その2・6話 そしてその後


「姉さん、何が言いたいんだ。いきなり、そう言われても……」

 卓治おじさんも久子伯母さんの発言に戸惑っていた。

「だから二人ともバカだって言うんだよっ!!」

 久子伯母さんはヒステリックに叫んだ。

「わたしとお兄ちゃんがどうしてバカなの……。いや、わたしは確かにお姉ちゃんと違って落ちこぼれだし、私立中とお父さんが決めた高校には漫画研究会がないから、受験の時はわざと失敗して、公立中学と二次募集の公立高校に行って、お父さんは激怒したよ。でもわたしはどうしても漫画家になりたかったから、今に至るもん。スランプになって泣いたり、慎が生まれてからは夜泣きしなくなるまで休業もしていたけど、その分頑張ったんだよ。お姉ちゃんも農作業が云々言っているのなら……」

ママが言った時、卓治おじさんも抗議した。

「姉さん、ぼくだって私立高校の教師になって勉強を生徒たちに教えてきた他、生徒が万引きや他校の生徒のケンカで大騒ぎになったりといろいろ大変だったんだ。紗里奈が発達障害と聞いた時はぼくも安利も驚いたけど、父さんの教育方針を押し付けるとかえって悪くなるって理解しているんだ。まあ父さんが存命していたら……」

「わたしだけよ! お父さんの期待にこたえられていたのは!! なのに、なのに……二人とも反抗して……」

 久子伯母さんはとくとくと自分の半生を弟妹に語った。

「わたしは生まれた時から頭がいいのを理由にお父さんから『お前はわたしの期待だ』と言われてすごくうれしかった。幼稚園からずっと有名私立に行って、常に一番で近所の人たちからもちやほやされて嬉しかった。

 わたしは卒業と同時に大企業に就職して職場にもなじんでて上司や同僚とも仲良くできてたけど、上司のすすめたお見合いで農業出身で三流大出の長男と結婚したのが間違いだった……! 今更『サラリーマン向いていないから農業を継ぐ』って言ったのよ……! わたしは折角寿退社後の就職先の税理事務所で課長になれたのに……!」

 途中で涙声になりながら久子伯母さんは自分の半生が失敗したかのように話した。

「こんなことなら独身を通して生きるか、好きでもない教育者や医者とか結婚しておけばよかった……!」

「姉さん、よく平気で酷いことが言えるもんだな」

 卓治おじさんが久子伯母さんに義憤を募らせながら言った。

「卓治っ、あんたは高校教師でありながら生徒と付き合って結婚なんて、ふざけているにも限度がありすぎるわよ!」

「でも安利が大学を卒業するまでは父さんも安利の両親や兄弟が許してくれたさ。最初は父さんは結婚を反対していたけど、安利が社長令嬢と知ったら許してくれたし……」

 卓治おじさんは安利との結婚のいきさつを久子伯母さんに語った。

「でも卓治の娘が発達障害って何なのよ!? 私立小学校に入れず、一般人が通う公立小の特別支援に通っていると聞いた時は減滅したわ! 紗里奈ちゃんが甘えているとしか思えないわ! もしかして取り違えた子なんじゃないの!?」

「姉さん!」

 卓治おじさんは久子伯母さんの発言に切れた。

「確かに紗里奈は発達障害で人の好き嫌いや各教科や学校行事の得意苦手があったりと大変だよ。だけどな、紗里奈は安利とぼくの子供なんだよ

学くんや美鈴ちゃんだって本当は普通で精一杯が限度なのに、姉さんが父さんから受け継いだ教育方針のせいでイライラしていたじゃないか。下手すりゃ不良や非行化してもおかしくない状態だったらしいし。父さんの教育方針が全てとは限らないんだ、姉さん」

「そうよ、お姉ちゃん。慎はわたしやうちの人と違って優秀だけど、わたしは自分の子が落ちこぼれや発達障害でもかまわなかった。

 お姉ちゃんは確かに優秀だよ。だけど、それは運よく親がそういう人だっただけ。世の中は理想の子どもなんて授かる訳じゃないんだから」

 ママも久子伯母さんに言った。

「わたしは教育パパの子供に生まれてきたことには大変呪ったよ。でも子供は理想の親や家や身分を選ぶことはできない。できるのはどうやって生きるかなんだよ」

「……」

「それにお父さんだって、最初から金持ちで教育者じゃなかったんでしょ? 生まれた時は貧しい米屋の長男で兄弟もいっぱいいて、頭もいい顔もいい、でも貧しいため公立中学卒業の身で後は働きながら独学で教師と教育者になっただけ。父さんも結局は特別な人じゃなかった。教育者と高身分になったのを理由にいい気になっていただけ」

