シグルスとフリッグが高里家に来てから五日が経った。高里兄妹の父はシグルスとフリッグが使うベッドと机と椅子を二つずつ買い、シグルス姉弟の部屋に置いた。家具は組み立て式の金属素材でベッドと机を壁側に置いて清潔そうなベージュのカーテンも窓にかけて、やっと部屋らしくなった。 「これで過ごしやすくなったでしょう」 母がシグルスとフリッグの部屋を見て確かめる。 「はい。家具を買ってきてくれてありがとうございます」 フリッグは父に礼を言う。 「まぁ、君たちが自分の星に帰れるようになるまでは家の子と同じ生活をさせておかないと、かわいそうだしな」 父はシグルス姉弟に言った。その日の夕方、シグルスとフリッグは母に呼ばれてキャンバス生地の手提げ袋とお金の入った小さな布袋を渡した。 「お使いに行ってきてくれる? 買ってきてもらう物は小銭入れの中の五千円札の間に挟んであるから。お金は失くさないようにね」 その時、二階の私室で勉強をしていた栄希が出てきて母に訊いてくる。 「お母さん、シグルスとフリッグにお使いに行かせるの? だったらぼくが……」 「何を言っているの、栄希。シグルスくんとフリッグちゃんはうちに来てから掃除と洗濯とお料理とアイロンがけといった家の中での作業しかやってないから、外に行かせないと。『かわいい子には旅をさせよ』ってやつよ」 そうかもしれない、と栄希は思った。シグルスとフリッグはアスガルド星の王に仕えていた給仕ロボットだ。高里家に来てからは一歩も外に出ていない。掃除や洗濯の他にもお使いも必要なのかもしれない。 「お母さん、二人が変な人に絡まれたりしたら流石に困るから、ぼくもついていってもいい?」 栄希は母に頼んできた。母も考えてみて、高里家以外の人間を知らないシグルスとフリッグが誰かにだまされたり無理矢理目当てのものでもない物を買わされたりしたらの可能性もあると察した。 「わかったわ。栄希は二人を見守っているのよ」 「ありがとう、お母さん。行ってきます!」 こうして栄希はシグルスとフリッグの初めてのお使いについていった。 三人は住宅街を歩き、住宅街から三百メートル先の商店街に向かっていった。住宅街ではベランダで洗濯物を片づける主婦、庭でキャッチボールをする兄と弟、盆栽の手入れをする老人、自家用車を洗う男の人といった様子が見られた。電線にはスズメやカラスが泊まり、太陽は西の方に傾いており空の色が変わろうとしている頃だった。 商店街に着くと、いくつものの店が並び歩いている人々も男も女も子供も老人もいて、売ったり買ったりをしており、商店街の中心はタクシー乗り場で緑色に円状のランプのタクシーが七、八台停まっていた。 「ここが商店街? いろんなお店がいっぱいあるんだね」 シグルスは商店街が住宅街とは違う様子だということに訊いてくる。 「うん。でもショッピングモールが出来てからお客さんが向こうに行っちゃったからなぁ。ショッピングモールは大きい建物の中にスーパーもレストランも服屋もゲームセンターもあるから」 栄希は商店街で買い物する人は少ない方だとシグルスとフリッグに教える。まず三人が向かったのは八百屋で、八百屋は斜めになっている台の上に赤いトマトや緑のピーマンや薄茶色のタマネギなどの野菜が置かれ、値段の紙板も添えられている。 「おう、栄希か。いらっしゃい」 帽子をかぶった八百屋のおじさんが栄希にあいさつする。 「おじさん、こんにちは!」 八百屋のおじさんは栄希の他に見慣れない姉弟もいることに気づく。 「栄希、この二人は?」 すると栄希は「ああ」と言って八百屋のおじさんに説明する。 「お父さんの知り合いの子供で、うちで預かっているシグルスとフリッグだよ。 ここでお使いを初めてやることになったから、ぼくはその見守り役」 「初めまして、シグルスです」 「フリッグです」 シグルスとフリッグは八百屋のおじさんにあいさつする。 「シグルスとフリッグねぇ……。その二人の髪と眼の色からして、ヨーロッパ系の人か? 