その夜、(学になっている)慎は学の部屋のベッドの上で寝転んでいた。慎は夜十時には眠れているはずなのだが、よその家なのか寝付けなかった。 (パパとママ、今頃どうしているんだろ。学くんはちゃんと、ぼくのフリをしているのかな……。) そう思いながら、慎はベッドから起きて、トイレに行こうとした時だった。玄関の向こうで、ガタンという音がしたのだった。行って見ると、そこには灰色のスーツを着た実際年令より老けて見える男の人が帰ってきたところだった。 (もしかして、この人が学くんのお父さんかな……。) そこで慎はおそるおそる声をかけてみた。 「お帰り、お父さん……。」 「ああ、学か。もう十一時半だぞ。こんな夜に何やってるんだ?」 「あ、トイレ行こうとしたんだよ。そしたら、玄関で音がして……。」 お父さんは疲れが溜まっているのがわかる目で、彼を見た。お父さんも慎が学とそっくりだったので、疑わず慎に言った。 「お前も今日、塾で大変だったろ? 本当は塾になんて通わせたくなかったんだが、母さんがうるさくてな……。美鈴の学園の費用もかかるし。本当はお前に苦労かけさせたくないんだが……。」 学のお父さんの言ったことを聞いて、慎は思った。 (学くんのお父さん、大変なんだな。毎晩遅いのかな?) お父さんは慎の頭をなでると、洗面所へと入っていった。 翌朝、(慎になっている)学が目を覚ますと、台所で朝ごはんを食べに行こうとした時だった。慎の向かい側の部屋は慎のパパの部屋だった。扉が半開きだったのでのぞいてみると、慎のパパが布団を頭にかぶっていて寝ていた。 (朝帰りなのかな……。) 学はそう思った。すると、後ろからママの呼ぶ声が飛んできた。 「慎ー、朝ごはん食べないと遅刻するわよー。」 慎(本当は学)は我に返って、台所へと向かった。朝ごはんのジャムトーストをかじりながら、(慎になっている)学がママに聞いた。 「ねえ、パパ眠っているけど、会社はどうするの?」 その時、ママが「?」という顔をして振り向いた。 「何、言ってるの。パパが働いているのは会社じゃなくてショッピングセンターよ。それに今日パパは、お仕事お休みの日よ。」 (しまった。) 学は口をつぐんだ。慎のパパの仕事なんて、聞いていなかった。ばれるだろうか? 「慎、まさか……。」 ママが近づいてくる。ばれたらお母さんに呼び出されて、ガミガミ怒られて、また塾通いだ。そう思った学だった。だが……。 「今日、パパと遊びたいのね。慎、今日はパパ、一日中家にいるから。」 ママはそう言うと、台所を出て行って、洗濯機のある洗面所へと行った。 (大丈夫だった、みたい……。) 学は胸をなで下ろした。朝ごはんを食べ終えると、学は学校へと行った。今日も空が薄い灰色に包まれていた。 二人は昇降口にはいる前に裏庭に行き、互いの服を交換して、自分たちの教室へと行った。 「あのさ、学くん……。」 「何?」 「君のお父さんってさあ、何やっているの?」 昇降口に向かう途中、慎が学に質問した。 「千葉市にある食品会社で働いているんだよ。でも、勤めて二十年も経つんだけど、昇進してもいいのにできなくてさ……。お父さんの同期の人は昇進しているのにお父さんだけが平社員でさ……。」 「……。」 慎は学のお父さんの事情を聞いて、気を悪くしてしまったと思った。 「ごめん……。そんなこと言って……。」 「いや……、大丈夫さ。ぼくも慎のお父さんのこと聞きたいけど……。昼休みに聞いてもいい?」 「うん……。じゃあね。」 そう言うと、二人はそれぞれの教室に入っていった。 昼休み。学が給食の焼きそばを食べ終えると、慎が廊下の出入り口に立っていた。 「学ー。お前のそっくりさんが呼んでいるぞー。」 のっぽでつり目の啓治(けいじ)が学を呼ぶと、学は席を立って、慎のところへ来た。 「学ー、今日はおれたちと遊ばないのかー」 「ごめん、啓治。ちょっと慎と話するから……。」 慎は学を呼んだ啓治を見て、ふと思った。 (何かあの子、不良みたいだな。でも学くんと仲良さそうだけど……。) 二人は渡り廊下にやって来た。 「あのさあ、ぼく慎のお父さんのこと、聞いていなかったけど……。慎のお父さんって何やっている人なの、今日は仕事が休みだって慎のお母さんが言っていたけど。」 「ぼくのパパ? パパは隣の区のショッピングモールの店員だよ。」 それから慎は自分のパパの身の上を話した。 「パパは高校を卒業するとき、大学に行くのも就職するのも嫌がっていて、フリーターになったんだ。最初の四年はまだ良かったけど、二十三の時にぼくのおじいちゃん、病気になって……。おじいちゃん、脳出血で死んだんだ。」 「……。」 「おじいちゃんが亡くなって、パパとお兄さんである伯父さんはお母さんの面倒……つまり、ぼくのおばあちゃんの面倒を見ることになって……。遺産もあんましなくて。パパはこの時、就職しなかったことを後悔していたよ。おじいちゃんが亡くなってから三年目にやっとショッピングモールの正社員になって。それまでは就職活動していたけれど、フリーター経験が長かったから、どこも雇ってくれなかったから。」 「そうか。大変だったんだな……。」 「パパはいつも僕に言っていたんだよ。『将来何かあるかわからんから、真面目に生きて、手に職をつけろ』って。」 「それで勉強をしたかったんだ。でもおかしいよ。何で慎のお母さんは勉強をするなと言っているのに。」 「うーん、それがわからないんだよ。ママは自分のことはよく話すけど、親戚や親のことは話さないんだよ。ママの方のおじいちゃんおばあちゃんも会ったことないからわからないし……。」 それを聞くと、学は答えた。 「慎のお母さんの勉強嫌いの理由はおじいちゃんに勉強をしごかれたからだって言っていたけど。」 「ママ、そんなこと言っていたの? ぼくやパパには話さなかったのに。」 慎はそれを聞いて、目を丸くしていた。自分の家族のことを話さないママが学に言うなんて。学のことをすっかり本物の慎と思い込んでいる。 「そうだ、そういえばぼく、慎に塾のことを話さなかったな。塾に行ったとき、塾生のこと教えなかったからな。」 「ううん、それは平気だよ。塾のみんなは、学くんがいきなり勉強できるようになったって思い込んでいるから。それに先生も。」 「それは良かったな。」 そういった時、チャイムが流れた。 「あ、教室に戻らなくちゃな。また明日、話そうな。」 こうして二人は、互いの教室に戻った。 |
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