浅葱沼氷雨乃の文学の館


1弾・6話   望多舞風との出会い


「これが光盛流(みつもりりゅう)の生け花だよ」

 乃江美は約束通り梢を倉橋家に連れてきて、月曜日と木曜日と土曜日の午前に伯父さんが催している華道教室に連れてきてあげたのだ。華道教室は倉橋家の離れで行い、六畳程の畳間に書院造りの趣の構造は雰囲気を引き立てるために造られていた。

 譲太郎伯父さんは華道の家元として黒い着流しに灰色の袴、今日来ている弟子の人も男の人は渋めのスーツか着流し、女の人は花柄の着物を着ており、乃江美も黒地に黄色い菊模様に赤い帯の和装であった。伯父さんが本日活けたのは黄水仙と白梅であった。梢は制服の脇ポケットから小型のデジカメを出して撮影した。華道教室が終わると弟子の人たちは帰宅し、乃江美も慣れない正座から立ち上がって離れを出た。

「あ〜、やっと終わった〜。伯父さんと暮らすようになってからは、家事の大方と華道と伯母さんの裁縫をやるようにと言われてっから」

 乃江美はのそのそと母屋へ向かい梢もついていった。乃江美と梢が母屋に入ると素子伯母さんが梢に声をかけてきた。

「安食さん、今一人で帰ると危ないから送ってあげるわよ」

「どうもありがとうございます。わざわざと……」

 梢は素子伯母さんに家の近くまで送ってもらうことになると一礼をし、乃江美とさよならのあいさつをする。

「またね、梢ちゃん」

「うん、また明日」

 梢は素子伯母さんが運転するダークブラウンのセダン車に乗せてもらい、四丁目にある自宅まで送ってもらった。乃江美は着物から普段用のデニムのワンピースに着替えると、夕飯準備をしている猿田さんのいる台所へ入っていく。

「猿田さん、伯母さんが梢ちゃんを家まで送っていったから、あたしが夕飯造りを手伝うがや」

「お嬢さま、どうも」

 料理を作っていると猿田さんが乃江美に話しかけてきた。

「乃江美お嬢さまにようやくお友達が出来て、わたしは安心しております」

「うん、まぁね……。梢ちゃん、フラワーアーティストを目指しているのもあったから、華道の家元である伯父さんがいるあたしに声をかけてきたんじゃん」

 そして何より人間たちに侵攻を仕掛けてくるデラツウェルクに立ち向かうためのルチェリノーマの伝説の戦士同士であることも心の中で付け足して。

(あたしの手元に残っている守要玉はあと二つ。どんな人がリノーマサーゲストの伝説の戦士になるんだがや?)


 デラツウェルクたちのアジトではアッターカや他の二人のデラツウェルクたちはラヴィアーネが撤退したてきたのを聞くと、軽く侮蔑するような視線を向けてきた。

「仕方がないだろう。〈安樹玉〉を持つルチェリノーマの戦士が出ちまって、おれは有利なのが不利になってやむを得ず退いたんだ。言っておくが負けたわけじゃねぇ。引き分けだ」

