8話・シグルス姉弟とオーディン王


 この日は高里兄妹にとって不安と緊張の日であった。他の惑星からロボットがやってきて、そのロボット姉弟が帰れる方法が見つかるまで家に置いてあげてお使いや図書館で社会勉強させたり学校に通って兄妹以外の人間と関わったりするだけでも前とは違った生活だったのに、姉弟の後を追いかけてきたロボットの王とその側近たちが現れて居間の地球の資源や軍事兵器を手に入れようと人間たちに告げてきたのだから。
 栄希は今日の授業が身に入らなかったことや智佐絵と純也と福美以外のクラスメイトからの扱いか冷たいかどうか気にしてばかりいた。
 夢乃もクラスメイトからロボット姉弟と生活していて他の星から来たロボットの仲間だと知られた時、奇異の目で見られて心苦しかった。
 栄希と夢乃はそろって家に帰り、近所に着いた時は知り合いのおじさんやおばさんが二人を目にしてひそひそ声を立てていた。
「ただいま……」
 兄妹は重い足取りで家に着くと、シグルスとフリッグが迎えてくれた。
「お帰り、栄希くん、夢乃ちゃん……」
「どうしたの、顔が暗いわよ」
 フリッグが栄希と夢乃の顔を見て尋ねてくる。
「これからどうしよう、と思って……」
 栄希はシグルスとフリッグに言った。
「ああ、そうだ。お父さんの部屋のパソコンでオーディン陛下に関する情報が入ってこないか調べていたら、こんなのがメールボックスに入っていて……」
 シグルスは栄希と夢乃に一枚の紙を見せる。A4サイズのコピー用紙にはメールの文書が印刷されていた。メールアドレスは全く知らないもので、一瞬迷惑メールのアドレスにも見えた。しかしメールの題名には『現在地』と書かれており、本文にはこう数字とアルファベットが表示されていた。

〈ポイント GN56―88―D2〉

「これって……、オーディンたちが今いる場所のことかな?」
 栄希はメール文書のアルファベットと数字を目にしてシグルスとフリッグに訊いてくる。おそらくオーディンたちが各所に自分たちの居場所がシグルスとフリッグに届くように送信したのだろう。
「でも、どこにあるの? オーディンたちの居場所って」
 夢乃が首をかしげるとフリッグが栄希に言ってきた。
「栄希くん、地図表の本を持っているでしょ? それを貸して」
 四人はリビングに集まり、フリッグは栄希の地図表の本を目に通し、世界各国の地図、日本各地の地図データを解析し、電子頭脳の中の地形法学ポイントの計算をし出す。
 ウィー、カシャ、カシャ
 細かいがフリッグの中のCPUの動く音が聞こえる。二十秒ぐらい経ったところで解析が終わり、フリッグは地図表をめくってオーディンたちの現在地がどこにあるか指をさしてきた。
「ここよ」
 フリッグが指をさしたのは群馬県赤城市近くの無人地だった。
「ええ!? オーディンたちって日本にいたのかよ? ああ、でも日本の関東地方でよかったからいいのか……。もしこれがオーストラリアの高原とかアフリカの砂漠だったら困るもんなぁ。行くとなったらパスポートとか旅費とか補給燃料とか。いやその前にロボットだから飛行機に乗る時の金属探知機に引っかかるか……」
 栄希が半分意外半分安堵で言うと、夢乃がシグルスとフリッグに訊いてくる。
「二人とももしかして、オーディンたちを止めに行くの?」
 それを聞いて姉弟は顔を見合わせる。
「陛下たちを止めて地球の侵略をやめてもらうには、わたしたちしかいないもの」
「ぼくたちは人間の家族に保護されて、後は人間たちと同じ生活を過ごしてきたことを伝えてわかってもらわないと」
 フリッグとシグルスの意志を聞くと、栄希はしばし納得する。
「確かにそうかもしれない。だけど、お父さんとお母さんがこれを聞いたらどんな風に思うんだろう……」