日本語は上手いが」 八百屋のおじさんが姉弟を見て尋ねてきたので、栄希はすかさず八百屋のおじさんに話してきた。 「そ、そうなんです。お父さんの……知り合いはヨーロッパの人でして、シグルスとフリッグの両親がアフリカに出張しに行くことになって、しばらくうちに住むことになったんです」 栄希の話を聞いて八百屋のおじさんは納得する。 「ふぅん……。まぁ、アフリカではエボラ出血熱とかマラリアとかの物騒な病気があるから、日本の方が安全なのかもしれないな。それで、何を買うんだ?」 「ロールキャベツとサラダにするので、キャベツとタマネギとレタスとキュウリとトマトを下さい」 シグルスが答えたので、おじさんは鮮度の良い物を選んで手提げ袋の中に入れてくれた。 「全部で九七二円です」 おじさんが勘定を出してきたのでフリッグは手提げ袋の小銭入れを出して五千円札を渡す。 「お釣りは四〇八二円ですね」 「あ、ああ。そうだよ。暗算得意なんだね」 おじさんがフリッグに言った。フリッグはお釣りの千円札四枚と小銭を受け取ると、小銭入れの中に戻す。 「またのお越しをー」 八百屋のおじさんに見送られて栄希と姉弟は今度は肉屋へ行って、牛豚合いびき肉六百グラムを買った。肉屋や魚屋は冷蔵のガラスケースの中に商品を納めているのが特徴だ。 他にもパン屋で食パンを一斤と牛乳紙パック一リットル二本を買って、栄希の母に頼まれたお使いを終えたのだった。 「ただいまー」 一階のリビングでテレビアニメを見ていた夢乃と夕食作りの準備をしていた母が三人の帰宅に気づいた。 「お兄ちゃんたち、お帰りー」 「シグルスくん、フリッグちゃん。お帰り。栄希、お守りご苦労様」 母は玄関にいるフリッグから買い物の手提げを受け取り、買ってきた物が全部そろっていると、うなずく。 「野菜もパンも牛乳も全部あるわね。フリッグちゃん、お夕飯手伝って。シグルスくんはお風呂掃除をよろしく」 「はい」 母はフリッグとシグルスに新しい家事をするように言い渡し、フリッグは母と一緒に台所、シグルスは風呂場へ行って浴槽とタイル床をスポンジでこする。夕食が出来上がるまで栄希と夢乃はリビングでテレビを見ていたが、夕食が出来上がる頃になると、食器や水差しを運んだりして父がいい頃合いになって帰ってくる。 「ただいま。今日はロールキャベツかぁ」 父が玄関で台所から漂ってくる匂いをつかむ。ダイニングではすでに器に入ったロールキャベツが一人につき二つ入っており、他にもマカロニサラダ、白ご飯、ロールキャベツにかけるケチャップもあった。 夕飯を食べているさなか、母は父にシグルスとフリッグをお使いにお使いを頼んでちゃんとメモ通りに買ってきてくれたことを話した。 「へぇ。初めて行く場所なのに、きっちり行けたとはねぇ」 「お父さん、ぼくもついていったんだよ」 栄希が父に買い物の件は自分も関わっていたことを告げる。 「栄希はシグルスくんとフリッグちゃんの見守りだから。栄希と夢乃は明日から学校でしょ。行けるように準備はもうやったの?」 母が栄希と夢乃に尋ねてくる。 「そうだった。明日から新学期だった」 「シグルスとフリッグが家に来てからバタバタしてたしねぇ」 それを聞いてシグルスが母に尋ねてきた。 「〈がっこう〉ってなんですか?」 それを聞いて父と母、栄希と夢乃はきょとんとなる。 「え!? シグルスとフリッグって、学校を知らないの?」 「学校っていうのは勉強を教えてもらったり、社会のルールを覚える場所のことよ。日本やアメリカやヨーロッパのような先進国では子供は必ず義務教育を受けることが法律で決まっているの」 栄希がシグルスに訊いてきて、母が学校の説明を姉弟に教える。 「もしかしてロボットの世界には学校はないのかもしれないぞ。ロボットって人間と違って形が完成させられた時から言語や計算などのプログラムが設定されているだろうし……」 シグルスとフリッグに訊いてみると、フリッグはこう答える。 