 ラヴィアーネは仏頂面をしてアッターカや他の二人に言った。

「第一、〈安樹玉〉の女は見かけの方は稲みたいに細っちいのにも関わらず、力量はサルスベリみたいだった。いや例えるのならむしろアリか?」

 ラヴィアーネが梢の強さを別の物の比喩に言いかえていると、女のデラツウェルクがラヴィアーネに声をかけてきた。

「だけどリノーマサーゲストが二人も年端のいかない女の子ってのが気になるわね。今度はわたしが行くわ。どういう娘(こ)か目にしたいもの」


 翌日、乃江美はバスに乗って菫咲学園近くのバス停で降車して青紫色の制服の生徒たちが校舎へ歩いていく中、乃江美に声をかけてくる者がいた。梢だった。

「乃江美ちゃん、おはよう」

「おはようじゃん、梢ちゃん」

 乃江美は思わず三河弁を使ったことに気づいて手で口をおさえた。

「乃江美ちゃん、いくら三河弁が出たからって無理しておさえなくていいのに」

「だ、だけどなぁ……」

 乃江美は辺りを見回した。頼子一派が来ていないかどうかであった。頼子と二人の腰巾着は愛知県からの転校生である乃江美が三河弁や訛りを出す度にからかってくるのだ。

「そうかなぁ。わたしは三河弁を出してくる乃江美ちゃんは素直な感じがするんだけどね」

「そ、そう言われてもあたしは浜金谷さんたちからかわからへんように標準語を使おうとしてるんだけど……」

 乃江美がブツブツ言っていると、一人の女子生徒が乃江美と梢に声をかけてきた。

「そんな言葉遣いで相手をからかってきたり、からかわれて我慢するのはどっちも小さいものよ」

 誰、と乃江美と梢が振り向くとソバージュ状のロングヘアを後ろでひとくくりにし、切れ長の眼に面長の顔の美人だった。青紫色の校章入りのVネックカーディガンに紺色のリボンタイ、黒いチェックのサイドタックスカートの制服であることから中等部の人だと乃江美と梢は察した。

「そ、そーなんですか?」

 乃江美は語尾高い訛りの入った返事をして、中等部の女子生徒に言う。

「いくらあなたが愛知県からの転校生だからって周りからの評価や態度を気にしてたら、いちいちやっていけないわよ。『郷に入っては郷に従う』のも大事だけど、それよりももっと大事なことを見失うんじゃないわよ」

 中等部の女子生徒は乃江美にそう告げると、中等部の校舎とつながる通路を歩いて去っていった。

「何か……変わった人だったじゃん……。中学生とはいえ、小学生のあたしにこんなこと言ってきたのは」

 乃江美はさっきの中等部の女子が伯父さんや伯母さんや猿田さん、頼子一派とは違った地元民とは異なる扱いをしてくれたことにほうっ、となる。

「乃江美ちゃん、あの人確か……」

 梢が乃江美にさっきの中等部の女子生徒が誰だったか思い出したように言ってきた。

「有名女優の梅郷園世(うめさと・そのよ)の娘さんだった!」

「えええ!?」

 乃江美も中等部の女子生徒の意外な正体を知って声を上げたが、もうすぐ朝礼の時間に近づいていたため二人は他の生徒にまぎれて走って初等部の校舎の中へ入っていった。


 その後二時間目の授業と三時間目の授業前の二十分休みで乃江美と梢は階段の踊り場で再び集合して、梢はスマートフォンを操作して有名女優、梅郷園世のプロフィールを乃江美に見せた。

「あ、ここだ。梅郷さんは二十六歳の時に一般人の男性と結婚しているけど、子供を産んだのが三十二の時で、その一人娘が菫咲学園に通っているのを聞いたんだ。梅郷さんは東京に別宅、千葉県に本宅があるんだって」

「はー……。あん人、女優の娘だったんがや。何て名前がや?」

 乃江美が女優の娘である中等部の女子生徒の名前を梢に訊いてくると、梢は思い出して答える。

「梅郷さんの娘は望多舞風(もちだ・まいか)っていってたかな。お母さん似の美人だし、男子から人気があるっていうし」

「そうなんがや……。だけどあたしから見た望多先輩は何か……」

 乃江美は望多舞風の第一印象の次を言おうとしたが、どう言葉にすればいいか行き詰ってしまう。その時階段の踊り場の窓でコツコツと音が鳴り、開けてみるとそれぞれ灰色と白い羽毛の鳩に乗ったチラとゾゾが現れたのだった。

「お帰り、チラ、ゾゾ」

「ただいま、紙とペンは持っている?」

 チラに訊かれて乃江美は制服の脇ポケットから三色一本のペンとA4の白紙を取り出す。チラとゾゾは鳩から降りて乃江美の手のひらに移ると二羽の鳩は去っていった。チラとゾゾは白紙の上に暁台の地図を描いて八つの地域を青ペンで分けて赤いペンで星印を刻んだ。