「姉さん、わかったろ? 父さんであれ、ぼくたちであれ恭子であれ、人間誰だって障害や悩みを持っているんだ」

 卓治おじさんは久子伯母さんに言った。その時、久子伯母さんの携帯電話から『交響曲第九番』の着信音が流れてきた。

「ちょっと見せてよ」

と、ママがトランクの近くの携帯電話を拾い、誰からの着信か調べる。着信法事には「後藤貞晴」と表示されていた。

「貞晴さんからよ。出てあげなさい」

 ママは久子伯母さんんい携帯電話を差し出す。

「はい、もしもし……」

 久子伯母さんはしゃくりあげながら、貞晴伯父さんの電話に出る。

『もしもし、久子か? 今、浦安の実家か? もし浦安にいるんだったら、おれが明日の昼までに迎えに行くよ』

 貞晴伯父さんの言葉を聞いて、久子伯母さんは泣きじゃくるのをやめた。

「そうよ、浦安のサンセットヒルズの実家にいるの。間違いも挫折もなく上手くいっていたのに農業をいきなりやらされてかわいそうなわたし、ってめそめそしていたの。わたしってたまたま賢くてお金持ちで有名な人の子供に生まれていい気になっていたのよ。さっき弟と妹に説教されて、お父さんの教育方針が正しいとは限らないって、言ったの」

『そうに決まっているじゃないか、久子。どの育て方が正しくてどんな育て方だと悪い子になる、なんて育ててみないとわからないじゃないか。出荷する野菜は確かに綺麗じゃないといけないが、人間は少しくらい間違ったっていいんだから』

 貞晴伯父さんのその一言で、久子伯母さんの中の画一化がなくなったような気がした。

――少しくらい悪くても。

『久子、美鈴も学もお前が帰って来てほしい、って毎日玄関をのぞきに行って待っているんだ。

 親父もお袋も肉体労働が苦手なお前に無理をさせすぎていた、って反省している。これからはお前がつかれたら必ず休ませる。無理はさせない。迎えに行くから。帰って来てくれ、久子』

 受話器から聞こえる貞晴伯父さんの震える声が久子伯母さんの心にも通じた。

「あなた……ごめんなさい……。ごめんなさい……。必ず帰るから……」

 久子伯母さんは泣きながら貞晴伯父さんと話し合った。

 久子伯母さんも卓治夫妻もママもカヤさんも気づいてはいなかったが、慎が二階の階段からこっそりと大人達の会話を立ち聞きしていた。そして気づかれないようにきびすを返し、紗里奈のいる一階に戻っていきながら、慎は考えた。

(――久子伯母さんは何とか解決したけど、世の中にはまだ悩みや辛い心を持っている人たちがたくさんいる。ぼくに出来るだろうか? 他の人の悩みを聞いて助けてあげることを……)


 四月二十八日の夜七時半。家族でご飯を食べ合っている慎の家に学から電話が来たのだ。久子伯母さんはその後は翌日に迎えに来た貞晴伯父さんと共に栃木県の明峰村へと帰り、嫁舅とも仲直りし、久子伯母さんが働くのに疲れたら一時間休んでもよい条件で農婦を勤める事が出来た。

「ゴールデンウィークにまた遊びに来てもいいんだ。パパとママも行きたい、って言っていた。ママは漫画の取材と、って明峰村と足利の観光をしたいってさ。もしかしたら、パパの方の仕事が休み取れれば全員行けるかもしれない」

 流石に学は種まきと出荷で千葉県に行くことはできないが慎を誘うことはできる。

「あとね、学くん……」

『ん? どうした、慎?』

 慎は思い切って、学に話した。なれそうになるかもしれない自身の夢を。

「ぼく、心療内科のお医者さんになろう、って考えているんだ。心に悩みや苦しみを持っている人たちを助けてあげたい」

 受話器の向こうの学は少し間をおいてから慎に言った。

『なれるさ。優秀で人をよく見る慎なら、さ』


(終わり)