「あ、アスガルド星にも学校――正しくいえば労働適性センターという施設があって、新しく造られたロボットやアスガルド星以外からやって来たロボットはそこで本人の機能や性能に合わせて自分に適った役職を与えられているんです」 「ああ、そうなのか……」 フリッグのアスガルド星にも学校らしきものの存在を聞いて父は納得した。 次の日、栄希と夢乃は朝七時に起きて、パジャマから普段着に着替えて昨日のうちに用意したデイパックとランドセルを持って一階のダイニングへ行く。 「おはよう。栄希くん、夢乃ちゃん」 シグルスとフリッグが朝食を作ってくれていて、ダイニングではすでに父が朝食のアジの開きと味噌汁と白ご飯を食べていた。 「栄希くんと夢乃ちゃんはハムエッグの方がいいかな?」 シグルスが訊いてくると、父が「サラダもつけておくように」と言ってきた。 「あれ、ママは?」 夢乃がいつもならすでに起きている筈の母の姿がないことに気づく。 「お母さんならまだ眠っているよ。後で起こしに行くから……」 シグルスが言うと、それを聞いて栄希が呆れる。 「いくらシグルスとフリッグがロボットで早起きしてくれるからって、さすがにお母さんが寝過ごしちゃ駄目じゃん……」 「まぁまぁ。それよりちゃんと食べて学校へ行く」 父に言われて栄希と夢乃はフリッグとシグルスが作ってくれた朝食を食べて、食べ終えると歯を磨いて栄希は深緑のデイパック、夢乃は茶色のランドセルを背負って七時半に家を出る。 「行ってきまーす」 「行ってらっしゃい。父さんもあと十分したら会社に行くよ」 栄希と夢乃は住宅街と駅前商店街とは反対側にある絹橋第三小学校に通っている。栄希兄妹の他にも高学年の子はデイパックやショルダーバッグを持っていたり、中学年や低学年の子はピンクや水色のランドセルを背負っていた。 高里家から第三小学校まで歩いて十二分。その途中に横断歩道を渡ったり、角になったら走ってくる車に気をつけたりと進んでいった。高里兄妹と反対側の道路から三、四人のグループの一人の男の子が歩いてくるのを目にした。 「やぁ、栄希くん。おはよう。久しぶり」 「純也(じゅんや)、おはよう。久しぶり」 栄希の友達、岸原純也(きしはらじゅんや)は垂れ目に細身、服装は緑色のパーカースウェットに黒いジーンズと緑のスニーカー、背中には灰色の3ウェイバッグをリュックにしていた。 「夢乃ちゃんも久しぶり。元気だった?」 「うん」 純也は夢乃にも声をかけてきた。 多くの家が並ぶ住宅街の中にあって、広い敷地には校庭とかまぼこ屋根の体育館、三階建てのL字型校舎の第三小学校。裏庭と昇降口の前の庭園には季節によって花の種類が異なる木が植えられており、桜の木は三本あって薄紅色の花を咲かせていた。 今日は新学期で二年生から六年生は教室前の掲示板に貼られた名簿を見て、自分のクラスがどこか確かめる。 栄希と純也は昇降口で夢乃と別れて、三階にある六年生の教室へ向かう。 教室前の掲示板には多くの生徒が集っていて、自分の名前を見つけてから教室に入っていく姿が見られる。 「高里栄希……六年二組。あっ、純也も二組だって」 「えっ、どこどこ? ホントだ!」 二人の名前は六年二組の中に表示されていた。二人はそろって六年二組の教室に入り、教室の中では前に黒板と教壇、後ろにロッカーと掃除用具入れ、ベランダと窓、生成り色のカーテンからは光が差し込まれていて教室に細い光を当てていた。 机と椅子は二十組あって、それぞれ男子同士、女子同士でしゃべり合っている生徒もいれば、一人で座っていたり本を読んでいる生徒もいた。席は黒板に書かれており、栄希と純也も指定された席に着く。 「おはよう、高里くん」 栄希は声をかけられて斜め後ろの席に座る女の子の顔を見る。ウェーブのセミロングを編み込みにして卵に目鼻、ラベンダー色のワンピースに白いボレロカーディガンの服装。 「あっ、彩沼(あやぬま)さんも二組だったんだね。おはよう」 栄希は同じクラスになった彩沼さんにあいさつする。 