 その日の夕方、父と母も帰ってきてどちらも勤め先で他の人たちからロボット姉弟を家に住まわせているのを知られて怪しげに思われたことを話したのだった。
「パパとママ、お仕事辞めさせられちゃうの?」
 夢乃が父と母の話を聞いて不安になった。
「いやクビにはなることはなくても、日本の地方か外国に左遷させられるかもしれない……。わたしたちは善意でシグルスとフリッグを家に置いてあげただけなのに」
 父は頭を抱えてみんなに言った。
「お父さん、お母さん。わたしとシグルスはオーディン陛下のいる所へ行きます。陛下たちにわたしたちが高里家にいる理由を話して、また今の地球の資源や軍事兵器を奪うことを止めることを説得しに行きます」
 フリッグは高里家の人たちに自分たちがこれからすべきことを伝えた。
「オーディンたちの所へ行く? あなたたちだけで?」
母がそれを聞いて目を丸くする。
「場所すでに把握してます。ぼくとお姉ちゃんが交渉に行って、その後アスガルド星のロボットたちに帰ることを訴えます」
 シグルスも父と母に言う。
「だけど、いくら君たちがロボットとはいえ、子供二人でアスガルド星の上層部の所へ行くのは危険だ。わたしも一緒に……」
 父が反対すると、栄希が口を挟んできた。
「お父さん、オーディンたちは人間のことをよくわかってない。お父さんもついていったら、ひどい目に遭わされるかもしれないよ? シグルスとフリッグにやってもらうしかないんだよ。ロボットのことはロボットとやり合うしかないんだよ……」
 夢乃も無言だがうなずいた。父はそれを聞いて、フリッグとシグルスをチラと見る。二人とも真剣な表情だった。
「あなた……」
 母も父と姉弟を見て尋ねてくる。
「……わかった。君たちにオーディンたちを止めることを委ねよう。確かに人間であるわたしが言ってくることではないからな」
「はい。覚悟はできています」
 フリッグが言った。
「その代わり、オーディンたちを止めることに成功したら、わたしたちの元に一たん戻ってらっしゃい。あなたたちの無事を確かめたいから」
 母はシグルスとフリッグを抱きしめた。二人の皮膚は人間のものと近い感触と温度、皮膚の下の金属の硬さが伝わった。

 次の日、栄希と夢乃が起きる前の朝の六時にシグルスとフリッグは高里家を出て、群馬県の赤城山付近にいるオーディンたちの所へ行くために旅断つことにした。父と母も起きて、姉弟を見送った。
 シグルスは黒いパーカーに赤いTシャツと長いジーンズとスニーカー、金髪は黒いキャップで隠し、背中に軽いリュックサック。フリッグはネルシャツとTシャツとサブリナパンツ、足元は靴下と布製のフラットシューズ、背中にはパッチワークのリュックサック。亜麻色の髪はデニムのチューリップハットに押し込んでいた。パッチワークのリュックは母が数年前に作った物を譲り受けた。
 空は白く雲で覆われていて、スズメやツバメがさえずっていた。
「リュックサックには缶詰などの長持ちする食糧が入っている。あと食べ物がなくなったり、歩いていけなくなったらの乗り物に乗るお金も持たせているけど、盗まれたり失くしたりしないようにするんだぞ」
「二、三時間に一度は電話で報告してちょうだい。公衆電話を見つけたら、わたしの携帯や家の電話にかけるのよ」
 父と母はシグルスとフリッグに忠告すると、姉弟はうなずく。
「はい、行ってきます」
「栄希くんと夢乃ちゃんによろしくと言って下さい」
 姉弟は歩いて群馬県の赤城山へ向けて、高里家から旅立っていった。

 その頃、群馬県赤城山内の変電所の廃墟では。オーディンたちは人間との体面に備えてメンテナンスを受けていた。メンテナンス室は変電所内の一室を改造したもので、一人五時間ずつ、配線付きの台で受けていた。
「調整を怠ってはいけない。資源と兵器を手に入れるためだ」
 オーディンは部下たちにいさめていた。

「えっ? シグルスとフリッグがオーディンたちの所へ行ったって!?」
 シグルス姉弟より一時間遅れて起床した栄希と夢乃は両親から聞いて驚いていた。
「わたしやお兄ちゃんにも言ってから行ってほしかったよ……」
 夢乃はミルクの入ったマグカップを手に持ったままこぼす。
「何を言っているの。あなたたちを心配させないようにしたのよ。学校に行ったら今まで通りに振る舞うのよ」
「はい、お母さん……」
 母に言われて栄希と夢乃は朝食を食べて学校に行った。