「ここがルチェリノーマの国へ行くためのポイントがある場所。一丁目は乃江美が住んでいる場所の石灯籠。あとは二丁目と三丁目と六丁目と七丁目に一ヶ所ずつ。そして真北と四丁目と五丁目の境目にあるわ」

 暁台は南と西は森に囲まれ、北と東は田畑、四丁目に唯一駅の暁台駅があり、小山や森のある地域もあり、北東から西南にかけて流れる朝露(あさつゆ)川(かわ)もあった。

「サーゲストウォッチがあればルチェリノーマの国に行けるのね」

 梢がルチェリノーマの国の出入口の地図を見て言った。その時、乃江美が声をかけてきた。

「そーやぁ、梢ちゃんはルチェリノーマの国に行ってへんかったな」

「次の休みの日に家の人にいい理由をつけて、ルチェリノーマの国に行って女王さまにあいさつすればいいさ」

 ゾゾが梢に言った。


 一方で暁台の都市部ではビル街の中にある中華料理店の厨房でコックの一人が食材の肉を取りにいこうと大型冷蔵庫の取っ手を握って開いた時、バン! という音と同時に冷気が勢いよく出てきて厨房のコンロの火が一気に消えてあちこちが凍りつき、コックたちも寒さに震えた。

「いいい一体何が……!?」

 体を震わせ歯をカチカチさせながらコックたちが冷蔵庫を目にすると肉や魚はガチガチに凍りつき、他に人の気配はなかった。ただダクトの穴から一人の人物がこの様子を目にして小笑いしていた。

「ふふ、実験は成功ね」


 その日の夕方のニュースで乃江美は暁台の都市部のレストランの冷蔵庫が暴走して店内や人が凍えた情報を自分の部屋の小型テレビで目にして、これはデラツウェルクの仕業では、とチラとゾゾに訊いた。

「この暖かい季節に室内で凍えるなんて、〈誇霜玉〉を持つデラツウェルクの仕業としかいえないわ」

「できれば次の学校休みの日に女王さまの所へ行って相談しないと」

 チラとゾゾに言われて乃江美はうなずいた。女王の知恵も必要だと。

「ほだら次の日曜日に梢ちゃんも連れて、ルチェリノーマの国に行こっか」

 それからスマートフォンを取り出して梢のメールアドレスに連絡を入れた。


 日曜日は暗い灰色の雲に覆われた空に生温かい空気が漂う。乃江美は伯父さんたちに「学校の友達と町で調べ物をするから」と口実を設けて、チラとゾゾを連れて滅多に行かない暁台の都市部にやって来たのだった。いつも乗っているバスを使えば学校よりも五分先の時間に着き、乃江美は暁台駅前で降車した。

 暁台の都市部は他の都市部の駅ほどではないが、駅構内は広くて白い床と壁と高い天井の小ぎれいさで自販機もキオスクもトイレも待合室もあった。駅の北口にはベンチや楠の大樹のある広場で、古風なベンチに外灯、七色のブロックを使った広場の模様は町の近代さを現していた。

 北口を真っ直ぐ北へ行くと都市部で証券や銀行などのビル、ショッピングモールもあり、県立暁台高校や中央小学校も北方に建てられていた。駅周辺は老若男女が出入りしていて乃江美も待ち合わせの場所へ歩き出す。都市部はプレハブやコンクリートなどの素材を使ったビルがいくつもあり、主に五階前後が多く一階が店舗で二階以上がマンションになっていたり、自動車も住宅街と違って多くの車が道路の二車線を走り、数十メートルおきに信号機や道路標識に横断歩道、町の人も個人によってさまざまな服装をしていた。

 乃江美たちは都市部の中にある公園、そこのプラタナスの木の下にいる梢と合流した。梢はミントグリーンのブラウスにダンガリーのベストにカーキ色の台形スカートの服装だった。

