その1・4話 美鈴の苦悩



 授業が終わると、二人はクラブへ行った。学と慎の通う四方道小学校は、四年生からはクラブ入部する決まりがある。月曜日と水曜日と金曜日がクラブの日で、火曜日は委員会活動の日であった。

 学校が終わった後は習い事があるからクラブに行くのがかったるいと言う人もいれば、授業よりクラブの方が楽しいという人もいれば、普通だと言う人もいる。

 学にとってはクラブ活動が何よりも素晴らしい時間であった。学校で授業を受けるほか、塾で勉強をする時間もあるため、クラブ活動は学の一番の自由時間だった。

 学は本当はサッカー部かバスケット部か野球部に入りたかったのだが、お母さんが

「朝練のないクラブに入りなさい」と言ったため、卓球部に入部した。卓球部は小学生の大会出場がなく、朝練もなかった。朝練をしたら、夕方にどっと疲れが出て、勉強ができなくなるからという理由でお母さんがさせてくれなかったのだ。

 慎はというと、学と違って、文化系のクラブに入っていた。慎は科学部に入り、理科室で星図の読み方を覚えたり、化学反応の実験を楽しんでいた。

 三時半になると、クラブは終わり、みんなそれぞれの家へ帰っていく。慎と学は今日も裏庭へ行き、それぞれの好きな食べ物と嫌いな食べ物の情報を交換した。でないと、嫌いなものなのに食べていると家族から疑われるからだった。

 学は主に栄養価があるシラスや海藻、緑黄色野菜とシイタケとナメコが嫌いで、から揚げやハンバーグやスパゲッティなどの味だけがいいものが好きだった。慎は好き嫌いはないが、かまぼこやチクワ、伊達巻などの練り物が苦手だというのだ。情報交換すると、学は慎の家、慎は学の家へと行った。

 学が慎の家があるハイツへ着くと、パパが洗濯物を片付けていた。慎のパパは背が高く、体格のいい男の人であった。でも顔は慎とは似ていない。もちろん、ママも慎とはあまり似ていない顔だった。

「パパ、ただいま……。」

 学は恐る恐るパパに話しかけた。するとパパは慎に気がついて、「おう、お帰り」と言った。

「今日は晩ごはん、パパが作るからな。」

「えっ、」

と、ここで学は口をつぐんだ。学の家ではお父さんは家事をしていないし、ご飯を作ることもなかったからだ。慎の家ではパパが家事をするのはいつものことなのだろうと、悟ったのだった。

「どうした、慎?」

「ん……、何でもない。昨日はとりの唐揚げだったから、今日はクリームシチューが食べたいな。」

「そうか。作ってやるぞ。クリームシチュー。シーフードでいいか?」

「うん!」

 パパは、たたんだタオルを置きに洗面所へ行った。パパが晩ごはんの海鮮シチューを作っている間、学は台所が見える居間で、テレビを見ていた。学が見ている『ワンダーナイト・ブレデル』は男の子達の間で話題になっているテレビアニメだった。学は塾のため、『ブレデル』を見たくても観られなかったから、友達に聞いて教えてもらうほかなかった。しかし、今日は生で観られるのだ。

(やっぱし面白いや、直(じか)でテレビ見るのは。)

 番組が終ると同時に、晩ごはんは出来上がり、パパの作ったシチューが台所のテーブルに並んだ。シチューには、ホタテやエビやイカといった海産物のほか、ブロッコリーやニンジンやジャガイモ、マッシュルームが入っていた。食べてみると、おいしかった。

 食べている最中、パパが慎になっている学に話しかけた。

「慎、今日はテレビを見ていたけれど、お前にはパパみたいな人生は歩ませたくないんだよ。」

「え……。」

 パパがそう言ったので、学は手を止めた。

「パパは若い頃、『今さえ良ければいい』って思って生きていたら、親父が死んでな、就職しなかったことをその時、後悔していたんだ。人生何があるかわからんからな。お前、前はあんなに勉強していたのに、いつの間にかママの言う通りになっちまったんだな……。」