 シグルスとフリッグは他の人間にロボットだと気づかれないように、人気(ひとけ)の少ない道を選んだ。住宅街を出て、迷路のように入り組んでいる他所の地域の町を歩き、荒川の川上の方へ向かっていき、電車が走る橋の下を渡り、また北千住や押上のような街中では乗り換えなどで多くの人が行き交う中、はぐれないようにしていた。

 栄希は学校では授業を受けながらシグルスとフリッグの行方を気にしており、また源もシグルスの姿を見かけなくなったことを金城国際重工に報告していた。
 金城国際重工では源のメールを目に通した社員が首を振っていた。
「シグルスの姿を見かけなくなっただと……? もしかしたらかくまっているか嘘をついているのかもしれない」
 源にシグルスの監視役を担わせた社員は会長室に足を向けて、会長に伝えることにした。

 シグルスとフリッグが高里家を出て八時間後、太陽は真上に昇っており、生暖かい風が吹いており、公園や学校の校庭では子供たちが遊んでいたり、小中学生が体育の授業を受けている様子が目に入り、シグルスはそれを見て、栄希たちと授業を受けていた時がなつかしく思い、姉にいさめられて北へ向かっていった。
 シグルスとフリッグは東京の赤羽にいた。といっても騒がしい町中でなく、静かな住宅街の一角にいた。人間と同じ有機物を摂取できるとはいえ、今回は三時間に一度食事をし、二人は公園で缶詰のパンや鮭やコンビーフを石のベンチに座って食べていた。公園では幼稚園の子供たちが来ており、ブランコやジャングルジムなどの遊具で遊んでいた。
 食事もとい燃料補給が済むと再び歩き出した。荒川が見える川沿いの道に来ていた時だった。一台のトラックが二人の近くで停まり、ひげを生やした体格のいい男の人が声をかけてきた。
「おい、二人とも。さっきからずっと歩いているようだが、疲れないか? 乗せていってやるよ」
「え、でも……。あなたの負担をかけたくありませんし……」
 フリッグは中の判断回路を機能させて断ろうとしたがトラックの運転手は言い続けた。
「お二人さん、二時間前からずっと見かけていてね、何でバスも電車も使わないのか気になっててよ。おれも北へ行くとこでね、目的地まで載せていってやるよ」
 二人は運転手のサーモグラフを見て、体内に異常がないことを確かめて、運転手は親切で言ってくれているんだとフリッグとシグルスは判断した。人間は嘘をついていると体温の上下を起こすからだ。
「あ、ありがとうございます! それでは群馬県の赤城山の近くまで!」
 フリッグはトラックの運転手に自分たちの行き先を伝えた。
「おう。おれも群馬県の桐生まで向かう所でな。旅は道連れ、世は情けだ」
 フリッグとシグルスはトラックに乗り、後部座席に座った。トラックは川沿いの道を走り、町中を走り、やがて高速道路に入っていった。高速道路の周りは小山や森、全く知らない町の景色で、群馬県の赤城に着くまでの間、フリッグとシグルスは休眠モードに入っていった。