「梢ちゃん、お待たせじゃん」

「いやぁ、わたしもそんなに待ってないし。うちは公園の近くだし」

 梢の住まいは七階建ての茶色のレンガ模様のマンション、バオバブマンションの四階で待ち合わせ場所の公園もバオバブマンションの付属だった。そのため休日の公園で過ごす幼児児童を連れた母親の姿があった。

 二人はバオバブマンション公園を出ると再び駅にUターンして駅広場にあるルチェリノーマの国に通じるポイントへ行くことになった。途中で町中にあるファーストフード店で昼食を買って、乃江美は卵チキンのバジルソースのホットサンドとミルク、梢はホットドッグとミニサラダとストレートティーをテイクアウトして駅広場のベンチに着くと食べて、乃江美はチラとゾゾにも細かくしたサンドイッチを分けてあげた。昼食を食べると乃江美と梢はチラとゾゾから教わったルチェリノーマの国に通じるポイントを見つけてサーゲストウォッチを服のポケットから取り出した。駅にあるポイントは四丁目の真南で、広場のシンボルの楠の根元の石板で倉橋家の庭にあるのと同じ紋章が刻まれていた。

 サーゲストウォッチの黄色の紋を石板の近くにかざすと、二人は黄金色と緑色の光に包まれる。梢が眩しさのあまり閉ざしたまぶたを開くと、立派な内装の廊下にいて乃江美も近くにいて、更に中央ヨーロッパ風の民族衣装を着た青年と娘を目にすると、それはチラとゾゾの本当の姿だと教えられた。

 乃江美たちがワープしたのはルチェリノーマの王宮の廊下で、四人は謁見の間へ向かい、ルチェリノーマの女王パナケイアと対面する。

「女王さま、突然の訪問で申し訳ありません」

 チラとゾゾが女王にひれ伏すと、女王は許してあげた。

「いいのですよ。こちらはいつでも歓迎なのですから。乃江美、どうも。あなたが新しい戦士なのですね、初めまして」

「は、初めまして。安食梢です……」

 梢はパナケイア女王に頭を下げてあいさつした。それからチラとゾゾは〈誇霜玉〉を持つデラツウェルクにどう立ち向かえばいいかと尋ねてくる。

「氷雪なら炎や鋼属性が有効なのだけど、この二つも敵の掌中なのよね。風を操る戦士を探してみなさい。その戦士が操る熱風なら太刀打ちできるでしょう」

「風の戦士ですか……。わかりました、探してみます」

 乃江美は女王からの知恵を受け取った後は梢とチラとゾゾと共に暁台の駅広場へ戻っていった。楠の木の下のルチェリノーマの国へ行く石板の周囲は石材のプランターで遮られていたので駅広場に来ている人たちの目に入らなかったので、乃江美と梢が突然姿を消したり現れたのを目撃する人もいなかったのだ。

「風の戦士か……。どんな人が相応しいんだろが……」 

乃江美が呟いて二人の背後から声が飛んできた。

「あなたたち、こんな所で何をやってるの?」

乃江美と梢が声の主に顔を向けると、ソバージュ状のロングヘアに切れ長の眼に細面の顔の少女が立っていたのだ。梢はその人物に向かって声を出す。

「望多先輩!? どうしてこんな所に?」

 数日前の菫咲学園の出入口で乃江美と梢に声をかけてきた中等部の女子生徒だった。望多舞風はこの時、黒いシャツワンピースにサーモンピンクのボレロカーデに茶色のロングブーツで髪型も学校時と違ってハーフアップにしていた。

「何って、都市部へ出かけに来たのよ」

「ああ、そうなんですか……」

 乃江美も望多舞風がここにいる理由を聞いて納得する。すると舞風は乃江美と梢にこう言ってきた。

「二人とも、この後予定がないのなら、わたしと一緒に来ない?」