「で、でもママは子どもの時は、いっぱい勉強させられていて……。」

 学がそう言うと、パパはため息をついた。

「ママも気の毒な子供時代を歩んできたのはわかる。でも、ママのやり方じゃわがままな子に育つっていうのを知らないから。」

 パパがそう言うと、学は慎が昼間言ったのを思い出していた。

「……それで、ママは今日、何しているの?」

 学はパパにどうしてこの時間にママがいないのかを聞いてみた。

「ママ? ママは一丁目にあるスタジオでお仕事しているよ。今日、下描きだって言っていたな。」

学は思った。スタジオ……、下描き……。慎のママは絵を描く人なのだろう。だから、教師や会社員のような堅い仕事に就きたくなかったんだと、学は思った。


 一方、慎は学のマンションへ帰り、塾へ行く前に復習をし、花丸塾へ行く仕度をした。今日は算数の日だった。またしても慎は先生に指されると、すらすらと答えたのだった。

「算数もできるようになったのか。えらいぞ、後藤。」

「きょ、今日の授業で同じのが出たんです……。」

 塾生のみんなも、前は指されても答えられなかった学が急にできるようになって、関心していた。昨日と同様に暗くなる頃に塾が終ると、昨日と同じようにお母さんがむかえに来た。

「お、お母さん、ただいま……。」

「お帰り、学。今日は途中で抜け出したりしなかったわよね?」

「えっ、今日はそんなことしてない! それどころか、先生もみんなぼくができるからって、ほめていたよ!」

 慎はあわてふためいて、お母さんに言った。お母さんはそれを聞くと、にっこり笑った。

「そう、それならいいわ。美鈴、今日はクラブだったから、もう家に帰ってきて待っているから帰りましょ。」

 そう言うと、お母さんは学になっている慎を連れて帰り、家に着くと、晩ごはんを作り始めた。その間、慎は塾の宿題と学校の宿題をやった。

 慎は宿題を終えると、美鈴のことを知りたいと思った。慎には兄弟がなく、姉がいるってどんな気持ちになったことがなかったからだ。慎は思い切って、美鈴のことを知ろうと思った。

 学の部屋の隣にある美鈴の部屋のドアにノックをし、入ってみる。

「だれ?」

「お姉ちゃん、入っていい?」

「いいよ。」

と、美鈴がドアを開けた。慎は美鈴の顔を見てみた。美鈴の顔は両親のどっちかというと、学のお父さんに似ていた。疲れきった目、逆三角形の顔、細い体。逆に学は両親のどちらにも似ていない。

「お……、お姉ちゃん。ちょっと話してもいい?」

「いいよ。何? ベッドに腰かけていいよ。」

 美鈴がすすめたので、慎はベッドに腰をかけた。

「お姉ちゃん、学校楽しい?」

 慎は思い切って、美鈴に聞いた。学から少し聞いたのだが、美鈴は倉井学園中等部に通っているのを知った。

「何でそんなことを聞くの?」

と、美鈴は愛想悪そうに言った。美鈴が学校のことで機嫌が悪くなったと思った慎は、「やばい。」と思って、言い直した。

「え、えーと、友達が私立中学を受けようとしていて、『学くんのお姉さんて倉井学園受けたんでしょ。だったら、どんなとこか聞いてきてよ。』って言われて……。」

 慎がそう言うと、美鈴は不機嫌そうに言った。

「つまんない……。」

「えっ!? それ、どういうこと?」

 慎は驚いて美鈴に聞いた。せっかく私立の学校に行ったのに、「つまらない。」とは、どういうことだろうか?

「みんなみんな、勉強ばっかりしていて、遊ぶ余裕なんてない。休み時間も勉強ばっか……。友達の会話も勉強か進学のことばっか。わたしが勉強とは関係ない話をしようとしたら、『そんなヒマあったら、勉強しなよ。』って言うし。」

 美鈴の話によると、倉井学園では生徒たちはみな、成績を上げるのに必死で、娯楽のゆとりはないのだという。

「わたしはお母さんに言われたから受けただけなのに。クラブも本当は演劇部とかに漫画研究部とか娯楽のある文化部に入りたかったんだけど、倉井学園にはそういうのないし。先生に『作りたい。』と言っても、『勉強とは関係ないでしょ。』って言うし。仕方なく、英語部になったの……。でも、クラブ活動は授業と似たようなもんだし……。」

 美鈴もかなり苦労しているのが、慎にも伝わった。

(お姉さん、本当はもっと楽な学校に行きたかったんだ……。)

「仲のいい友達はいないし、クラブはつまらないし、お母さんはテストの点数は三十番以内じゃないと怒るし……。」

 美鈴がそう言って顔を見上げると、慎は心配そうな顔をしていた。

「お姉ちゃん。ぼくもお姉ちゃんの気持ち、わかるよ。」

「ありがとう、学。学も遊びたい盛りだもんね。でも急に勉強するようになったのは、不思議だけれど……。」

 ちょうどその時、「ご飯よー。」という、お母さんの声が聞こえた。

「お母さんには言わないでくれる? わたしが本当は今の学校が楽しくない、って言っていること。」

 学になっている慎は、こくんとうなずいた。