「おい、着いたぞ」
 運転手の声でフリッグとシグルスは反応して休眠モードから覚めて身を起こした。
「ここは……」
 シグルスが運転手に尋ねると、着いた先は群馬県の伊勢崎の町であった。外は朱色の空と赤い西日になっており、他所の町の学校や会社から帰る高校生や大学生、会社員の姿が多く、トラックは町中の駅近くの広場の前で停まっていた。
「あ、ありがとうございます。本当に……。ここからは、わたしたちで行きます」
 フリッグは運転手に礼を言うと、運転手が姉弟に尋ねてくる。
「ところで、若い外国人の姉弟がこんな所に来てまで、何しに来たわけだい? 家出じゃないよなぁ」
 それを聞いてシグルスとフリッグは電子頭脳の中の相応しい返事を取り出した。
「わたしと弟は知り合いから赤城に住む知り合いの友達に届け物を頼まれたんです。郵便や宅配便では出来ない物なので。あとは、自分たちで行きますから」
 運転手はフリッグの話を聞いて不思議に思いつつも、この場から去る事にした。
「そうかい。じゃあ、おれはもう行くけど、気をつけて行けよ」
 運転手がトラックに乗って去って行くと、フリッグとシグルスは再び赤城山へ向かうことにした。
「夕方から夜の間はあまり人がいないから、その内に行きましょう」
「うん」
 姉弟は絹橋市とは似ているようで違う伊勢崎の町を歩き、スーパーを見つけると缶詰やパンやペットボトルの水を買ってバッグに詰めて、赤城山の方角へ向かっていった。
 シグルスとフリッグは夜は道路の電灯と月の光だけが頼りの町を歩いていった。夜は自動車が走っていることもあったが、二人は静かな住宅街の道を選び、家々の灯りからはテレビの音声や親子の会話などが聞こえてきた。
 シグルスは家族のいる家の声を耳にして高里家の人たちを思い出しつつも、住宅街を出てシャッターで閉ざされた商店のある地域に入り、やがては田畑のある場所にやって来た。
 田畑のある場所には電灯もなく、また家々も別の場所にあるため、月明かりが頼りだった。二人が赤城山の方角と地図データの記憶をもとに歩いていると、カツンカツンという足音が聞こえてきた。
(もしかして田畑の見張りの人間!?)
 そうだったとしたら二人は警察に連れて行かれて尋問を受けなくてはならない上に、オーディンたちと同じロボットだと知られたら、身柄を拘束されるかもしれない。
 姉弟が立ち止っていると、目の前に現れたのは端正な顔立ちに青緑の眼、赤い狼のような耳の付いたヘルネットに腰に狼の尾を持つ人間型のロボットだった。
 月灯かりでうっすら見えるとはいえ、フリッグは赤いロボットに声をかける。
「あなたは……諜報謀略隊長のフェンリル!!」
「君は……、フリッグか? そして後ろにいるのは弟のシグルスか?」
 フェンリルは姉弟を目にして尋ねてくる。
「ええ、そうよ! 空間物質移動装置の事故で飛ばされて、行方不明になったフリッグとシグルスです!」
 フリッグはフェンリルに自分たちがアスガルド星から行方不明になったロボットだと伝える。
「本当にこの星にいたんだな……。待ってろ、今陛下たちに連絡するから」
 フェンリルは姉弟にそう促すと、自分たちが使っている基地にいるオーディンたちに通信を取る。
「こちらフェンリル。陛下たちのいる場所から南に七キロの場所で、行方不明になっていたフリッグとシグルスを発見しました。応答願います」
 するとフェンリルの体内に設置された通信機にオーディンからの連絡が届いた。
『よくやった。ただちにヘールとテュールを送り込んで迎える。そのまま待機せよ』
「了解」

