養子に出されたんじゃねぇのか?」 ラグドラグが冷たいことを言ったので、ジュナは否定した。 「そんなことないっ! 絶対そんなこと……」 同時に玄関で音がした。母親が帰ってきたのだ。ジュナの母親、セイジャ・メイヨーは都市開発者で、かつて住んでいたヘルネアデスでの研究が成功してエリヌセウスの都市開発社団法人にスカウトされて、娘と共にエリヌセウスへ来たのだった。 母親は千歳緑の髪を後ろで束ねており、オールドブルーのビジネスツーピースを着ており、肩に鞄、両手にお惣菜の紙袋を下げている。母親は居間へ来て、部屋のありさまを見てジュナを叱った。 「ちょっとジュナ。散らかすなんて。ちゃんと片付けておきなさいよ」 「おい、お袋さん。ジュナ、探し物をしているんだよ」 ラグドラグがジュナの行動を母親に教えた。 「探してる、って……何を?」 「兄貴の写真を探してるんだって。『自分に兄貴がいた』って言ってた」 その言葉を聞いて、母親は持っていた紙袋を落とし、両手で口をおさえた。 「ジュナ……。あなた、思い出したのね……」 母親の言葉を聞いて、ジュナは振り向いた。 「ママ……?」 母親は体を小刻みに震わせ、怯えていた。 「思い出した、って……わたしの……?」 もう隠せないというように、母親は答えたのだ。 「わたしと、ゼマンの息子レシルのことを……」 「レシル……?」 その訊きなれぬ名に、ジュナとラグドラグは首をかしげた。 母親はジュナを自分の部屋に連れてゆき、全てを話すことにした。 母親の部屋は二階に通じる階段を上がってすぐにあり、七畳間で白い壁に全てが黒い家具がある。机が二つあり、パソコン机と物書き机と分けている。カーテンは生成り色で、セミダブルベッドが置かれている。 母親はクローゼットを開けて、そこにあった黒い靴箱を取り出して、小さな写真ファイルを出した。 「これがレシルの入っている写真よ」 母親はノート大の灰色のファイルを手渡す。ジュナは恐る恐るファイルをめくり、自分の兄を見た。 最初に目にしたのは、三歳の頃のジュナと隣にいる六〜八歳ぐらいの少年。三歳の頃のジュナはオレンジの袖なしワンピースを着て、白いベンチに座り、隣の少年は緑のピンストライプの半袖シャツと青い半ズボンを着て、両手に缶ジュースを持って来ている。ファイルの中はジュナと兄らしき人物のだけでなく、父親か母親か家族四人だけで写っていたのもあった。兄は短くサラサラのモスグリーンの髪、中間肌、父親と同じ銀灰色の瞳をしていた。、 「これがわたしの、お兄ちゃん……」 ジュナは忘れていた兄の顔を見て、呆然としていた。ラグドラグが隣から覗き込んでいる。 「あなたにお兄さんがいたことは、あなたが成人してから話そうと思っていたけれど、この際だから話すわ」 母親はジュナにレシルのことを話し始めた……。 一家はかつてはビーザール大陸の最南端国アクセレス公国で暮らしていた。アクセレス公国は別名『遺跡の国』と呼ばれ、古代からの建造物の神殿や古城が何千年も前からの形で残されていた。アクセレス公国はジュナ一家が二ヶ月前まで暮らしていたヘルネアデスと同じく、暖季と寒季に分かれていた。そこに住む人種は全てノルマロイド。遺跡の他、花や木々も溢れていたという。 メイヨー一家は白い石造りのアパートの一室で暮らしていた。父親はエネジュームファクトリーの職員、母親は都市開発者をしており、レシルは忙しい両親に代わってジュナの面倒を見ていた。ジュナは覚えていないが、あの頃は穏やかで平凡な幸福だったという。 だがジュナ五歳、レシルが九歳の時に一大事件が起きた。隣の大国ハヴェレス国がアクセレスを侵略しに来たのだ。ジュナの住んでいた地域もハヴェレス兵が襲ってきて、一般人を捕らえて奴隷にしてきた。家も町も畑も襲い尽くされ、一家も逃げるのに必死だった。しかし逃げている途中でレシルがはぐれてしまったのだ。爆炎と人ごみの中に巻き込まれてしまったのだ。 ジュナは父親に背負わされていたから助かったが……。 一家は地下の避難所へ逃げた。地下は冷たく仄暗く、食べ物も寝具も足りなかった。時折地下に逃げてきた一般人が来ることもあった。両親はきっとレシルも後で来るだろうと待っていた。しかし、一週間、二週間、一ヶ月と待っていても、レシルがやってくることはなかった。 そして三ヶ月後に戦争が終わり、ハヴェルス軍は引き上げていった。町も畑もどこもかしこも崩れてしまった。 しかし人々は立ち上がった。そしてガレキを片付け、町や畑を取り戻していった。中には近隣国や親国の援助や募金もあって、五ヶ月で各々の町や畑は形を取り戻していった。 その間、両親はジュナを連れて、アクセレス中を探しまわっていた。どこかにレシルがいると探して。しかしレシルの情報や生死はどこを探しても見つからず、両親は終戦半年でレシルは死んでしまったと諦め、住んでいた町にレシルの墓を立て、海を渡ってヘルネアデスに移り住んだのだった。そして残された娘に長男のことを思い出さないように、レシルの写真や品物を隠していたのだ。そしてジュナが成人した二十四歳の時に全てを話そうと決めた。幼いジュナに大きな悲しみを与えないように……。 「そうだったんだ……。わたし、知らなかった……。ずっとヘルネアデスの生まれかと……」 「違う。違うのよ、ジュナ……。あなたは悪くないの……。あなたに……自分一人だけが幸せになってしまったという罪悪感を背負わせたくなかったから……黙っていたの……」 母親はジュナにレシルの話をすると、その八年間隠し続けていた罪の意識に苛まれていた感情を涙にして流していた。母親が泣いているところは、父親が死んだ時以来だった。 「ごめんね……。ごめんね……」 母親は両手で顔を覆いながら泣いていた。 |
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