「彩沼さん、転校してきて三ヶ月になるけど、大丈夫なのか?」 「平気よ」 彩沼智佐絵(あやぬまちさえ)は三ヶ月前の一月の三学期始業式に第三小学校に転校してきた愛知県からの転校生だった。五年生の時も栄希と智佐絵は同じクラスで同じ班だった。その時、黒板上のスピーカーから校内放送が伝えられる。 『生徒のみなさんにお知らせします。これより校庭で始業式を行いますので、各自教室を出て校庭に集まって下さい。繰り返し放送いたします……』 それを聞いてどこの教室でも生徒たちが教室を出て、校庭に並んで始業式が行われた。新年度のあいさつ、校長先生の話、効果斉唱と行われて、始業式が終わると教室に戻って席に着いて担任の先生の紹介とこれからの行事と目標についての説明が語られた。 栄希たち六年二組の担任は牧山寿理(まきやまじゅり)先生といって、カールの入った髪をポニーテールにしてローズピンクの口紅を中心にした化粧をし、臙脂色のジャケットとタイトスカートと白いボウタイブラウスの服装の女の先生だった。 「わたしが六年二組の担任の牧山寿理です。みなさんは小学校の最高学年になったこともあって、下級生の皆さんのお手本になるように学んでいきましょう」 帰りの会が終わると、どの生徒も二人以上そろって下校し、栄希も純也と智佐絵と昇降口で別れて、夢乃と一緒に自分の家へ帰っていった。第三小学校をはじめとする小学校では不審者対策のため、帰る方向が同じ生徒は必ず二人以上で登下校するという、夢乃も兄妹二人で登下校していた。 今日は始業式のため十一時半で学校が終わり、暖かい風の中にアゲハチョウやモンシロチョウが舞い、ハナアブやミツバチが家の花壇の花蜜を吸っていた。 「ただいまー」 栄希と夢乃は自分の家に着くと、台所でシグルスとフリッグが昼ご飯を作っているのを目にする。 「お帰り。栄希くん、夢乃ちゃん。もうすぐご飯が出来上がるから手を洗ってらっしゃい」 「はーい」 フリッグに言われて栄希と夢乃は洗面所に行って手洗いうがいをして、通学バッグを自分の部屋に置いていってダイニングに着く。 ダイニングの食卓の上にはピーマンやマッシュルームを使ったピラフの平皿とグリーンサラダの器、ビーフコンソメのスープのカップもあった。 「いただきまーす」 栄希と夢乃はシグルスとフリッグが作ってくれたご飯を食べて腹ごしらえする。夢乃はピーマンやニンジンは嫌いだけど、シグルスとフリッグが作ってくれたのでバターライスとベーコンと一緒にほおばった。 「お母さんは?」 栄希がフリッグに尋ねてくると、フリッグは答える。 「乙葉さんは今日は手芸講座も日だからって、十一時二十分に出発していったわよ。乙葉さんにはお弁当を持たせておいたわ」 「お弁当? フリッグが作ったの?」 夢乃が尋ねてくると、フリッグはうなずく。 「ええ、そうよ。お昼ご飯を食べる時間はないだろうと計算して作っておいたのよ。そしたら乙葉さん、大喜びで……」 高里兄妹の母、乙葉は一つ隣の駅から五分歩いた先の五階建てビルの三階を手芸講座の教室にしており、出かける前にフリッグが作ってくれたお弁当を見て感激していた。 卵焼きもソーセージもサラダもあり、のりで包んだおにぎりが入っていたからだ。 「あら、先生。おいしそうなお弁当ですね」 母の生徒である二十代の雑貨店員の女性がのぞいてきた。 「せ、先生が作ってきたんですか?」 女子大生とおぼしき女性が母に尋ねてきた。 「あ、ああ、これね。夫の知り合いの子で預かっている女の子が作ってくれたのよ。弟と一緒に料理だけでなく、掃除や洗濯もしてくれて……」 母は講座の受講者にこう説明しておいた。作ってくれたのが人間そっくりのロボットの姉弟だなんて信じてくれないからだ。 (あ、卵焼きにシラスが入っている) 母は卵焼きを食べて、フリッグが惣菜だけでなく栄養も考えていてくれたことに思った。 |
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