 それから三、四十分が経って、黒いカラスを思わせる女性型ロボットのヘール、赤銅色の装甲に二メートルはある巨体のロボットのテュールが迎えに来てくれた。
 シグルスとフリッグはオーディンの部下と共に赤城山の中にある変電所の廃墟を改造した基地に連れてこられた。
「よく来たわ、シグルス、フリッグ」
 長い金髪にアイスブルーの眼、緑色のメットと装甲の女性型ロボット、ヨルズが姉弟を出迎える。
「お久しぶりです、ヨルズ将軍。長いこと、心配をさせてしまって……」
 フリッグはヨルズにうやうやしく頭を下げる。
「いやこの星で無事にいられたことだけでも良い。今日はメンテナンスを受けて、休みなさい」
「はい……」
 フリッグはヘールに連れられてメンテナンスに足を入れた。シグルスの方は部屋の一角から一体の小柄なロボットが出てきて、シグルスに声をかけてくる。
「やぁやぁ、シグルス。無事だったんだね。君がいなくなってからは、アスガルド星では退屈だったんだよ」
 紫色のリス人間のようなロボット、ラタトスクであった。
「久しぶりです、ラタトスク小隊長」
「何堅いこと言ってんだよ、シグルス。呼び捨てでいいさぁ」
 ラタトスクがシグルスに言った。
「シグルス、ラタトスクと同じ部屋で休んでおきなさい」
 ヨルズがシグルスにそう言うと、ラタトスクは自分が使っている部屋の中にシグルスを案内する。ラタトスクが使っている部屋は窓ガラスが割れていて外気が入っており、金属台をベッド兼椅子代わりにしていて、コンクリートの壁や床もヒビが入っている殺風景な部屋だった。
「廃墟を根城にしているから仕方がないだろうけど、アスガルド星に帰れるまでの我慢だからね」
 ラタトスクはそう言って金属台の左側に寝そべり、シグルスも黒いパーカーを脱いで右側の金属台に寝そべり、シグルスもパーカーをブランケットのようにかぶせて寝る。
 フリッグはヘールの案内でメンテナンス室に連れてこられて、五時間ほどコードにつながれてメンテナンスを受けることになった。
 メンテナンス台は中心にロボット一台が横になることの出来る大きさで、周囲には変電所の機械を修理・改造した機器が置かれ、どの機器からもコードがいくつも接続されていた。
「今まで人間のいる世界にいたから、きちんとしたメンテナンスはやらなかったでしょうに。給仕ロボットといえど、メンテナンスは必ず受けるのよ」
「……はい」
 ヘールに言われてフリッグは今きている服を脱いで、メンテナンス台に横たわった。フリッグの体にも肩やひじ、手首や足首、腰回りやひざに関節の節目があり、ヘールがフリッグの体に機器のコードを節目に接続していく。メンテナンスコードにつながれている間は動けないが、久しぶりに本格的なメンテナンスを受けることが出来たフリッグは安心できたのだった。

 所変わって、東京都墨田区絹橋市の高里家。高里兄妹はシグルスとフリッグが群馬県赤城山近くにいるオーディンたちを尋ねに行ったこの日、いつも通りに学校に行き、夕方にシグルス姉弟が群馬県の伊勢崎に着いたという電話を手に取ったことから、シグルスとフリッグは無事だと確認できたのだが、この後どうなるか気になっていた。
「お兄ちゃん、シグルスとフリッグ帰ってくるといいね」
 お風呂上がりの夢乃が自分の部屋に向かいながら栄希に言った。
「うん……。シグルスとフリッグがオーディンたちに軍事兵器と地球資源の入手の取りやめることの説得にできたとしても、シグルスとフリッグはオーディンたちと共にアスガルド星に戻るだろう。
 元々他の星の住民であるロボットなんだから」
「で、でもね、二人が帰る前におうちでお別れパーティーをしてからにして……」
「シグルスとフリッグはともかく、オーディンたちもこの町に呼び寄せるってのか? 目立っちゃうよ」
 兄に言われて夢乃は黙る。
「……明日も学校なんだからさ、もう寝なよ」
「はい、お休みなさい」
 夢乃は自分の部屋に入り、栄希も自分の部屋の中のロフトにある布団の中に入る。
(今日は学校で冷やかされたりしなかったけど、授業でも給食でも掃除やクラブ活動の時でもシグルスとフリッグのことが気になってどうしようもなかったもんなぁ……)
 栄希は今朝から今夜までの出来事を思い出し、シグルスとフリッグの安否を祈った。

 群馬県赤城山の中の変電所の廃墟。フリッグがメンテナンスを受け終わると、シグルスもメンテナンスを受けた。メンテナンス中は台の上で横になって大人しくしてはならないので、終わるまで待つしかなかった。
(高里家でもメンテナンスをしていたけれど、あっちでは工具やホームセンターから仕入れた物でやってたからなぁ……)
 久しぶりに本格的なメンテナンスだったため、アスガルド星で最後に受けたのはいつだったか記憶を探る。数時間前からアスガルド星の空間物質移動装置の事故までの記憶がテレビの画像のように映り変わり、ようやく事故の三日前だったことに思い出す。
 シグルスのメンテナンスが終わったのは、朝の九時頃だった。
「ああ、やっと終わった」
 シグルスは半身を起すとコードを一本ずつ外していって、服を着る。そこで姉が銀色の錆びた金属の缶を持ってきてくれた。
「シグルス、終わったのね。はい、これ」
 フリッグはシグルスに缶を差し出す。中には緑がかった透明な液体が入っていた。
「これは?」
「液状燃料よ。何でもラタトスクが木の実や花の油を搾り取って、フェンリルが見つけた人間の工場などの廃油を集めて、ヨルズ将軍がわたしたちに摂取しやすいように作ってくれたんですって。エネルギーの食事なんて久しぶりね」
 そういえばかすかに花の甘さと廃油の匂いがする。シグルスは鼻の嗅覚センサーが感じ取った。シグルスは液状燃料を口から飲み、ゲージが満タンになるのを感じていった。
「長いこと、人間と同じ物を食べていたからなぁ……。まぁ、どっちも補給できるからいいけど」
 燃料を飲み終えたシグルスは姉と共にオーディンたちのいる部屋に足を向けていった。割れた窓ガラスや天井の孔から日の光が入り、薄暗い廃墟を照らしているのがわかる。
 変電所のモニター室で天井近くの壁にモニター画面、スイッチやキーのパネル、他にもメーターなどが付いており、更にモニター室の奥の椅子には一九〇近い背丈にプラチナの光沢の鎧兜に赤いマント、鎧の下は黒いスーツ。アスガルド星の王、オーディンで、彼の周囲にはヨルズ将軍やラタトスクら小隊長が並んで立っていた。
「フリッグ、シグルス。君たちがまさかここに飛ばされたことは思っていなかったよ」
 オーディンは穏やかに笑って、自分の対の場所にいる姉弟に声をかけてくる。
「はい。事故とはいえ、地球に飛ばされるなんて思ってもいませんでした……」
 フリッグはうやうやしくオーディンに言った。ヨルズたちは無表情無言でいた。
「さて、話を変えて……。お前たちが人間の所にいたのは本当か?」
 オーディンは姉弟に尋ねてくる。
「はい。高里という人たちの下(もと)で暮らしていました」
「お父さんの明夫さん、お母さんの乙葉さん、小学六年生の栄希くん、小学二年生の夢乃ちゃんです」
 フリッグとシグルスはオーディンからの質問に答える。フリッグとシグルスは高里家の人たちと暮らすようになってからの出来事を話した。住んでいた町のこと、シグルスが栄希と同じ学校のクラスに通うことになったこと、栄希の友達、学校での授業やクラブ活動や遠足……。
「そうか。お前たちはそういう人間たちの元にいたから、そういう風に語れるのだな」
「……オーディン陛下?」
 シグルス姉弟の話を聞いたオーディンは左手を額に当ててフリッグが首をかしげる。
「わたしやヨルズたちにとって、人間は身勝手で合理的な存在として見ている」
「どういうこと、ですか?」
 シグルスはオーディンに尋ねる。オーディンたちにとって人間に対する思考が何なのかを。
「我々は地球のロボットだった」
 それを聞いてシグルスとフリッグは耳を疑った。オーディンはアスガルド星をロボットの国にしたのは知っていたが、誕生の経緯までは知らずにいた。
「陛下がこの地球の出身? だけどこの地球の技術ではロボットは人間が決めたプログラム通りにしか活動できません」
 フリッグは今の地球のロボット技術の状態をオーディンに伝える。オーディンは違うというように首を振る。
「我々はこの時代より六百年先の地球の技術と文明により造られた」
「え!? ろ、六百年先? 今の地球は二〇二五年だから……、二六二五年!?」
 シグルスはそれを計算としてあ然となる。
「我々にとって、人間は赦すことのない存在だ。今でも、そう考えている」
 オーディンは自分たちの誕生の経緯をフリッグとシグルスに語り始める――。

 二十七世紀の地球では二十一世紀より科学技術や文明が発展し、重力装置による自動車やバイクの浮遊移動、工場の排ガスや排水を清浄化させて梗概を減らし、荒地の緑地化などといった自然と機械の均衡を保つ世界になっていた。
 ロボットの技術は二十六世紀の終わりから始まり、それまで人間の決めたプログラム通りに動くロボットから自分で学習し善悪判断するものになっていた。また様式も共働き夫婦の子供もしくは一人暮らしの老人の世話をする家庭内作業型や工場などで働く工業用、極致などの人間に代わって作業する特定環境型、歌や踊りを売りとする芸能型と多種多様であった。
 だが、ロボットは人間と違って扱いが低く、人間の二倍三倍労働しても給料は人間より低く、また保険や税などは人間よりも高く、居住区に至っては人間よりも辺鄙な町外れといったもので、人間と等しい扱いをしてくれるロボットは珍しかった。
 今はアズガルド星の王であるオーディンもかつてはスウェーデンのある大富豪の召使いロボットであった。オーディンは主人の下(もと)では室内と庭の清掃、調理にアイロンがけ、その他の人間の使用人なら十人が必要なことは全部ロボットの彼一人でこなしてきた。
 だがオーディンの主人は私欲が強い上にケチで、召使いであるオーディンには毎月二万円の給料しか与えず、また支給燃料も安物ばかりで、最初の内は不満も不平も持たなかったオーディンは一年経つごとにロボットの扱いに怒りを感じるようになった。
 主人の元に来てから七年目にオーディンは主人の下から逃げ出し、自分自身を戦闘用に自己改造し、自分同様に人間たちに不満不平を持つロボットたちを集めて、反乱を起こしたのだった。
 ヨルズ、ラーン、ヘール、フェンリル、テュール、スレイプニル、ラタトスクもかつては工業用だったが、人間よりも優れているロボットが人間より低い扱いでいることに我慢がならず、戦闘用ロボットになりオーディンについた。
 まずオーディンは自分の主人の屋敷を破壊しかつての主人を無一文に追いやり、その後は銀行やロボット燃料店などの襲撃、市庁舎や教会等の公共施設の破壊、かつて軍事ロボットだったテュールに至っては戦闘機や戦車を奪い取って遠隔操作をさせて人間たちを襲った。
 オーディン一味の反乱により、世界各国の政府は被害を止めるために人間とロボットの扱いを平等にすると主張してきたが、それでもオーディンたちの気は治まらず、ロボットが人間の主人になることを要求してきた。
 人間たちはこの案に恐れをなして、オーディン一味と戦うことを決意。オーディンたちも世界中の自分と同じ思考のロボットを集めて戦争を起こした。
 空襲が得意なヘール、水中からの不意打ちが売りのラーン、狙撃がメインのスレイプニル、迫撃担当のフェンリル、ゲリラ戦のラタトスク、戦いのプロフェッショナルであるテュール、女性型でありながら勇猛果敢なヨルズ、オーディンの指揮の元、彼らは人間とやり合った。
 しかしロボットの数と人間の数では大きく差が出てしまい、ロボット一体で人間の兵士二十人分の強さを持つロボットの数は二、三十体しかおらず、人間の兵士の数はその十倍から十五倍の数だった。
 またロボットはプログラム通りや過去の記録を基にした戦い方しかできず、人間は地形や状況によって戦い方を変えてくるため、ロボットたちは負けた。
 オーディン一味は敗れ、また大型ロケットミサイルに入れられて地球を追放された。
 長い年月の末、オーディンたちは支配種族のいない自然資源や鉱物資源の豊富な惑星に到着した。この惑星は哺乳類、鳥類、魚類、爬虫類、両生類、昆虫などの無脊椎生物が棲んでおり、また植物も種子植物や裸子植物、キノコやコケなども多く生息していた。
 オーディンたちは辿り着いたこの星をロボットの国にすることにし、アスガルド星と名付けて、また追放や流浪などの理由で居場所のないロボットたちの居住先にすることにした。
 異種異星ロボットたちが済むようになったアスガルド星は、やがて空間物質移動装置や十万光年以内なら移動できる宇宙船を造って、今に至るのだった――。

 シグルスとフリッグはオーディンの生い立ちとアスガルド星誕生の理由を聞いて理解した。オーディンが二十七世紀の地球の出身で人間に反乱を起こしたために地球を追放され、また人間を赦さないことを。
「二十一世紀の地球ではロボットの数が少なく、扱いも不明とはいえ、人間が高性能ロボットを造って虐げる前に地球を第二のアスガルドにしておけば、ロボット差別がなく、人間たちが環境破壊や戦災を起こさなくて済むからな。
 猟犬だって子犬のうちに狩りを仕込めば、成犬には一人前の両県になるのと同じようになるものだと思え」
 オーディンの言葉を聞いてシグルスはこう答えた。
「ぼくとお姉ちゃんは二十一世紀の地球で栄希くんたちと暮らしてからは、地球の歴史や文化を知り、学習してきました。
 ぼくたちがやって来た日本は戦争はないけれど、火山の噴火や地震によって多くの人々や生き物が命を落としていったり、日本以外の国では戦争をやっていて、多くの人々が住めなくなったり戦火に巻き込まれて亡くなっているのも知りました。
 でもそれは人種や宗教の価値観からの違いなどの理由によって引き起こされたもので、人間は本当は平和や安楽を求める生命体なんです。
 陛下は地球にいた頃はロボットの扱いが低かったためで、主人になった相手と相性が悪かったんだと思います。もしオーディン陛下が栄希くんや夢乃ちゃん、その両親みたいな人と暮らしていれば、そうならずに済んだのではないでしょうか」
 シグルスはオーディンに自分が地球に来てからのことと、人間は酷い者ばかりではないことを訴えた。
「わたしからもお願いします。どうか……、二十一世紀の地球を侵略しないで下さい!
 わたしたちはこのままアスガルド星に帰ります。陛下たちが地球を侵略して、多くの地球人が酷い目に遭う前に、退いて下さい……」
 フリッグもひざまづいて頭(こうべ)を垂れた。その様を見てオーディンも他のロボットたちも懇願する姉弟の姿を見て悩んだ。この二人は本気なのだ、と。やがてオーディンも姉弟の一生懸命な様子を目にして、「本気だ」と判断した。
「フリッグ、シグルス。君たちはここで人間たちと暮らしている間に、人間をそういう風に見るようになったのだな。
 ならば立ち退こう。その前に人間の兄妹に伝えておかないとな」
 オーディンはシグルスとフリッグに言うと、フリッグが問いかけてくる。
「待ってください、陛下。赤城山と東京の絹橋市にある栄希くんと夢乃ちゃんの家からは百キロもあります。わたしたちだって、人間のトラックに乗せてもらって三時間もかかってしまって……」
 フリッグは赤城山と高里家の距離と時間に説明すると、オーディンは立ち上がって二人を別の部屋に案内した。
「乗り物に乗る必要はない」
 フリッグとシグルスがオーディンのあとについていくと、モニター室の隣にモニターとパネル、その中心にコードやパイプがつながれた透明な筒状の装置があったのだった。
「オーディン陛下、これは……」
 シグルスが装置を目にして訊いてくると、オーディンは答える。
「距離移動圧縮装置。いわゆるワープ用の機械だ」
「よく二十一世紀の地球の技術で造れましたね……」
 フリッグがワープ装置を目にして褒め称えると、ヨルズが答える。
「確かにそうだけど、地球のあり合わせの機械パーツで造ったから、一日に一度が限度だ。エネルギーの浪費が激しいからな」
「それで、どっちが高里家に一度帰って我々のことを伝えるかね? 一人しか使えないのでな」
 オーディンに言われて姉弟は顔を見合わせる。するとフリッグが言った。
「シグルス、あなたが栄希くんの家に帰って。わたしはここで待っているから」
「お姉ちゃん、わかったよ」
 シグルスが高里家にワープすることになった。
「あとこれを身に付けて」
 そう言ってヘールが銀色の腕輪みたいな道具と掌大の長方形の板状の道具を持ってくる。
「このブレスレットはワープ装置の記録機で、これをつけていればここに戻ってくることが出来る。ワープ装置は一日に一回までしか使えないから、使いたい時はこの端末で連絡を」
 シグルスはヘールからブレスレットと端末を受け取ると、ブレスレットを右手首にはめて端末を服のポケットに入れて、ワープ装置の中に入る。
 ラーンがパネルを操作して、シグルスのワープ先をセッティングして、画面に東京絹橋市の座標が映し出される。
「それじゃあ、行ってきます」
 シグルスは姉に告げると、ラーンはワープを開始させる。
ビュオッ、という音と共に白い光が発せられて、またたく間にシグルスの姿はなくなっていた。